2017年2月24日金曜日

第61号 

●更新スケジュール(2017年3月17日・31日
第4回攝津幸彦記念賞 募集‼ 》詳細
豈59号  第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録
販売価格  1,080円(税込)  豈59号のご購入は邑書林まで
各賞発表プレスリリース


平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む

平成二十九年歳旦帖

第四(3/10)仲寒蟬・曾根 毅・松下カロ・椿屋実梛・前北かおる
第三(3/3)杉山久子・田中葉月・石童庵・真矢ひろみ・ 竹岡一郎
第二(2/24)仙田洋子・ふけとしこ・五島高資・堀本吟・渕上信子
第一(2/17) 夏木久・網野月を・坂間恒子・渡辺美保・神谷波



新シリーズ 【平成アーカイブ】 …筑紫磐井


「街」とその鑑賞②(創刊号・第3号を読む) …筑紫磐井 》読む

「街」とその鑑賞①(総合誌を切る)・・・  筑紫磐井  》読む




  【抜粋】 


<抜粋「俳句四季」3月号> 俳壇観測 

はがき俳信・ミニ雑誌の面白さ―――大雑誌もミニ雑誌から   …筑紫磐井  》読む

  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる



    <WEP俳句通信>





    96号(2/14発売)

      • 神考9  (戦火想望俳句と敏雄)  … 北川美美 》読む 


      96号(2月15日発売予定)






      およそ日刊俳句空間  》読む
        …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
        • 3月の執筆者 (柳本々々 ) 

          俳句空間」を読む  》読む   
          ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子・
           好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 

          _________________
          【エッセイ】
          ふけとしこ『ヨットと横顔』を読む 
          (2017年2月創風社出版刊)
          …筑紫磐井 》読む

          【句集評】
          黄泉還るふるさと 高野ムツオ「片翅」評
          びーぐる34号(平成29年1月20日発売)より転載
          …竹岡一郎 》読む


          【短詩時評36試合目】
          「嗚呼、みんなシノニムだ、短歌の対語は何だ?」
          …柳本々々 》読む


          【短詩時評さんじゅうご】
          歌人・鳥居さんのドキュメンタリーを観ること-ひらがな、から-
          …柳本々々 》読む



          あとがき   》読む


          3月上旬まもなく発売!




          【PR】
          『いま、兜太は』 岩波書店
          金子兜太 著 ,青木健 編
          寄稿者=嵐山光三郎,いとうせいこう,宇多喜代子,黒田杏子,齋藤愼爾,田中亜美,筑紫磐井,坪内稔典,蜂飼耳,堀江敏幸.


          冊子「俳句新空間」第7号 2017 春 乞うご期待‼




          俳句年鑑2017年度版・年代別2016年の収穫に筑紫磐井執筆‼
          「二つの力学」筑紫磐井
          【紹介作家】池田瑠那・高瀬祥子・阪西敦子・西山ゆりこ・大高翔・日下野由季・津久井健之・前北かおる・北大路翼・藤本夕衣・鎌田俊・冨田拓也・杉原祐之・村上鞆彦・椿屋実梛・大谷弘至・藤井あかり・杉田菜穂・高柳克弘・涼野海音・中本真人・松本てふこ・抜井諒一・音羽紅子・伊東裕起・小川楓子・神野紗希・西村麒麟・佐藤文香・山口優夢・野口る理・中山奈々小林鮎美
          まだご覧になっていない方は是非!





          特集:「金子兜太という表現者」
          執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
          、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
          連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


          特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
          執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
            


          特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
          執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

          筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
          <辞の詩学と詞の詩学>

          お求めは(株)ウエップ あるいはAmazonにて。

          【短詩時評36試合目】「嗚呼、みんなシノニムだ、短歌の対語は何だ?」/柳本々々

            またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語(アントニム)の当てっこでした。黒のアント(対義語(アントニムの)略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
            「花のアントは?」
             (太宰治『人間失格』)


          今週の土曜日、大阪で「短歌チョップ」という短歌の大きなイベントがありますが、おもしろいなと思ったのがこの「短歌チョップ」というネーミングです。

          「短歌チョップ」というネーミングのおもしろさは、「短歌」と「チョップ」の組み合わせ、この「短歌」と「チョップ」という言葉同士が相容れないところにあると思うんですよね。たとえばこれが「短歌ミュージック」だったら〈歌〉という共通のくくりが見いだせるわけですが、「短歌」と「チョップ」はなかなかくくりをみいだせないどころか、お互いがお互いを解体しあうような関係になっています。

          たとえばだれでも人生で一度くらいはチョップをしたことがあると思いますが、チョップって手刀のことですからてのひらをまっすぐにして五本の指が直立している状態ですよね。ところが短歌ってよく指をおってつくったりすることもあるように、〈指を折る文芸〉なんですよね、とりあえずは。「短歌チョップ」ということばにおいては、〈指を折る文芸〉と〈指を折らない打撃技〉が出会ったことになります。

          だから、「短歌チョップ」ということばに出会ったときに、あれ、「短歌」のイメージってじぶんが今かんがえているような短歌のイメージでよかったんだっけ、でもチョップのイメージってなかったよなあ、そもそも短歌ってなんだったっけ、となる。

          だから、チョップは何に対して繰り出されているかというと、短歌というジャンルそのものに繰り出されている。短歌というジャンルってなんだっけということを考えさせるものとしてチョップは機能している。

          このときにわたしが思ったのは、短歌の反対語ってチョップなんじゃないかと思ったんです。短歌の対義語ってなんですか、ときかれたら、チョップと答えよう、と。

          太宰治の『人間失格』に主人公が罪の反対語(アント)を考えるシーンがあります。罪の反対語を考えることで罪とは何かを模索するのです。

            「しかし、牢屋にいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」
            「ツミの対語は、ミツさ。蜜の如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
            「君が持って来たらいいじゃないか!」
            ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
            (太宰治『人間失格』)

          たぶん罪の反対語はチョップなんですが、この場面で大事なのは、主人公が罪の反対語を結局手に入れられなかったことです。罪の反対語としてどんな言葉を考えても同義語(シノニム)になってしまう。反対語が手に入れられないということは、「罪」を解体できるチャンスがなくなるということです。どんな発想も「罪」に回収されていってしまう。

          ところが友人は「罪」にとらわれていないためさっさと抜け出してしまいます。「ツミ」の反対語は「ミツ」と言葉遊びでいえたのは、友人が罪にとらわれていないからです。このときその言葉遊びにたいして「烈しい怒りの声」をもっている主人公はやはり「罪」にとらわれています。とらわれているからこそ、「罪」そのものを問い直すチャンスがない。くりかえしますが、罪の反対語は、チョップです。

          ところでこの短詩に身体技をくっつける〈名付け〉は興味深い事例として短詩においてときどきみられます。たとえば、去年刊行された小津夜景さんの句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)がそうでしょう(花とカンフー)。この夜景さんの句集では、B級的な身体の愉しみが俳句のなかにとても嬉しそうに描かれています(夜景さんの俳句のひとつのダイナミズムとしてB級文化の密輸があるように思います)。

