2015年6月12日金曜日

【俳句時評】 若井新一『雪形』のすごみ / 堀下翔



昨年度のことになるのでいささか旧聞に属するが、第54回俳人協会賞が若井新一の第四句集『雪形』(平成26年/KADOKAWA)に決定した。若井は昭和22年、新潟生れ。昭和54年に目崎徳衛(志城柏)主宰の「花守」に入会したのち、56年には「狩」にも入会、鷹羽狩行に師事。「花守」にも平成10年の終刊まで身を置いている。実生活でははじめ企業に就職したが父没後は実家の農業を継いで、会社勤めの傍らでコシヒカリを栽培することになる。第三句集『冠雪』(平成18年/角川書店)の時期には会社勤めに終止符を打ち、農業に専念したという。

かつて高野素十はその壮年期から中年期にかけてを新潟で過ごした。新潟医大の教授としてそこに住まったのであったが、その新潟時代において彼はひたすら農業生活を活写しようとしたものだった。〈歩み来し人麦踏をはじめけり〉などはその時代の産物である。当時のホトトギスに次々と発表される句に、若き波多野爽波などは〈「歳時記」とは日本の「農耕文化の所産」なり〉とまで確信したのであるが(「枚方から――写生とは(その3)」『波多野爽波全集第三巻』平成10年年/邑書林。初出は昭和61年11月の「青」)、それから数十年が経って多くの人々の生活が農業と大きく離れたところにあるのが実情の昨今、素十と同じ新潟に身を置き、みずからが農家として働きながら俳句を書くのが若井である。

若井新一『雪形』は、一貫して故郷新潟の生活、そこに根付く農業の日々を只管に書きつけてすごみがある。そのすごみは、自分の生と、先人たちの生とを積極的に直線で結んで行こうとする姿勢から生まれているように思われる。本稿では若井の句がどのような意識で書かれていたのか、という点を既刊4句集に亘って追ってみる。それぞれの句集における作風は、いくばくかの傾向の差はあれ、祖なるものへの意識という点では一貫しているためである。

第一句集『雪意』は平成元年の刊行である。版元は牧羊社で、処女句集シリーズⅤの49冊目であった。若井もまた、かつて牧羊社から大量に輩出した新人の一人だったのである。

たとえばこの句などは若井がもっとも好んで書こうとするところのものであろう。

鞭もまた泥まみれなり田掻牛 
伐採のおと雪山を出てゆかず

一句目、田植え前の田に水を入れ、鍬で土をくだき均す。いまでは大方で機械化されているがかつては牛馬がその役を負っていた。牛や人間が土によごれることはもちろんであるが、「鞭もまた」と切り取ることでリアルな生活感が出た。「泥まみれなり」もいい。「まみれ」は平明だがいかにも泥の中で作業している感じがあるし、その俗っぽさを受ける「なり」も力強い。二句目、丸太にするのか間伐かは知らず、山の木をひたすら伐り倒す。雪が積もっている中で伐採を行うこともあるとは知らなかったが(筆者は北海道生まれなので、屯田兵が冬に木を伐ったら春になって積雪分数メートルの高さの切り株が出来てしまったという逸話を大人たちに何度も聞かされている)、この句は雪山だから切ない。手も足も冷たく、作業は過酷だろう。きびしい寒さの中で木を伐り倒しながら、この人は自分が伐った木の音が「雪山を出てゆか」ないと思っているのである。数百年は生きたであろう木がなくなってしまうのだから、伐採はさみしい。その時間のダイナミズムは、生の実感が研ぎ澄まされた雪山での作業なればこそ感ぜられるものである。

命綱つけ本堂の雪卸し 
腰かけの空樽うかべ早苗取り

のような、雪国ならでは、農家ならではのスケッチもおびただしい。これらの中に混じる次のような句は、若井の志向をよくよく表している。

仏壇の中までおよび稲埃 
雪おろし仏間の真上よりはじむ 
太陽に額づくごとし田草取り

一句目、稲扱のときに出た埃が、家の中の仏壇にまで飛んでいる。一見してあっさりとした写生句であるが、ここで稲埃が飛んだのが仏壇だったことは若井には非常に重要であったろう。のちに第三句集『冠雪』のあとがきにおいて、父から受け継いだ農業を〈先祖からの農業〉と表現する若井にとり、仏壇に飛んだ稲埃は、収穫のよろこびを父祖と共有している光景にも見えた筈である。二句目、屋根にあがって積もった雪を掻く。「はじまる」ではなくて「はじむ」だから、仏間の上からやりはじめたのは意識的だ。若井とてむろん何かの縁起をかついだり、あるいは深い意味を持たせたりしているわけではない。仏間から始めるのはおそらく偶々なのだ。しかし、「仏間の真上よりはじむ」と書くことによって、若井は仏間、すなわち祖なるものへと接続する。若井はおそらく、このようにして日ごろから、おのれの日常を父祖の存在へと繋げているのである。三句目、田草取りをしている様子は太陽に額づいているようだという。直喩はあるものとあるものとの接点を見いだすものである一方、新たなる接点を作り出してしまうこともある。「太陽に額づくごとし」と書いたときの若井はたしかに田草取りの姿かたちは何かに額づいていると発見しただろうが、かつ同時に、自らのポーズとして、田草取りの営みは太陽という大いなる存在に額づくことなのだ、と主張する。

