2017年9月22日金曜日

第74号

●更新スケジュール(2017年10月6日)

二十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞‼
恩田侑布子句集『夢洗ひ』

第4回攝津幸彦記念賞 》詳細
※※※発表は「豈」「俳句新空間」※※※

各賞発表プレスリリース
豈59号 第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録 購入は邑書林まで



平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
》読む

平成二十九年 夏興帖

第四(9/22)渡邉美保・渕上信子・五島高資・坂間恒子・前北かおる・辻村麻乃
第三(9/15)椿屋実梛・浅沼 璞・堀本吟・岸本尚毅・石童庵・高橋比呂子
第二(9/8)夏木久・網野月を・花尻万博・ふけとしこ・曾根 毅・加藤知子
第一(9/1)仙田洋子・杉山久子・仲寒蟬・望月士郎・内村恭子・松下カロ


【花鳥篇特別版】金原まさ子さん追善
秦夕美・佐藤りえ・筑紫磐井
》読む


平成二十九年 花鳥篇

第九(8/25)五島高資
第八(8/18)網野月を・佐藤りえ・望月士郎・筑紫磐井・近江文代
第七(8/11)中村猛虎・真矢ひろみ・水岩 瞳・青木百舌鳥
第六(8/4)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第五(7/28)田中葉月・花尻万博・羽村美和子・浅沼璞
第四(7/21)林雅樹・内村恭子・ふけとしこ・小野裕三・木村オサム・前北かおる・加藤知子
第三(7/14)池田澄子・堀本 吟・山本敏倖・岸本尚毅・夏木久・中西夕紀・渕上信子
第二(7/7)辻村麻乃・小沢麻結・渡邉美保・神谷波・椿屋実梛・松下カロ・仲寒蟬
第一(6/30)仙田洋子・大井恒行・北川美美・早瀬恵子・杉山久子・曾根毅・坂間恒子



【新連載】
前衛から見た子規の覚書  筑紫磐井 
(1)子規の死   》読む
(2)子規言行録   》読む


●新シリーズその1
【西村麒麟特集】北斗賞受賞記念!
受賞作150句について多角的鑑賞を試みる企画
西村麒麟・北斗賞受賞作を読む インデックス  》読む
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む0】 序にかえて …筑紫磐井
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む1】 北斗賞150句 …大塚凱
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む2】「喚起する俳人」…中西亮太
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む3】 麒麟の目 …久留島元
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む4】「屈折を求める」…宮﨑莉々香
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む5】「思ひ出帖」…安里琉太
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む6】きりん …松本てふこ
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む7】西村麒麟「思ひ出帳」を読む …宮本佳世乃
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む8】火花よりも柿の葉寿司を開きたし
        ―北斗賞受賞作「思ひ出帳」評 …青木亮人
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む9】見えてくること、走らされること …田島健一
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む10】天地併呑 …橋本直
【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む11】西村麒麟を私は知らない …原英  》読む


●新シリーズその2
【平成俳壇アンケート】
間もなく終焉を迎える平成俳句について考える企画
【平成俳壇アンケート 回答1】 筑紫磐井 …》読む
【平成俳壇アンケート 回答2・3】 島田牙城・北川美美 …》読む
【平成俳壇アンケート 回答4・5】 大井恒行・小野裕三》読む
【平成俳壇アンケート 回答6・7・8】 花尻万博・松下カロ・仲寒蟬》読む
【平成俳壇アンケート 回答9・10・11】 高橋修宏・山本敏倖・中山奈々》読む
【平成俳壇アンケート 回答12】 堀本吟》読む
【平成俳壇アンケート 回答13】 五島高資》読む
【平成俳壇アンケート 回答14】 浅沼 璞》読む
【平成俳壇アンケート 回答15】 小沢麻結》読む
【平成俳壇アンケート 回答16】 西村麒麟》読む


【抜粋】
<「俳句四季」10月号> 
俳壇観測177/隠された芭蕉のこころを探る  ――矢島渚男と高浜虚子は芭蕉をどう読む
筑紫磐井 》読む


【広告】
月刊「俳句界」12月号特集「あなたが選ぶ平成の名句」(仮)  》読む


  • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる




<WEP俳句通信>





およそ日刊俳句空間  》読む
    …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
    • 9月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

      俳句空間」を読む  》読む   
      …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
       好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 




      あとがき(筑紫磐井)  》読む



      冊子「俳句新空間 No.7 」発売中!
      No.7より邑書林にて取扱開始いたしました。
      桜色のNo.7


      筑紫磐井 新刊『季語は生きている』発売中!