            ぬつ殺しあつて死合はせ委員会  小津夜景

            向き合うてやがて両手の円運動  〃

            仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音  〃

          また歌人・川柳作家の飯島章友さんは川柳を読むサイトとして『川柳スープレックス』という共同ブログをたちあげられました。これは川柳とジャーマン・スープレックスというプロレスの投げ技がくっついています(ちなみに小津夜景さんと飯島章友さんの格闘技と短詩をめぐる対談が『週刊俳句』に掲載されています。「【新春対談】〈身体vs文体〉のバックドロップ 格闘技と短詩型文学/小津夜景✕飯島章友」)。『川柳スープレックス』の巻頭言として飯島さんが書かれた言葉。

            最後にブログの名称にもなっているスープレックスについてお話します。
            スープレックスとは「後ろから相手の胴をクラッチして反り投げ、ブリッジで固めるもの」で、レスリング系の投げ技です。
            当ブログもスープレックスという技のように、川柳界における「読み」の停滞を引っくり返していければと思います。
            (飯島章友「川柳スープレックスについて」『川柳スープレックス』)

          短歌とチョップ、俳句とカンフー、川柳とプロレス。

          なぜ短詩はそんなにも闘おうとしているのか。

          思い出してみれば、短歌だけでなく短詩にも目配りを行き届かせた短歌誌『短歌ヴァーサス』も対人格闘的な響きがありました。ひとつの考えとして、短詩というジャンルは、たえず自身のジャンルを自己言及的に問い直しつづけるジャンルだから、というものがあるように思います。だから、自身からすごく離れた、まるで反対語のような存在とときどきあえて癒着する。そのときにそのジャンルそのものにいったいなにが起こるのかを吟味する。チョップし、拳をたたきこみ、スープレックスをかける。

          でも、『人間失格』の大庭葉蔵がみせてくれた事例のようにそのうちに、短歌のシノニムはチョップになり、俳句のシノニムはカンフーになり、川柳のシノニムはプロレスになるかもしれません。

          2003年1月、「あたらしい川柳誌をつくろう」という意気込みのもと、『バックストローク』という現代川柳誌が刊行されました。発行人は石部明さん、編集人は畑美樹さん、協力に石田柊馬さん、樋口由紀子さんが名を連ねています。

          バックストロークというのは〈背泳ぎ〉という意味で、やはりここにも泳法という身体技法があらわれていますが、『バックストローク』創刊号の「後記」において畑美樹さんがこんなふうに書かれています。

            「やめられないとまらない」川柳を、楽しい凶器のように玩具のように抱えている人たちが、こんなにもいる。動きつづけたい、と思った。
            『バックストローク』は、倉本朝世さん命名。背泳というのは確かな意志を持って全身を動かさなければ、進みたい方向へたどりつくことはできないという。それぞれの確かな意志、やめられないとまらない意志。
            (畑美樹「後記」『バックストローク』創刊号、2003年1月)

          畑さんは川柳を「楽しい凶器」と書きました。だからこそ「動く」んだ、と。これは〈チョップ〉にもつながる考え方だとおもいます。ジャンルに凶器性・玩具性をもちこむことで、ジャンルを再考しながら、動かしていく。

          短歌チョップのテーマは「語ろう」なのだそうなのですが(たしか前回の短歌チョップは「出会おう」だったとおもいます)、どちらもチョップをするときのように〈前に進むこと〉〈動くこと〉〈つながること〉が象徴的にあらわれています。こんどぜひチョップをしてみてください。前に進んで、動いて、つながります。ひとと。チョップをする機会なんてそういえば、人生でそうそうないです。ひとはいつチョップするのか。

          ところで、『人間失格』の主人公・大庭葉蔵は最後、眠剤と間違えて下剤を飲んでしまい、下痢のまま、どこへも行けなくなってしまいます。象徴的にどこへも行けなくなってしまいます。そして有名なこのシーン。

            いまは自分には、幸福も不幸もありません。
            ただ、一さいは過ぎて行きます。
            自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
            ただ、一さいは過ぎて行きます。
            自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
             (太宰治『人間失格』)

          葉蔵には畑さんが書いた〈動く意志〉とはまったく逆の事態が起こっています。下痢で寝ている葉蔵はどこにもゆけないまま「いっさいは過ぎていきます」。葉蔵以外のすべての世界が動く。葉蔵は動けないけれど。ただいっさいは過ぎてゆく。葉蔵をおいて。年齢も身体も葉蔵をおいていく。読者もこの本を、もう、終える。読者も葉蔵をおいていく。

          このとき葉蔵に必要だったのは、みずから動くこと、動かざるをえない身体技法、それは、チョップであり、カンフーであり、ジャーマン・スープレックスでありバックストロークではなかったかと、おもうのです。

          チョップから読む『人間失格』。チョップから書く短詩感想文。チョップから始めてチョップで終わる(たぶん)世界ではじめての春チョップの時評。

            ぐちゃぐちゃといたるところに十指あり  樋口由紀子
            (『バックストローク』創刊号、2003年1月)

          <抜粋「俳句四季」3月号>はがき俳信・ミニ雑誌の面白さ   ――――大雑誌もミニ雑誌から 筑紫磐井



          毎月百冊以上の雑誌を頂いているが、今回は、ちょっと変わったミニ雑誌――葉書一枚からなる「はがき俳信」を紹介してみたい。筆者の手元には現在次のようなはがきの俳信が来ている。多分総発行部数も五〇部から百部ぐらいであろう。本誌の読者には滅多に見ることの出来ない俳信だ。

          ●清水青風「one-man俳誌 流 ryu」

          毎号俳句六句と二五〇字程度のミニエッセイで構成されている。発行人は廣瀬直人の「白露」に所属していたが、「白露」終刊後、系列の結社雑誌には属さないでこの「流」だけで活動しているようだ。平成二四年一二月創刊で、ほぼ月刊、二九年一月でちょうど五〇号となった。発行人は百号まで続ける予定といっている。記事には、発行人在住の岐阜の地域性ある話題と、飯田龍太や雲母の話が多い。むしろ、地域と雲母が渾然一体となっているところが雲母系作家らしいところである。何かの折に「私の俳壇は雲母である」と書いていて微笑ましく思ったことがある。雲母以外は俳壇と認めないのかも知れない。
          妻留守の十二時打てば木枯しす
          人は灯を麓に連ね年迎ふ

          ●ふけとしこ「ほたる通信Ⅱ」

          毎号俳句六句と四〇〇字弱のミニエッセイで構成されている。発行人は、「船団」「椋」にも所属し、このはがき俳信だけで活動しているわけではないらしい。平成二四年八月創刊で、ほぼ月刊、二九年一月で五三号となるから、「流」よりほんの少し古い。ただ、発行人はその前に「ホタル通信」という個人誌を発行していたというからミニ個人誌歴は長いようだ。「流」と違って、身辺の話題が多く、季語について触れることもあるが直接俳句については述べていない。むしろ身辺にある思想を紡ぐという趣がある。
          冬が来てパジャマの袖が長すぎて  
          セーターの脱がれて走り出す形

