2015年10月30日金曜日

第29号 

攝津幸彦記念賞
詳細
締切2015年10月31日!
受賞者決定次第当ブログにて発表予定

  • 11月の更新第3011月13日 第31号11月27日




  • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む

    (11/6更新)秋興帖、第七
    …下楠絵里・田中葉月・豊里友行・水岩瞳・羽村 美和子
    下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

    (10/30更新)秋興帖、第六…渡邉美保・ふけとしこ・佐藤りえ・望月士郎
    衛藤夏子・小野裕三・堀本 吟・小林苑を・林雅樹
    (10/23更新)秋興帖、第五…もてきまり・木村オサム・仲田陽子・月野ぽぽな・関根誠子
    ななかまど・真崎一恵・とこうわらび・川嶋ぱんだ
    (10/16更新)秋興帖、第五…内村恭子・小林かんな・石童庵・陽 美保子・堀田季何・小沢麻結
    (10/9更新)秋興帖、第四…淺津 大雅・仮屋賢一・大瀬良陽生・神谷波・仲寒蟬
    (10/2更新)秋興帖、第三…五島高資・山本敏倖・網野月を・岡田由季・音羽紅子
    (9/25更新)秋興帖、第二…早瀬恵子・曾根 毅・前北かおる・夏木 久
    (9/18更新)秋興帖、第一…杉山久子・池田澄子・青山茂根


    【新連載】  

    曾根毅『花修』を読む毎金00:00更新予定) 》読む  
      …筑紫磐井 》読む

    曾根毅『花修』を読む インデックス 》読む

    • #7  眩暈      藤井あかり
    • #8  セシウムに、露草  天野慶

      【同時連載】


      「芸術から俳句へ」(仮屋、筑紫そして…)
      その2 …筑紫磐井・仮屋賢一  》読む 
      過去掲載分
      その1  


      「評論・批評・時評とは何か? (堀下、筑紫そして…)



      およそ日刊「俳句空間」  》読む
        …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱 … 
        (10月の執筆者: 依光陽子、佐藤りえ、北川美美…and more  )
         井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと)  》読む 



        【鑑賞・時評・エッセイ】


         【短詩時評  五人目】 北山あさひと戦略としての「なんなんだ」-ひとりひとりは、崖-   
        …柳本々々  》読む  
        【特別連載】  散文篇   「 和田悟朗という謎ー1」 のつづき
        …堀本 吟  》読む
        【びーぐる28号より転載】 「凧と円柱」による認識論 その3. 
        …竹岡一郎  》読む 

         ■ 朝日俳壇鑑賞 ~登頂回望~ (八十五・八十六)
        …網野月を  》読む

        【俳句時評】 徳川夢声『夢声戦中日記』を読むための覚書 
        …堀下翔  》読む 

        リンク de 詩客 短歌時評   》読む
        ・リンク de 詩客 俳句時評   》読む
        ・リンク de 詩客 自由詩時評   》読む 





            【アーカイブコーナー】

            赤い新撰御中虫と西村麒麟 》読む

            週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会再読する 》読む



                あとがき  》読む

                ●俳句の林間学校 「第7回 こもろ・日盛俳句祭」
                 終了いたしました。 》小諸市のサイト
                シンポジウム・レポート「字余り・字足らず」   … 仲栄司 》読む 
                小諸の思い出2015  北川美美  》読む 



                攝津幸彦記念賞募集 詳細
                締切2015年10月末日!



                「俳句新空間」第4号発刊!(2015夏)
                購入ご希望の方はこちら ≫読む


                豈57号刊行!
                豈57号のご購入は邑書林まで



                    筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                    <辞の詩学と詞の詩学>
                    川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 



                    筑紫磐井「俳壇観測」連載執筆









                    特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                    執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                    特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                    執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                     【時壇】 登頂回望その八十五 ・八十六 /   網野 月を



                    その八十五(朝日俳壇平成27年9月21日から)
                                            
                    ◆秋の蟬親鸞像の杖つかむ (たつの市)竹内澄子

                    金子兜太の選である。またこの場所に来ることが出来るようにしたい、という祈願の御まじないである。北ドイツのブレーメンに「ブレーマー・ムジカンテン」(ブレーメンの音楽隊のブロンズ像)が聖堂の脇に建てられている。その一番下になるロバの前脚を握ると“再びブレーメンに来られる”という言い伝えがあるのだ。その為か、ロバの前脚は緑青が剥がれて金ピカに輝いている。作者の次の来訪は「秋の蟬」の鳴く季節であろうか?


                    ◆霧吸うてまだ生きてゐる生きてやる (宍栗市)岩神刻舟

                    金子兜太の選である。俳句表現の活用法の一つであろう。中七座五の「まだ生きてゐる生きてやる」は、同義の内容の自動と意志を含む表現の重なりで、後半の決意を強調する効果を出している。が、まるで仙人のような上五の「霧吸うて」があるので、諧謔も醸し出しているようだ。

                    ◆暑い日にどうでも良い名付けられし (長岡京市)寺嶋三郎

                    長谷川櫂の選である。評には「三席。どうでもよくみえて、動かしがたい名前。季語の選び方もここに極まる。」と記されている。三郎といえば俳句界では「桑原三郎」であろう。現役バリバリの俳人だ。どうでも良い名ではない。かつては「一郎」「二郎」・・・「与一」(十一男のこと)のような記名もあった。那須与一に至っては有名この上ないのであり、「与一」といえば那須与一なのである。ということは「どうでも良い」ことにしてしまっている自己の責任があるわけだ。作者はそこのところを季題「暑い日」で担保しようとしている。自虐が見事に俳句に仕上がっている。

                    ◆猿股の予備も大事や震災忌 (函館市)武田悟

                    長谷川櫂の選である。中七の「・・や」は切れ字であるが、「大事や小事」の省略として読むと面白い。一般的には猿股は小事=日常であり、震災忌は大事なのである。この句の構造上、「も大事や」であるから、日常の猿股に実は大事な日常の暮らしの大切さを象徴しているのであって、苦笑いの後に、大いなる納得が来るのである。


                    その八十六(朝日俳壇平成27年9月28日から)
                                               
                    ◆冷まじや王冠かぶる頭蓋骨 (ドイツ)ハルツォーク洋子

                    金子兜太と大串章の共選である。金子兜太の評には「洋子氏。「冷まじや」は恐怖というより荒涼感で受け取る。誰の骨か知りたい。」と記されている。オーストリアのハルシュタットにはそれは立派なバインハウス(納骨堂)があって、幾世代もの遺骨が納められている。山岳地帯の湖畔の町で平たい土地が狭いために墓所を拡張することが出来ずにいる。埋葬された遺骨は二十年から三十年、それ以上の年月を経て掘り出されて、骨のみになったところへ、特に頭蓋骨に装飾して納骨堂へ納め積み上げるのだ。家々の格式や職業などによって装飾の図柄がことなり、見様によっては見事な芸術品なのである。掲句からはそんな情景が連想されるが、「王冠」というと都会の教会にある、王侯貴族や枢機卿、大司教の聖遺骨の類かも知れない。どちらにしても文字通り「冷まじや」である。

                    ◆はすうゑるははじゆんぼくののうふかな (善通寺市)土井正美
                    金子兜太と長谷川櫂の共選である。金子兜太の評には「土井氏。平仮名書き下ろしに雰囲気が感じられて。」と記されている。評の通り、平仮名書きの効果絶大である。「はは」「のの」の重複部分は読みにくさがあるが、何度も読み返せば味が出てくる。母を「農婦」と表記しないところが良いのである。

                    ◆寒蟬に賽銭多少弾みけり (福津市)下村靖彦

                    大串章の選である。評には「第二句。寒蝉の声を聞いて心が和んだのであろう。面白い。寒蟬、ここでは法師蟬のこと。」と記されている。季題「寒蟬」の既成既存のイメージを拡大している。「寒蟬」の魂へ作者の魂がしみ込んでいるようだ。俳句の蝉には、人生の何たるかを透してメタファにすることが多いが、掲句の「寒蟬」は作者の外側に位置していて作者の心を鼓舞している様で、心地よい作品になっている。

                    「芸術から俳句へ」(仮屋、筑紫そして…) その2 …筑紫磐井・仮屋賢一 



                    3.筑紫磐井から仮屋賢一へ(仮屋賢一←筑紫磐井)
                    the letter rom Bansei Tsukushi to Kenichi Kariya

                    ①私の掲げた3句が好きでないと言うこと、至極もっともと思います。そういう回答が来るだろう事を予想して掲げたからです。なぜ、こんなまだるっこしい例のあげ方をしたかといえば、実はこの3句は「海程」秩父俳句道場で金子兜太の特選となっているからです。これを最後にいってちょっと驚いてもらおうと思っていたからです。

                    別に兜太の選がすべて正しいと言うつもりはありません。実際当日の句会で私はこれらの句を1句もとっていません。たしか、参加した関悦史も北川美美もとっていなかったと思います。仮屋さんの評価に近いというべきでしょう。しかしだからといって兜太の選が間違っているかと言えばそうでもないと思います。むしろ、ここから俳句というものの本質を考えるヒントが生まれるように思うからです。

                    物事には表があれば裏もあるわけですから、それを一緒に考えておく方が間違いが少ないと思います。例えば「俳句というものの美しさがそこに無いように思える」が仮屋さんのそれの裏の考え方だと思います。どちらかといえば、関悦史も北川美美も、そして私もそれに近いように思います。こうした考え方に対して、(残念ながら具体的な例句をあげられませんでしたが)兜太は月並みだ、どこかですでに何回も詠まれた句だ、と批判していたように思います。

                    議論の枠組みを確認するために取り出した例なので、ここでは余り厳密に議論する必要はありませんが、こうした対立があることだけは先ず了解しておいた方がいいと思うのです。