      実業広報社






      題字 金子兜太

      • 存在者 金子兜太
      • 黒田杏子=編著
      • 特別CD付 
      • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
      第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
       青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
       兜太の社会性  筑紫磐井


      【広告】月刊「俳句界」12月号特集「あなたが選ぶ平成の名句」(仮)



      平成も来年で30年。来年は新元号に変わります。
      この企画は、平成に生まれた名句は何か、平成を代表する俳人は誰か、著名俳人・読者からアンケートをとり、検証するものです。

      平成の名句アンケート
      ①あなたが選ぶ、平成を代表する「名句」
      ②あなたが選ぶ、平成を代表する「俳人」

      【掲載号】平成29年12月号(11月25日発売)

      参考までに、BLOG「俳句新空間」で4月16日から開始している「平成俳壇アンケート」をまとめてみよう。これから、インタビューを回答し、読まれる人の参考になるだろう。ちなみに、質問趣旨は次のとおりである。

      「昨年の後半とつぜん今上天皇の退位が政治的スケジュールに上がってまいりました。様々な憶測が飛び交っていますが、その中で平成は三十年をもって終了するらしいと言われています(二〇一九年一月一日改元説が有力)。何気なく平成俳壇という言葉を使ってきましたが、これからは「昭和俳句」、「平成俳句」という括りで俳句史を回顧することになるのでしょう。
      ついてはほかの雑誌に最も先駆けて、平成俳句アンケートを「俳句新空間」で行ってみたいと思います。あと1年余あることはありますが、平成の大勢をつかまえたいと思います。差支えない範囲でご回答ください。」

      ●俳句新空間の選んだ平成を代表する名句
      国家よりワタクシ大事さくらんぼ 攝津幸彦
      人類に空爆のある雑煮かな  関悦史
      人類に空爆のある雑煮かな 関悦史
      ひとりづつ呼ばるるやうに海霧に消ゆ 照井翠
      麿、変? 高山れおな
      ----
      秋簾撥げ見るべし降るあめりか 高山れおな
      皇(すべ)る手 筑紫磐井
      しもやけしもやけまつさかさまである 阿部完市
      被災地とおなじ春寒いや違ふ 仲寒蟬
      ----
      ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ
      よく眠る夢の枯野が青むまで 金子兜太
      うつぶせのプロペラでいく夜の都市 鴇田智哉
      ----
      聴いてごらん朝ひぐらしが鳴いているよ 川崎展宏

      ●平成を代表する俳人
      攝津幸彦、現役では安井浩司・高山れおな、鴇田智哉
      金子兜太、佐藤文香
      金子兜太、金原まさ子、関悦史
      中原道夫氏・鴇田智哉
      高山れおな
      永末恵子
      櫂未知子、神野紗希
      筑紫磐井、関悦史
      阿部完市、中村安伸
      故和田悟朗、関悦史
      森賀まり、大塚凱
      高山れおな、御中虫・西村麒麟
      金子兜太、関悦史
      鴇田智哉
      正木ゆう子
      宇佐美魚目、深見けん二、津川絵里子、小津夜景


      【抜粋】〈「俳句四季」10月号〉俳壇観測177/隠された芭蕉のこころを探る  ――矢島渚男と高浜虚子は芭蕉をどう読む 筑紫磐井



      ●矢島渚男『新解釈『おくの細道』――隠されていた芭蕉のこころ』(二〇一七年四月角川書店刊)
       日本の文学史で『源氏物語』に匹敵する傑作とされる『おくの細道』には奇跡のような事態が今現われている。『源氏物語』は平安時代の物語だから資料が発見されると言っても限度があるが、江戸時代の『おくの細道』にはとんでもない資料が今も続々と見つかっている。それもいずれも芭蕉の真筆であり、制作過程が時々刻々と浮かび上がる次第なのだ。①最終稿(曽良本)、②再稿(野坡本)、③初稿(野坡本の貼紙の下の原稿)と新しい資料が平成になって見つかっている。もちろんこれらは学者の手にかかれば、面白い論文としてどこかの学会でひっそりと発表されることだろう。まだ「文学史の問題」なのだ。
       ところが、俳句実作者の手によって全体を鳥瞰されるようになると、単なる学者の好奇心にとどまらない、「文学の問題」となるのである。それが、矢島渚男『新解釈『おくの細道』なのである。
       すべての章節を、①最終稿(曽良本)原文、②口語訳、③語釈、④詞文(同想の俳文)、⑤文の初稿からの推敲、⑥俳句の初稿からの推敲、⑦考察・感想に分けて解説している。どれも面白いが、⑥俳句の初稿からの推敲は、芭蕉の俳句制作の息づかいが伝わってきて、誠に役に立つ。及ばぬながら我々も芭蕉の推敲を追体験できるのである。

       草の戸も住かはる世や雛の家(初案)
       草の戸も住替る代ぞ雛の家
         *
       鮎の子の何を行衛にのぼり船(初案)
       鮎の子の白魚送る別かな(二案)
       行春や鳥啼魚の目は泪