          ●山内将史「山猫定期便」

          前二者と違い自作・他作の一句を掲げて三〇〇字程度のミニエッセイを載せる。発行人は永田耕衣の「琴座」に属していたが、その後は特段雑誌に所属していることはないようだ。そして、取り上げる句もいわゆる伝統系の俳句でないものが多いのはこれまた前二者と異なる。実はこの定期便には前身があり、平成二年夏創刊の「山猫郵便」が二四〇余回続いて、現在標記のはがき俳信となって第三号である。二六年とは、恐らく史上最長のはがき俳信であろう。

          女教師や肛門かゆく秋のわれ 宮入聖 
          木犀の金の兵隊銀の裸婦   宮入聖

          大きな結社誌・同人誌と違って、俳句年鑑に取り上げられることもなく、新聞・雑誌の月評に登場することもなく、酬われることも少ない。たった一人で、自己負担のみで営々と発行し五年、一〇年と継続しているのは頭が下がるものがある。もちろんこうしたはがき俳信を出している人たちはまだ何人かいるらしい。継続性という点からみても、機会があれば紹介してみたい。
          (下略)

          ※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい。

          【エッセイ】
          ふけとしこ『ヨットと横顔』(2017年2月創風社出版刊)を読む
                             筑紫磐井

          「俳句四季」〈俳壇観測〉で「はがき俳信」としてふけとしこ「ほたる通信Ⅱ」をとりあげたら、掲載直前にふけとしこ『ヨットと横顔(俳句とエッセイ)』が届いた。「ほたる通信Ⅱ」と重なっている記事はないのだが、ミニエッセイと俳句で構成されている内容は両者よく似ている。ここで併せて紹介したい。
          そもそも、「俳句新空間」でお世話になっている割りにはふけとしこの俳歴もよく知らなかった。新しい本で確認すると、市村究一郎に師事し、「カリヨン」入会、俳壇賞を受賞し、現在「船団の会」と「椋」に所属しているそうであるが、句集や句文集が多いのには驚いた。余り知らなかったのはお互いの環境に原因があるようだ。
          市村究一郎は「馬酔木」に所属していたが、昭和59年の歴史的分裂騒動の時、「馬酔木」本体(発行人水原春郎、選者杉山岳陽)から堀口星眠、大島民郎らが分派し「橡」を創刊したとき「橡」に移籍している。私は橋本栄治など残留派の人と親しかったので、「馬酔木」本体の人たちとのつきあいは殖えたが、「橡」との関係は比較的冷淡であった。ただ、馬酔木時代の市村究一郎の作品は読んでいたし、「橡」に移って後には編集を担当し活躍していたことは知っていた。だからどういう事情であったのか、さらに「橡」を退会し、「カリヨン」を創刊するという経緯は不審さが残った。ふけとしこは市村が「カリヨン」創刊前から師事していたと言うから、或いはその辺りの事情を知っているかも知れないが私は余り関心はない。私自身、その後、結社の離合集散と愛憎の激しさは幾つかの例で知っていたし、余りそうしたモノに関与しないで済んだことは幸福だったと思っている。
          ただこの本の履歴には載っていないことがある。BLOG俳句新空間で、現在「平成アーカイブとその鑑賞」で「街」を論じているが、「街」のある号にふけとしこという名前や句集特集を見つけて驚いている。当時のふけにもいろいろ揺れる思いもあったのかも知れない。俳人には、様々な巡り会いがあるということだ。そして、俳句雑誌という記録媒体は、たやすくそうした歴史を確認できるということでもある。
             *   *
          『ヨットと横顔』を飛び飛びに読んでみる。
          「ストロンチウム90」は時期がらだけにてっきり福島原発のことかとおもったが、どうもそれ以前の文章らしい。ビキニ水爆の話から始まり、放射能の恐ろしさより、それを被曝状況を検証するため、乳歯の保存を活用するという実験があったらしいというのが話題で、これも面白い。
          「あんぽんたん」では自作の歴史をたどるが、動詞が3つも入っていた時代、それが船団に入って何でもありでどんどん散文化している、と述べているのは納得できる。いい俳句を作ろうと方針もなく足掻くより、自作の歴史をたどる方がよほど上達のためには重要かも知れない。
          「秋山小兵衛」は、池波正太郎の『剣客商売』の主人公だが、シリーズ最後の秋山小兵衛の老残の寂しさを考えている。しかし、私より4つ年上のふけとしこの心境は何か身につまされるものがある。
          「ホタル」は、実はホタルは可愛がっていた猫の名前だったという落ち。「ほたる通信Ⅱ」はそこから名づけられたのかも知れない。ちなみに、このホタルは2004年新年号に写真が載ったというが、我が家の愛猫ガッチャンは週刊文春2007年1月4日号及び石田郷子監修『猫帖』(ふらんす堂)の2番目に登場している。
          「蒲公英」は自宅の一本のタンポポの観察記録。日付、状況、茎長を丹念に記録する。何が面白いのか分からないのが面白い。
              *     *
          思うに文章は「起承転結」が必要だと言われているが、それは論理をたどろうとするからだろう。俳人の文章は「起承転」だけでよいと思う。「結」は読者が勝手に自分の頭の中で補うからだ。「ほたる通信Ⅱ」もそうだし、『ヨットと横顔』もそうだが、みじかい分だけ、「結」を削ってしまって良い。これは更に短い俳句について、一層言えることだ。俳人ふけとしこは「起承転」の名手だと思う。

          黄泉還るふるさと 高野ムツオ「片翅」評 / 竹岡一郎


          びーぐる34号(平成29年1月20日発売)より転載


          高野ムツオ句集「片翅」(邑書林、2016年10月)を読む。前句集よりも、運命を思索する事において、深みを増していると思う。

          声もなく集まり永久に花を待つ
          句集の冒頭に置かれたこの句において、集まる者は誰であろう。生者なのか、死者なのか、それが判然としないのは「声もなく」と「永久に」の組合せによるのだ。生きていても声の無い者は居る。声高に語れない者達だ。語る事の出来ないほど傷を負った者達とも、生きるのに必死のあまり、語る余裕の無い者達とも取れる。そして、死者もまた語れない。永久に待つ間に、いつか生者は死者となり、死者は生まれ変わるだろう。死に変わり生き変わり花を待つ行為の内に、生者と死者の区別が無くなってゆく観がある。花とは何だろう。国土だろうか。人の喜びだろうか。前句集で「みちのくの今年の桜すべて供花」と詠われたような鎮魂の供物と観るならば、安心立命を希求するものだろうか。(それが人類側の思い込みかもしれぬ、という視点は本句集中の「花万朶被曝させたる我らにも」から窺える。ここでは人類一般の加害者性と、被曝させられた桜へ宥恕を願う気持ちが詠われる。)「片翅」は、鎮魂未だ成らず、という作者の思いから始まっていると見える。

