2015年9月18日金曜日

第26号

平成27年9月関東・東北豪雨により被災された皆様にお見舞いを申し上げます。

攝津幸彦記念賞募集
詳細
締切2015年10月末日!


  • 10月の更新第27号10月2第2810月16日第2910月30日




  • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む

    (9/25更新)秋興帖、第二
    …早瀬恵子・曾根 毅・前北かおる・夏木 久

    (9/18更新)秋興帖、第一…杉山久子・池田澄子・青山茂根


    【好評連載】


    「評論・批評・時評とは何か? 
    その12 …筑紫磐井   》読む
    ・今までの掲載
    (筑紫×堀下書簡)


      ブログではない紙媒体誌俳句新空間を読む… 》読む
        およそ日刊「俳句空間」  》読む
          …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱 … 
          (9月の執筆者: 大塚凱、依光陽子、…and more  )
           大井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと)  》読む 



          【鑑賞・時評・エッセイ】 


           【短詩時評】小池正博と綱のつけられない動物(的比喩)たち -はじめにもなかがあった、もなかは神と共にあった、もなかは神であった- 
          …柳本々々  》読む 
           ■ 朝日俳壇鑑賞 ~登頂回望~ (八十二)
          網野月を  》読む 

          ■ 1972年の松尾あつゆきの覚悟
          … 堀下翔   》読む

          俳句評 俳句を見ました(4) 
          …鈴木一平 》読む 

           短歌評 歌と句の間に
          … 依光陽子 》読む


          リンク de 詩客 短歌時評   》読む
          ・リンク de 詩客 俳句時評   》読む
          ・リンク de 詩客 自由詩時評   》読む 





              【アーカイブコーナー】

              赤い新撰御中虫と西村麒麟 》読む

              週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会再読する 》読む



                  あとがき  読む

                  ●俳句の林間学校 「第7回 こもろ・日盛俳句祭」
                   終了いたしました。 》小諸市のサイト
                  シンポジウム・レポート「字余り・字足らず」   … 仲栄司 》読む 
                  小諸の思い出2015  北川美美  》読む 



                  攝津幸彦記念賞募集 詳細
                  締切2015年10月末日!



                  「俳句新空間」第4号発刊!(2015夏)
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                  豈57号のご購入は邑書林まで



                      筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                      <辞の詩学と詞の詩学>
                      川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 



                      筑紫磐井「俳壇観測」連載執筆









                      特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                      執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                      特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                      執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                      第26号 あとがき


                      台風第18号(平成27年9月関東・東北豪雨)により被災された皆さまにお見舞いを申し上げます。

                      被害の深刻な状況がニュースで伝わってきます。現在の北川の住まいが栃木県に隣接する群馬県桐生市であることから数名の方からお見舞いのご連絡をいただきました。ご心配いただき恐縮です。(北川の地域では被害も無く無事です。)

                      また首都圏では震度5の地震が発生、阿蘇山噴火などなど、火山噴火、地震、落雷、大雨と自然災害がそこまで迫ってきているような状況です。 いくつかのweb情報をピックアップしてみました。






                      今年は、地元のオオカミ信仰の山に登頂することが目的で、プチ登山(登山とはいえませんが)をはじめました。登山の装備や食事は防災に役立つことが多々あり、もろもろ目から鱗の連続です。 初心者のあまり、お披露目できるような情報がまだないのですが、そのうちお役にたてそうなことを書ければと思います。 (それよりも携帯電話が近々サポート終了になるのでそれを変更しなければ…。)



                      さて第26号を無事更新。今号より秋興帖を開始いたしました。
                      第一は、杉山久子さん、池田澄子さん、青山茂根さんです。 
                      また、「およそ日刊俳句新空間」では大塚凱さん、依光陽子さんが執筆中です。 
                      毎号、柳本々々さん、網野月をさんにご寄稿いただいております。ご尽力にお礼申し上げます。


                      (北川美美記)

                      評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・その12…筑紫磐井



                      筑紫:この作品(「鬼」)は私が花尻氏に依頼したものですが、花尻氏に依頼した趣旨は、詩(自由詩と言う形式)と定型詩である短歌・俳句は違うものであるという既成概念を、むしろ混乱させることを期待したものです。同時連載した他の2人(小津、竹岡氏)には、花尻氏の後行作品であることもありこうした依頼はしませんでした。花尻氏の作品を見た上で、その評価も兼ねてお二人の独自の主張がにじみ出た作品が発表されるだろうと思ったからです。

                      ちなみに、「鬼」は、表題の「俳人の定型意識を超越する句」と、文末の《五十句》の言葉から、辛うじて五十句の独立した俳句であることを示すだろうと思っていますが、これらも作者の韜晦した表記と考えればあやふやとなります。その意味で「これは何なのだろうか」と言う森川発言は至極まともな質問のように見えますが、実は俳句と言う定型詩が繁栄を続ける特殊な日本と言う共同体で生まれる疑問であって、普遍的な疑問であるとは思いません。

                      日本の詩には、自由詩と定型詩があって、定型詩には短歌(五七五七七形式)と俳句(五七五形式)があり、さらに俳句と似たものに川柳と自由律俳句があるという町内見取り図が我々の頭にはあります。しかし、それが絶対的に正しいというわけでもありません。よく言われる「俳句は詩である」という言葉が真実であるなら、こんなこまごまとした見取り図は不要なわけで、言葉としてのみ評価すればよいわけです。

                          *

                      読み方が判らないといわれます。それはもっともです。たぶんこんな読み方があると思われます。


                      ①50行全体で1つの作品と見る。長編詩であり、長編小説である。「融合」でしょうか。
                      ②かつての連作と言う形式で、1行は1句であるが、なお全体として1つの作品として鑑賞すべきもの。
                      ③それぞればらばらの1句(1作品)である。

                      作者の意図は、前述の理由で③であると推測はできますが、しかし①と誤解される③、②と誤解される③であることを楽しんでいるかもしれません。作者はもはや一つの意思を伝えるわけではなく、むしろこんな当惑・誤解を期待すると言ってもよいでしょう。

                           *

                      わたしは「鬼」は内容を鑑賞する作品である以上に、詩とは何か、俳句とは何かを問題提起するテクストであると考えています。例えば、「行間の緊張も弱い」と言われていますけれど、伝統俳句も連句も「緊張の弱い」のが特徴です。現代詩の行間の認識(強弱)とは異なる文芸原理はいくらでもあるのです。

                      (花尻氏には申し訳ないが、伝統作家の期待するような)優れた作品美しい作品を依頼したのではない、驚かしてほしいということ――まさに「鬼的」な作品を期待していたわけです。おそらくそれは感性で受け取らず、知的に受け止められることによって目的が達せられるのでしょう。

                      あるいは、確かに、「鬼」はテーマ性に拠りすぎているようにも見えます。全体のテーマが鬼だし、50句の中に頻繁に鬼と鬼を連想する素材もしきりに出てきます。依頼した私も、独立性が強い方がいいと考えていましたが、しかし、全体としてどのような戦略をとるかはこんな独断的な活動をする以上、比較する同行者もいないわけで、やったもの勝ちの世界ではないかと思います。

                      再度言っておきますが美しく調和のとれた作品を期待しているのではなくて、俳句は何であるかを深く考えさせてくれる作品なのです。詩的に十分満足する作品が必要であれば、花尻氏につぐ2番手、3番手の作家が挑戦してみればよいことです。その意味で、花尻作品ははっきりした目的をもっていたと思っています。

                           *

                      花尻作品を読むに当たってのキーワードを二つ挙げてみます。

                      ①自由律
                      花尻作品には、寄り添う二つの軸があると思われます。一つは、575の定型を極端に離れていること、言ってみれば自由律俳句であるのですが、自由律作家がある限り花尻氏の試みはそれほど革命的ではありません。私が言っているのは、山頭火、方哉などを言っているのではなく、

                       陽に病む 大橋裸木
                      のような作品です。先日、船団のシンポジウムに参加し、坪内、仁平氏と語りあいましたが、坪内氏の話では、青木此君楼には次のような作品があるそうです。

                       いろ   青木此君楼
                      世界最短とはこの作品のことを言うのでしょう。裸木や此君楼には、形式を突き詰めていった末の美意識と言うよりは、世界最短の詩としてのジャンルを確立させたいという意識が強かったのではないかと思われます。

                      これが作品としてどのように評価されるかは別として、私はこう言う意識(ジャンル意識)はぎらぎらとしていいと思います。それこそ、文学はとは何か、という問題意識を刺激してくれるからです。


                      ②連作

                      もう一つの軸は連作です。その前に言っておけば、我々は「連作」と言う枠組みを安易に秋桜子や誓子、新興俳句の枠組みの中で考えてしまいすぎているようです。しかし連作と言う考え方はいろいろな歴史を負っているはずです。正岡子規は、俳句において連作を提案していませんが、短歌において連作を実施しています。複数の作品を詠むことを「複合作品」と仮りに呼べば、俳句における当初の「複合作品」は公表を期待していない句会における「一題10句」がそれに相当するでしょう。出された10句の内から数句が選ばれて子規の正式の作品として公表され、認知され、批評するのです。作者によって10句から絞り込まれます。