       もし後者の「行春や」の句の推敲が正しいとすれば、初案は栃木県黒羽の句であり、一方「行春や」の句は千住で詠んだことになっているから、時空を超越して詠み出されたことになる。千住の「行春や」の句は、黒羽以降に詠まれたことになるわけだ。こうした時空超越は、この本の推敲過程を見ると、頻繁に行われていることが伺える。良い言葉・美しい言葉はどこで使ってもいいのだ。
       しかし一番面白いのは、自由自在に想像を巡らしたり、やや独断的に結論を提示する「⑦考察・感想」だ。例えば、「室の八島」では曽良の考証癖にうんざりする芭蕉の態度をシナリオ風に書いて見せたり、「殺生石」では芭蕉のいかなる書簡や文書を見てもおくの細道に言及していない不思議から故郷の身内にまず見せる記録だったのではないかと推測したり、「平泉」では〈夏草や兵共〉の句から武士に対して意外に冷徹であった芭蕉の態度があったことを言及する。「象潟(二)」ではおくの細道で芭蕉が目指したのは「善知鳥啼く外ヶ浜」であったろうと推測する。また、「立石寺」では〈閑かさや〉の句を「紀行中随一の佳句」といった山本健吉を非難するが、「越後路」では〈荒海や〉の句を出色の句とし、前後の一切の文章を省略することにより際だたせているという志田義秀の説に賛成している。やはりこうした本で面白いのは、学者的な考証部分よりは、著者の想像が存分に働いたところなのである。
       著者の矢島渚男は石田波郷、加藤楸邨に師事し、郷里の長野県で「梟」を主宰。俳人研究では、まず『白雄の秀句』『白雄の系譜』と地元の加舎白雄から始まり、蕪村研究で知られ、芭蕉に立ち至ったわけである。
       (下略)

      ※詳しくは「俳句四季」10月号をご覧ください。


      【新連載】前衛から見た子規の覚書(2)子規言行録――いかに子規は子規となったか① 筑紫磐井


       子規の逝去の後は追悼である。追悼の本として有名なのは『子規言行録』であるがこれが実は間違いやすい。『子規言行録』には2種類の本があるからである。

       (1)小谷保太郎編『子規言行録』日本叢書,吉川弘文館 明治35年11月
       (2)河東碧梧桐編著『子規言行録』政教社 昭和2年12月

       子規逝去直後の本は小谷保太郎の方だが、我々が追悼本として知っている標準的な体裁を採っているのは河東碧梧桐の方の本だ。小谷の本は誠にあたふたと編集した痕跡が残っている。しかし、碧梧桐の本も、一部小谷の本の記事を採録したりしているから、両者の間はまんざら無関係ではないようだ。
       こんなことを言うのも、再度言うが小谷の本は誠に変わっているからだ。その内容を紹介しよう。

      ①陸羯南序文
      ②古島一念の識語
      ③君が漢詩、和歌、新体詩、叙事文論、紀行
       子規の作品集の一部だが、不思議なことに俳句はない。
      ④君が病室、室内の什物、家の什具、病牀、病牀の語、庭前、写真
       『病牀一尺』などの随筆で有名だから子規の身辺の詳細は事欠かない。
      ⑤君が絶筆(河東碧梧桐記)、君が終焉の記(高浜虚子記)
       子規の二人の高弟の記録だからこれほど貴重なものはない。
      ⑥新聞(日本新聞を除く)39誌及び13雑誌に載った子規の死亡記事・論評
      ⑦日本新聞に載った追悼文16編
      ⑧日本新聞に載った追悼の漢詩と和歌18編 
       これも何故か俳句がない。
      ⑨古島一念の子規回想
       子規が日本新聞に入社したときの上司だから秘話に満ちている。

       何のことはない、殆どが子規の旧作(日本新聞に掲載したものが多い)と新聞雑誌の追悼記事をまとめただけのものなのだ。安直といえばこれほど安直なものはないが、子規没後2か月で追悼号をまとめたのはやはり奇跡に近い。一方で、これは見方にもよるのだが、現在では逸失して手に入りがたい地方新聞まで含めてリアルタイムで子規の死をどのように見ていたかを知るには誠に貴重な資料である。平均的日本人が子規をどう見ていたのかはこれ一冊で十分分かるのである。
       参考に再録した新聞名を掲げるが、日本の地方にはこんなに新聞が溢れていたのだ。この中には、末永鉄巌、徳富蘇峰らの錚々たるジャーナリストの執筆記事もあったのである。