                    ②ここにあげた3句は、かってそう呼ばれた「社会性俳句」に近いと思います。金子兜太や「海程」の人たちは、今もってそうした俳句にこだわっていると、冷淡に見ている人も多いはずです。
                    ただ、かって「海程」以外の人も同様の句を平気で作っていました。

                    師走の灯資本が掘らす穴の丈    沢木欣一『塩田』 
                    雉子歩む傍若無人凶作地 
                    毛布すりきれ戦後十年弥縫的 
                    基地化後の嬰児か汗に泣きのけぞり 能村登四郎『合掌部落』 
                    露の日輪戸に立つ母郷死守の旗  
                    一瞬胸せまりたり悴む顔の囚衣群(習志野刑務所)

                    実に「美しくない」と思います。余りに露骨すぎます。欣一も登四郎も、その後こうした俳句の詠み方から抜け出したのは賢明と思えるでしょう。しかし、賢明であったはずの彼らが一時的ではあれ、なぜこの時代にあってはこうした句を作っていたかが不思議です。まるで、「俳句は美しくあってはならない」というのが彼らの命題であったかのようです。そして、「俳句は美しくあってはならない」というのが本当に間違いかどうかは、よく考えてみなければなりません。

                    ③実は、こうした1955年頃の社会性俳句が60年後の今日間違っていたとすれば、仮屋さんが現在感じている「俳句は美しくなければならない」も、更に60年後の2075年に誤っている可能性もあるわけです。屁理屈を言っているように聞こえるかも知れませんが、私が言いたいのは1955年頃圧倒的多数の俳人が、俳句はかくあらねばならないと考えていた理由を知らないで批判することは、現在のみを持って正しいとする傲慢な過ちとなり、2075年に批判される原因となっていることではないかということです。

                    その意味で、欣一も登四郎も兜太も余りに社会性俳句にのめり込みすぎていましたから、冷静な考え方を残していません。ここでこの少し前の石田波郷の考え方に耳を傾けてみましょう。余程俳句固有派であり、古典派に近い波郷ですが彼でさえこんなことを言っています。

                    「(能村登四郎、藤田湘子をはじめ新人の作品を読んで)、先づその迫力の弱く、読みつつも読者たる僕があまり作者の方へひきよせられないのに不満である。自然を詠はうと社会を表はさうと、そこには常に作者の描き出す「新しい一つの世界」がなければならない。混沌と苦渋の現代に我々が生きてゐる以上、俳句に我々が望むのははげしい自然讃仰か、真摯にして混沌を制する底の生活、人間の現はれである。日常生活に起伏する日常的主観も、之を活かしてわれわれの生き方を示すものでありたいと思ふ。馬酔木の新人諸氏の最近の労作もさういふ方向に向つてゐるものと期待して眺めてゐる。然し実際には主観の脈が浅い皮膚の下に浮いて、よはい、言葉の按配や、知的にも説明的な主観叙述におちいつてゐる。」
                    (馬酔木昭和二四年八月)

                    大仰な言葉に驚くでしょう。何を波郷はこんなに焦っているのでしょうか。波郷ほどの指導者ならばもっとゆったりと構えて、美しい傑作を詠ませればいいではないですか。しかし、波郷は馬酔木の端正な美意識に浸ることをよしとしなかったのです。とりわけ能村登四郎には過剰に干渉し、「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」などという美的な世界(秋桜子的美意識といえるでしょう)を捨てさせ、『咀嚼音』の「長靴に腰埋め野分の老教師」のような教師生活の哀歓を詠ませるようにしたのです。その後、社会性俳句に登四郎が一気にのめりこんでしまうのも無理のない指導でした。

                        *     *

                    この原因を探っておくべきでしょう。私は、桑原武夫の「第二芸術」が原因だと思っています。俳句が「第二芸術」だと呼ばれたことに発奮したというのではありません、俳句では現代が詠めないと言われたことに衝撃を受けたのです。現代俳句という言葉は戦前からありましたがある価値観を持って使われたのは戦後、それも「第二芸術」以後だと思います。桑原の「第二芸術」はご丁寧にも「―現代俳句について―」と副題がついていました。そして「第二芸術」以後、熱病のように俳壇に「現代俳句」が流行し出しました。戦後の俳人のあつまりは「現代俳句協会」と名付けられました、こうした動きに一番批判的な山本健吉さえ俳句に関する初めての著書に『現代俳句』と名づけました。そして、桑原の言った「現代俳句」を一番皮相的に理解すると、<「現代俳句」=現代社会を詠む俳句>ということになるでしょう。現代俳句でなければ江戸音曲と同じ第二芸術の道を選ぶしかないと皆が確信したのです。これこそが社会性俳句の始まりだと思います。社会性俳句は、「第二芸術」に始まっているのです。

                    そしてこれが丸々間違っていたかというと私もそうだという確信がありません。短歌も詩も、こうした桑原武夫の道をある程度たどって進んだと言えるでしょう。俳句だけが置いてきぼりを食らっているのです。もちろん、俳句はその独自の固有性を主張して構いません。しかし、どこか後ろめたい思いもあるのは否めません。



                    ④もう少し別の考え方をたどってみましょう。

                    高濱虚子の俳句を詠む姿勢は非常にはっきりしていました。一生涯変わることのないものでした。

                    「季を優位せしむることは伝統俳句の身上である。人間性、社会性に重きを置くことは季と優位を争うことになる。勢い俳句でないものを産むことになる」(「虚子俳話」)

                    したがって、例えば、俳句で地震については詠むべきではない、ということになります。これは東日本大震災でも、阪神大震災のことではありません。関東大震災のことです。この主張に従って虚子は関東大震災の句を詠みませんでしたし、ホトトギスにもそういう句は掲載させない方針でした(たまたま、東京市長永田青嵐の震災句が載ったのは写生文の付録だったからです)。

                    永年、虚子のこの科白をぎゃふんと言わせる言葉がほしいと思っていました。しかし俳人の書いたどれを読んでも饒舌で説明的で、余り胸を打つ言葉がありません。さんざん探した挙げ句、全然別ジャンルで、次のような言葉にであいました。これは、イタリアにおけるヴェリズモ(リアリズム文芸運動)で使われる標語ですが、虚子に対比させるのに、私が知る限り最適の言葉であると思います。これほど虚子を的確に否定している言葉は思いつきませんでした。

                     「芸術家にとっての原則とは、芸術家もまた人間であり、その人間たちのために芸術家は書くべきであるということなのだ」(ルッジェーロ・レオンカヴァッロ)

                     季語等、人間にとってどうでもいいことなのです。いや、人間があってこそ、それに対する第二義、第三義の風景として季語があるばかりなのではないでしょうか。そして、ここに俳句は美しくあってはならないの考えの原点を見るのです。

                     もちろんこの考え方に与しない人はたくさんいるでしょうが、おそらく生身を持つ人間としてどちらが正しいかと問われれば、私はレオンカヴァッロの方にやや軍配を上げざるを得ないだろうと思います。それは、まさしく、私たちが「生身」を持っているからです。生まれた後、入学・卒業・恋愛・結婚・ことによると自殺未遂・ことによると覚醒剤による逮捕・就職・中傷・昇進・左遷・(親・妻・子との)死別・離婚・子供の独立・ことによると破産・リストラ・親の介護、とお決まりのコースをたどった挙げ句(多分仮屋さんの生涯の大半がこれであげられると思いますが)、老い、病み、死んでゆく存在として考えた場合、「人間たちのために芸術家は書くべきである」、という発想はより普遍的だと思います。虚子の考えは、ごく限られた時代、生活、職業、趣味においてのみ普遍性を持つものでしかないと言えそうです。もちろんだからといて虚子のそれを否定はしません。しかし、虚子の思想を地球の津々浦々、あらゆる芸術にまで拡大するのはやめてほしいものです。


                    ⑤さてここまで、長い仕掛けをしてきたのはここでやっと仮屋さんの音楽に近づいたかな、と思ったからです。いうまでもなくレオンカヴァッロは音楽家であり、オペラ「道化師」で有名です。この科白もその中で出てくるものです。といっても、私自身は、同じ運動を展開したマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」しか見ていません。つまらないオペラがこんな面白いのかと唯一感動した作品です(まあ、音楽にはそれくらい私は迂遠だと思ってください。仮屋さんには縁なき衆生です)。ヴェリズモ運動の最大の成功作であり、「人間たちのための芸術」はなるほどこんなものかと納得したのです。もっと別の結論の運び方があるはずでこんな落ちとしまって恐縮ですが、要は「俳句は美しくあってはならない」も一つの思想(成功しているかどうかは別として)ではあるように思うのですが如何でしょうか。


                    (以上はご質問の前半への回答です。ただ余りに長くなって疲れてきたのでここら辺で今回は打ち切ります。もしつづきが書けるようでしたら次回続けましょう)


                    4.仮屋賢一から筑紫磐井へ(筑紫磐井←仮屋賢一)
                    the Letter from Kenichi Kariya  to Bansei Tsukushi 

                    筑紫さま

                    仮屋です。大変お待たせしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

                    >「俳句は美しくあってはならない」も一つの思想(成功しているかどうかは別として)ではあるように思うのですが如何でしょうか。

                    今回はこれの自分なりの答えを探すことに費やそうと思います。

                    まず、俳句が藝術であるのかどうか。いきなり大きすぎる話題ですみません。結論から言うと、俳句は藝術だと思いますし、藝術でなければならないという考えなのですが、それを主張するには、そもそも僕にとって藝術とは何かというところから始めなければなりません。

                    藝術とは何か。

                    藝術であるための条件として、まずは、それが人間の積極的な営為によって生み出されたものであることが必要だと思います。

                    手つかずの自然、鬱蒼と茂る木々の中に堂々と落ちる滝は、藝術的な美しさを持っていたとしても、それ自体は藝術ではありません。ただ、それを何らかの形で表現したものは、藝術と呼ばれ得るでしょう。人間というフィルタを通す必要があるのです。