          立つほかはなき命終の松の夏

          「奇跡の一本松」を思う。陸前高田市の松、或いは南相馬市の松か。大津波に耐えながらも未だ世に知られぬ松か。松の性質上、立死をしなければならぬ。時は夏、地上では諸々の命の絶頂が開く。松の立ち様は、作者の命終に関する願望でもあり、覚悟でもあろう。

          死者二万餅は焼かれて脹れ出す

          ここで容赦ない読み方をするなら、正月のめでたい餅に重なるのは、死者である。或る者は焼かれ、或る者は水漬いて脹れた。生きている者は餅を食う。生き延びた者もそもそも震災に遭わなかった者も餅を食う。新しい年を祝い、冥途への一里塚をまた越える。意識するとせぬとに拘らず、生者は死者の魂の上に日々を送っている。

          瓦礫より人形歩き来る寒夜

          人形に魂が宿るのは、何としても体が欲しいという執念による。寒夜であるから、血肉の無い人形の体はどれほど歩いても冷たく硬い。人形は不自由な体を動かし、生者の領域へとひたすら歩み来る。人形を歩かしめているのは死者の念だろうが、生き延びた者の、謂れのない慚愧でもあるかもしれぬ。

          ただ凍る生が奇蹟と呼ばれし地
           
          凍る太陽壁に未だに死者の声

          「釜石・大槌 四句」と前書きのある中の二句。一句目は生き残った者の未だ「ただ凍る」苦難の生であり、それすらも死者から見れば奇蹟の生であろう。二句目は、生きる者が聴けば、太陽を「凍る」と表現せざるを得ないほどの死者の声だ。実際に凍る訳ではない太陽を、死者の声よ凍らしめよ、と生者は願うのか。ここで生者と死者を共鳴させるのは、二句共に「凍る」の一語であり、それは東北の冬を象徴する。そして「凍る」という語には水の要素が含まれる。

          寒濤や夢にまで手が伸びて来る

          死者の手であろう。死者一般とも取れるが、「寒濤」に、やはり大津波の殉難者を思う。死者を詠い続ける責任を常に思うからこそ、夢にまで死者の手が伸びてくる。死者と水、流れゆく死者というモチーフ、それは大津波という近年の事象によるだけではない。流れゆく水に死者が象徴されるような風土が、意識されているのではないか。

          東北の風土は江戸の昔より厳しい。元禄、宝暦、天明、天保の大飢饉は有名であるし、昭和六年、九年の東北大凶作は、昭和恐慌、三陸大津波と相俟って飢饉をもたらし、五・一五事件、二・二六事件の遠因ともなった。地方の疲弊は国家の運命を歪ませる。飢饉の際、真っ先に犠牲となるのは幼子だ。この句集に立ち上がる、顧みられぬ魂の悲しさは、水に属する子らの句群にも表れている。

          涎鼻水瓔珞として水子立つ
          「水子」とは本来は赤子、幼子の意味で、「泡子」ともいう。「水の如く泡の如く流れ易い命」の意か。そこから幼くして死んだ者、また流産、死産した者をも水子と称する。従って、この語の指す意味は非常に広い。ここではその逝き様を限定せず、幼子の霊と見て良いだろう。「瓔珞」の語によって、水子は幼い観音のように描かれている。とても荘厳の役に立つとは思われない、あわれな涎と鼻水が、輝く瓔珞と変化して、水子を荘厳して欲しいと作者は願うのだ。

          山の木の木這子(きぼこ)となりて吹雪呼ぶ
          こけしと言わず、木這子と言ったのは、幼くして逝った者が立つ訳はない、只這うのみだという認識だろうか。或いは「子消し」と取られるのは、余りに惨いと思ったのか。ここに詠われる者は自然に流産、死産したというよりは、あえて逝かされた感が、どうしてもつきまとう。なぜなら、母を呼ぶのではなく、水の属性である吹雪を呼んでいる。もしかすると雪女を、村社会と対立する魔性を呼んでいるのかもしれぬ。

          流されるために生まれし雛の顔
          雛は多分、微笑むとも眠るともない顔だろう。それは諦めの表情であるか。或いはあらゆる恨みを収納するための捉えどころのない表情であるか。この流し雛は幼き者と重なって見える。予め「流される」事が決まっている子供達である。ならば大津波で流された子供達というより、むしろ大飢饉における、食扶持を減らすため間引かれた子供達を思わざるを得ない。

          幼霊の跳ね戻るべし大夕立 
          雪解水幼霊もまた岩走る

          ここでも幼霊は水に属するものとして詠われている。水子であるなら当然だろう。しかし、恨みからは放たれ、自然の精霊のような活動性を与えられている。それは生者のファンタジーかもしれぬ。現実には、幼霊は身動きも取れず、只浮かび行くだけかもしれぬ。「幼霊の心臓の音浮氷」という句もあるからだ。だが東北の水は昏いばかりではない。

          みちのくや蛇口ひねれば天の川

          これがみちのくの本来あるべき夜と水の姿だ、と作者は言うかのようだ。細い銀色の蛇口から流れるのは、みちのくの水であると同時に、天上の星々でもある。イーハトーヴを思わせる。地へ流れ落ちる夜の昏さが、そのままベクトルを変え、高みの無数の煌めきへと変貌する。産土も諸々の御霊も、斯く有れ、と作者は願うのか。その作者もまた水にまつわるものである自画像を、次に示す。

          飛込めと梅雨の濁流誕生日 
          見上げたる我も蛟龍春の月

          作者の心の激しさが良く現れている。詠われるのは作者が自覚する運命であろう。「飛び込め」とは我と我が身に命じているのだ。激しい流れを渡るが如く、言霊という泳ぎを以って格闘するのである。黒い天からはいつ止むともしれぬ雨、地には濁流、見渡す限り水の属性に覆われて、だが、それがわが誕生日だというのだ。二句目は龍と言わず蛟龍と言ったところに謙遜があるが、それでもなお龍の一種であるとの誇りを持つ。「も」に、他にも龍は存在するのだという認識が認められる。蛟とは水に潜む龍であり、ここにも水の属性が表れている。

          死ぬ前に舐めるとすれば秋の虹

          淡い希望とも憧憬ともつかぬ秋の虹を、末期の水として舐める。即ち、虹と水が同一化される。水は己が死の際に、恐らくは死を以って虹へと変貌して天駆け、或いは死に惹かれて天下る虹は、唇へ水と化す。先の「天の川」の句と同じく、天地のベクトルの変換が行われる。その変換を実感してこそ、初めて自在となるのだろうか。この句と表裏をなす句として、「晩夏光絡めて舐めよ切傷は」が挙げられる。先の句を死の舌とすれば、この句はさしずめ生の舌であろう。先の句で死を以って天地を交換する舌は、生である傷を光を以って癒す舌でもある。