      [新聞紙名]毎夕新聞・東京朝日新聞・二六新報・国民新聞・万朝報・報知新聞・東京日日新聞・東都日報・やまと新聞・横浜貿易新聞・大坂毎日新聞・日の出新聞・神戸又新日報・大坂新報・九州日日新聞・山形新聞・近江新報・東北日報・讃岐日日新聞・秋田魁新報・山陰新聞・東奥日報・富山日報・静岡民友新聞・濃飛日報・奈良新聞・島根新報・新大和・いばらき・北海新報・福岡日日新聞・河北新報・門司新報など

       また、後に河東碧梧桐編著『子規言行録』に再録される陸羯南序文、河東碧梧桐絶筆記、高浜虚子終焉記、母八重の聞き取り、古島一念の子規回想などは、こうした場で書かれたものであることを知っておくと一層の臨場感も増すのである。実際、連載の前回の「子規の死」はこの2つの記事によりまとめた。
       繰りかえし言うが、いずれの記事の内容も不思議なことに、漢詩、短歌はふんだんに掲載されているが、俳句はほとんど見ない。日本新聞に掲載された作品を上げるとこういうことになるのだろうか。つまり公器としての日本新聞に子規は、俳句の論を発表しているが、俳句を作品として発表していないことになる。また、同僚たちの追悼作品も漢詩、短歌ばかりであり、俳句はない。日本新聞と子規と俳句の関係は非常に分かりづらいのである。
       あるいは、ホトトギス発行所や俳書堂などに対する遠慮があったのだろうか(短歌はまだこの時期子規派の機関誌「馬酔木」「アララギ」は出ていない。)
        *      *
       この本を出した吉川弘文館(吉川半七)は教育関係の新興出版社であったが、子規とは縁は薄かったにもかかわらず子規が亡くなるやいなや、子規関係の出版を立て続けに行っている。明治35年9月に子規が没するや、10月に『子規随筆』、11月に『獺祭書屋俳話』そして『子規言行録』を刊行している。そしてこれらの出版の中心となったのが、小谷保太郎であったようである。小谷保太郎もどういう人物か分からないが、子規のこれら本の編集でジャーナリズムにデビューした文筆家であるようだ。或いは、最初は吉川弘文館への小谷の持ち込み企画であったかもしれない。なぜならこの一連の企画は吉川弘文館にはやや馴染みがたい企画であったが、その成功に味を占めたのか、以後、36年、37年には小谷保太郎の出版が続出している(子規関係ではない)。ただ、歴史ものではあるが、まとまりのない雑文集が多い。中には開成学校の教師の品評録まである。
      『子規言行録』全編を上げてもきりがないので、次号では古島一念の子規回想を紹介しよう。現代のジャーナリズムと異なる異常な環境を知ることが出来るからだ。


      【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む11】西村麒麟を私は知らない 原英



      ★西村麒麟より★
      西村麒麟第二句集の情報

      文學の森から出る句集名は『鴨』です。自選であること、序文は無いことの他は、どんな句集になるのか本人にもわかっていません、なんせまだ中身を書いていますから。多分、年末頃に出るんじゃないかな、と思っています。(西村麒麟)



       西村麒麟を私は知らない。会ったことも無ければ、もちろん話したこともない。それでも私の目の前に西村麒麟氏の百五十句があるのだ。
       俳句は主語がなくても作者を示していることがほとんどだ。句に触れることは、その人の五感や想いを疑似体験できることだと思う。
       早速、氏の句に触れていきたい。

      秋風やここは手ぶらで過ごす場所
       自宅での句だと思われる。外出時には財布、スマホ、ハンカチやティッシュなど様々な物を持たなくてはならない。「手ぶら」という言葉で自宅にいる安心感がでてくる。

      向き合つてけふの食事や小鳥来る
       なんと幸せな句であろうか。反芻していると食器の触れ合う音、他愛のない会話、小鳥の囀りなどいろんな音が聞こえてくる。もし私が結婚するようなことがあれば、このような句を妻に送りたい。

      初恋の人が来てゐる初詣
       切ない。初詣で初恋の人を見かけたことを句にしてしまうこと自体切ない。

      朝食の筍掘りに付き合へよ
       筍は朝採りが良いと聞く。調理にも手間がかかる筍を朝採りで、しかも朝食用にとなると付き合えと言われても即座にハイとは言えない。ただこの句に対しては素直にうんと頷いてしまいそうになる。

      大鯰ぽかりと叩きたき顔の
       あほ。と言いながら空想上の鯰を叩いてしまった。句を読んだ瞬間のことだ。もちろん現実には叩いていない。しかし空想上では鯰を叩かずにはおられない魔力を秘めた句だ。

      禁酒して詰まらぬ人として端居
       禁酒という行為がダサいと考える人もいる。命あっての物種。健康第一。たまにはそこからはみ出すことも一興だ。

      蓑虫の小さき声を聞きにけり
       「ちちよ、ちちよ」だろうか。私には優しい言葉を囁いていたように思われる。

      学校のうさぎに嘘を教へけり
       どのような嘘であったのかはもちろん読み手に委ねられている。学校であることから子供、それも小学生ではないかと考えられる。小学生のつく嘘と言えば「好きじゃないよ」だろうか。他にもいろいろ考えられるがどれであっても緩やかに寂しくなる。