                    また、うっかり中身をバラまいてしまった絵の具や、落として割ってしまったお皿。人間の営為の結果ではあるのですが、これだけでは藝術と呼べません。人間がこれを藝術だと捉えて(=人間の積極的な営為)こそ、はじめて藝術となり得るのです。

                    つまり、作者不在の藝術は存在し得ず、藝術は必ず作者の存在する作品でなければならないのです。


                    次に、感情的な部分で他者に作用し得るということ。そして、そういう狙いをもって作者が制作したものであること。

                    そういう意味で藝術は意図的なものです。また、理性的なことばで語り尽くせてしまう感動は、真に感情的な部分の感動ではないといえます。なかなかそこの判別をすることは難しいのは事実ですが。少なくとも、どんなことばでも言い表すことのできないもの、というものは藝術には存在し得るはずです。

                    さきほどから、「〜し得る」と可能性でしかお話ししていない部分があるのですが、藝術は普遍的である必要がないと思っているからです。

                    作曲家、アルノルト・シェーンベルクのことばに、「もしも藝術ならそれは万人のためのもではなく、もしも万人のためのものならそれは藝術ではない」ということばがあります。(とはいえ、彼のほかのことばを見るに、藝術は独りよがりであっていいなどとは全く思っていないようです。)

                    極論をいえば、藝術は自分以外のたった一人だけを真に感動させる(ここでの感動は、心に何らかの作用を与えた、くらいの意味です。決して大げさなものではありません)ためだけのものであってもよいのです。狙ったその人が感動するかどうかは別にして。狙いとは別の他の人が感動したっていい。

                    ただ、自分の作品のうちの感動ではある必要があるます。ある画家が、誰かのために絵を描いた。その様子を見て、周囲が心打たれた。これは、絵画作品に対する感動ではなく、行為に対する感動で、また別物です。ここの峻別はしっかりしておかねばなりません。

                    これだけの条件をみたしていれば、僕の中ではまず、藝術と呼んで良いと思っております。いろいろ書いていますが、案外、藝術と呼べるものの範疇は大きいでしょう。こういう意味で、俳句もまた、藝術なのです。第二藝術と呼ばれようと、関係はありません。僕の中では「第二藝術⊂藝術」なのですから。

                    さて、俳句は藝術です。そして、もう一つ。俳句は、藝術それ以上でも以下でもありません。
                    その前に、誤解があってはいけないのですが、「藝術は他の誰かのために作られるものでなくてはならない」ということではありません。とはいえ、いくら他人を排除したとしても、大きな意味でどこかに「自分のため」という部分は残るでしょうから、そういう意味では「藝術は人間(たち)のため」ということになるのだろうとは思います。

                    僕の藝術の定義、どこにも「美しさ」という概念はでてきません。「俳句は美しくなくてはならない」は、俳句の定義でもアイデンティティでもなんでもないのです。では、「俳句は美しくなくてはならない」とはなにか。それは、単に個人がそういう立ち位置にいるだけのことです。それが常識的な認識になっているのだとしたら、多数派であるのか、影響力のある人がそう言っただけであるのかのどちらかでしょう。俳句は美しくなくてよいのです。藝術は美しくなくてもよいのですから、当然です。だとしたら、「俳句は美しくあってはならない」というのも十分認められるべき立場でしょう。これは、僕が個人的に認める・認めないというのとは全く別問題であることはお分かりいただけると思います。

                    そもそも、この世界、美しくないものは、淘汰されがちです。俳句も、美しいから生き延びているのでしょう。だからといって、美しくないものを積極的に排除する必要はない。そんなことは自然に任せればよいのです。自然の摂理に抗うことは、人間に与えられた権利なのではないでしょうか。ただ、安直な反抗というだけでは、特に面白いものでもないのですが。

                    人間、藝術にはどこか安心を求めてしまっている嫌いがあるのかもしれません。ただでさえ、この社会、不安でいっぱいなのに、藝術にまでその不安を不安のままで持ち込みたくないと思ってしまうのは当然のことでしょう。だから駆逐されがちなのかもしれませんが、それは人間が勝手に藝術にそれを求めているだけのことであって、藝術がすなわちそういうものであるということにはならないのではないでしょうか。

                    ……と、俳句について書いているようなつもりで、実は「そういう曲があったな」と思いながら書いているのであります。音楽と俳句は、形式のまるで違うものですから、表現できるものも全く異なるものでしょう。忌避されがちなそれらの表現、音楽はうまく作品として体をなしていると思うのですが、それほどの力が、俳句にはあるのでしょうか。純粋な、疑問です。

                    【短詩時評 五人目】北山あさひと戦略としての「なんなんだ」-ひとりひとりは、崖-  柳本々々



                    八月十五日 お家三軒分くらいの夕焼け雲 なんなんだ  北山あさひ

                    ごめんなさいデモには行きたくない すーっと風から夜が始まってゆく  〃
                      (「なんなんだ」『短歌研究』2015年11月号)

                    崖っぷちという言い方はよくありますが、一人一人が崖なんだという感覚が生きていて、読ませます。
                      (米川千嘉子「短歌研究新人賞選考座談会(北山あさひの連作「風家族」に対するコメント)」『短歌研究』2015年9月号)

                    “愛”は通常語られているほどぬくぬくと生あたたかいものではありません。多分。
                    それは手ごわくひどく恐ろしい残酷な怪物のようなものです。
                      (岡崎京子「あとがき」『pink』マガジンハウス、2010年)

                    なんだっていいでしょ! ……とは言いたくないけど、今は言わせて! 大丈夫よ。ちゃんと意味を持ってやってるから。ただ、その意味を、今はまだわかってほしくないから言わせて……なんだっていいでしょ!
                      (倉持裕『ワンマン・ショー』白水社、2004年、p.23)

                    今回取り上げてみたいのが北山あさひさんの短歌です。

                    北山あさひさんには2014年の第五十七回短歌研究新人賞候補作として「グッドラック廃屋」、2015年第五十八回短歌研究新人賞候補作として「風家族」があるんですが、どれも規制のコードに対する〈なんなんだ〉という枠組みがひとつのテーマになっているんではないかと思うんですね。

                    たとえば掲歌をみてください。「八月十五日」という国民の〈終戦記念日〉に対する「なんなんだ」、「デモには行きたくない」とする(おそらくは安保法制反対)「デモ」に対する〈なんなんだ〉、こうした〈なんなんだ〉性は明滅する比喩とセットになってあらわされていきます。「お家三軒分くらいの夕焼け雲」や「すーっと風から夜が始まってゆく」という〈明日には消えてなくなっている〉比喩とかけあわせることによって〈なんなんだ〉性が強まっていくわけです。それはけっして不動のものでもなんでもないんだと。

                    つまり、〈なんなんだ〉っていうのは語りの認識の布置のなかでは〈消える〉ものとしてあるわけです。「八月十五日」や「デモ」といった国民イヴェントがあるのだけれども、その国民イヴェントがいったい〈このわたし〉とどれくらいの強度をもって連絡させることができるのか、そもそも〈あなた〉はどうなのか、ほんとうに強度をもって「八月十五日」や「デモ」と関わりあったうえで〈そこ〉にいるのか、それらイヴェントと明日には消える風景とどれくらいの差違があるのか、〈どうなんだ〉、というよりも〈なんなんだ〉、というよりも〈わたしなんなんだ〉、というよりも〈おまえなんなんだ〉、というよりも〈わたしたちなんなんだ〉、というそうした〈なんなんだ性〉。

                    そうした国民=集団的イヴェントに対する〈なんなんだ性〉はこれまでの連作からも「結婚」や「家族」という集団的枠組みへの〈なんなんだ性〉として見いだすことができます。


                    いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい  北山あさひ

                    母でなく妻でもなくて今泣けば大漁旗がハンカチだろう  〃
                      (「グッドラック廃屋」『短歌研究』2014年9月号)

                    母さんが父さんにバット振りかざすあの夜のこと 家族はコント  北山あさひ

                    たぶん今ニトリに行ったら吐く 風が動いて他人を抱く他人は  〃
                      (「風家族」『短歌研究』2015年9月号)


                    「結婚」「母」「妻」「夫婦」「親子」「家族」「家庭」に対する〈なんなんだ〉という〈吐き気〉。それら記号を受け売りせずに、むしろ意味内容を吐瀉物としてひきずりだすような〈積極的不快感〉。それがひとつの〈なんなんだ〉になっている。

                    で、この北山さんの短歌の〈なんなんだ性〉というのは当然そうした〈わたし〉や〈あなた〉のイヴェントに対する主体的関わりを問うものとなっていきますので、その主体的関わりを統辞する〈主語〉そのものへの〈なんなんだ性〉ともつながっていきます。


                    すはだかの特に乳房の滑稽よ氷を摑む〈俺〉の気持ちで  北山あさひ

                    TSUTAYAへ行きそのあと鳩を追いかけた私から出ていくなよあたし  〃
                      (「なんなんだ」『短歌研究』2015年11月号)

                    巨大なる会いたさのことを東京と思うあたしはわたしと暮らす  北山あさひ
                      (「グッドラック廃屋」『短歌研究』2014年9月号)


                    「〈俺〉の気持ちで」「私から出ていくなよあたし」「あたしはわたしと暮らす」。こうした主語の仮称化、或いは主語の相対化は、主語さえ唱えてしまえば短歌を主体的・システマティック・機械的に統辞してしまえることの〈危うさ〉を浮き彫りにしているようにも思います。「八月十五日」も「デモ」も「結婚」も「妻」も「俺」も「あたし」も「わたし」も、〈そう〉唱えた瞬間に、その主語をめぐる構文=構造=枠組みごと密輸し、〈わたし〉がたとえ〈そう〉思っていなくても自動的に組織してしまう。そういう言葉から勝手に〈わたし〉の枠組みがつくられることの危機感のようなものがあると思うんですよね。それら短歌機械・主語機械・概念機械に対するひとつの〈吐き気〉が。北山さんの連作タイトルの言葉を借りるならば、それはいわば、短歌・主語・概念・システムの〈廃屋化〉でもあるわけです。