                      一方、短歌における「複合作品」は、歌会を経ないで10首の作品がそのまま公表され、認知され、批評されるののです。読者は絞り込んでも作者は絞り込みません。

                      子規は俳句と短歌でこの二つの「複合作品」を使い分けています。

                        塀低き田舎の家や葉鶏頭 
                        鶏頭に車引入るゝごみや哉 
                        鶏頭の花にとまりしばつたかな 
                        朝顔の枯れし垣根や葉鶏頭 
                        葉鶏頭(かまつか)の錦を照す夕日哉 
                        鶏頭や二度の野分に恙なし 
                        萩刈て鶏頭の庭となりにけり 
                        誰か植えしともなき路次の鶏頭や 
                        鶏頭の十四五本もありぬべし

                      明治33年9月9日、根岸にある正岡子規の家に弟子たちが集まり、句会を行います。この運座は「一題十句」で行われ(当時の句会は99%題詠でした。雑詠の句会の記録はほとんどありません)、この時は「鶏頭」の題で、三十分ほどの間に各人は十句を詠みあげました(子規に九句しかないのは時間が足りなく一句不足で時間切れとなってしまったせいでしょう)。

                      この句会のことは現在では殆ど忘れられていますが、この句会で披露された一句(鶏頭の十四五本もありぬべし)が子規一代を代表する名句となったと言われます。だから、「一題十句」は子規が俳句というジャンルでもっともよく使った「複合作品」の形式であることになります(ちなみに「一題十句」は蕪村の句作を参考にして子規たちが作り出した明治のオリジナルな様式と考えられます)。

                      ところで、子規は、明治31年ころより従来の「句会」を発展させて「歌会」を開催しました。だから歌会のモデルとなったのは句会であり、題詠(季題に限られません)によって実施しました。ところが歌人たちは、研究が進むに従い、歌と俳句はその詩型が異なるだけでなく、性格も根本から異なり、趣味も一致しないことに気づき、十首歌から連作を創りだしたのです。

                      子規自身の連作短歌が最初に試みられたのが明治33年です。俳句「一題十句」と短歌の連作が異なるのは、俳句の一題十句は句会に投稿されるのが十句であり、全句公表を前提としていなかった(その一部を公表されることはあった)わけですが、連作はすべて公表したことにあります。次の「複合作品」は子規の有名な作品を含みますが、「日本」に34年に全歌公表された十首です。

                        瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 
                        瓶にさす藤の花ぶさ一房はかさねし書の上に垂れたり 
                        藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも 
                        藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ 
                        藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり 
                        瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の牀に春暮れんとす 
                        去年の春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも 
                        くれなゐの牡丹の花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり 
                        この藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日まり後 
                        八入折の酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く

                      題詠と連作の関係は、新興俳句時代にも手がかりを残しています。

                      昭和4年4月の東大俳句会の兼題は「行春」でしたが、この時、水原秋桜子は、次の句を出しています。

                        行春やほのぼののこる浄土の図 
                        行春の光背のみぞ照り給ふ

                      そしてこの句が、昭和の金字塔とされる『葛飾』の巻尾を飾る連作「古き芸術を詠む」となるのです。

                        金色の仏ぞおはす蕨かな 
                        行春やほのぼののこる浄土の図 
                        行春のただ照り給ふ厨子の中 
                        とある門くづれて居るに馬酔木かな

                      当時最も革新的であった連作俳句が、実は「行春」という古い兼題の題詠で詠まれた作品であったのです。

                      山口誓子も、句集で、「蟲界變」と名付けた連作を発表しています。

                      蟷螂の蜂を待つなる社殿かな 
                      蟷螂の鋏ゆるめず蜂を食む○ 
                      蜂舐る舌やすめずに蟷螂(いぼむしり)○ 
                      かりかりと蟷螂蜂の貌を食む○ 
                      蟷螂が曳きずる翅の襤褸かな○

                      しかしこれは、実は昭和7年にホトトギス雑詠で巻頭を得た句でした。「かりかり」の句は決して自然の忠実な描写ではなく、蟷螂という題なくしては生まれない題詠作品であったのです。また、連作の構成と選の関係についても、誓子はこんなことを言っています。


                      「五句を限度とするホトトギスの雑詠欄に投吟する場合には、その規約に基づいて、一聯数句の連作俳句を、一聯五句の連作俳句に構成し直さねばならない。連作俳句が、相互に、緊密に、腕を組んでいるスクラムは、必ずしも絶対のものではない。(ラグビーのスクラムが、セヴン式にもなり、エイト式にもなるのと同断である。)/このことは、制度上寔に遺憾であるが、已むを得ないことである。」

                      「「五句中一句だけを削られる」ということは、その作者が未熟であった為に然るのであって、それは作者が当然負うべき譴責である。/然しながら、そのことはただちに連作俳句そのものの受けた致命傷ではない。それは単に連作俳句に於ける「個」の蒙った致命傷であるに過ぎない。/脆弱な「個」の上に、構成された連作俳句がたちどころに崩壊することは何等不思議な現象ではない。/私は連作俳句が「全」としてそっくりそのまま認められんことを理想とする。/ところが、その理想が常に必ずしも、容易くかなえられないのは、単なる雑詠の五句が、五句とも入選することの困難であることからしても、凡そ察知せらるることである。/問題は一に「個」の完成に繋ってゐる。」

                      重ねて言いますが、どんな理屈を誓子がつけようと、「蟲界變」は当初連作5句であった(あるいはもっと多かったかもしれません)ものが、虚子によって削除された(○印が虚子選で残った句です)ことによって雑詠巻頭として広く知られ、ついに「かりかりと蟷螂蜂の貌を食む」の1句として後世に立つことになった、一種の奇形の作品であったということができるでしょう。

                      つまり、我々が連作と思っているものは、時々刻々変化している、必ずしも形のない「複合作品」であったのです。

                      花尻作品はこんなことを考えさせてくれるいいヒントであったのです。


                      【補注1】

                      力点が俳句は何であるかを考えると言う方に移ってしまったので、あたかもそちらばかりに花尻作品の目的があるような主張になってしまい、花尻氏には不満かもしれません。ただ、これは

                      鴨 南北(こゑする)
                      比喩、花か

                      をどのように添削するかを基準に考えてみるといいと思います。添削のしようがなければ、この句に関しては「究極」と言うよりしょうがないのだと思います。

                      【補注2】

                      前号の山頭火の「古池」メモは『其中日記』昭和13年10月にあります。なくなる2年前のことです。

                        【時壇】 登頂回望その八十二 / 網野月を 

                      その八十二(朝日俳壇平成27年8月31日から)
                                              


                      ◆人間が滅ぼす地球夕焼けて (東京都)青木千禾子

                      金子兜太の選である。評には「青木氏。このままゆけば、の心意。」と記されている。五十億年×三六五日分だけ地球の何処かで夕焼けしているのだ。その中で人間が見た夕焼けは五百万年×三六五日分であり、僅かに〇・一パーセントに過ぎない。人間が人間を滅ぼすことは仕方ないとしても、人間が絶滅しても自業自得であるが、地球自体を滅ぼさないで欲しい。それは、他の生命を滅ぼすことになるからである。「人間」「地球」「夕焼け」は決して矮小なものではない。それだけに句柄が大きいのであるが、逆に大雑把に感じてしまうかも知れない。

                      ◆大いなる草臥ありぬ敗戦忌 (仙台市)菊地壽一

                      長谷川櫂の選である。評には「三席。七十年という長い長い弦がいつの間にかたるんでしまったのかも。」と記されている。反戦運動に飽きた、平和運動に無力感を感じた、ことを評は言っているのだろうか?そうではなくて、「草臥」があるのだが、それでも弛まずに敗戦忌を修し続けるのだ、という反語として理解したい。

                      ◆天井も襖も走馬灯の影 (市川市)抜井諒一

                      長谷川櫂の選である。「走馬灯の影」が天井と襖へ投影されている。走馬灯は上下が、もしくは上が空いている構造なので、天井と襖にはそれぞれ異なる影が映ってることだろう。単純な句型である分、影が見えてくる。

                      ◆皆同じ団扇をもらひ入場す (岩倉市)村瀬みさを

                      稲畑汀子の選である。会場の内では皆が同じ団扇をひらひらさせている。色合いも形状も同じである。多少異様さを感じたりするが、連帯感と捉えることも出来る。中七の「もらひ」の工夫が面白さを引き出しているようだ。はたしてこの団扇には何が描かれているのか?製薬会社の新薬の広告か、選挙への立候補者の似顔絵か。