      呉れるなら猫の写真と冷の酒
       猫であれば写真でいいが、酒は冷酒という実物でなければだめだと言い放っているようだ。確かにうまかったの一言とともに酒の写真を送られたところで返す言葉はない。

       掲句はもちろん一部であり、私の好みでもある。正直ここで全て公開し百五十句の全てを個々の作品として味わうこともできるが、それは大人の事情によりできない。代わりに全体の読後感を述べたいと思う。のんびりとした幸福感だろうか。陰影のためにその他の句が入っていることも見逃せない。

       他の感想としては現代仮名遣いの方が活きる句があるように思った。
       例えば
      学校のうさぎに嘘を教へけり
       この句は教えけりだとすると幼さも感じ取られ、今の出来事であると受け取れる。教へけりとすると年配の方の所作に感じる。この句の場合正直どちらであっても面白いと思う。

      向き合つてけふの食事や小鳥来る
       旧仮名表記の「けふ」がすでに今日ではない。懐古のニュアンスが生まれているように思う。それでも味わえることは言うまでもないが。

      烏の巣けふは烏がゐたりけり
       この句も同様だ。今日は烏がいるのでなく、どこか昔のことを言っているように感じる。

      夕立が来さうで来たり走るなり
       来そうで来たという流れが、来さうで来たりとしたことにより緩急がつき、この句は旧仮名が成功しているように思う。

       他にも旧仮名であることをやや疑問に思う句が多々あった。使うならば旧仮名の懐古的なニュアンスを俳句に活かすべきではないだろうか。
       百五十句全体として現仮名か旧仮名に統一する必要があるのだろう。なぜそのような慣習があるのだろうか。旧仮名が似合う句、現かなが似合う句、カタカナが似合う句、英語が似合う句など、句によって表記は変えるべきだと思うのだが如何だろうか。
       表現としておかしいかもしれないが、氏の句は穏やかに光っている。そのような句はなかなかお目にかかれない。その光を旧仮名で縛ってしまっているのは、もったいないと強く思う。
       どのような形であれ氏の句に今後お目にかかれるのを楽しみにしている。

      終  


      2017年9月8日金曜日

      第73号

      ●更新スケジュール(2017年9月22日)

      二十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞‼
      恩田侑布子句集『夢洗ひ』

      第4回攝津幸彦記念賞 》詳細
      ※※※発表は「豈」「俳句新空間」※※※

      各賞発表プレスリリース
      豈59号 第3回攝津幸彦記念賞 全受賞作品収録 購入は邑書林まで



      平成二十九年 俳句帖毎金00:00更新予定) 
      》読む

      平成二十九年 夏興帖

      第二(9/8)夏木久・網野月を・花尻万博・ふけとしこ・曾根 毅・加藤知子
      第一(9/1)仙田洋子・杉山久子・仲寒蟬・望月士郎・内村恭子・松下カロ


      【花鳥篇特別版】金原まさ子さん追善
      秦夕美・佐藤りえ・筑紫磐井
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      平成二十九年 花鳥篇

      第九(8/25)五島高資
      第八(8/18)網野月を・佐藤りえ・望月士郎・筑紫磐井・近江文代
      第七(8/11)中村猛虎・真矢ひろみ・水岩 瞳・青木百舌鳥
      第六(8/4)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
      第五(7/28)田中葉月・花尻万博・羽村美和子・浅沼璞
      第四(7/21)林雅樹・内村恭子・ふけとしこ・小野裕三・木村オサム・前北かおる・加藤知子
      第三(7/14)池田澄子・堀本 吟・山本敏倖・岸本尚毅・夏木久・中西夕紀・渕上信子
      第二(7/7)辻村麻乃・小沢麻結・渡邉美保・神谷波・椿屋実梛・松下カロ・仲寒蟬
      第一(6/30)仙田洋子・大井恒行・北川美美・早瀬恵子・杉山久子・曾根毅・坂間恒子



      【新連載】
      前衛から見た子規の覚書(1)子規の死
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      ●新シリーズその1
      【西村麒麟特集】北斗賞受賞記念!
      受賞作150句について多角的鑑賞を試みる企画
      西村麒麟・北斗賞受賞作を読む インデックス  》読む
      【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む0】 序にかえて …筑紫磐井
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      【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む4】「屈折を求める」…宮﨑莉々香
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      【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む7】西村麒麟「思ひ出帳」を読む…宮本佳世乃
      【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む8】火花よりも柿の葉寿司を開きたし
              ―北斗賞受賞作「思ひ出帳」評…青木亮人
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      【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む10】天地併呑…橋本直  》読む