                    だからこそ、主語に対し「なんなんだ」という〈吐き気〉を催しつつ、微分化することによって、〈わたしだけの遠近法〉をもういちどつくりだす。それが北山あさひさんの短歌なんじゃないかと思うんです。


                    ですから、〈なんなんだ性〉っていうのを今あらためて言葉にするとならば、それはどんな状況下であれ自分でなしとげる〈生の遠近法〉なのではないかと思うんですよ。あらゆる事・物に対して〈なんなんだ〉と〈吐き気〉のするような距離を生成し、 不快感や吐き気を催しながらも、短歌定型をとおして固有の〈生の遠近法〉をまさぐること。それが〈風〉のようなものであれ、〈廃屋〉のようなものであれ。


                    それが北山さんの短歌の《あえて》生き生きとさせない〈遠さ〉なのではないかと思うんです。

                    〈遠さ〉ははじめからあるものではない。それはじぶんで〈きもちよくない場所〉からつくりだすものだと。そしてその〈生き生きさせない遠さ〉によってはじめてわたしはわたしの枠組みからどこにも回収されえない生を組み換えることができるのだと。なんなんだ。



                    飛んでいく麦わら帽子いつだって遠さが心をつくると思う  北山あさひ
                      (「風家族」前掲)

                     【特別連載】  散文篇 「 和田悟朗という謎 1」の(つづき)   堀本 吟



                    3】(承前) 続き

                      その句のただしい意味は、「海しじみ汁」だったのだろうか。
                     前回の文章の末尾に紹介した

                       絶筆  平成二十九年二月十九日。

                      うす味の東海道の海しじみ汁  悟朗   
                        (うつしまちがっている。「薄味」→「うす味」である。おわびします)。

                     のことであるが、「東海道の海」でとれた「しじみ汁」なのか、はたまた東海道のどこかで味わった「海しじみ汁」かがよくわからなくて、しばらく頭に残っていた。

                     もっとも私の固定観念として、シジミは淡水産の貝、「海しじみ汁」なんてない、と思い込んでいた。

                     ふだん関西に出回っているのは、ほとんどが琵琶湖のセタシジミとか宍道湖でとれるシジミ(ヤマトシジミ)などで、それは日本に出回ってシジミ貝のうち九〇%を占めるヤマトシジミといわれる種類だろう。(ちかごろ「タイワンシジミ」も出ているそうである。)

                    それで、私は、浅蜊やは蛤は海のものだが、蜆は淡水産の貝だと思い込んでいた。しかし、じっさい宍道湖のヤマトシジミは薄く海水の混じった淡水に生息することから、東京湾の海の近くの河口で採れたものを、慣用的に「海しじみ」というのかもしれない、と、前号続きのこれを書くときに改めて思った。

                     それから、これもあやふやなネット検索で得た知識なのであるが、魚屋では場合によってはじっさいに「海しじみ」など言われて店頭に出ていることもあるらしい。それが、旅行中の東海道(関東)で食したりした場合に、とくに強調されて、「東海道の」「海しじみ汁」となったのかもしれない。大体、関西はうす味、関東のおつゆは濃い味であるが、故人もそういうことが思い込みにあり、この「うす味」は どの言葉にかかるのか、その解釈よっては、読む側にいろんな思いを喚起してくる。

                     また、こう書かれると、私はなんだかゆったりタイムスリップして昔の旅人のように、松林をゆき富士山と海の見える東海道五十三次の道中の道中を思いうかべるのであった、最後の句であるかどうかはかかわりなく、人間って味に対する好みが、こんな時期に出るものだな、と思ったのである。
                     たしかめたわけではないから、作者がこれをどういう心境の場面で食されたのか、あの世でご本人かに聞いてみないとわからない。そのことがいいとも悪いとも書かれていない。

                     が、ともかく、そのしじみ汁の味加減は、ふだん好んで食された味付けとは少しちがっていたのだろう。とにかく、このようにして病床に食を味わいながら、和田悟朗逝かれたのである。

                     三島由紀夫が亡くなった時の辞世の歌について、「辞世というのは下手でいいのだ」、と誰かが言ったそうである。というぼんやりした記憶があるのだ。 

                     俳句に入ったころは、忌日俳句とか辞世の句というのは、偽善的な気がしてとても嫌だった。風来二十号に〈ひとときの太古の焔お水取り・悟朗〉というのがあって、私には時期的に「最後の句」として印象づけられている。しかし全句集から外されてしまった。「風来」という俳句グループとの交流の存在そのものが、ほかならぬ俳人和田悟朗の絶筆なのかもしれない。

                     が、「うす味」の句は、厳密いいって「句」ではなく巧拙を超越した呟きである、とうけとめて、そのことを感じ取ればいいのであろう。

                    そのように、俳人の死もただそのように受け止めるほかはない。

                    4】 『シリーズ自句自解Ⅱベス100 和田悟朗』
                                (二〇一五年十月十日・ふらんす堂) 


                     和田悟朗の最後の自作の著書が出た。これが本当に、悟朗自筆の意志のこもった「最後の句集」だろう。

                     自選句集は、すでに、『舎密祭』(平成十五年三月三十一日・梅里書房)があり、以後の『人間律』から全句集ない収録未完句集『疾走』までの、

                     第九句集『人間律』(二〇〇五年・ふらんす堂)
                     第十句集『風車』(二〇一二年・角川書店)
                     第十一句集(二〇一五年・全句集収録未完句集『疾走』)

                     からの抜粋である。

                     和田悟朗については、この自選句集二冊を読めば、何を残したいか、どう読んで欲しいかということがわかる。

                     本体の内容のことは後述するとして、次のことだけを押さえておきたい。
                     
                     《付記》は二〇一五年二月十九日。
                     《私の作句法》については、「体調がすぐれず口述筆記」とある。
                     さらに夫人の添え書きとして、「口述筆記に依る文書の完成をまたずに和田悟朗は逝去、云々。二〇一五年五月二十五日。和田アイ子」とある。
                     『自句自解シリーズ』のこれは 二〇一五年十月十日。

                     例の絶筆が二月十九日と同じ日であるから、刊行予定の全句集以前にすでに、誰だどうかかわったのかということを抜きにして、ご本人の中で自分の死後の自画像が完成しているのである。

                     そういう感慨に浸る俳人としての時間と、「しじみ汁」の味がうすいと感じているその感覚の時間と、それを書き留めた時間(これも、口述であろう)。命絶えるまで、人の心に流れる関心は、幾筋か入り乱れている。

                    その時の「和田悟朗」の意識の位置は私には不明であるが、自句集を仕上げることがその使命感であった。なにか慄然とする。

                     そんなことを、想像しながら和田悟朗の残した言葉を読みほぐしながら、書きながらその作家像を考え私のなかで作り上げて行ってみたい、そんな気がしてきた。




                    「凧と円柱」による認識論  3   竹岡一郎

                    《びーぐる28号(2015.7、発行・澪標)より転載》



                    作者は見る事の疑いから始まり、あらゆる輪郭を疑い、人間も含めた様々な事象を干渉させ合い、溶かし合い、存在しつつ不在であるという認識へと読者を導いてきたのだが、それは決して虚無主義のなせる技ではあるまい。むしろ正しく観ようとすれば、こういう認識の過程は避けられないという事実を、様々に展開していったのだと思われる。その証明として、最後の「7」という章の二句の解析を試みたい。

                    すると地のまぢかに虻の浮び出づ     「Ⅲ」

                    「すると」とは、今まで模索してきた認識の果てに突然、と解する。虻とは、その小さく鋭く激しい翅音が眼目であろう。その翅音が、まだ肉体を持っている作者の、二本の脚で立っている地の間近に浮かぶ。それは啓示のようである。川端茅舎の「花杏受胎告知の翅音びび」を思う。そして、最後の句が現れる。

                    7は今ひらくか波の糸つらなる      「Ⅲ」

                    まず思うのは、次の一節であった。「彼はそこで、すべてを常に七と三とのめでたい数で所有していた高貴な一族が、その紋章である星の光芒の十六の数に負けて、ついに亡び去った遠い昔の遺跡が今も残っているのを見たであろう。」(リルケ「マルテの手記」望月市恵訳、岩波文庫)

                    3が堅固なバランスによる豊饒であるなら、7は不安定なる聖性であろう。古今東西、7は聖性を表わす数字として良く用いられてきた。聖性の抽象化といっても良い。掲句はアラビア数字で表記する事により、より抽象性を高めている。

                    もう一つ思い当たるのが、チベットの死者の書に記される「守護神を溶かす瞑想」である。要約すれば、次のようになる。信仰する守護神を、それが単なる見かけであって存在していないかのように、瞑想する。次に、視覚化された守護神を、先ずはその四肢より溶かし、遂にはその像(イメージ)を溶かし尽くし無くしてしまい、清澄なる虚空の状態、それがなにものであるかとは考えられぬ状態に瞑想者自身を置き、その状態を保持した後に、再び守護神について瞑想し、再び清澄なる光について瞑想する。その二つを交互に行なった後、瞑想者自身の知性を、先に守護神に対して試みたのと同じように四肢から溶かしてゆく。

                    死者の書に試みられるのは、聖性をあたう限り正しく客観的に、まっさらな状態で認識しようとする技法である。掲句もまた、同様な試みではあるまいか。なぜなら、「光」または「虚空」とでも記せば、どうしても意味が付き、思い入れが生じ、つまりは聖性と認識者との間の夾雑物は避けられない。

                    「7」、即ち聖性が「今」、即ち、過去でも未来でもない一点の状態で「開く」、つまり溶け広がり、啓示される。同時に、「波の糸つらなる」という認識が顕われる。全ては「波動でもあり粒子のつながった状態である糸でもあるもの」が連なっている、と認識されている。ここに作者が可能な限り正しく世界を認識しようとした一つの結果を見出すのだ。しかし、作者がこの結果に決して満足していないのは、「か」という疑問に示されていよう。ここで、この句集の冒頭に置かれている句を挙げるなら、

                    いきものは凧からのびてくる糸か      「Ⅰ」

                    この句から「凧」を除外すれば、「いきものはのびてくる糸か」となる。句集の掉尾の句との相違は、糸がまだ「波の糸」とは認識されていない事だ。空に不安定に浮かぶ凧という物体が何を表わすかは、読者によって様々に受け取れるだろう。「凧からのびてくる糸」から出発して、自らをも含めたあらゆる存在の認識を検証し、検証すればするほど朧になってゆく認識に耐えて、掉尾の句に至る。この句集を、私は、あまりに純粋に世界を認識しようとする苦闘と読む。

                    関悦史の句集をひもとくに、それは奇妙な年代記のような渾沌であり、固体性に溢れている。この度の鴇田の句集をひもとくに、それは肉体も場所も年代もみな輪郭を失くし、気体と化しゆき、ついには聖性を希求する。互いに対極に坐すような二つの句集が、三年の時を経て、共に田中裕明賞に並んだのは、この賞から俳壇が変わる兆しのように思う。


                    (了)

                    2015年10月16日金曜日

                    第28号

                    攝津幸彦記念賞募集
                    締切迫る‼
                    詳細
                    締切2015年10月末日!