                      ◇俳壇の隣には堀本裕樹著のコラム「地球と言葉を交わす」がある。和田悟朗の句作を取り上げている。中の「太陽と地球のあいだ雁渡る」「瞬間はあらゆる途中蓮ひらく」などを拝読すると、コラムにあるように「・・を感得」しているように思う。壮大な事象を感得出来たからこその作品なのである。

                      【短詩時評第二話】小池正博と綱のつけられない動物(的比喩)たち-はじめにもなかがあった、もなかは神と共にあった、もなかは神であった- 柳本々々





                       




                      父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し  寺山修司
                        (「花粉航海」『新潮10月臨時増刊 短歌 俳句 川柳 101年 1892~1992』1993年10月)



                      みんないる森には死んだ犬もいる  竹井紫乙
                        (『句集 ひよこ』編集工房 円、2005年)


                      情愛の対象となっている動物の多くは、顔が平らで表情がある、また直立することができるという点において、擬人的特徴を有している。つまりこれらの動物は、人間と動物の中間に位置するような曖昧な特徴(半人間、半動物)を持ち合わせているという点において、両義的である。
                       (渡辺守雄「メディアとしての動物園-動物園の象徴政治学」『動物園というメディア』青弓社ライブラリー、2000年、p.36-7)



                      動物たちが私を見つめている。まさしく、比喩形象のあるなしにかかわらず。あのものたちは繁殖し、私のテクストが、人からそう信じこまされそうになるほど次第に「自伝的」になるにつれ、次第に野性的に私の顔に飛かかるようになってきた。
                        (ジャック・デリダ、鵜飼哲訳『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』筑摩書房、2014年、p.72)

                      「第3回川柳カード大会」(2015年9月12日)において小池正博さんと「現代川柳の可能性」というタイトルのもとで対談をしてきました。

                      そのときに小池さんが自選五句としてあげておられたのが〈動物〉をめぐる五句だったんですね。ちょっと当日配布されたレジュメからあげてみましょう。

                      水牛の余波かきわけて逢いにゆく  小池正博 
                      都合よく転校生は蟻まみれ  〃 
                      カモメ笑ってもっともっと鷗外  〃 
                      洪水が来るまで河馬の苦悩教  〃
                      ジュール・ヴェルヌの髭と呼ばれる海老の足  〃 

                        (「第三回川柳カード大会・小池正博自選五句」レジュメから)

                      以前、ここでお話しした岡野大嗣さんの歌集にも『サイレンと犀』という〈犀=動物〉が出てきますし、安福望さんの短歌画集『食器と食パンとペン』にも動物がたくさん出てきます。

                      そこには、短詩と動物の関係をめぐる主題がありそうです。あえていうならば、なぜ短詩と動物は親和性が高いのかという問題もそこにはありそうです。

                      ちょっと具体的に小池さんのさきほどの自選句から一句引いて考えてみます。

                      都合よく転校生は蟻まみれ  小池正博

                      この句をあたまから読んでいくと「都合よく転校生は」までは意味生成的にすっと行きますが、「蟻まみれ」で意味的に引っかかる仕組みになっています。「蟻まみれ」ってどういうことなんだろう、ってことです。これは或いは「熊まみれ」「犀まみれ」「貘まみれ」「象まみれ」「キリンまみれ」「ハシビロコウまみれ」でも引っかかるはずです。

                      ここを引っかからないようにするためにはたとえば「泥まみれ」にすると意味的にはすっと行きます。転校生が泥まみれになっている情景はあたまにすぐにイメージすることができる。ところが17音しかない定型で、独特な動物的比喩を使われた場合、それが「キリンのように」といった直喩でもない限り、意味構築をするのに大きなエネルギーやカロリーを必要とすることになります。

                      つまり、動物的比喩というのは、定型17音というその句のなかで、すっと行かせないためのノイズを立てるための装置になっているのです。ただ大事なのは、ノイズ=雑音のこの《雑》の部分です。このノイズの《雑》こそが、意味の引き出しをさまざまに開けることを可能にします。

                      たとえば「都合よく転校生は泥まみれ」なら「泥」というありふれた象徴(たとえば〈恥辱〉とか)でしかありませんが、「泥」を「蟻」に置換するだけで、そこには換喩(土、砂糖、労働、死骸など隣接したことばをひきこむ)や隠喩(羽虫、のみ、うじ、蜂、軍隊など類似したことばをひきこむ)や提喩(虫全体、自然界全体、環境全体、地球全体など大きく展開したことばをひきこむ)などいろんな喩によって空間を拡張することができます。動物的比喩はノイズであることによってそこから《雑》な空間を多方向的に(いい意味でぎょうぎがわるいかたちで)拡散することができるのです。

                      定型詩における動物的比喩の大切な点にそうした雑食的ノイズ性があるように思います。それは少ない音律のなかでそれでもさまざまなスイッチを駆動させるための定型詩が〈発見〉した意味的〈暴力〉でもあったように思います(ここでの〈暴力〉とはふだんとは違った言葉の組み立て方を積極的に模索することです)。

                      そういう動物的ノイズから定型の空間は拡張される。動物がいることによって定型空間がなまもの/いきもののように伸縮されるということです。

                      ここまではレトリックとしての動物を考えてきたのですが、修辞だけでなく、文化的枠組みの面からも少し考えてみましょう。文化のなかでたえず再現=表象されている動物。

                      たとえば少し極端な言い方をすれば、動物をこんなふうな言い方であらわすこともできるかもしれません。動物とは圧倒的に理解不能な他者である、と。

                      動物は言語を話しません。だから、じつは、動物的比喩というのはへんないいかたなんですよね。動物と比喩(=言語)というのは本来的に葛藤しあうものなのではないかとおもうわけです。比喩は言語レトリックであるのだけれども、そうした言語レトリックの向こう側の彼岸にいるのが〈非言語的動物〉です。動物は比喩の動物園に懐柔できないような、あちら側にいる非言語存在なのです。そしてその意味で〈他者〉であるわけです。

                      ですから、〈動物的比喩〉が使われたときに、そこでつきつけられているのは、ある意味で〈語る存在〉としてのわれわれでもあるはずです。

                      動物を比喩の動物園として飼い馴らしていたはずだったのに、川柳という定型詩においては語りきれなかった〈動物〉が〈語るわれわれ〉と拮抗し、対峙する。定型は、語らない動物にも語るわれわれにも、どちらにも与しないし、味方もしない。ただ率直に、暴力的に、比喩に押し込められないかたちで、動物たちは飛び出してくる。「動物/的比喩」という矛盾をその角でつきやぶって。

                      これは川柳においては動物だけではありません。たとえば食べ物なんかもそうです。石田柊馬さんの暴力誘発性(ヴァルネラビリティー)にあふれた「もなか」とバイオレンスをめぐる連作をみてみたいと思います。

                      先頭になるのを恐れているもなか  石田柊馬 
                      積まれても耐えろと叱られるもなか  〃 
                      岬までの道をもなかはがんばって  〃 
                      グラフなどもなかに突きつけてみても  〃 
                      号令をあびてひび割れるもなか  〃 
                      もなかもなかもなか苦しい詩語がある  〃 
                      Wクリックしたなもなかを潰したな  〃 
                        (『セレクション柳人2 石田柊馬集』邑書林、2005年)  

                      小池さんの川柳に動物がたくさんでてくるように、柊馬さんの川柳には食べ物がたくさんでてきます。

                      でも大事なのは、動物や食べ物が〈そのまま〉でいられないということです。動物に綱をつけたり、皿のうえに食べ物をいつまでも乗せることができない、愛玩するためのものではない動物、食べるためのものではない食べ物、それが川柳における動物や食べ物です。

                      川柳のなかでは動物園やレストランのように消費的に動物や食べ物を囲い込むことができない。むしろ動物や食べ物の記号の氾濫によってわれわれの主体的立場があやうくなるのが川柳なのです。

                      だからこれら動物や食べ物の比喩をあえてまとめるならば、川柳においてはいつも比喩が飼い馴らせずに暴力的になるということなのではないかと思います。柊馬さんの連作でしいたげられているのは実はもなかではなくて、言語をあるコードにしたがっていつまでも語り、そのコードで動物や食べ物を檻に/皿に囲い込もうとする言語存在としてのわれわれかも知れないのです。

                      川柳は〈不健全さ〉をいつもどこかに抱えていますが、〈不健全さ〉をかかえもつことによってわたしたちに〈意味の健全さ〉を問いかけてきます。ほんとうにその意味の組み立て方は自明のことなのか、そこまで健康的な意味の組み立て方をしてなにか忘れているもの、抑圧しようとしているものはないのかと。

                      考えてみれば、そもそも動物というのは言語や文化で囲い込まれたキャラクターとしての部分と、それに相反するような、わたしたちを一発であやめるバイオレンスな部分としての両義的な存在としてつねにわたしたちをみつめています。