      ●新シリーズその2
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      【平成俳壇アンケート 回答2・3】 島田牙城・北川美美 …》読む
      【平成俳壇アンケート 回答4・5】 大井恒行・小野裕三》読む
      【平成俳壇アンケート 回答6・7・8】 花尻万博・松下カロ・仲寒蟬》読む
      【平成俳壇アンケート 回答9・10・11】 高橋修宏・山本敏倖・中山奈々》読む
      【平成俳壇アンケート 回答12】 堀本吟》読む
      【平成俳壇アンケート 回答13】 五島高資》読む
      【平成俳壇アンケート 回答14】 浅沼 璞》読む
      【平成俳壇アンケート 回答15】 小沢麻結》読む
      【平成俳壇アンケート 回答16】 西村麒麟》読む


      【抜粋】
      <「俳句四季」9月号> 
      俳壇観測176/内を向く作家と外を向く作家――分かりやすさと少しの分りにくさと
      筑紫磐井 》読む


      • 「俳誌要覧2016」「俳句四季」 の抜粋記事  》見てみる




      <WEP俳句通信>





      およそ日刊俳句空間  》読む
        …(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々 … 
        • 9月の執筆者 (柳本々々・渡邉美保) 

          俳句空間」を読む  》読む   
          …(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子
           好評‼大井恒行の日々彼是  》読む 




          あとがき(筑紫磐井)  》読む



          冊子「俳句新空間 No.7 」発売中!
          No.7より邑書林にて取扱開始いたしました。
          桜色のNo.7


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          題字 金子兜太

          • 存在者 金子兜太
          • 黒田杏子=編著
          • 特別CD付 
          • 書籍詳細はこちら (藤原書店)
          第5章 昭和を俳句と共に生きてきた
           青春の兜太――「成層圏」の師と仲間たち  坂本宮尾
           兜太の社会性  筑紫磐井


          【平成俳壇アンケート 第16回(追加)】西村麒麟

          ■西村麒麟

          1.回答者のお名前( 西村麒麟 

          2.平成俳句について

          ①平成を代表する1句をお示しください( 聴いてごらん朝ひぐらしが鳴いているよ 川崎展宏 

          ②平成を代表する俳人をお書きください。判断が難しいので2つに分けて結構です。

          ➊大家・中堅(宇佐美魚目  深見けん二
          ➋新人( 津川絵里子  小津夜景 

          ③平成を代表する句集・著作をお書きください。( 田中裕明全句集 青木亮人『その眼、俳人につき』

          ④平成を代表する雑誌をお示しください。( 週刊俳句 

          ⑤平成俳句のいちばん記憶に残る事件を示してください。( 俳句研究終刊

          ⑥比較のために、俳句と関係のない大事件を示してください。( 東日本大震災

          3.俳句一般

          ①時代を問わず最も好きな俳人を上げてください。( 阿波野青畝 相生垣瓜人

          ②時代を問わず最も好きな俳句を示してください。( ががんぼが襲ふが如きことをせし 相生垣瓜人

          4.その他
          (自由に、平成俳壇について感想をお書きください)
          新人中堅のアンソロジーはいくつも出たが、古い俳人のきちんとしたアンソロジーもそろそろ読みたいと思う。

          【西村麒麟・北斗賞受賞作を読む10】天地併呑  橋本 直



          ★西村麒麟より★
          西村麒麟第二句集の情報

          文學の森から出る句集名は『鴨』です。自選であること、序文は無いことの他は、どんな句集になるのか本人にもわかっていません、なんせまだ中身を書いていますから。多分、年末頃に出るんじゃないかな、と思っています。(西村麒麟)


           西村麒麟の句は、空を飛ばない。それどころか、地上の移動もない。例えば、

            見まはしてゆけばつめたい木の林     鴇田智哉

          ほどに「ゆく」ことすらない。もちろん、言外には移動を必要とする異郷にいたとおぼしき句は詠まれている。

            冬の日や東寺がいつも端に見え
            金沢の雪解け水を見て帰る
            朝鮮の白き山河や冷し酒


           しかし、句の中に移動する主体は現れてこない。基本、動かないで世界を眺める主体がそこにたたずんでいる。言い換えれば、一点にたたずむ主体から見た世界しか描かれていない。それはいったい何を示しているだろう。

           二つの選択肢がある。孫悟空と釈迦を例にとろう。孫悟空は動き回る。体の大きさを自由に変えられるし、宙に浮かんで高速移動も出来る。そうやっていろいろなところを眺め回すことも出来る。一方釈迦は動かない。動かないが、遙か彼方に行ったはずの孫悟空がその手のひらの中を巡っていたに過ぎない、という例の話を敷衍して言えば、きっと釈迦は何処までも座ったまま、移動せず、大きく膨らんでいけるのだ。世界を覆うほどに。