                  • 10月の更新第2910月30日




                  • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む


                    (10/23更新)秋興帖、第五
                    …もてきまり・木村オサム・仲田陽子・月野ぽぽな・関根誠子
                    ななかまど・真崎一恵・とこうわらび・川嶋ぱんだ

                    (10/16更新)秋興帖、第五…内村恭子・小林かんな・石童庵・陽 美保子・堀田季何・小沢麻結
                    (10/9更新)秋興帖、第四…淺津 大雅・仮屋賢一・大瀬良陽生・神谷波・仲寒蟬
                    (10/2更新)秋興帖、第三…五島高資・山本敏倖・網野月を・岡田由季・音羽紅子
                    (9/25更新)秋興帖、第二…早瀬恵子・曾根 毅・前北かおる・夏木 久
                    (9/18更新)秋興帖、第一…杉山久子・池田澄子・青山茂根


                    【新連載】  いよいよスタート!

                    曾根毅『花修』を読む毎金00:00更新予定) 》読む  
                      …筑紫磐井 》読む

                    曾根毅『花修』を読む インデックス 》読む

                    • #3  行進する世界  小鳥遊栄樹
                    • #4 「この世」の身体によって  『花修』覚書   岡村知昭

                    【同時連載】


                    「芸術から俳句へ」(仮屋、筑紫そして…)
                    その1 …筑紫磐井・仮屋賢一  》読む 


                    「評論・批評・時評とは何か? (堀下、筑紫そして…)



                    およそ日刊「俳句空間」  》読む
                      …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱 … 
                      (10月の執筆者: 依光陽子、佐藤りえ、北川美美…and more  )
                       井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと)  》読む 



                      【鑑賞・時評・エッセイ】


                      【特別連載】  散文篇   「 和田悟朗という謎ー1」 
                      …堀本 吟  》読む
                       【短詩時評 第四話】  鴇田智哉とウルトラセブン 
                      -狙われた俳句と手続きのひみつ- 
                      …柳本々々  》読む 
                      【びーぐる28号より転載】 「凧と円柱」による認識論 その2. 
                      …竹岡一郎  》読む 

                       ■ 朝日俳壇鑑賞 ~登頂回望~ (八十三・八十四)
                      …網野月を  》読む

                      【俳句時評】 徳川夢声『夢声戦中日記』を読むための覚書 
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                               終了いたしました。 》小諸市のサイト
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                              攝津幸彦記念賞募集 詳細
                              締切2015年10月末日!



                              「俳句新空間」第4号発刊!(2015夏)
                              購入ご希望の方はこちら ≫読む


                              豈57号刊行!
                              豈57号のご購入は邑書林まで



                                  筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                  <辞の詩学と詞の詩学>
                                  川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 



                                  筑紫磐井「俳壇観測」連載執筆









                                  特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                                  執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                                  特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                                  執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                                   【時壇】 登頂回望その八十三 ・八十四 /   網野 月を

                                  その八十三(朝日俳壇平成27年9月7日から)
                                                            
                                  ◆一族の最後の一人生身魂 (熊本市)寺崎久美子

                                  長谷川櫂と大串章の共選である。最近はこういう事態も稀な事ではないように思う。また、どの血族、どの姻族までが一族なのか?判然とせずに、一般的には昔よりは狭い範囲にとどまっているように思われる。お盆から秋彼岸にかけて「一族の」こと、親戚関係やその他の類する事柄について考える機会の多い時期である。

                                  ◆ふるさとの手足にもどる盆踊 (茨城県阿見町)鬼形のふゆき

                                  大串章の選である。評には「第一句。帰郷して盆踊を楽しんでいる。「ふるさとの手足」に戻る、と言ったところが巧み。」と記されている。手足がふるさとのそれに戻るということで、体の中も、心の中も慣れ親しんだ、自分を育んだふるさとへ戻って行く感覚を実体験しているのだろう。評にあるように「楽しんでいる」のだ。加えて得も言われぬ安堵感や文字通り手足の伸びた解放感も表現されている。言い回しに何の衒いも無く素直に詠んでいて技巧張らないところが秀れている。

                                  ◆ぐちやぐちやの西瓜が拍手されてゐる (東京都)竹内宗一郎
                                  稲畑汀子の選である。評には「二句目。西瓜割の競技であろうか。見事に命中して割れた姿に沸いた拍手。」と記されている。頓智の利いた句意である。本来は西瓜の色艶や大きさ、重さなどが推奨されるところだが、「ぐちやぐちや」の状態が、周囲の人たちの拍手を呼んだのだ。常識を逆手に取っているのだ。それでいて言い回しには逆説が無くて、むしろ肯定表現していて、その点も意表を突いているようだ。

                                  ◆老いるとは考へること桐一葉 (いわき市)坂本玄々

                                  金子兜太の選である。上五中七の「老いるとは考へること」は作者独自の箴言であって、何を言うこともないのだが、座五の季題「桐一葉」で全体の句意を受容している点が巧みなのである。秋の季題であり、衰亡の象徴とされる。掲句の場合、枯渇して行く季節ではなくて実りの季節を強調している。

                                  その八十四(朝日俳壇平成27年9月13日から)
                                                             
                                  ◆想ひ切り秋のほほずり富士裾野 (栃木県野木町)小林たけし

                                  金子兜太と長谷川櫂の共選である。長谷川櫂の評には「一席。なお火照る山肌に秋が頬ずりしている。秋風が吹きわたるとも、草木が色づいてゆくともとっていい。富士山の秋満喫。」と記されている。「秋」が主語として捉えられるだろうか。「秋のほほずり」を作者自身が受けているのか?「富士裾野」が受けているのか?は、両の読みが出来るかもしれない。十中八九は後者であろう。評もその前提である。

                                  ◆原爆忌アメリカ終に謝らず (前橋市)荻原葉月

                                  金子兜太の選である。評には「十句目荻原氏。とにかく、さっさと廃棄してください。」と記されている。戦勝国の指導者にも戦争責任を問うことによって、最大の抑止力になると思われるのだ。一般市民へ向けての大量殺戮兵器を使用した政治・軍事指導者へ責任を問うことはその使用の抑止力になる。評では「原爆」そのものの廃棄に言及している。「終に」であってよいのであろうか。七十年経っても謝罪を引き出す努力を続けるべきであろう。すくなくともそう考えている人間がいることを表明し続けることが必要である。

                                  ◆そこここにガラスの欠片夏去りぬ (刈谷市)石川春子
                                  長谷川櫂の選である。評には「二席。木もれ日のように散らばる、偉大な夏の残骸。」と記されている。実際に「ガラスの欠片」が散らばっていたら危険な状況である。むろん海浜では心無い海水浴客などによって持ち帰られないゴミが山積みになっていることがある。掲句の「ガラスの欠片」は比喩であろう。具象を提示しながら心象を描くのは難しい。掲句の場合、百パーセントに近い成功を収めているようだ。

                                  ◆飛ぶといふよりぶつかつて鳴く老の蟬 (静岡市)西川裕通

                                  長谷川櫂の選である。蝉が何か障壁物へ「ぶつかつて」行く現象である。マンションの壁やガラス質のものへである。昨今は蝉だけでなくてマグロなども水槽のガラス壁へぶつかってゆくようである。上五中七の表現が座五の「老の蟬」を遺憾無く表現している。

                                   【短詩時評 第四話】鴇田智哉とウルトラセブン-狙われた俳句と手続きのひみつ-  /柳本々々



                                  ウルトラセブンの闇の高島平かな  関悦史
                                    (『六十億本の回転する曲がつた棒』邑書林、2011年)

                                  抽象絵画ならぬ抽象俳句。
                                  鴇田智哉の口から「抽象」という語が出たとき、「二階のことば」という言い方を思い出した。



                                  ときどきハヤタはふしぎな気持になるのだった。ウルトラマンに変身するしゅんかんには気をうしなってしまうので、自分がどのようにしてウルトラマンに変身していくのか、かいもくわからないのだった。  
                                  (金城哲夫『怪獣絵物語ウルトラマン』ノーベル書房、1967年(引用元は、切通理作『怪獣使いと少年』))

                                  創作行為もしくは表現行為は絶えざるオリジナリティの消去であって、逆に、更新されたオリジナリティの創造、と言っていいだろう。……結局のところ、オリジナリティの共有からではなくて不在からこそ新しい創作行為が発現してくるものかもしれない。
                                    (古田島伸知「不在の豹 リルケの詩とボルヘスの詩」『ワセダ・ブレッター』2005年12月) 