                      動物は想像的(イメージ)かつ現実的(リアル)なのです。

                      では、キャラクターに特化されたもっとも有名な童話の熊と、バイオレンスに特化された有名な童話作家の熊を比較してみてみましょう。

                      「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」 
                      「けさのごはんは、なににしよ? ってことだな。」とプーが言いました。「コブタ、きみは、どんなこと?」 
                      「ぼくはね、きょうは、どんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」 
                      プーは、かんがえぶかげにうなずきました。 
                      「つまり、おんなじことだね。」と、プーは言いました。 
                        (A.A.ミルン、石井桃子訳「クリストファー・ロビンが、プーの慰労会をひらきます。そして、わたしたちは、《さよなら》をいたします」『クマのプーさん』岩波少年文庫、1956年、p.245)

                      ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。 
                      「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」 
                      もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。 
                      「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。

                      ディズニーの『クマのプーさん』(或いはミルン『クマのプーさん』)のプーさんとクリストファー・ロビンのような共に生きること(共生の可能性/共死の不可能性)を模索するのも動物のありかたですし、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の小十郎と熊のような共に死ぬこと(共死の可能性/共生の不可能性)を模索するのも動物を通してです。

                      立ち上がる熊にんげんの背中して  八上桐子 


                        (「第三回川柳カード大会・現代川柳の魅力-私の好きな川柳十句(柳本選出句)」レジュメから)

                      この八上さんの句の「熊/にんげん/(人間・ニンゲン)」のように動物はつねに〈あわい〉の領域(川上弘美『神様』『神様2011』)で、わたしたちを一発であやめるバイオレンスと(ヒッチコック『鳥』)、しかしわたしたちにすえながくいのちを与えてくれる存在として描かれています(手塚治虫『火の鳥』)。

                      表象における熊について木村朗子さんの次の指摘があります。

                      3・11直後の文学界では、クマのイメージがくり返し召還されていたということがあった。…いずれの作品にも動物としての熊ではなくて、人間社会と折り合おうと思考する熊が登場する。…クマの物語はいつも人間と自然界との関係を結びなおし考え直させるものだった。
                        (木村朗子「被爆社会を生き延びるための小説」『震災後文学論』青土社、p.100-111)

                      わたしたちは〈動物まみれ〉〈比喩まみれ〉の存在としてことばを語りつづけながらなんども表現領域のなかで動物と再会を果たしますが、それらの〈再会〉がどのように恣意的に組織されているかを問い直すのも、また、〈動物〉であるようにおもいます。動物は〈このわたし〉にいつも境界線を、境界線の引き方そのものを問い直してくるのです。

                      最後に少し私的で動物的なことをお話するのを許してもらえるのであればわたしにとって2015年の夏は、岡野大嗣さんと新井英樹『The World Is Mine』の超巨大熊、安福望さんと白土三平『シートン動物記』のリアリズム熊をめぐったととととライヴの動物トーク、竹井紫乙第二句集『白百合亭日常』の「あとがき」を書くためにずっと読み続けた紫乙さんの第一句集『ひよこ』の〈悪い動物〉としてのひよこたち、小池正博さんの川柳と動物園から逃走しつづける動物的比喩をめぐった第三回川柳カード大会の動物対談、といったふうに定型詩と動物をめぐる〈動物まみれの夏〉でした。
                      そしてその動物まみれの夏の終わりに、ルッカリーのような大会会場で、言語と動物まみれのわたしは石原ユキオさんにお会いしたのです。

                      春の昼ひよこまみれになりやすい  石原ユキオ
                        (「ルッカリー」)



                      2015年9月4日金曜日

                      第25号

                      締切2015年10月末日!
                    • 9月の更新第25号9月4日第269月18日




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                      (9/11更新)夏興帖、第九
                      …川嶋ぱんだ

                      (9/4更新)夏興帖、第八
                      真矢ひろみ・神谷波・渡邉美保・西村麒麟・飯田冬眞・近江文代
                      (8/27更新)夏興帖、第七
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                      こもろ・日盛俳句祭編 追補…飯田冬眞
                      (8/21更新)夏興帖・第六こもろ・日盛俳句祭編
                      筑紫磐井・長嶺千晶・中西夕紀・仲寒蟬・青木百舌鳥・北川美美
                      (8/8更新)夏興帖、第五
                      関根誠子・小林苑を・網野月を・堀田季何・浅沼璞・水岩瞳
                      (7/31更新)夏興帖、第四
                      下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・早瀬恵子・夏木 久
                      (7/24更新)夏興帖、第三
                      …林雅樹・堀本 吟・小林かんな・小野裕三
                      (7/17更新)夏興帖、第二
                      …仲寒蟬・花尻万博・木村オサム・望月士郎・佐藤りえ
                      (7/10更新)夏興帖、第一
                      …曾根 毅・杉山久子・福永法弘・池田澄子・ふけとしこ・陽 美保子・内村恭子

                      【好評連載】


                      「評論・批評・時評とは何か? 
                      その11 …筑紫磐井と堀下翔   》読む
                      ・今までの掲載
                      (筑紫×堀下書簡)


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                          およそ日刊「俳句空間」  》読む
                            …(主な執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱 … 
                            (9月の執筆者: 大塚凱、依光陽子、…and more  )
                             大井恒行の日々彼是(俳句にまつわる日々のこと)  》読む 




                            【鑑賞・時評・エッセイ】 


                            ■ 1972年の松尾あつゆきの覚悟
                            … 堀下翔   》読む

                             【走る中村冨二】現代川柳空間におけるバラバラな身体―ばらばらとひじやかかとやくるぶしが降ってくるパノラマ島を駈け抜けろ!― 
                            …柳本々々  》読む 
                             ■ 朝日俳壇鑑賞 ~登頂回望~ (八十・八十一)
                            網野月を  》読む 

                            俳句評 俳句を見ました(4) 
                            …鈴木一平 》読む 

                             短歌評 歌と句の間に
                            … 依光陽子 》読む


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                                週刊俳句『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会を再読する
                                 
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                                    あとがき  読む

                                    ●俳句の林間学校 「第7回 こもろ・日盛俳句祭」
                                     終了いたしました。 》小諸市のサイト
                                    シンポジウム・レポート「字余り・字足らず」   … 仲栄司 》読む 
                                    小諸の思い出2015  北川美美  》読む 



                                    攝津幸彦記念賞募集 詳細
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                                        <辞の詩学と詞の詩学>
                                        川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 

                                        特集:「突撃する<ナニコレ俳句>の旗手」
                                        執筆:岸本尚毅、奥坂まや、筑紫磐井、大井恒行、坊城俊樹、宮崎斗士


                                        特集:筑紫磐井著-戦後俳句の探求-<辞の詩学と詞の詩学>」を読んで」
                                        執筆:関悦史、田中亜美、井上康明、仁平勝、高柳克弘

                                        筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆





                                        第25号 あとがき







                                        さてその紙媒体 俳句雑誌「俳句新空間No.4」、を発行しました。
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                                        (北川美美記)




                                        ●俳句新空間4号 目次

                                        鬼/花尻万博

                                        八月の記憶/筑紫磐井

                                        平成二十七年乙未俳句帖・上

                                        平成二十七年作品を読む・上

                                        平成二十七年日盛帖

                                        網野月を・大本義幸・神谷波・北川美美・坂間恒子・佐藤りえ・田中葉月・筑紫磐井・津髙里永子・豊里友行・仲寒蟬・中西夕紀・夏木久・秦夕美・福田葉子・ふけとしこ・堀本 吟・前北かおる・真矢ひろみ・もてきまり・渡邉美保

                                        評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・その11 …筑紫磐井と堀下翔



                                        堀下:『関西俳句なう』(本阿弥書店/2015)については僕も思う所がたくさんあるのでぜひお話ししたいです。再読して磐井さんからの次のお手紙を待っておきます。それから前回掲出の堀下リストについてですが、あれは「俳コレ」の最年少小野あらた(1993年生)を基準にしてそれに間に合わなかった人間を数えたもので、黒岩徳将(1990年生)山本たくや(1988年生)の名前は「ふらここ」の大学卒業メンバーとして参考程度に挙げていますが、リストに入っているというものではありません。そのあたりは先に申し上げておきます。あのリストは要するに、自分たちはアンソロジーに入りようがなかったというもどかしさを抱えている世代を列挙したものです。「新撰」シリーズを読んで育ち、かつ、もし企画さえあれば自分だって入ったんだ、というくすぶった思いを胸に秘めているのがこの世代でしょう。自分がそうですから。

                                        さて花尻万博「鬼」の話に移りましょう。はじめこの「俳人には書けない詩人の1行詩 俳人の定型意識を超越する句」という企画を目にしたとき、僕がまず感じたのは、これもまた“詩型の越境”の作品だろうか、ということでした。