          全ページ秋風の湧く本が欲し

          そんな本を読みたいと思うとも取れるが、それ以上にそんな本を作りたいと思うのかもしれぬ。怒りや涙から遠く離れ、激情を遥か彼方に置き去りにして、透明な爽やかな本が書けたら。もっと言えば、自在にして寂静なる風の吹く本が書けたら。そういう振りをしているだけの本なら、世に掃いて捨てる程ある。作者が欲しいのは振りをしている本ではなく、本当に全ページ秋風が湧く如く、世界を透徹して観ている本、言霊の、風の如く来たりて風の如く去る本なのだ。そんな本は「地獄の只中で精励刻苦する者」によって書かれ、人間の思考を超えているだろう。

          猫曰く二本足では恋は無理

          「恋は盲目」とは、突き詰めれば、社会の慣習や常識に囚われていたら恋は出来ない、恋は捨身でするものとの意でもある。それを猫に諭されるとは。高貴にして自由な生き物である猫だからこそ言えるのだ。そんなことを人間に諭せるのは、あとは狐か蛇くらいだろうが、ここは「恋猫」という季語があるほど情熱的な猫の出番だろう。

          「首のない水仙恋を語り出す」も同様の諧謔だろうか。もはや水に映る顔も思い悩む頭も無くなったナルシスの化身は、初めて恋の何たるかを悟るのか。

          飛ぶときは菊座もあらわ寒の雁

          永田耕衣の「天心にして脇見せり春の雁」を思わせるが、耕衣の句に知識人の禅臭が漂うのに対し、この雁はもっとナマである。高空の凍てに抗して、身も蓋もなく肛門を曝して飛ぶ。それが雁の宿命である。「春の雁」なら、雁の生の厳しさは失われてしまう。

          刻まれていよいよ海鼠銀河色

          元々銀河色だったのが、愈々煌めくようになるのか。刻まれても再生可能な海鼠の生命力を思うなら、「いよいよ」は「海鼠」に掛かり、不死性の意かもしれぬ。いずれにせよ、刻まれて海鼠の不死なる銀河色は増すのだ。海底より来たる海鼠が銀河の色を存する、ここに天と海底の交歓が生じている。海底も夜天も、生者の領域ではない。海鼠を介して、異界の領域を食おうとしているのか。

          轢死して西日を翅として毛虫
          毛虫は、蝶と化さずとも良いから飛びたかったのだ。平たく轢死した今、地面と同化してしまっている。西日が長く伸びている。西日もまた地面に張り付いている。西日の先は空に繋がっている。その西日を翅と観たのは、毛虫の願いへの共鳴である。取り返しのつかぬ無惨さも、結果として斯く在れと。

          前句集に引き続き、原発事故の句もある。「福島原発二十キロ圏内 十句」と題された句群から、五句を次に挙げる。

          原子炉へ陰剝出しに野襤褸菊 
          緑夜あり棄牛と知らぬ牛の眼に 
          夏雲が供花か棄牛の頭蓋骨 
          夏草に餓死せし牛の眼が光る 
          峯雲や家を守るは家霊のみ

          一句目、野襤褸菊の花弁は無いに等しい。小さな花が筒状に集まっている。花が咲いた後の白い綿毛が襤褸のように哀れなので、この名称があるそうだ。植物の陰(ほと)は花であろう。剝き出しと言っても牡丹やたんぽぽとは違い、野襤褸菊の花はあまりにも控え目だ。原子炉へ曝される陰(ほと)である花は、放射能に抗する生命の誇示とも読める。しかし、如何せん、野襤褸菊、その慎ましさ。

          二、三、四句目は、置き去られた牛の悲哀である。人の側とて断腸の思いで牛を置いて去った。なぜこうなったのか牛には理解できない。何を糾弾することも無く、唯寂しい、ひもじいと思うのみだろう。作者は無力な人類として、季語を牛に捧げるしかない。牛の死に至る時間、牛の死後の時間だけが流れゆく、人間の居ない、この奇妙な広大さ。
          五句目は、無人の家になおも留まる御霊へと峯雲を捧げている。その白く輝く高みを供物として、甲斐なく家を守る御霊を照らしたいのだ。住む人がいなければ家は急速に傷む。御霊もそれを防ぐことは出来まい。家霊とは何だろう。様々な霊の混合体であろう。例えば、敷地の霊、家に住んでいた人々の先祖の霊、住民がかつて家に注いでいた日々の念、また産土神の思いも入っているだろう。原発事故は、単に目に見える、或いは計測できるものを汚染しただけではない。その土地の霊的な豊饒さをもまた、分断したのだ。

          地震の話いつしか桃が咲く話
          これは生者の本能だろう。あの大震災の話、死者の無念に覆われた話が、いつしか生きて咲く桃の話題に代わる。三月は殉難者を悼む月であると同時に、桃花の明るい雅を楽しむ月でもある。死の上に立って尚も生を見据えるのには努力が要る。自然は、死の上に何のためらいもなく生を咲かせる。死の裏には生があるし、生の裏もまた然りだが、人間は自我ゆえに、生死の連環を肯うことは難しい。「万象に裏側ありて紙魚走る」の句もある。この紙魚は、二元対立の狭間を走り抜けるトリックスターのようだ。

          桜餅津波のごとき舌をもて

          この句など、危うい諧謔と見なされるかも知れぬが、只諧謔と括ってしまうのは、ためらわれる。もっと深い、人の生の痛快さと悲しさを思わせる。桜餅を瞬く間に平らげるほどの食べっぷりに、あの津波を重ねることにより、人の生よ津波を超えろ、と密かに念じる作者であろう。

          生還は日常の些事寒雀

          些事と言いつつ、実はそれ以上のことはない、と思わしめるのは、季語の「寒雀」による。冬に餌を探すのは至難で、雀は死に易い。少しの事で翼が動かなくなる。そうなると死ぬまでに随分悶える。そんな雀を拾ったことがある。掌に抱きとめても、どうしても畳むことが出来ぬ翼を半端に広げたまま、水も飲まず米粒も食わず、ただもがくのみだった。小一時間も暴れて徐々に動かなくなった。雀の生も死も些事であろう。だが掌に、雀の綿毛は暖かかった。命は、寒の最中でも死に瀕していても暖かい。

          掲句は大震災の記憶を踏まえているだろう。日常から突然攫われた記憶を基底に、生存の常に危うい寒雀を見ているのだ。しかし危ういとは、どのようにでも変化するという希望でもある。その変化は、生者ばかりにあるのではない。死者もまた変化する。