                                  先週の『俳句新空間』に掲載されていた「「凧と円柱」による認識論1」(》読む)という記事のなかで竹岡一郎さんが鴇田智哉さんの俳句には「自らの視覚による認識への懐疑」があると指摘されていました。ここからちょっと今回は始めてみたいと思うのです。

                                  去年、新宿紀伊國屋のSSTのイヴェントで、榮猿丸さん、関悦史さん、鴇田智哉さんのクロストークを拝聴していたときに関さんが(わたしの記憶がたしかならば)「鴇田さんの俳句は、一回抽象をとおしたあとで具体物におりてくる」と話されていて、それがとても腑に落ちたというか印象的だったんですね。

                                  つまり、わたしの言葉でいいかえるならば、〈ふつうの・すなおな認識〉を鴇田さんの俳句はしていないわけです。竹岡さんが指摘されたようなみずからの〈懐疑〉が認識への〈屈折=屈光〉となって、関さんが指摘されたような〈抽象→具体〉という手続きをうんでいる。で、もしかするとその屈折・手続き・迂回そのものを、プロセスそのものを〈そのまま〉に句にしているのが鴇田さんの俳句なのかなあとも思うんです。

                                  それがとても印象的に出ているのがこの句なんじゃないかと思うんです。

                                  7は今ひらくか波の糸つらなる  鴇田智哉
                                    (『凧と円柱』ふらんす堂、2014年)

                                  で、ですね。もうひとつの去年の鴇田さんの下北沢でのイヴェント(青木亮人さん、鴇田智哉さん、田島健一さん、宮本佳世乃さんの鼎談)で、鴇田さんの俳句は初心者がとつぜんみるとまったくわからないのではないか、或いはぶっとんだ認識をむしろおもしろがるひとがいるのではないかというお話が出ていました。それもとても印象深かったんですが、なぜ初心者がみてまったくわからないのか。それをもし私なりに考えてみるとするならば、そこにはやはり、抽象と具体が同時に存在しているからなんじゃないかとおもうんです。

                                  「7」というのは抽象的な概念です。あくまで数字なのでもともと無いものを数字という概念として使用している。0なんかもそうですよね。「7個」とか「7人」は具体物なんですが「7」はあくまで抽象的な数字なわけです。

                                  ところがこの「7」が「ひらく」わけです。「波」という具体形容をともなって。で、「今~か」とあるので、〈実況的〉に抽象が具体へとひらいていくプロセスそのものが句になっている。プラトンと手をつないだかと思うと、とつぜんプラトンをその手でつきとばすような、抽象→具体の手続きがそのまま句になっている。

                                  鴇田さんの俳句は〈意味〉ではないわけです。これは〈手続き〉だと思うんです。だから関さんがその〈手続き〉を〈手続き〉として説明されたときにわたしは腑に落ちたと思うんです。

                                  短詩型というのは、おそらくなんだけれども、基本的には、〈これどういう意味なんだろう〉から始まると思うんですね。〈これどういう手続きなんだろう〉とは問わない。

                                  でも、問いかけるひともいる。それは、だれか。表現者です。作り手/語り手の側です。作る・語る・詠むことをふだんしているので、〈これどういう手続きなんだろう〉と句に問いかける。

                                  読み手に徹するならば〈これどういう意味なんだろう〉なんだけれども、作り手でもあるのならば〈これどういう手続きなんだろう〉と短詩型につねに問いかけてもいるはずです。だから、下北沢のトークで鴇田さんの句集の受容の好評さ(ある意味では「教祖的」なまでに)が話題になっていましたが、わたしはそういうところが一因としてあるのではないかとも思うんです。〈これどういう手続きなんだろう〉と鴇田さんの〈俳句〉に問いかけたときに答えてくれる。つまり、《その問いかけじたいがこの句そのものなんですよ》、と。

                                  ここで少しウルトラセブン(TBS系 1967年10月1日~1968年9月8日・全49話)の話をします。ウルトラセブンの変身の手続きのありかたは、ウルトラマンの変身の手続きのありかたとちょっと違うんです。ウルトラアイの話ではありません。ウルトラマンがハヤタ隊員に、ウルトラセブンがモロボシ・ダンに、《どう》地球人化するかという話です。

                                  切通理作さんがこんな指摘をされています。

                                  ダンは、ハヤタのようなウルトラマンの容れ物ではない。地球人のふりをしているウルトラセブン自身なのだ。しかし、そのことでダンにはハヤタにはなかった内面が生じてしまった。そして『ウルトラセブン』は、二つの世界の間に引き裂かれた一人の人間に、その存在理由を問いかけていくドラマになっていった。 
                                    (切通理作「金城哲夫 永遠の境界人」『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』宝島社文庫、2000年、p.81)

                                  ウルトラマンとハヤタ隊員は別物でした。宇宙人と人間という完全に分離した、分業制だった。だからそこには葛藤がなく、難民のバルタン星人も殺戮することができた。でもウルトラセブンはちがう。そこにはセブンとモロボシ・ダンのあいだでつねに連絡路があった。宇宙人でもありかつ地球人でもあること。それがセブンの葛藤であり、〈内面〉だったのです。

                                  本質主義的な〈内面〉があるとは思いません。でも、なにかとなにかのかたちに引き裂かれたときにそこにはつねに〈手続き〉としての、その手続きによる〈葛藤〉としての〈内面〉はあるかもしれないなとも思うんです。鴇田さんの句が抽象と具体の手続きのもと、ウルトラセブンのように同時存在であるような。

                                  だからこんな言い方は間違っているかもしれないけれど、もしかしたら鴇田さんの句は〈俳句的内面〉を描いているんじゃないかとも、思うんです。〈俳句的内面〉とは、〈俳句の手続き〉であり、〈俳句の連絡路〉のようなものです。俳句が俳句化するその〈変身〉の瞬間そのものです。

                                  もちろん〈俳句的内面〉というのは、かつて西原天気さんが鴇田さんの句を評して「抽象の景色」、いわば〈零度の地平〉と言われたように、どこにもないものです(西原天気「抽象の景色 鴇田智哉『凧と円柱』イベントのメモ」前掲)。メトロン星人がかつてモロボシ・ダンに述べたように、この世界には〈手続き〉や〈連絡路〉があるだけであり、対象化すべき敵や内面はどこにもないのです。

                                  どこにもないのだけれども、でもそこに〈俳句〉があらわれてしまったということ。対象化すべきものを持たない、手続きとしての句が現れたこと。そこに考えるべき〈俳句的事件〉があるように思うのです。

                                  モロボシ・ダン、いやウルトラセブン。我々にとって君を倒すことは問題でない。
                                    (ウルトラセブン第8話「狙われた街」(1967/11/19)よりメトロン星人の発言)

                                  空家(まほろば)にゐるのでせうか端座して  小津夜景
                                    (『出アバラヤ記』)

                                  【特別連載】  散文篇  「 和田悟朗という謎ー1」   /  堀本 吟



                                  ★ 敬称のつけ方、略し方。

                                    先生とくんちゃんさんし暖かし 吟 


                                   「和田悟朗先生」と「津田清子さん」をそのように呼ばねばならない現実的な関係は一応終わったような気がする。お亡くなりになって半年を超えたまたそれに近くなったが、心の中での哀惜や敬意はますます強くなってゆく。しかし、けっきょくどのような作品世界に生きた人たちだったのか、ということへの関心が高まり、全ての人に平等に残された句や文章などから、読み込んでゆく作業以外に、追悼の気持ちは活かせない。かりに自分の場合だってそうなるだろう、と思う。さんざん思いあぐねて気が済んだので、以後本文では、敬称を略させていただく。



                                  1】 和田悟朗追悼シンポジウム現俳協関西青年部主催《HAIKU sparks kANSAI》



                                   過日、現代俳句協会関西支部の青年部の勉強会で、和田悟朗追善のシンポジウムがおこなわれた。いずれ詳しい報告は出るはずなので、また、内容の細かなところを忘れてしまったので、あまり正確に記することができないが、忘れぬうちに寸感だけでも書いておく。 
                                   
                                  現俳協関西青年部主催《HAIKU sparks kANSAI》

                                   二〇一五年八月九日・ 神戸三宮 サンセンタープラザ。
                                    〈総合司会―三木基史〉。
                                    〈基調報告―野口裕〉。
                                    〈パネラー ―曾根毅、岡村知昭、仮屋賢一〉。

                                  (なおテキストは、刊行されたばかりの『和田悟朗全句集』、久保純夫 藤川游子編著。2015年6月刊行・飯塚書店)。個性的な人たちのユニークで清新な報告だった。

                                   全著作を解説していった野口裕は私よりは若いが、すでに中年熟年であり青年とは言えない。和田悟朗とともに運営してきた「もとの会」の司会と句会報の発行者であった。

                                   岡村知昭、曾根毅は四十代の青年部員、関西の俳句の新進であり故人と面識がある。最年少は仮屋賢一は二十三歳の理工系の大学院生。句集によって初めて知ったという。岡村も曾根も故人とは多少の面識がるが、仮屋賢一のみは、この句集で初めて読んだ、というまったく初体験の二十三歳の大学院生である。 

                                   他の人たちを差し置くようだが、今回はこの青年の発言が一番あとまで響いていた。

                                   といっても内容はほとんど忘れている。だいたい、彼はレジュメも作ってきていない。しかし、それもふくめて物怖じしたところがない。自分のその時の感性が捉えたものを、素早く構成して壇上でしゃべっている。知らないことが一番大きな武器であるような幸せな時期に和田悟朗と出会ったことが、幸せだったと将来思って欲しいものである。

                                   科学者であった故人は、俳句とは全く関係ない教育雑誌に文章をよせていることもあり、そういう文章を紹介してくる着想もなかなか才気がある。俳句界をとびだしてみることが、大事である。俳句の縁は特権的な俳句空間にだけではない。どこにでも生じうる。