          西村麒麟の句は、釈迦のようにたたずむ主体が選ばれている。彼は俳句で世界を呑み込んでゆく人なのかもしれない。伝説の巨大な鯨みたいに。

            浮かんだり沈んだりして鯨かな
            七夕や鯨の海がきらきらと



          【新連載】・前衛から見た子規の覚書(1)子規の死  筑紫磐井



          【由来】
          虚子の師だからといって、子規を伝統だと言うことはできないだろう。同じ言い方をすれば、碧梧桐の師であるから、子規を新傾向(アバンギャルド)だということも出来そうである。
          というより、我々の俳句の常識は虚子以降に固まっていったものであり、子規の時代は想像を絶する奇妙な時代であったのである(或いは我々の現代が奇妙な時代であるのかもしれない)。言ってみれば、子規と我々は別人種に近いところがある。国家、天皇、名誉、民族、宿命、事業、愛国、郷土において、我々には想像できない論理を子規やその周辺は持っていたように思われるのである。
           その意味では伝統でも前衛でもない子規を眺めるに当たって、「前衛から見た子規」というのはいかにも奇妙な表題だが、言いたい趣旨は、伝統も前衛も超越してしまった立場から子規を眺めてみようと言うことなのである。

          【本文】
          ●【子規の病歴と死】
          子規は生来虚弱な体質だったようで、顔色がよくなく、胃も弱く、「青瓢箪」というあだ名をつけられていた。運動も嫌いであったというので、大学に入ってから野球に熱中したのは意外であった。
          初めて病気が出たのは明治22年5月9日のことで、喀血は自身も周囲をも驚かせた。医師に診させると肺から出ていることが分かったが、この時はまだ医師は「慢性気管支炎」と診断していた。それから1週間にわたって喀血が続き静養をする。快癒後も、痰に血の混じる状態は長く続いた。病気直後の様子は「子規子」の「喀血始末」に詳しい。子規が閻魔大王はじめ地獄の鬼たちに取り調べを受けるという諧謔的なフィクションで書かれている。
          この中で、子規自身は喀血の原因を生来の貧血症にあったと思っていた、特に直前の4月の「水戸紀行」の折り、那珂川の船中で腹痛を伴って震慄があったことも原因と考えており、それもこれも貧困に起因すると述べている。この戯文の中で子規は赤鬼の検事に被告(子規)への求刑として「今より10年の生命を与ふれば沢山なり」とし「付加刑は焦熱地獄」と宣言させている。子規がなくなったのは13年後、亡くなる直前の子規の闘病の苦しみを碧梧桐は焦熱地獄に投ぜられたようだと書いており、当たらずと雖も遠からずであった。
           その後も24年の脳病、25年の頭痛やノイローゼなどが続き、日本新聞社に入社しても具合が悪く、陸褐南に紹介された医師宮本仲に以後診断を受けるようになる。28年日清戦争に従軍し、再び大量の喀血をした。軍船であり十分な医療設備もなく、また船内にコレラが発生したため日本に着きながら上陸が禁止されたため、病勢は一層募り神戸病院に入院したときは危篤状態であった。その後の療養で再び活動できるようになるが、その直後腰痛を発生する。
          子規の病気は慢性結核で、これから瘍椎骨カリエス(脊椎に結核菌が感染して骨が壊されてゆく症状)を併発していたのであった。このため30年頃からは歩行困難となり、外出は人力車にのって行うしかなくなった。
           以後は毎年、病状が悪化した。32年5月腰痛と発熱が続く。33年8月大量の喀血をし、弟子たちの間から療養のための興津移転案が出されたりする。34年5月腰痛と発熱があり「墨汁一滴」の原稿には自殺をほのめかす文書を書く。特に9月再び襲ってくる苦痛のため絶叫、精神錯乱となり、自殺願望から「仰臥漫録」に「古白曰来(古白曰く、来たれと)」と書き残す。
          こうして迎えた最後の年、明治35年の記事を書く。
          1月危篤状態、以後虚子、碧梧桐らが交代で看護に当たることとなる
          5月に入ってから「病床6尺」を執筆開始するが、13日に大苦痛。
          6月~9月しばらく病状が落ち着き、絵筆を取って身辺の素材を対象に「菓物帖」、「草花帖」、「玩具帖」を書く。
          『菓物帖』(識語35年6月27日~8月6日)
          『草花帖』(識語35年8月1日~8月20日)
          『玩具帖(子規は無題)』(識語35年8月22日~9月2日)
           9月8日水腫が発生する。
           9月10日腰部以下運動の自由を失い、子規の言う「拷問」の苦しみを発する。夜、子規の枕頭で子規存命中最後の「蕪村句集講義」を行う。 
           9月11日痛み甚だし。
           9月12日内股に注射を試みると効果有り。「今夜ほど愉快なことはない」と語る。
           9月13日午後より再び痛みを訴え注射する。
           9月14日朝より気分よく虚子に「9月14日の朝」を筆記させる。水腫は股部にも及び一抱えほどに腫れ上がる。
           9月15日終日昏睡。
           9月17日「日本」に「病床6尺」の最終回が掲載される。よそから来た手紙を転載したものであった。この日は陰暦の子規の誕生日に当たるので、赤飯で祝った。