          冥婚の今お開きか春の星
          日本における冥婚というと、「むかさり絵馬」を思う。山形の風習で、「むかさり」とは「迎えられる」または「迎え、去る」の方言と聞く。夭折した者の為に架空の結婚相手を迎え、その婚礼の様を描いて奉納する。今は合成写真を納める事も多い。絵馬は全国から来るのだ。どの寺でも、堂を埋め尽くす絵馬からは圧倒的な念を感じる。江戸のもの、明治大正のもの、また戦死者の婚礼もある。あの大津波の殉難者達の婚礼も、描かれ納められているだろう。「お開き」とは、生者が絵馬を奉納した帰り道の思いか。見上げると、春の星が出ている。死後にも生活はあり、婚礼という目出度さもある。「むかさり絵馬」の風習があるではないか、と作者は思うのだ。実際には堂内に否応なく感じたであろう、念の渦巻く暗冥を超えて、「春の星」と、作者が穏やかな希望を配したのは、無念を超えようとする意志だろう。

          荼毘の火となりても生きよ桜満つ
           
          骨となる炎立ちたり花の奥

          一句目では、火という非物質が、死者の新たな肉体となるのだ。「も」の一字は、「非物質であろうとも、なお生きて在れ」と死者へ向ける言霊であり、満ちる桜は、言霊を受けた死者が復活するための力である。荼毘という儀式において尚、生へ向かう意志が、死者を暗冥から解き放つのか。二句目においては「骨となる炎」、即ち炎を骨として新たに死者の肉体が形成される。「花の奥」とは、万朶の花の重なる深みでもあり、一花の蕊の奥でもあろう。そのいずれにせよ、再生は、深く密やかなところで行われる。桜は、ここで復活を約し、導く証として、咲き謳う。桜を産土神の顕現として観ることも出来よう。死者、ふるさと、生者は、花の色に渾然と交歓し、再生へと踏み出すように見える。





          2017年2月10日金曜日

          第60号 

          ●更新スケジュール(2017年2月10日・24日
          第4回攝津幸彦記念賞 募集‼ 》詳細
          豈59号  第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録
          販売価格  1,080円(税込)  豈59号のご購入は邑書林まで
          各賞発表プレスリリース


          平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
          》読む

          (2/17)歳旦帖 第一  夏木久・網野月を・坂間恒子・渡辺美保・神谷波




          新シリーズ 【平成アーカイブ】 …筑紫磐井

          平成29年となった。平成という元号もあと2年後の天皇誕生日までであるらしいと新年の新聞各紙が伝えている。そこで後1~2年は眼をつぶり、平成を一つの単位として俳句界を回顧するのも価値があるであろう。私の手元にはそうして執筆したアーカイブがまだ相当あるので、平成の回顧とともに、その一部を紹介してみたいそもそも時評である「俳句四季」〈俳壇観測〉も15年間経過しているが、そこで取り上げなかった時評的記事が幾つもあるので、平成俳壇史を眺める上で参考に供したいと思う。


          「街」とその鑑賞②(創刊号・第3号を読む) …筑紫磐井 》読む

          ●「街」とその鑑賞①(総合誌を切る)・・・  筑紫磐井  》読む




            【抜粋】 

          • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる



            <WEP俳句通信>


            96号(2/14発売)

            • 神考9  (戦火想望俳句と敏雄)  … 北川美美 》読む 


            96号(2月15日発売予定)






            およそ日刊俳句空間  》読む
              …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
              • 2月の執筆者 (柳本々々 ) 

                俳句空間」を読む  》読む   
                ・・・(主な執筆者) 小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
                 好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 

                _________________


                【短詩時評さんじゅうご】
                歌人・鳥居さんのドキュメンタリーを観ること
                -ひらがな、から-

                …柳本々々 》読む


                【短詩・時評・3・4】
                オムライス・巨神兵・古仏・膜・グッピー・挫折・パチンコ屋・影・美少年・ゼリー・裸・意味
                -『川柳サイド Spiral Wave』の一視点-

                …柳本々々 》読む









              • 柳本々々プロデュース 新春特集 7 1/2 
                • …柳本々々、中家菜津子、竹井紫乙、野間幸恵、川合大祐、岩田多佳子、徳田ひろ子、安福望  》読む



                  あとがき   》読む







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                  『いま、兜太は』 岩波書店
                  金子兜太 著 ,青木健 編
                  寄稿者=嵐山光三郎,いとうせいこう,宇多喜代子,黒田杏子,齋藤愼爾,田中亜美,筑紫磐井,坪内稔典,蜂飼耳,堀江敏幸.


                  冊子「俳句新空間」第7号 2017 春 乞うご期待‼


                  俳誌要覧2016「豈」


                  俳句年鑑2017年度版・年代別2016年の収穫に筑紫磐井執筆‼
                  「二つの力学」筑紫磐井
                  【紹介作家】池田瑠那・高瀬祥子・阪西敦子・西山ゆりこ・大高翔・日下野由季・津久井健之・前北かおる・北大路翼・藤本夕衣・鎌田俊・冨田拓也・杉原祐之・村上鞆彦・椿屋実梛・大谷弘至・藤井あかり・杉田菜穂・高柳克弘・涼野海音・中本真人・松本てふこ・抜井諒一・音羽紅子・伊東裕起・小川楓子・神野紗希・西村麒麟・佐藤文香・山口優夢・野口る理・中山奈々小林鮎美
                  まだご覧になっていない方は是非!





                  特集:「金子兜太という表現者」
                  執筆:安西篤、池田澄子、岸本直毅、田中亜美、筑紫磐井
                  、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名、
                  連載:三橋敏雄 「眞神」考 北川美美


                  特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                  執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士
                    


                  特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                  執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                  筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                  <辞の詩学と詞の詩学>

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                  <抜粋「俳句通信WEP」96号> 三橋敏雄「眞神」考9 戦火思望俳句と敏雄  / 北川美美



                  敏雄は『眞神』の上梓に於いて『まぼろしの鱶』から一気に作風を変えたと読者に印象付けた。実際に『まぼろしの鱶』に見られた新興俳句の姿は『眞神』においては影を潜め、句集全体に俳諧の印象が残ることに拠ることが大きい。具体的には『眞神』において新興俳句時の「戦争」を想起させる句は存在するが、例えば〈昭和衰え馬の音する夕かな〉を例に取れば解るように、馬が軍馬であるかどうか明らかでないのと同様、それは朧げに戦争かもしれない、という読者の脳裏に浮かぶ予測を頼りにするものに過ぎない。『眞神』における作風転換の動機、俳句に対する敏雄の思想はどのようなものだったのだろうか。私はそこに戦火想望俳句からの脱却と回帰があると強く推測する。

                  〈脱却〉とは、戦火想望俳句が非難され続けたことを払拭する行為であり、〈回帰〉とは、想望して無季俳句を作る、逆に無季は想望でしか作れないということを『眞神』で示したといってよいだろう。それは戦争に行かずして想像により作品を制作した手法と変わらない。〈絶滅のかの狼を連れ歩く〉が写生によって作られたものではないことは明らかだろう。

                  射ち来たる弾道見えずとも低し 昭和十三年 敏雄  
                  嶽を撃ち砲音を谺に弄らする 
                  砲撃てり見えざるものを木々を打つ 
                  そらを撃ち野砲砲身あとずさる