                                   彼は、悟朗お得意の科学用語を取り込んだ句をとりあげた。


                                    死ぬときは水素結合ゆるむなり 『疾走』・・・ 『和田悟朗全句集 』 P050
                                     
                                   について、エントロピー的増大というはやりの科学用語で、死の考え方にはいろいろいろあることを指摘してゆくあたり、聴衆の意表をついていて面白かった。

                                   が、そこまでなら、当今はやっている言葉で、現在流通している時代感覚と結びつけたことでおわるだろう。

                                   私の知る和田悟朗は、観念力や知性の大事さを知っているとともに、経験を大事にした人である。科学者としても生活者としても思考のあとには案外経験の残滓が感じとられる。読者がそれを酌み上げるときにはやはり、それぞれの人生や人性への向かい方やその相対化の方法が決め手になる。経験の内面化と、俳句とは何かという思索を経てきている言葉は、ホトトギス系とはちがうみいつじで平明化に向かってはいるが、そう単純なできあがりではなく、したがって単純には読みほぐせない。




                                   「水素結合」でいえば、私が覚えている俳句がもうひとつある。

                                    蛋白質アミノ酸水素結合、よくやった  悟朗 
                                  『疾走以後』(『・・全句集』p508)

                                   これは、今回全句集で読んだもので、初出は記入されていないが時期的に最晩年のものだろう。
                                  句読点のところで、もう十七音になってしまい、取ってつけたように「よくやった」とある。なかなかの問題作だと思う。二つの次元のドラマが、交錯する。五/五/七/五の音数の並び方であるために、定型感はむしろリズミカルである。

                                   生化学的には、蛋白質を立体的に作り上げるためにも水素分子の働きが大きい、と私にはその程度しかわからないが、ともかく水のさらに細かい分子のミクロの世界での重要なはたらきによって生命が支えられている、というドラマと、これが人間の死の心といかに関わってくるという次元のドラマ・・和田悟朗の俳句が伝えているのは、そういうものである。すると、この「よくやった」という、掛け声は言い方は随分大きく広くなるのだ。この句の場合、死を予感している人が、研究者時代の実験を回想して、「昔はよくこういう実験をあkもしないでよくやったなあ」と懐しんでいるともとれる。実験の成功の結果全体によくやったとねぎっらている。という平凡なよさを味わうことができる。

                                   その時同時に、作者は、生命誕生の機微に触れるというドラマティックなところに感動しているのである。感情移入もここまでくると佳境に入っている。いろんな場面が立ち上がる。

                                   この時期の生活はほとんどベッドや車椅子だから、身体感覚や五感のよく動く部分に触れてくるものがおおい。

                                   同時に、このいいっぱなし、つぶやき、回想的雰囲気がつきまとうこと、それを盛り込むのはキチンとした五七五ではなく、字余り、自由律、にむかっている。スタイルにも発想にも作為がだんだんなくなり、このようにして彼は生命体としての終わりを迎えたのである。


                                   こういう晩年の傾向を、いいとか悪いとか品定めをしたり篩にかけたりするのではなく、こういうふうに終わった和田悟朗が、やっぱり型破りに悟朗をとらえようとする世代の人の中に浸透しなければならないのである。


                                   いずれも、過度の思い入れがなく、思い入れのある(ありすぎる)身にとっては、却って聞きやすかった。意表をついた人選のパネリングであったが、反面、聴衆の方がかしこまっていて、意表をついた質問はなかった、というのが正直な感想。企画のさしあたっての成功とも言える。

                                   これに懲りずに青年部はもっと跳ね上がって、どんどん和田悟朗その人の先達の業績に食い込んでください。

                                   
                                   「和田悟朗」の最晩年は、自分の方向のとりかたで、ベクトルが分裂して、大きな迷いの生じた時期だったのではないだろうか?というのが私の漠然とした思いである。しかしそれもまた、「ゴロウ先生」の表現姿勢の帰結である。そして、私たちはどういう形で悟朗追悼を完遂すればいいのだろうか?という自問が残されてくる。

                                   あとからの懇親会では、「もっと思い出話を、また「和田さんがどの句をどういうふうに評され添削されたかと知りたかった」、という人もいて(なるほ ど、と私はその気持ちがわかったがそれはまた適任者がいるだろう)、先人を追うこともそれぞれの意味合いが違うことを感じた日でもあった。追善の学習会という設定であるから、少々硬くなっても基本的なことは述べられていたから、和田悟朗理解はこのように始まった。


                                  2】 『和田悟朗全句集』への雑感と絶筆への感慨

                                   それは、それとして、



                                   刊行されたばかりの『和田悟朗全句集』(二〇一五年六月飯塚書店)。(久保純夫、藤川游子編著)とある。栞は、寺井谷子、大井恒行、妹尾健、橋本輝久、高岡修。四ッ谷龍。

                                   栞メンバーが、作家を敬愛した人たちであることはよくわかる、が、パネラーメンバーと栞の執筆者とは、キャラクターが大分違う、そこが面白い。最初の読者を旧世代のメンバーでまとめるならば、私は外側から入っていった者であるからそういう大それたことは言わないが、従来のもっともしたしかった「白燕」からのメンバーや「風来」メンバーのひとりふたりが何らかの形で関与したほうがよかったかとも思う。

                                   それから、多少気になったのは、収録作品群には、「風来」最後の20号記念号に載った「新作十句」はここに入っていない、また詳しくあたる暇がないが、今年はじめの「俳句界」三月号に出た二十一句も顧慮されていない、と野口裕が会場で指摘した。一部は「風来」二〇号に新作十句として掲載されている。早く出そうとして間に合わなかったのだろうし、とくに強い批判で言っているのではないのだが、私には、全句集を読んだ時の一抹の不全感がそのようにあとを曳く。

                                   ともかく、しかし、ここには、十二冊の句集、と句集以後しにいたるまでの悟朗がなした俳句の大半の作品が収められている。後世にとってはたいそう便利だ。

                                  現実には、刊行されているのは第十一句集までなのだが、この『疾走』四百余句(平成二十三年初頭から最新平成二十六年まで)を第十二句集としている。その未完句集以後のものを《『疾走』以後》とあり三十句の収録されている。

                                    年表は二十号巻末のものから取られているが、私の好きな最晩年のもの、和田悟朗が獲得した型であるがしみじみとしたこの句は全句集には収録されていない。

                                   久保、藤川お二人でやってくださったのはたいへんご苦労な大事業である。真心こもった編集ぶり、索引の充実ぶりを評価したい。

                                   しかし、そういう欠落もある、ということを頭において我々はこれを読んでゆけばいいと思う。 
                                   それから、これは、当日の方々には責任をあすけることができない私だけの感慨なのであるが、私にある苦い寂しさは、攝津幸彦を追慕して読み込んだときのやわらかな感興とは、やや違うような気もするが、謙虚にこのことを踏まえ、父のような暖かさを持つ作家のそれだけではない「戦後俳人の屈折」を読んでゆこうと思っている。  



                                     絶筆  平成二十九年二月十九日。

                                    薄味の東海道の海しじみ汁  悟朗   

                                   逝去が二月二十三日なので、最後に発見されたメモ書きなのだろう。これが、久保,藤川両氏の見た悟朗最後の句であると思うと、私には、またそれなりの感慨がある。

                                   これは、どう言う取り方したらいい俳句なのだろう。

                                   「薄味のしじみ汁」と、字余りの「東海道の海」がどういうつながりを持つ配合だったのかは不明で、これから完成されようとする未完成の、いはば「俳句」になる途中のものではないか。あるいは形式としては、自由律俳句と考えたらいい。

                                  「薄味の」感覚は濃口の料理よりも和田悟朗にふさわしい。しかし、もっと言葉になろうとして隠し味を入れようとしていたかもしれない。こういう途中を書きとどめたのだろう。 

                                   また、私のプリンシプルに照らせば字余りなどはそう悪いことではない。ただ、自覚的に定型を崩さす、俳句が叙情的にながれることを退けてきたはずの和田悟朗が、最後の句をこういうかたちで締めくくったことに感慨を持つ。「絶筆」がこういう形ででてきたとは。この「東海道の海」はあるいはこれで完成されているとしたら、しじみ汁を食しながら、東海道の海の塩味はうすいなあ、しみじみと味わっている、という妙に平安なのんびりした、あるいは永田耕衣晩年のような禅的解脱した感もある。まあ、それも「ゴロウ先生」らしいところである。

                                   あるいは、ここは「東海道の夢」の言い違いかもしれない、と勝手なことを考える。
                                   というのは、

                                  夢として東海道の吾亦紅 悟朗

                                   がその少し前にあり、 また、最新作には、

                                    虹立ちぬ少年で青年で成人でありしかな 悟朗『疾走』《Ⅴ 炭酸水》

                                    蛋白質アミノ酸水素結合、よくやった 悟朗 『疾走以後』(『・・全句集』p0508)

                                   など大幅な字余りの句がある。すでに、作者は、「薄味の東海道の海しじみ汁」とつぶやいて、東京と生駒を往還した時期の記が明滅している夢のような季節を反芻している、省略したり言い回しをこねたりする気力の減退、構成を考える気力が弱ってきたとも思える。いやそういう作為の意味がなくなったのかもしれない。ここはまず、東海道の海近くでとれた「薄味」の「しじみ汁」を飲んだつもりになるのがいい。

                                   人生の晩年に発する言葉には一字一句に至るまでイミのないことはないともいえるし、それがどうした、と言われそうで、そこにあんまり強い意味をあたえても仕方がない、とも言える。

                                   その句ができるときには、我々の立ち入れないその人の固有の時間が走馬灯のように廻っているからである。 

                                    多時間の林を抜けて春の海 悟朗 


                                  『人間律』(平成十七年八月・ふらんす堂)・『全句集』 p443 
                                   
                                   この句の理解もまた一筋縄ではゆかぬのだが、しじみ汁を飲んでいる和田悟朗が、小津いう時間の世界にいたのだおるかと考え始めたら、よがあけてしまいそうである。

                                  それぞれに固有の時間があるというふしぎ・・。ひとりの人間自体にも、一律でははかれない流れがありそうだ。さて、『和田悟朗全句集』を読むとはどういうことなのだろうか?