                                        「現代詩手帖」が「詩型の越境――新しい時代の詩のために」という特集を組んで現代詩、短歌、俳句の三詩形にスポットを当てたのは2013年9月号のことです。この特集を読むと「詩型の越境」の問題がいかに混迷を極めているかがよく分かります。この号では「詩型の越境」が二つの意味で用いられているのです。作品を発表している作家を見てみましょう。

                                        高橋睦郎(融合)
                                        中家菜津子(融合)
                                        渡辺松男(短歌)
                                        横山未来子(短歌)
                                        斉藤斎藤(短歌)
                                        兵庫ユカ(短歌)
                                        永井祐(短歌)
                                        安井浩司(俳句)
                                        竹中宏(俳句)
                                        高山れおな(俳句)
                                        御中虫(俳句)
                                        福田若之(俳句)

                                        「融合」というのはいわゆる詩歌トライアスロンなどと呼ばれるもので、現代詩、短歌、俳句を1作品の中に織り込みます。それに対して他の10人はそれぞれの本領の詩型で新作を書き下ろしています。各詩型のなかで高く革新的な表現レベルで書いている作家を集めたということでしょう。そうした作品が現代詩に接近するということは往々にしてあることで、この場合はそれをして「詩型の越境」と言っています。異なる「詩型の越境」が同居しているのです。もっとも、短歌や俳句の一行が現代詩に接近しているのだとしたら、「融合」とそれ以外を分かつことにさほどの意味はなくなるのかもしれませんが、現実には三詩型の読者を余さず満足させる「融合」の書き手はまだほとんど現われていません。

                                        2013年ごろはシンポジウムも開かれたりして特にこの話題が活発に取り沙汰されていた時期です。そのご若干の沈静化に向かっていますが、「現代詩手帖」の特集にも掲載されていた若手の中家菜津子が、このときの融合作品を収めた『うずく、まる』(書肆侃侃房/新鋭短歌シリーズ23/2015)という歌集を出すなど、ここを目指す作家はいまもこつこつと書いています。そこへ「俳人には書けない詩人の1行詩 俳人の定型意識を超越する句」という企画が出てきたわけです。

                                        「鬼」を読んだとき、僕はうかつにも、これを詩型融合の作品だと錯覚してしまいました。その理由はいくつかあります。一つ目には、一句があまりにも短律である、ということ。一連目を見てみましょう(書いてみて思ったのですが、この句群を思わずも「連」と呼ばざるを得ない事態もまた、「鬼」が詩型融合の作品とよく似ていることを示唆していますね)。

                                        柊や 街
                                        祀られ鬼
                                        言の間虎落笛する
                                        鬼と災ふ
                                        出口 街の川
                                        鬼の衣冷た
                                        塔婆、ビル日向
                                        鉄の霊区まち
                                        鬼 八方向交差点
                                        街に鬼
                                        吾の手か手袋の中動き出す

                                        まさかこれが短律の作品だとは知らないのです。花尻万博が俳句作家であるという前提で読み始めると、僕はこれを575のリズムでどうにか読もうと試行錯誤することになります。一行目の〈柊や 街〉というのは、上五に当るわけです。ヒイラギヤマチ、というのは七音ですが、ふつうの俳句もこれくらいの字余りは日常茶飯のことですから気になりません。そうすると、二行目の〈祀られ鬼〉が中七になるのかなと見当をつけます。ただしこれは字足らずです。とすればもしかしたら一行目の〈柊や 街〉の〈街〉は中七のほうで読むのかと考えます。そうすれば一字アケの効果も見えやすい。三行目の〈言の間虎落笛する〉が破調の甚だしい下五です。僕はこの三行を〈柊や 街/祀られ鬼/言の間虎落笛する〉という多行俳句だと思ったのです。そして、それぞれの俳句と俳句との間に行アケがなく、どこからどこまでが一句なのか分からない作りが、この「鬼」という作品の狙いなのだ、と。一句一句が有機的に結びつくことによって、新しい一句が無数に生れ、最終的には最初の一行と最後の一行はひとつの作品に内包されてしまう。その姿かたちは現代詩です。はじめこれを「詩型の越境」だと錯覚したというのはこのことです。

                                        読み進めていくうちに、どうもおかしい、どうやらこれは一行で一句らしいと気が付きましたが、読者がこれを多行俳句であり融合作品であると思ってしまうのは無理のないことではないでしょうか。理由は他にもあります。森川雅美さんが指摘している点です。森川さんは7/12の「詩客」に「「定型」とはますます分からなくなってくる」と題して本企画から生まれた作品についての見解を述べています。「鬼」についての記述は以下の通りです。

                                        これは何なのだろうか。少しきつい言い方だが、どこが途切れかもわからずだらだらと続き、しかも行間の緊張も弱い。俳人が見ればまた違うのだろうが、正直なところ「あくまで定型を外れた」としか私には読めない。

                                        行間の緊張が弱い。これこそ「鬼」についてのもっとも適切な指摘ではないでしょうか。〈鬼〉〈街〉〈虎〉〈旧都〉〈虹〉といったモチーフの反復は一句の独立性を危うくさせています。かつ、それらのモチーフどうしもまた、微妙に接点を持っています。荒俣宏や小野不由美の小説に出てきそうな、と言ったらすこし乱暴ですが、いずれも前時代の都市を伝奇的に彩る単語です。全行を通読したら何らかの物語が生まれてしまうのではないでしょうか。

                                        また、〈こゑする〉というルビが執拗に繰り返されることも、一行どうしを結び付けてしまう要因です。

                                        かつて新興俳句運動の初期において「連作」が問題になったときと同様に、一句(「一行」と呼んだ方が僕の立場からすれば正確ですが)の独立性が低いという指摘を、ここではしなければならないと思います。

                                        ですから、「鬼」の一句一句に、正直なところ僕はいまいちノりきれていませんでした。

                                        そのうえで、磐井さんの展開する読みには、うなずけるところがたくさんあります。ことに、

                                        「音」から出発させて、「古池や蛙とびこむ水の音」へたどりつく道筋を花尻は示してみよ、と言っているのです。

                                        の指摘にはなるほどと思いました。話に出てきた山頭火の文章と比較して考えてみる必要がありそうです。自分で確認してみたいので、山頭火の出典をご教示いただけると嬉しいです。


                                        筑紫:原稿がそれぞれギリギリに届いたり、でき上ったりするものですから、話題がうまくかみ合わなくなり、今回の堀下さんの花尻作品についてのご返事は次回以降になるかと思います(実際、この文章は上に書かれている堀下さんの文章の前に書かれ、その後堀下さんの文章が届いたものですから最低限の手直しをしているわけです)。

                                        一方、前回取り上げたいと申し上げた『関西俳句なう』については、実は「俳句四季」9月号に少し書いてみているのでこれをご覧いただきたいと思います。当月の全文を引くのは出版元に対して気が引くので、出版元の了解を得て前半だけを引用することにしました。或る程度私の感想がうかがえるかと思います。続きがあるのですが、話がつながれば続きも転載してみたいと思います。
                                        なお、雑誌の転載なので、である調になって、読みづらいかもしれませんがお許しください。堀下さんの語りたいという『関西俳句なう』についてお話を聞ければ幸いです。

                                        俳壇観測/ポスト『新撰21』世代の動向
                                        ――『関西俳句なう』が掘り出したもの・見逃しているもの(前)

                                        『新撰21』(二〇〇九年十二月・邑書林)が出てから六年経ち、その後『超新撰21』(二〇一〇年十二月・邑書林)『俳コレ』(二〇一一年十二月・邑書林)とつづき、俳壇に新世代ブームが起きた。これを受けて『関西俳句なう』(二〇一五年三月・本阿弥書店)が刊行された。帯には「東京がなんぼのもんじゃ」とあるのが愉快だ。これらのシリーズにはそれぞれに特色がある。『新撰21』は前衛・伝統を超えて新しい時代を作る二十代・三十代の自選句、『超新撰21』は三十代・四十代の自選句、『俳コレ』は世代を融合させて他薦で百句がまとめられた。『関西俳句なう』は、前三者が関東に偏っていたという批判から関西だけで二六人を揃えたが、半数は「船団」所属という構図であった。
                                        何を選ぼうと選考基準に対しては批判が起こる。すべては結果が証明すると考えておきたい。

                                            *     *

                                        それでは、「船団」に敬意を表して、まず「船団」の十三人の句を紹介しよう。数字は年齢である。

                                        粉雪が女言葉のように舞い  加納綾子26
                                        春霞こだまですらも飛ばす駅 二木千里26
                                        ヤドカリのように引っ越しする元彼
                                        犯人は死んだ蛙の大合唱  山本たくや27
                                        麦青む時間にそっと電話して 山本皓平28
                                        カーナビの指示は直進夏つばめ 藤田亜未30
                                        コンビニに新作の菓子春の雪
                                        目の前に生えているのが曼珠沙華 久留島元31
                                        若葉嵐落書きの中にわたくし 舩井春奈35
                                        黄落の風船もらう子の多さ  藤田俊35
                                        本屋に向かう少し汗ばんでいる 河野祐子36
                                        さみどりの朝サイダーのはじける日
                                        嘘なんて百万回の稲光    中谷仁美36
                                        初雪やオランウータン嫁入りす 工藤恵41
                                        何時までも山椒魚を見る女  塩見恵介44
                                        この国に何にもしない俺の汗
                                        さっきまでのキスの相手は秋の人 朝倉晴美46