                  敏雄は戦火想望俳句を振り返り〈無季俳句成立の兼合の秘密を探る純粋に文学的な目標への挑戦〉だったという。これは『弾道』後記に残る五〇〇〇字以上に及ぶ戦火想望俳句についての記述の一節である。私は、後の作風転換の理由を、当初、敏雄が戦火想望俳句を世に出したこと、書いてしまったことに対する後悔から生まれたものと推測していた。しかしそれは大きな誤読だった。

                  戦火想望俳句は敏雄にとって生涯を賭け無季の芸術性を突き詰めるきっかけとなる発表であり、はじめて無季に没頭した群作だった。その戦火想望俳句が受けた非難、そして新興俳句弾圧、壊滅の経験が以降の敏雄の作風転換の原動力だったと見る方が正しいだろう。

                  戦火想望俳句に対するアンチテーゼを払拭する無季作品が『眞神』同時期制作の『鷓鴣』には散りばめられる。戦火想望俳句の制作は敏雄の〈想望の門出〉でもあったわけである。

                  敏雄がはじめに世に出たのは、戦火想望俳句を山口誓子に激賞されたことにはじまる。動詞の終止形・連体形による止めを用いるスタイルは新興俳句の指導的存在であった誓子の句を手本としたとみてよいだろう。

                  学問のさびしさに堪へ炭をつぐ  大正十三年 誓子
                  かりかりと蟷螂蜂の皃を食む   昭和七年
                  ほのかなる少女のひげの汗ばめる 〃  
                  夏草に機缶車の車輪来て止まる  昭和八年
                  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る    昭和十二年

                   当時のことを渡邊白泉は次のように振り返っている。

                  これらの作品を含む「戦争」と題する数十句を鷲つかみにして、或る日いきなりのわたくしの前に現れたのが、敏雄氏であった。その時のことを、わたくしはありありと思い浮かべることが出来る。色の浅黒い痩躰長身の美少年が眼光鋭く、句稿を読みすすむわたくしの前に坐していたその日のことを、わたくしは多分一生わすれないであろう。
                   「これをまとめて発表したいの?」というわたくしの問いに、敏雄氏は、昂然と面をあげて答えた。「そうです」
                   わたくしは腹を定め、他の同人に一言も相談せず、「風」という当時のわたくし達の俳誌に、その数十句を一挙に掲載した。すぐれた作品は、一日も早く発表されなければならないと考えたからである。
                   (中略)それにしても、犀利な感覚であり、作句構成の技量も十八才や十九才の少年とは思われない卓抜きさであった。「砲音を谺に弄らする」「野砲砲身あとずさる」の二句の如きは、山口誓子氏の作品と、そっくり同じ手法と、音韻とを帯しているではないか
                   すなわち、三橋敏雄氏は、山口誓子をしっかりと踏まえて出発した俳句作家である。

                  (「俳句研究年鑑」昭和四十一年)

                  (中略)


                  当時を振り返り、斎藤茂吉の戦火想望短歌に影響を受けたことを本人が語っている。

                  私の場合は、どうしてつくったかというと、斎藤茂吉が当時いわゆる戦火想望短歌をつくっていたわけです。斎藤茂吉は前線に行っていませんが、みずから銃をとって前線にいるような短歌が当時たくさんありますね。茂吉もやっている。だからいいだろうという一つのきっかけになったことは確かです。
                   (中略)個人的にいいますと昭和何年かに陸軍大演習がありまして、軍隊が相模湾かどこかに上陸して北上する。その途中の八王子にいてわたしはまだこどもだったからその大演習にくっついてあるいていたわけです。(中略)だから私の戦火想望俳句はそういう大演習の事実をみた記憶から触発されたということもあります。

                  (アサヒグラフ昭和六十三年 楠本憲吉と対談)

                  しかしながら、戦火想望俳句は、批判・否定を突き付けられ、さらに新興俳句弾圧という不遇な道を辿る。

                  (中略)

                  「戦火想望」という言葉は、はじめ「戦争俳句」と言っていたのが、火野葦平のベストセラー『麦と兵隊』に便乗した「俳句研究」による誌上企画作品に日野草城が「戦火想望」という題をつけたことにより後に戦争フィクション俳句として一括りに使われるようになる。しかしこの名称は、すぐさまそれまでの戦地に行かず戦争を題詠にする全ての作品が非難を浴びることになる。タイトル命名により火の矢が飛んできたということだ。『弾道』後書に拠ればそれは新興俳句内部からも発せられ、〈戦場に立たぬ者が、戦場に在るかのように装って机上に表現を弄ぶ、素材主義の態度〉が不謹慎だ、という道義的観点による非難を受ける。いわば、表現としてではなく国民感情の非難に立たされる。恐らくそれは、草田男、楸邨の後に人間探求派と言われた俳人からの発言を指しているだろう。具体的には「俳句研究」の座談会における以下の発言が相当する。

                  私が何よりも不思議に思ふのは―身自ら、戦争に行ってゐるかの如き一種の錯覚的想像力を極度に発揮してみるやうな俳句作品を、どうして作らねばならぬのか、といふことなのです。(中村草田男) 
                  戦争を芸で行くとふのが、自分はこの芸をやつてゐるから、この芸の上の必要上意地でも、戦争をとりあげといふのでは困る。(中村草田男) 
                  僕もそれを感じてゐるのです。(加藤楸邨) 
                  われわれの俳句といふものを通してうたつた場合には、切実な、もっと、われわれの肉体を通して、直ぐにうたはれるものがあるんちゃないか―。(加藤楸邨) 
                  自分としては、自分の生活を先頭に関係のある部分だけを、ひたむきに出すことが用意ならざる問題になつてきてゐるんです。(加藤楸邨) 
                  戦線の弾丸飛雨のなかに生命を投げ出してゐる人がゐる時に、ただ作品の上だけで想像力だけで戦線を描いてみる、これではゆるされないと思ふんです。(中村草田男) 
                  (座談会「戦争俳句その他」/「俳句研究」昭和十三年八月号)

                  川名大『新興俳句表現史論攷』二一二頁

                  当時を知り得ない私が感じることは、昭和二十年代までの生年世代に人間探求派と呼ばれる師系と新興俳句を継承する師系(新興俳句は弾圧により壊滅した筈ではあるが)の微妙なる過去の対立が残っているように感じられる。いずれも先の座談会に出席している俳人から直接、生の声を聴いている世代であり、それだけ縦社会の風潮が残る世界であることを思う。

                  座談会で最も否定的なのは草田男であるが、気になるのは加藤楸邨の〈切実な、もっと、われわれの肉体を通して、直ぐにうたはれるもの〉という下りだ。これに対して白泉は「作者の肉体の傍らにあるものを詠うことが、最も、よく実感を捉え得るものである、というなら不賛成」と答えている。肉体を通しての作をよしとするのであれば、その後の敏雄には肉体を通しての作が極めて多い。〈晩春の肉は舌からはじまるか〉〈撫でて在る目のたま久し大旦〉〈泳ぎつつ舌に廻るや水の海〉〈老い皺を撫づれば波かわれは海〉…さてどうでしょうか、と楸邨の提言に作品を差し出していよう。

