2017年12月22日金曜日

【抜粋】<俳句四季1月号>俳壇観測180:師系と世代のつながり ――六つの俳句大会に出席して  筑紫磐井


 振り返ってみると、夏から秋にかけて雑誌の祝賀大会が立て続けに開かれた。団塊の世代を中心にした中堅世代(七十~六十歳)の俳句雑誌の創刊記念大会である。本井英主宰「夏潮」、上田日差子主宰「らんぶる」、松尾隆信主宰「松の花」、嶋田麻紀主宰「麻」、中西夕紀主宰「都市」、鈴木太郎主宰「雲取」が十年、二十年を迎えて大会を開く、これは驚きであった。いつの間にか、若手であったはずの人たちが、主宰となり、結社も雑誌も十年二十年と歴史を重ねていたのだった。
 
●「夏潮」十周年大会
 本井英(72)主宰の「夏潮」十周年大会が八月二六日日の出埠頭で開かれた。埠頭でというのは誤解がある、埠頭に着岸していた「シンフォニー」に乗り、東京湾クルージングをしたのである。俳句の会としては、吟行ではなく、大会が船の中というのは珍しいことである。一八〇人に及ぶ大人数であった。
 本井英は清崎敏郎門であり、俳壇を活性化するためのイベントをいろいろ行っている。一つは、小諸日盛り俳句祭であり、虚子が戦中戦後に疎開していた小諸で、超結社の俳句大会を開催していることだ。小諸市の協力もあり、比較的俳人に馴染みのある地であるため、二百人近い参加者がある。句会だけでなく著名人の講演やシンポジウム、懇親会もあり、一寸した俳句祭となっている。
 もう一つは、虚子研究とその成果を発表する「夏潮」別冊虚子研究号を刊行していることだ。二〇一一年から毎年刊行し、今年で第七号となる。現代にあって、こうした特定作家研究が超結社の作家・評論家の論を集めて出されている例はないから、虚子研究だけが燦然と輝いているように見えるのである。

一日とも一ト昔とも蓮に立ち 本井英

(中略)

●「都市」十周年大会
 「都市」は中西夕紀(64)主宰の結社で、師系は藤田湘子。大会は文化の日の一一月三日(金)ホテルモントレ半蔵門で快晴に恵まれて開かれた。祝辞も乾杯も、筑紫磐井、高野ムツオ、本井英、行方克己、対馬康子、井上弘美と主宰に近い世代に囲まれて行われたのが特徴だ。
 五周年の大会に招かれたことがあるがその時は主催の地元の町田だったから、念願の都心での大会での開催となった。一歩づつ首都圏に向って歩を進めて行く。「都市」の伸び盛りと歩調を合わせているようだ。

緑蔭の男女のどれも恋に見ゆ 中西夕紀

●「雲取」二十周年大会
 「雲取」は鈴木太郎(75)主宰の結社で、師系は森澄雄。大会は一一月一八日(土)王子の北トピアで開かれた。
 「雲取」創刊の数年前に超結社の会があり、まだ海のものとも山のものともつかぬ中堅俳人の鈴木太郎、鳥居三太(後に三朗と改名)、橋本栄治、遠藤若狭男、小島健、筑紫らで吟行会や句会を行い気炎を吐いたことがある。「俳句研究」の赤塚編集長が支援してくれたのだが、「東京ロマンチカ」といういかにも無頼な名称の会であった。当時はこうした超結社の会がいろいろにあったものである。その後、鳥居は「雲」、橋本は「枻」、遠藤は「若狭」、筑紫は「豈」の主宰や発行人となり、小島は「河」の同人会長となっている。みなそれぞれに一家をなし始めた。「雲取」の何周年大会にはいつもこうした仲間が集まっていたのだが、鳥居も今はなく、それぞれの都合もあるのだろうが、今回の参集者は多くはなかった。
 結社の大会の記録を並べながら何をいいたかったかといえば、師系と同世代のつながりこそが結社の歴史の背景をなしているということだ。特に私の場合は同世代のつながりが懐かしい。青春そのものであるからだ。

しぐれ忌の己が瑕瑾をあたたむる 鈴木太郎

※詳しくは「俳句四季」1月号をご覧ください。



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