                                        「船団」以外の作家の方からも若い世代の句も紹介しておく。

                                        木の実降る狐の面の子等の背に 黒岩徳将25
                                        さくらんぼ咎あるごとく変声期 羽田大佑27
                                        地球温まっているか蠅生る  若狭昭宏30
                                        旧家とは大きいばかり目借時 山澤香奈32
                                        鐘涼し城は星型にして未完  森川大和33
                                        子雀のもうゐぬ風のポプラかな 涼野海音34
                                        あたたかや人去ればまたひとりなる
                                        人波に逆らひて行く暑さかな 杉田菜穂35

                                        選んだのは私の恣意であるが若干の基準がある。実はそれぞれの作家の、ここで選んだ以外の作品を見ると、この世代には消費(consumption)という傾向性が強くにじんでいるような気がするのだ。瞬間の自己に忠実であるが、しかし時間の中で消えて行ってしまう自己でもある。こうした傾向は『新撰21』にも見られたが、『関西俳句なう』は一層顕著である。これに対し多分戦後生まれ世代には、克己・修業という要素が存在した。一貫してある世界を構築しようとする意志である。恣意を打ち消す自己否定である。そこが彼らと違うのだ。

                                         しかし、それだけでは新世代を否定することにしかならない。幸い短詩型には「多義性」という特徴がある。同じ句がAともBとも見える曖昧さである。例えば、兜太や太穂の前衛的な句を、虚子が褒めていることすらある。これは季語さえ入っていれば、前衛俳句も客観写生や花鳥諷詠の軸で評価できるという俳句の特徴であるのだ。『関西俳句なう』は消費的傾向を維持しながら、多義的に見ると自己規律的表現も実現している。そうした例として右の句を掲げてみたのだ。これが新しい俳句の姿かも知れない。









                                        ■第3回攝津幸彦記念賞(「豈」創刊35周年記念)募集‼! 

                                        第3回目の攝津幸彦記念賞を次の要領で募集しています。

                                        内容 未発表作品30句(川柳・自由律・多行も可)
                                        締切 平成27年10月末日
                                        送り先 183-0052 東京都府中市新町2-9-40 大井恒行 宛
                                        応募 郵便に限り、封筒に「攝津幸彦記念賞応募」と記し、原稿には、氏名、年齢、住所、電話番号を明記。(原稿の返却はしません)。

                                        選考委員は、関悦史、筑紫磐井、大井恒行となっていますが、「豈」も若返りの季節を迎えており、関委員に大部分の選考審査をお願いする予定です。予選から始まり、本選作業、選考経緯の執筆まで依頼する予定で、筑紫、大井は助言役に回る予定です。その意味では、攝津幸彦記念賞(関悦史賞)と考えて頂いてもよいでしょう。若い世代の応募を期待するものです。
                                         『新撰21』世代を対象とする俳句賞は今までいくつかありましたが、『新撰21』世代が選考の主役を務める俳句賞は初めてのものであろうと思っています。『新撰21』世代も早くも背後から後続世代に追われる時期となって来たのです。

                                        第7回石田波郷新人賞が2015年7月31日で締め切りとなったので、残る3ヶ月間で是非頑張ってください。

                                         【時壇】 登頂回望その八十 ・八十一 /   網野 月を

                                        その八十(朝日俳壇平成27年8月16日から)
                                                                 
                                        ◆旧盆や墓を洗ふも一人きり (鹿嶋市)鈴木隆

                                        大串章の選である。評には「第二句。嘗ては親子そろって先祖の墓を洗っていたが。」と記されている。上五の「旧盆や」が余計な気もするのだが、「旧」に意味合いがある様にも思われる。昨今の墓事情は完全に様変わりした。菩提寺に登録した長男だからという墓守は殆ど無くなり、都会の寺にはロッカールームのような納骨所が多くなった。その分お参りには行きやすくなって便利だが、墓洗うことはない。加えて会ったことのない一世代二世代前の祖先の霊は顧みられないことになった。毎月のように筆者は散歩がてら亡母へ墓参するが、次の世代にはどうなるのだろうか?
                                        中七の「・・も」は言い過ぎているようで、かえって句の焦点をぼやかしてしまっているきらいがある。

                                        ◆蟻地獄に蟻を投げこむ美少年 (相模原市)芝岡友衛

                                        金子兜太の選である。評には「十句目芝岡氏。「美少年」の諧謔の味」と記されている。腐女子的な感性であり、狙いが見え透いているようでもある。筆者も子供のころには同様の遊びをした記憶がある。(筆者は決して美少年ではなかったが。)縁の下の砂のように乾いた処に逆さの円錐形に蟻地獄は出来ている。そこへ故意に蟻を落として蟻地獄が蟻を捕食する様を見詰めるのだ。緊迫感と少年の世代のエキセントリックな感覚を夏の季題で作り込んでいる。

                                        ◆八月や平成の「平」昭和の「和」 (広島市)金田美羽

                                        長谷川櫂の選である。八月は戦争のまつわる句が多い。反戦の句であり、平和を希求する句であることは言うまでもない。時代を代表し指示する言葉は「平和」を示しているにもかかわらず、人は遠慮がちにわざと遠回りしているようだ。アイデアの句であるが、アイデアだけに終わらない意味合いを含有している。

                                        ◆三たびめは黙するなかれ敗戦日 (東京都)片岡マサ

                                        長谷川櫂選である。むろん第三次世界大戦を想定しているのだろう。中七座五がシュプレヒコールのように心に谺する。その分、若干観念的な感じがする。

                                        その八十一(朝日俳壇平成27年8月24日から)
                                                                
                                        ◆己が句を書いて風鈴鳴らしけり (西宮市)竹田賢治

                                        稲畑汀子の選である。風鈴の舌(ぜつ)の下に風受けのために短冊を付けたりするが、その短冊に自らの御句を書いてみたのであろう。風鈴の音も格別な余韻を以って鳴ることであろう。どことなく他人事のようにも読めて、作者自身ではなくて友人の仕業を見て詠んでいるようにも感じる。その部分が俳的な非饒舌感を醸し出している。

                                        ◆憲法のごとき大樹よ蝉集ふ (塩釜市)杉本秀明

                                        金子兜太の選である。評には「杉本氏。正面から書き切った句の潔さ。「蝉時雨」では普通だった。」と記されている。筆者は、「大樹のごとき憲法」でなくてよかったと考える。味無い、素気無いことになってしまう。評の云う通り、「蝉時雨」では平凡に過ぎるだろう。議事堂へ迫る群衆の様からは、「集ふ」が似つかわしい。蝉にも良い者悪者がいるだろうか。多分、プロとコントラがいるのだ。

                                        ◆立秋や初心に帰る日を思ふ (福岡県鞍手町)松野賢珠

                                        長谷川櫂と大串章の共選である。長谷川櫂の評には「二席。夏の酷暑を乗り越えて一息つく。立秋のこの心もちが初心と通いあう。」と記されている。今年の夏は猛暑と冷夏が半分半分であった。が、立秋の頃はまだ、猛暑の余韻の中にあって、人々はその極限の暑さにもがき苦しんでいたころである。「立秋」の言葉だけでも秋を感じたい一心であった。後半の冷夏に入ってしまうと、また趣が異なる。喉元過ぎれば・・、の喩えの通りである。

                                        【走る中村冨二】現代川柳空間におけるバラバラな身体―ばらばらとひじやかかとやくるぶしが降ってくるパノラマ島を駈け抜けろ!―  柳本々々




                                        自殺する、せぬ、冬天に蝶をはなち  中村冨二 
                                          (『中村冨二句集(森林叢書Ⅰ)』森林書房、1961年)

                                        乱歩作品における犯罪(=テクストの発生)のおおくは、…イレギュラーな身体性の導入によってこそ可能となるのである。…乱歩的なイレギュラーな身体は、いわば〈特徴〉そのものである身体、まさに見世物性を負った身体なのだ。…頻出することとなるバラバラの死体も、統一された有効な身振りから疎外された身体性の志向のあらわれとみることができるだろう。    
                                        (安智史「江戸川乱歩における感覚と身体性の世紀ーアヴァンギャルドな身体」『江戸川乱歩と大衆の二十世紀(国文学解釈と鑑賞 別冊)』至文堂、2004年、p.193ー4)