                  更に高柳重信の記述に拠れば、周知の弾圧により、新興俳句運動に加わった俳人の検挙のみにとどまらず新興俳句自体が総合雑誌から排除されていくことが記されている。

                  こうして新興俳句運動は完全に弾圧されてしまい、このあとの俳壇は、いわゆる人間探究派の手に渡ってゆくのである。たとえば山本健吉が、
                  わたしはひそかに新興俳句に対して不満を抱き、それがいたづらに文学臭に走って、俳句固有の目的と方法とから逸脱してゐるとしか思へなかつたので…・。
                  などとかたりはじめると、加藤楸邨も、
                  現在俳壇に動いてゐる一つの形をとつた人々の傾向に比較すれば、少なくとも私の求めようとしてゐるものなど、丁度カオスの状態だ、すでに出来上がった俳句的なものの中から一句にまとめるのでなく、今まですてられてゐた俳句になつてゐないところから切りとりたい。
                  なとど、早速、これに和してゆくのであった。
                  (中略)
                  この時期に人間探求派の影響を強く受けた新人たちが、あの敗戦直後の俳壇において、いわゆる社会性俳句への傾斜を一様に示し、その一部の俳人が、更に、いわゆる前衛俳句運動へ転身しようとしたことは、当時の人間探求派の俳句が何を顕著に欠落させていたかを、側面から検証するものであったろう。
                   

                  高柳重信『現代俳句の軌跡』(永田書房/昭和五三年)88頁

                  どうも新興俳句側は楸邨の発言が尾を引いているような印象が残る。『眞神考』を書く以上、資料は三橋敏雄とその周囲に関する文献が中心になるため、事実を正確に把握するにはいささか偏りがあると思うが、人間探求派、伝統派が新興俳句ひいては無季俳句をどう見ていたのか、あるいは現在も大多数の歳時記に無季の項がないことにどのような思惑があるのか、今後も見ていきたい。

                  ここに引用する過去の発言は過去を再燃しようとすることではなく、何故敏雄が『眞神』において、作風の転換を図ったのか、何故生涯無季に拘ったのかを検証していく過程であることを申し上げておきたい。


                  (後略)

                  ※くわしくはWEP俳句通信96号をご覧ください。




                  【短詩時評さんじゅうご】歌人・鳥居さんのドキュメンタリーを観ること-ひらがな、から-/柳本々々


                    慰めに
                    「勉強など」と人は言う
                    その勉強がしたかったのです  鳥居

                  2017年2月7日、NHKで「NEXT 未来のために「響き合う歌~歌人・鳥居と若者たち」」という番組が放送されました(再放送です)。

                  で、私が以前から鳥居さんの歌でとても気になっている歌があって、

                    けいさつをたたいてたいほしてもらいろうやの中で生活をする  鳥居
                     
                  (岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』KADOKAWA、2016年)

                  という歌なんですが、この歌のやっぱりいちばん気になる点というのは〈ひらがな〉が採用されている点だと思うんです。このなかで漢字なのは「中」と「生活」だけで、あとはぜんぶ〈ひらがな〉で綴られることによって〈現実感覚〉がない。「けいさつ」も「たたく」も「たいほ」も「ろうや」も〈むこう〉にあるできごとのように思います。

                  でも、「生活」という漢字が最終的にくることによって、この歌は「生活」が始まります。そしてその「生活」から遡行するかたちで「けいさつ」や「たたく」や「たいほ」や「ろうや」のリアルが出てくる。つまり、この語り手にはそれまで「生活」というものがなかった。もっと言えば、「中」といえるような〈シェルター〉がなかった。「中」も「外」もない場所で暮らしていた。

                  だから、ひらがなと漢字の差異もどうでもよかった。生活がない、というのはそういうことだから。ところが「けいさつをたたいてたいほしてもらいろうやの中」というシェルターに入れてもらったしゅんかん、「生活」が生まれ、ひらがなと漢字の差異をやっと〈気にかけることのできる〉安全圏に入った。だから、漢字変換することができた。

                  鳥居さんにとって〈生活〉とはなによりも〈文字〉であり〈書く行為〉なんじゃないかと思ったんです。

                  それでこのひらがななんですが、ドキュメンタリーの最初に鳥居さんの自己紹介文が出てくるんですね。ちょっと引用します。

                    はじめまして。
                    私の名前は 鳥居と 云います。
                    私は 小学校中退で ホームレスで 孤児。
                    とても とても 貧乏です。
                    ……
                    おばあさん と おじいさんは
                    おかあさんを 虐待して
                    おかあさんは、
                    私を 虐待しました。
                    おかあさんは、トラウマに苦しみ
                    私が 小学生のときに
                    灰色になって
                    自殺してしまいました。

                  ここでちょっと注意してみたいのがやっぱり〈変換〉のありかたなんです。たとえば「鳥居と 云います」の「云います」は「いいます」でも「言います」でもなく、「云います」とあえて「云」という漢字が採用されています。変換が気遣われていることのあらわれです。

                  ところが「おばあさん」「おじいさん」「おかあさん」はひらがなであらわされ、のっぺりしています。しかも彼らが主語になってつく動詞は「虐待」という重い現実のことばです。ここには主語と動詞のあいだに奇妙なギャップがあり、読者は必然的にそこに注意を向けなければならなくなります。

                  ここにあらわれているのは上の短歌にもみられたような〈文字への気遣い〉からくる〈なにか〉です。その〈なにか〉はわからないけれど、しかし、文字変換のありかたの凸凹によってわたしたちは〈ここ〉でなにかを読みとらねばならないことを意識させられるように、思うんです。だとしたら、それは、なんなのか。

                  ドキュメンタリーのなかで鳥居さんが学生たちに述べられた言葉があります。

                    この教室のみなさんでホームレスの人を見かけたことがないっていう人、手をあげてください。すぐそばにいるのに、私たちは、その人の世界を知らないですよね。自分が仲介者というか媒介者というか、役目が、使命があるんじゃないかなと思って。

                  鳥居さんはわたしたちがふだんきづいていながら・きづかないようにしていることに・きづかせようとしています。なにかの〈圧〉で。

                  〈仲介者〉になるとは、言葉の変圧器にみずからの言葉そのものを変えることもかもしれません。その意味で、〈ひらがな〉はわたしたちに〈圧〉のなにかを考えさせます。

                  ひらがな、ってなんだろうと、おもうんです。わたしたちは幼い頃、それしか知らなかったはずなのに、つかいなれていたはずなのに。そして、いまでも、つかえるはずなのに。


                    目をふせて
                    空へのびゆくキリンの子
                    月の光はかあさんのいろ  鳥居



                  *短歌の表記は番組の表記にしたがいました。



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