           こうして最後の日を迎える。9月18日朝から具合が悪く、陸夫妻が昼ご飯のおかずを持って見舞っていた。午前10時頃訪れた碧梧桐、妹律に手伝わせて唐紙の貼り付けてある画板を用意させる。子規は碧梧桐から渡された筆を持って字を書き始めた。/は墨継ぎである。

          糸瓜咲て/痰のつまりし/仏かな
          痰一斗糸瓜の水も/間にあはず
          をと(と)ひのへちまの/水も/取らざりき

          一句書いては休み一句書いては休み、色紙の中央、左、右に三句を書いた(「と」は後から追加)後、筆を投げ捨てた。子規の指示で虚子を呼ぶことにする。
           午後5時頃苦痛甚だしくモヒ剤を服用し、さらに宮本医師により注射を受け昏睡する。落ち着いたところで、虚子と入れ替わりに碧梧桐は去る。
           午後8時前に目覚め、「牛乳を飲もうか」と言うのでコップ一杯の牛乳を管で飲ませた。
          子規「だれだれが来ておいでるのぞな」
          律「寒川さんに清さんにお静さん。」
          と答えるとすぐ昏睡する。これが最後の会話であった。
          その後母八重と妹律で蚊帳を吊り、八重が枕元に残ったが、蚊帳の中をのぞいても別に異常はなかった。午前0時50分頃、唸り声が聞こえたので八重が駆け寄って子規の手を握ってみるとすでに冷たく、額を押さえてみても微温しか感ぜず、一同大騒ぎとなった。医師の診断では四、五日は大丈夫と言われていたので驚きだったようだ。駆けつけた陸夫妻、碧梧桐、虚子で死亡後の措置を決める。夜がほのぼのと明けかけていた。
                *     *
           9月21日田端大龍寺に埋葬する。会葬者150名余。10月6日に子規庵にて七七忌が執り行われた。
           子規没直後から「日本」は追悼記事を掲載。

          【執筆後感想】
          冒頭大上段に振りかぶったが、私の子規に対する感想は、言ってみれば、明治時代に俳句は滅亡するという立場から出発していると見ているのである(子規の『獺祭書屋俳話』の一番のテーマはここにある)。確かに俳句は現在のところ、一見滅亡してはいないようだが、平成か、来るべき次の元号の時代においてやはり俳句は滅亡すると見るべきなのであろう。我々の師に当たる人々の俳句(あるいは攝津幸彦・田中裕明ぐらいまで)は我々が責任を持って残すかもしれないが、我々自身の俳句は誰も残してくれそうもない。我々の周辺で我々の世代の俳句を残してくれそうな顔ぶれは殆どいないではないか。もちろんそうした我々の俳句を残してくれない後続世代の俳句などは、ますます誰も残してくれないのではないか。これが子規の言う、明治時代に俳句は滅亡するの含意なのだ。
          楽天的な伝統は存在するが、楽天的な前衛は存在しない、前衛には悲観しか存在しない。だから、これは正しく前衛的な(メランコリックな)覚書と言うことができる。
              *    *
          この連載の第1回は、連載開始の時期が子規の忌日――糸瓜忌に重なるところから、この種の評伝としてはいささか奇異な感じはするが、こうしたメランコリックな連載にふさわしく「子規の死」から始めてみることにする。今まで余りに多くの子規評伝が、子規がいかに生きたかを書いていたので、この連載では、子規がいかに死んだかを考えていたいと思うからだ。生から照らす人生と、死から照らす人生では、評伝もずいぶん違ったものになるはずだ。もちろん連載がうまく繋がるかどうかは分からないが、そうした心がけで第1回目は書いてみた。
          今年は根岸子規庵において9月1日(金)~30日(土)の間、正岡子規生誕150年記念特別展示が行われており、新出の明治34年「歳旦帖」が展示されるという。せっせと毎年歳旦帖を刊行している(「俳句新空間」の)我々としては無関心とも行かないだろう。機会があれば是非訪問していただきたい。
          (この連載は、8年ほど前に書いた準備稿を使っているので、現在、出典をすべて確認するいとまがない。間違いはないものと思うが、後日の修正もあり得ると言うことで覚書(メモワール)とさせていただく。)