                                  「凧と円柱」による認識論  2    竹岡一郎

                                  《びーぐる28号(2015.7、発行・澪標)より転載》



                                    或る夜の守宮と影をかさねたる        「Ⅰ」 
                                  菜の花と合はさるやうに擦れちがふ      「Ⅱ」 
                                  あふむけに泳げばうすれはじめたる      「Ⅰ」

                                  守宮とも菜の花とも重なり合わさる体は、例えば空という果ての無いものを仰ぎつつ泳げば、いとも簡単に拡散し、薄れ始める。これは他の人々を見る時も同様である。


                                  おぼろなる襞が子供のかほへ入る      「Ⅰ」 
                                  さはやかに人のかたちにくり抜かる     「Ⅲ」 
                                  輪郭がとんで石灰山にひと         「Ⅲ」

                                  うねっている場の雰囲気は、襞として子供の顔に入る。秋の涼しさに人は、赤外線スコープで見た時に体温の塊でしかないように、形だけがくり抜かれる。白い石灰の山に有れば簡単に輪郭が飛んでしまう。

                                  そうなると、次の句群は、当たり前の事が、まるで奇跡的な一時的なものであるかのように認識されていることになる。

                                  春風の止んであたまが上にある        「Ⅲ」 
                                  コスモスに触れてゐる間は部屋がある     「Ⅲ」

                                  頭が上に有る事、部屋がある事、これは当たり前のことだ。だが、再び風が吹けば、頭が上に有るかどうか、コスモスから身を放したら部屋は存続するのかどうか。

                                  己が体も、体を囲む外界も、ぼんやりと輪郭の無いものへと変化してゆく感覚。しかし、句集を読む限り、そこには苦痛も恐怖も無い。敢えて一句挙げるなら、ここに咳の句がある。

                                  あかるみに鳥の貌ある咳のあと        「Ⅰ」

                                  放哉の「咳をしても一人」とは対極にあるように見える。それでも咳とは体にとって一種苦痛であって、人が苦痛によって体の機能を再認識するのであれば、咳は己が呼吸を認識させる。呼吸する体を認識した後に、明るみの鳥の貌を認識する。

                                  ここは何処だらうか海苔が干してある     「Ⅰ」
                                  この奇妙に明るい、懐かしい喪失感。海苔が干してあるのは、恐らく世界の果てで、しかし、懐かしい。いや、世界なんてものがあるのかどうか、そもそも疑わしい。分っているのは海苔が干してある事だけだ。「海苔干す」という春の季語から、俳人は春の明るい浜辺を想像するのだが、それは季語という猶予が仮に与えられ、その猶予に縋って読みたくなるだけのことだ。実景には、浜辺も陽光も無いのではないかという不穏が隠されている。

                                  たてものの消えて見学団が来る        「Ⅱ」

                                  これはいわき市吟行の句である。かつて「いわきへ」なる合同句集に、この句を見た。見学団は建物の流された後を見に来たのだが、ここに醸される荒涼とした明るさは何であろうか。戦時中、「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」と、太宰治は「右大臣実朝」に書いた。その太宰の観じた明るさと同様のものを感じる。(そういう匂いのアカルサは、そもそもこの句集の最初から繰り返し綴られている。)

                                  鳴りわたる時報に葛のはびこれり     「Ⅱ」 
                                  終りめく数字が月の電柱に        「Ⅱ」
                                  時報が何のために鳴るのかわからなく思えてくるのは、葛が傍若無人にはびこっているからだ。月下の電柱に有るのは只の数字だが、それが終末へのカウントダウンを表わしているように思えてくる。それら世界の崩壊を匂わせる雰囲気に対して、圧倒的に傍観者である作者である。

                                  上着きてゐても木の葉のあふれ出す    「Ⅲ」 
                                  うぐひすを滑らかなるはヘルメット    「Ⅲ」
                                  このような穏やかであると同時に吹っ飛んだ叙情性は、一旦、己が体も含めた世界の輪郭を疑い切った後に、生まれて来るものだろう。認識のずれ、それはこれらのたった一字の助詞のずらし方(一句目の「も」、二句目の「を」)から見られるように、実に僅かな角度のずれなのだ。この二句において、ずれは存在の位置関係だけに留まらず、存在するものの構造自体に及んでいる。人間は日常においては、角度の微調整を絶えず無意識に行う事によって、認識の断絶を何とか回避しているのかもしれぬ。だから、その微調整を敢えて外すことが、遂には自らの存在を追いつめてしまう事は、次の掲句に表わされるように、作者にも良く分かっている筈だ。

                                  霧のマンホールに乗つてゐてひとり    「Ⅲ」
                                  マンホールと「ひとり」以外は全て霧なのだ。霧が晴れるまで、其処から動けない。動けば、霧の深淵に落ちるかもしれず、或いは自分が霧と化すかもしれぬ。

                                  断面があらはれてきて冬に入る      「Ⅲ」 
                                  靴ふたつその上にたちあがる冬      「Ⅲ」 
                                  シーソーを冬の装置としてをがむ     「Ⅲ」
                                  この孤独な、危うい釣り合いの上に立っている三句が、いずれも「冬」の句である事には理由があるだろう。「存在の寒さ」或いは「輪郭の揺らぐ世界の厳しい面」を「冬」に託しているなら、シーソーを拝む作者の姿は切実である。シーソーは物体のシーソーというよりは二元論的な釣り合いである。

                                  ここで句集の終わりも近く、或る激しさを覗かせる句を挙げよう。激しさといっても、作者の性格上、真綿でくるんだような刃であるが、現実という甚だ頼りない認識が破綻を生じた瞬間、とでも言おうか。

                                  絵がひらたく剝がれ吹雪の谷へ入る    「Ⅲ」

                                  剝がれるのが積雪の破綻であるなら、絵と吹雪の谷は「剝がれ」において同一化する。吹雪の谷が剝がれるのが雪崩の相であるなら、絵は雪崩の如く剝がれ、吹雪の谷はやがて雪崩を起すであろう。

                                  うすぐらいバスは鯨を食べにゆく     「Ⅲ」

                                  薄暗いバスの中がまるで鯨の体内に呑まれたようであれば、バスと鯨は同一化する。バスが鯨を食べる理由を考えれば、食べる、とは同一化の暗喩であるか。

                                  虹あとの通路めまぐるしく変る      「Ⅲ」

                                  虹の仕組みが浮遊する水滴の反射であるなら、「めまぐるしく」とは反射の暗喩であり、通路は、消えた虹の仕組みを引き継いで虹と同一化する。

                                  ゐるはずの人の名前に秋が来る      「Ⅲ」

                                  体や顔や声ではなく、名前という言霊でしか、他者に認識され得ない人間は、もしかすると霊だけではないのか。秋が滅びの始まりの異名であるなら、ここにおいて肉体による認識は滅びはじめるのか。


                                  (続く)

                                  2015年10月2日金曜日

                                  第27号

                                  攝津幸彦記念賞募集
                                  いよいよ当月締切‼
                                  詳細
                                  締切2015年10月末日!
                                • 10月の更新第2810月16日第2910月30日




                                • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む

                                  (10/9更新)秋興帖、第四
                                  …淺津 大雅・仮屋賢一・大瀬良陽生・神谷波・仲寒蟬

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                                  (9/25更新)秋興帖、第二…早瀬恵子・曾根 毅・前北かおる・夏木 久
                                  (9/18更新)秋興帖、第一…杉山久子・池田澄子・青山茂根


                                  【新連載】

                                  曾根毅『花修』を読む (長期連載開始‼)

                                    …筑紫磐井 》読む

                                  【同時連載】


                                  「芸術から俳句へ」(仮屋、筑紫そして…)
                                  その1 …筑紫磐井・仮屋賢一  》読む 


                                  「評論・批評・時評とは何か? (堀下、筑紫そして…)



                                  およそ日刊「俳句空間」  》読む
                                    …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱 … 
                                    (9月の執筆者: 大塚凱、依光陽子、…and more  )
                                     井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと)  》読む 



                                    【鑑賞・時評・エッセイ】
                                    【びーぐる28号より転載】 「凧と円柱」による認識論 その1. 
                                    …竹岡一郎  》読む 

                                     【短詩時評】 伊舎堂仁のオールナイトニッポン(語) 
                                    -尺度はシステムの外にある-
                                    …柳本々々  》読む 

                                    【俳句時評】 徳川夢声『夢声戦中日記』を読むための覚書
                                    …堀下翔  》読む 

                                     ■ 朝日俳壇鑑賞 ~登頂回望~ (八十三)
                                    …網野月を  》読む
                                    リンク de 詩客 短歌時評   》読む
                                    ・リンク de 詩客 俳句時評   》読む
                                    ・リンク de 詩客 自由詩時評   》読む 





                                        【アーカイブコーナー】

                                        赤い新撰御中虫と西村麒麟 》読む

                                        週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会再読する 》読む



                                            あとがき  読む

                                            ●俳句の林間学校 「第7回 こもろ・日盛俳句祭」
                                             終了いたしました。 》小諸市のサイト
                                            シンポジウム・レポート「字余り・字足らず」   … 仲栄司 》読む 
                                            小諸の思い出2015  北川美美  》読む 



                                            攝津幸彦記念賞募集 詳細
                                            締切2015年10月末日!



                                            「俳句新空間」第4号発刊!(2015夏)
                                            購入ご希望の方はこちら ≫読む


                                            豈57号刊行!
                                            豈57号のご購入は邑書林まで



                                                筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                                <辞の詩学と詞の詩学>
                                                川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 



                                                筑紫磐井「俳壇観測」連載執筆









                                                特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                                                執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                                                特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                                                執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