                                        「いいえ、お前の頭のせいではないのだよ。この島の旅人は、いつでも、こんな風に一つの世界から別の世界へと踏み込むのだ。私はこの小さな島の中で幾つかの世界を作ろうかと企てたのだよ。お前はパノラマというものを知っているだろうか」
                                          (江戸川乱歩『パノラマ島奇談』春陽文庫、1951年、p.80)

                                        暴力的にとつぜん始めてしまうと、川柳っていうのは、〈野蛮な文芸〉なのではないかとおもうんです。もしくは江戸川乱歩の多くの小説のように、イレギュラーな、合理的身体に拮抗する〈野蛮な身体〉をもつものである、と。

                                        これは、川柳はすぐに殴りかかってくる乱暴者が多いということではなくて、形式的に〈野蛮〉だということです。だからとつぜんこするように殴りつけてきたりするわけではないんですが、形式的には川柳はとっても〈野蛮〉なんじゃないかとおもっています。

                                        なにが、野蛮なのか。そんなことをいって怒られないのか。

                                        これは俳句と川柳の違いをすこし考えてみるとわかりやすいようにおもいます。

                                        俳句には季語があります。この季語というのは「季語」という文字通り、使うことによってその句の季節が決まるものです。季語というのは、船が錨をおろすように形式が季語を内蔵することによって、《俺はここにいるんだよ》という定点をつくる働きをなすものだとおもいます。だから、バラバラだとだめなわけです。たとえば、春の季語と夏の季語をふたつ入れることを「季重なり」といいますが、これはベクトルが多方向に拡散するのを防ぐ約束事(コード)ともいえるのではないかとおもいます。ベクトルは一方向にみなぎっていないといけない、というよりも季語が一方向のベクトルをうみだすわけです。

                                        ところが川柳には季語がありません。この《不在の在》というのが、川柳の〈バラバラ〉で〈野蛮〉な形式をつくっているとおもいます。たとえば掲句の中村冨二の句の「する、せぬ」はその意味で象徴的だとおもいます。川柳的主体の基本的な視座はこのようなものではないかとおもうのです。「する」でもなく、「せぬ」でもなく、「する、せぬ」だと。そういう〈バラバラ〉を〈バラバラ〉のまま引き受けざるをえなかった文芸形式が川柳なのではないかと。

                                        たとえばこれは象徴的な意味だけではありません。川柳はデフォルトで、身体がバラバラである場合が多いんです。からだが世界のあちこちに散乱している。その散乱のなかで〈わたし〉が〈わたし〉のまま〈よそもの〉となった身体をあちこちに散種し、産卵する。とつぜん身体がバラバラといってもふだんの暮らしのなかでは、おまえいったいどうした、と思われてしまうかもしれないのでちょっとバラバラな句を引用してみましょう。

                                        踵やら肘やら夜の裂けめから  八上桐子
                                          (『Senryu So vol.4』石川街子・妹尾凛・八上桐子発行、2013年晩夏)

                                        病む指が夜へヒラヒラして沈み  中村冨二
                                          (『中村冨二句集(森林叢書Ⅰ)』森林書房、1961年)

                                        なぜか川柳にとってはこの〈バラバラな身体観〉が〈デフォルト〉であり、〈ナチュラル〉なんですね。こういう身体が世界のあちこちにバラバラになっている句が現代川柳には非常におおいんですよ。そしてそれを〈奇異〉には思わない。〈不健全〉だともおもわない。むしろこういうものが川柳的身体だともおもっているところがある。

                                        で、わたし、考えたんです。なんでだろう、と。

                                        これは精神分析学者のラカンの考えを経由してみるとわかりやすいかもしれないので少し(斎藤環さんを経由して)ラカンの考えを借りましょう。

                                        肖像は私を見て居ないぞ 私の消滅だぞ  中村冨二
                                          (『中村冨二句集(森林叢書Ⅰ)』森林書房、1961年)

                                        日常的現実の多重性は、「日常」の主要成分が「想像的なもの」で成り立っていることに起因する。 
                                        ここで「想像力」について、ラカンによる三界(現実界・象徴界・想像界)のトポロジーを参照してみよう。ラカンの三界は人間の心的装置における三つの位相的区分である。象徴界はシニフィアン(≒言葉)の領域であり、無意識の欲望はここで形成される。想像界はイメージと意味の領域であり、三界で唯一、認識やコントロールが可能な領域でもある。また現実界は不可能の領域であり、語ることもイメージすることもできないとされる。
                                          (斎藤環「ラメラスケイプ、あるいは「身体」の消失」『思想地図 vol.4 特集・想像力』NHKブックス別巻、2009年、p.144ー5)

                                        ラカンはこんなふうにわたしたちの日常を三つのレベルにわけています。「象徴界」はことばの世界、「想像界」はイメージの世界、「現実界」は身体やモノの世界です。で、「象徴界」といったことばの世界や「想像界」のイメージの世界があるからこそ、わたしたちは鏡に映った〈わたし〉のような統一的なイメージの身体をもち、〈ことば〉で見知らぬ〈あなた〉とコミュニケーションすることもできるわけです。だけれども、ときどき言葉で語ることが不可能なものにでくわすこともある。たとえば死やセックスなんかがそうです。それが「現実界」です。それらは誰もが語るけれど、実際の死やセックスのイメージや言葉は誰も語ることもイメージすることもできない。〈めいめい〉の死やセックスがあるだけです(〈めいめい〉のものにならないかたちで)。

                                        で、このラカンの考えを川柳に援用してみるとどうなるのか。

                                        川柳の〈バラバラ〉な身体観を考えたときに、俳句の形式としての統一的リアリティを考えてみるとわかりやすいのではないかとおもいます。

                                        先に述べていたように、俳句にとっての統一的リアリティはなによりも〈季語〉がつくっているのではないかということです。たとえばラカン風にいえば、統一的身体や統一的主体をつくる鏡像イメージを「季語」がつくっている。いま・このわたしに統一的な主体をくれる大文字の主体が「季語」なわけです。この「季語」という大文字の主体から統一的なイメージを備給され、身体的リアリティを俳句は保っている。だから言語秩序をもって言葉を語ることができる「象徴界」も、統一的イメージを想像できる「想像界」も機能している。ちゃんとした審級があるから。

                                        ところが川柳には「季語」といった大文字の主体がないわけです。ということは、統一的な身体のイメージをつくれない。みんながバラバラな小文字の主体であるばかりか、身体もバラバラになって〈わたし〉の「踵」も「肘」もどこかに行ってしまっては突然「夜の裂けめから」バラバラ降ってきたりする。

                                        そういった小文字の主体たちが統一したイメージを計れないバラバラな身体で、〈陣地戦〉を繰り広げている風景。それが現代川柳の〈野蛮〉な風景なのではないかとおもうのです。

                                        つまり、川柳のベクトルとは、錨や定点がない。むしろ、拡散する、ばらばらな、多方向なベクトルが、川柳の〈ベクトル〉になっているのではないかとおもうのです。

                                        川柳に魅かれていくひとたちはそういった「想像界」も「象徴界」もないようなバラバラな身体がぞんざいに放り投げられている〈荒れ野〉としての〈現実界〉に住み込もうとしているひとたちなのではないかと。

                                        そして、川柳という表現形式を選択しているときのわたしも、きっと、そうなのです。

                                        現代川柳を読んだときに、こんなふうな〈意味の荒野〉があるのかとおもったんです。こんな〈現実界〉がすぐそこにあったのかと。トトロよりも、〈となり〉に。

                                        「誰も詩など聞いてはないし/この世界がみな作り物なら/パノラマ島へ帰ろう」と歌っていたのは大槻ケンヂでした。

                                        いついかなるときにも〈野蛮〉に帰ることのできる文芸、それが川柳なのかなって、さいきん、殴ることを知らなかったこぶしをみつめながら、思っています。

                                        かようにして、人見広介の五体は、煙火と共に粉微塵(こなみじん)にくだけ、彼の創造したパノラマ国の、各々の景色の隅々までも、血潮と肉塊の雨となって、降りそそいだのでありました。
                                          (江戸川乱歩『パノラマ島奇談』春陽文庫、1951年、p.120)

                                        墓地を出て、一つの音楽へ帰る  中村冨二 

                                          (『中村冨二句集(森林叢書Ⅰ)』森林書房、1961年)

                                        【俳句時評】  1972年の松尾あつゆきの覚悟 / 堀下翔



                                        先月執筆分の時評「松尾あつゆき『原爆句抄』に関して」にふたたび触れなければならない。8月7日の掲載後、「層雲」同人の藤田踏青氏から数点のご指摘をいただいた。

                                        (1)「原子ばくだんの跡」の掲載された「層雲」冬季号は1945年ではなく1946年である。 
                                        (2)松尾には他に『ケロイド』(伊藤完吾、富岡草児編/層雲社/1991)と和英対訳『原爆句抄――A-BOMB HAIKU』(緑川真澄英訳/新樹社/1995)という著書が存在する。

