2016年5月27日金曜日

【抜粋】「俳句四季」5月号 俳壇観測 連載第161回/高齢期を迎えて―――杉田桂「私の生活を、私ならではの発想と表現で作品化していきたい」  筑紫磐井



俳句雑誌をめぐる状況
かつての俳句雑誌のバブル時代は、その後の団塊世代の定年、さらに広く進んだ高齢化、少子化(つまり若年層の不参加)の中で急激に停滞している。一方、俳句自身もこうした状況を反映して、結社・協会の管理色の強まりの中で保守化し、前衛的な作家すら保守化・教条主義化し、文学としての魅力が薄れているように見えるのは私ばかりの感想ではあるまい。
このような環境の中で俳句雑誌購読者も高齢化し、①総合雑誌の休・廃刊、販売数の減少、頁数の減少、②結社誌・同人誌の高齢化に伴う資金減、編集事務の負担増加による休・廃刊、が進んでいるようである。特に、③社会一般の急激に進展する中で俳句界はIT化から取り残されているようであり、(他のジャンルでは生き残りのための)新しい媒体や手法がせっかくあるにもかかわらず、対応し切れていないように思われる。

(下略)


杉田桂『老年期』(二八年一月文学の森刊)

 昭和四年生まれの八七歳、「小熊座」を経て「頂点」同人。『老年期』は第六句集である。筆者によれば、「私自身第五句集を以て、句集発刊は最終、打ち止めと考えていた」。「私は重くれの俳風を好み、一方に於いて作品の卑俗性をもっとも嫌った」のだが、その後詠んでいる俳句を眺めたところ、「既に加齢の洗礼を受けた私には最早や錆びた感性しか残らずそれらが全く喪失していた」ことに気付き懊悩し、ようやく「作品自体が卑俗でも良い。・・・私の老年期の生活を、私ならではの発想と表現で作品化していきたい」を自分の活路として見つけたのである。その環境は、「中野区江古田所在の特別養護老人ホーム」、その施設の主任の激励を受けながら第六句集の実現を見るに至ったのであるという。

炎昼やふり返るたび貌くずれ天刑のごとく生きのぶ冬の蠅散る桜国家の闇のふかさかな盲目の蒼氓にして国滅ぶ黄落や吾より抜けてわれを見し白牡丹閨というものありにけり

(下略)

※詳しくは「俳句四季」6月号をお読み下さい。
※文章・俳句作品は一部抄録。







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