                                        指摘を受けあわてて再調査すると果たしてその通りであった。

                                        (1)「原子ばくだんの跡」の掲載は1945年ではなく1946年である。『原爆句抄』〈あとがき〉の記述を辿るかぎり「原子ばくだんの跡」の掲載を松尾自身は1945年だと記憶しているのだが、とまれ、筆者の確認不足であった。つつしんでお詫びし、訂正させていただく。

                                        (2)の二冊の句集の存在は筆者をひどく驚かせた。そのような本は孫の平田周が復刻した『原爆句抄』には一言も書かれていないのである。それどころか平田による〈復刊によせて〉という文章にはじつはこのような記述がある。〈だが残念ながらそれから(堀下註――1975年版から)四十年経った現在は絶版となり、読んでみたいという声になかなか応えることができない状態が続いている〉。しかし実際には、松尾の句は今回の復刊以外でも複数回、活字になっていたのである。前回の拙稿でも、管見のうちで気が付いた『花びらのような命 自由律俳人松尾あつゆき全俳句と長崎被爆体験』(竹村あつお編/龍鳳書房/2008)と『松尾あつゆき日記 原爆俳句、彷徨う魂の軌跡』(平田周編/長崎新聞社/2012)とを年表に示してみたが、他にこの二冊が存在していた。この点にも筆者の調査不足があった。重ねてお詫び申し上げる。

                                        今回、上記のうちの一冊である『ケロイド』を通読し、この本が、やはり原爆の句集としては『原爆句抄』と共通していながら、実は微妙に異なる性格を持っているということに気が付いた。そこで今月は前回の補足の形で、『ケロイド』を読みすすめ、そのことによっていまいちど『原爆句抄』という句集がわれわれに何を見せていたのか考えていきたい。

                                        『ケロイド』は松尾の全句業を概観する句集である。『原爆句抄』は1945年の長崎原爆以降の句のみを収録したものであったが、松尾自身は戦前からすでに「層雲」で活躍していた作家である。『ケロイド』はそれらの遺漏句および『原爆句抄』以降の晩年の句を収録する。具体的な内訳としては、『原爆句抄』全句のほか、初期の第一句集『浮燈台』(1938年)から90句、戦中の「層雲」発表句から40句、晩年の「層雲」発表句から70句――ということになる。早速句を読んでいこう。

                                        風がすずしい子をつれて電車に灯がついたよ 松尾あつゆき(『浮燈台』)

                                        切れが曖昧で一句の中で言葉どうしが複雑に掛り合っている。まず〈風がすずしい〉を読者は読むのだが、口語の〈涼しい〉は連体形と終止形の判別が不可能なので、これは〈子〉に掛かっているようにも読める。

                                        〈子をつれて電車に灯がついたよ〉というのもなかなかむつかしい。接続助詞〈て〉がやっかいだ。〈子をつれ〉ているのはもちろん親なのだが、それが〈電車に灯がつ〉く、ということがらと〈て〉で結ばれる。高校時代の古典の授業で接続助詞〈て〉の前後で主語は変わらない、と習った方がいるだろう。じっさいには例外も多く、まして散文とは違って論理の飛躍を多く伴う韻文の世界のことだから、それを杓子定規に当てはめるわけにはいかないのだが、それでも筆者はこの〈子をつれて電車に灯がついたよ〉に、主体が混乱しているような、なんらかの違和を感じるのである。読者のみなさんはどうだろうか。

                                        かつ、〈て〉によって前後が深く結びついてはいるが、決してそこにあからさまな論理が見えているのではない。〈て〉で結び付けられているにも関わらず、二つのことがらは、まったく同質である。だからこそ、そこにいいようのない不思議な感じがある。ここで重要なのは、これが〈子をつれて電車は灯をつけたよ〉ではない、という点である。自動詞を他動詞に変形させたところで、日本語学上の意味は変化しない。しかし、この無生物主語構文では、〈子をつれて電車に灯がついたよ〉とまったくニュアンスが違う。〈電車が灯をつけたよ〉は、そこに意思がある。互いが無関係であったからこそ詩として成立していた前半と後半とが、擬人化された電車のあたたかな愛情、という解釈によって因果で読まれてしまう。

                                        〈子をつれて電車に灯がついたよ〉という表現は、絶妙なバランスで成立しているのである。そして先述の通り、この〈子〉には、〈風がすずしい〉が掛かっているのか否かの問題もある。多少文法的に無理があるのも数えてみるが、たとえば読者は、〈風がすずしい子〉ときたときに、〈風がすずしい〉を読んだあと、いったん〈風〉を忘れ、〈すずしい子〉という単語のまとまりを目にすることになる。あるいは、〈風がすずしい子〉というまとまりでもいい。この場合は、〈子〉に、関係詞のかたちで、〈風がすずしい〉が掛かっている。意味が取りにくいが、風のすずしさを感じている子、すずしい風を受けている子、ぐらいの意味合いだ。そのあと、〈子をつれて電車に灯がついたよ〉が来る。ああこれは電車の中だったのかと気が付き、はじめの〈風〉が電車に吹き抜けている風だったことに思いをはせる。夕涼の感じがある。むろん、基本的には〈風がすずしい〉で切れているのだが、以上のように、この句はその構造を超えて、言葉どうしがゆるやかに、そして次々にむすびつき合っている。言葉のたのしさがこの句にはある。

                                        つばめ、つばめがあらしになった 松尾あつゆき(『浮燈台』)

                                        こちらは、意味の上で二つのものが接続する。二度呼ばれる〈つばめ〉は同じ一匹の燕と思う。嵐の中を飛んでゆく燕を主体ははらはらしながら見ている。そのうちに燕は、薄暗い空の雨の中に消えて行ってしまう。松尾が頻繁にもちいる平仮名表記がこの句でも効果的に出てきている。感情的に露出することのない、のっぺりとした主体の印象が、この平仮名表記に現れている。

                                        それきりラヂオもだまってしまひ夜となる雪 松尾あつゆき(『浮燈台』)

                                        この句には「二二六事件」という前書が付いている。松尾は長崎原爆だけではなくこういった時事も句に書き残している。それがやや意外な気がするのは、松尾と『原爆句抄』という句集とがあまりに強く結びついているからか。松尾が決して“長崎原爆のために俳句を書いていた作家”ではないということをうっかりすると忘れてしまいそうになるのはひじょうに危険だ。いっぱんに手記というものが、ある事件を「契機」として書き始められているのとは違い、松尾は長崎原爆よりもずっとまえから俳句という方法を手にしていたのである。掲句、ラジオがそれきり黙る、というのはいささか陳腐ではあるが、〈夜となる雪〉のずらし方にはなるほどやはり松尾の句だなと思わされる。

                                        出征のこゑ、機械のよこから旗もってでる 松尾あつゆき(「層雲」戦中発表句) 
                                        はじめて握る手の、放てば戦地へいってしもう 同

                                        これは、『浮燈台』以後の句。戦争に突入し素材もそれに従っていく。それでも文体は一貫している点に、この作家の強さを感じる。二句目は「の」の意味があいまいなのが面白い。

                                        海をえがくこども大きな紙もってきた 松尾あつゆき(「層雲」晩年発表句) 
                                        そっとつまんで子の墓から付いてきた蟻です 同

                                        こちらは、晩年の句。『原爆句抄』に引き続き、メッセージ性の強い句のなかにこれらのようなあたたかな目で対象を語る句が挟み込まれる。

                                        『ケロイド』巻末年譜によると松尾は、1976年の井泉水逝去ののちは「層雲」の選者も務めていたようである。俳句作家としては重要な事項のような気がするがこの点もまた本年復刊の『原爆句抄』では書き落とされている。平田に俳句の勝手が分からなかったといえばそれまでだがこの『ケロイド』を読むにつけ松尾が原爆の俳句の書き手としか記憶されないことに勿体なさを感じないでもない。

                                        だがしかし、この事態を運命づけたのが他ならぬ松尾自身であったこともまた事実である。第一句集『浮燈台』の刊行は1938年。そして第二句集に当る『原爆句抄』の第一句は1945年8月9日の句だ。第二次世界大戦(1939-1945)の期間の句がまるまる捨てられているのである。そこにはすでに引いたとおり〈はじめて握る手の、放てば戦地へいってしもう〉等、銃後の精神史がふんだんに記録されていた。長崎への原爆投下が第二次世界大戦の終結と直接的にかかわっている以上、これらの句を残すことで、『原爆句抄』の持つ文脈がはっきりとすることだってあり得た話だ。がしかし松尾はその句を捨てた。『原爆句抄』の構成は、長崎原爆を唐突に始まる惨劇として提示しているのである。戦中の句があるのとないのとでは風景が違ってしまっている。

                                        1972年の松尾が自身の句集を『原爆句抄』と名付けた瞬間、彼の俳句は原爆の俳句として読まれることになってゆく。逆に言えばそれは、そのような読まれ方を引き受けようとする彼自身の覚悟であったろう。