第二句集『雪田』は平成8年に本阿弥書店から刊行された。

立ち憩ふときも滴り田植籠 
野火打ちし棒なり野火の灰まみれ 
空稲架の縄のたるみも越後かな

農の生活を活写して気持ちがよい。一句目、水の滴る田植籠。苗のいきいきとした感じが休憩のあいまの気分と重なってリアル。二句目、「野火打ちし棒なり」と即物的に提示したあと、またことさらに「野火」と畳みかけ、棒の存在感は重厚に。三句目、前半の平明な景を「越後」に収束させる。どこにでもある生活感は強引に作者のもとに引き寄せられる。作者にとっての「空稲架の縄のたるみ」は自分自身で手にした実感なのである。

手毬唄おもひだすまで撞きにけり

この句の迫力と言ったらどうであろうか。何をもってこの人は手毬を撞かなければならないのか。喉元まで出かかった歌詞が浮かぶまで無言で撞きつづけることはたしかにあろう。ただ、それが〈手毬唄おもひだすまで撞きにけり〉という言葉になると、どうにも不気味にさえ思われるのだ。まるで思い出されなかったら永遠に撞きつづけなければならないような感じが「おもひだすまで」にはある。手毬唄の歌詞もまた古く伝えられたものであることを思ったとき、この迫力はやはり若井が意識する過去とのつながりによって生じていようと思う。

またこの一句は集中で筆者がもっとも愛唱するものである。

雪越しに顔のあらはれ雪卸し

自分だけではなく、隣家もまた雪卸しをしているのだが、雪がはげしく降っているので気づかない。あるときに向こうがこちらのほうへ向かってきて、ようやく顔が確認できるまでの距離になったのである。それほどの大雪の中で作業をしているのだ、ということがこの句からは分かる。なにより「雪越しに」という表現が迫真ではないか。「越し」というのはふだん「壁越し」「垣根越し」「ガラス越し」などと隔たったものを挟んでいることをいう。「雪越し」と言わなければならなかったこの雪は八方の視界を殆んど遮断するようなものであったに違いない。豪雪の地をたしかに書きつけた句である。

第三句集『冠雪』は平成18年に角川書店から刊行された。

客土より湯気立ちのぼる春田かな 
大足で踏み込みてより深田植 
年輪を定かに炭火おこりけり

一句目、客土は土壌改良のために別の地の土をいれた土のこと。春先の田は微生物の活動などによって早く凍てがゆるむので、外気との気温差で湯気が立ちのぼる。客土であるゆえにいっそう土が生命力を得ていると喜んだ句である。二句目、深田→大足という構図は分かりやすいが、「より」が面白い。この句は決して「大足で深田に踏み込んだ」ということを率直に述べているのではない。これは田の句ではなく田植の句だ。「大足で踏み込」むこと「より」(それによってまさしく! のニュアンスがあろう)「深田植」らしくなるのだ、という定義づけである。三句目、炭となったあとでも木の年輪がありありと残っている。助詞が巧妙である。「年輪の定かに」であればこの「に」は現代語でいう「で」のような意味合いで小さな切れのはたらきになっていたであろうが、この句は「年輪を定かに」であるから副詞だ。「定かに」が明確に「おこりけり」に掛かっているのである。炭火がおこることと定かなる年輪とはここにおいて切っても切れない濃い関係を結ぶ。木が幾年も育った証左である年輪を以て火が生まれる。時間と火というプリミティブなものの並列が強い。

雪壁の途切れしところ忌中札

豪雪地帯は冬が更けると何メートルもの雪が積もる。雪掻きをすると言っても、雪を捨てる場所には限りがあるし、そうそう敷地の全ての雪をどけるのも骨が折れるので、しぜん除雪するところとされないところとができて、人が通るところ以外は高い雪の壁になる。これを雪壁という。雪壁が途切れたということはふつうそこに玄関があるわけだが、この句はそれは言わずに「忌中札」があると書く。忌中札は白地に黒字なので、ずっと雪壁を来た作者の目にはことに唐突に映る。句のつくりとしても「ところ」でぷつんと切れた後、「忌中札」という名詞が無造作に投げ出され、いかにも殺伐としている。若井は雪の句がことにいい。『雪田』の〈雪越しに顔のあらはれ雪卸し〉もそうだった。『冠雪』にはほかに〈ふたたびの雪起しには振り向かず〉〈寸分の隙なく雪の積もりけり〉〈無尽蔵とは降りしきる雪のこと〉などの句がある。ドラマチックさも感じるが、過剰ではなく、総じてむしろそっけなく、無造作な感じがある。

祖なるものへの意識という点では本句集のこの句が白眉であろう。

畦塗るやちちははの顔映るまで

灌漑水が流出するのを防ごうとして行う畦塗りに、なにゆえに父母の顔を映さねばならなかったか。いくら塗り上げられた畦とはいえ鏡にまでするのは骨が折れよう。それでも映る「まで」は塗りつづけるというのである。執念を感じる。ちちはははこの田にはいまい。畦を塗りながらその顔を思い出しているのである。かつて父母がひたすらにこなしたこの作業に自分もまた加わる。父母の、ひとびとの生活史につながる自覚がこの句をして「映るまで」と言わしめている。

そして昨年26年、KADOKAWAより刊行された第四句集が『雪形』である。平成18年以降の句が大半だが、〈秋草も岩も大河へ崩れ落つ〉など平成16年の新潟県中越地震にかかわった句も冒頭に章立てして収める。先の『冠雪』にも中越地震の句は前書き付きで10句収められているのであるが(〈炊き出しの夜目にも白き今年米〉〈裂けし地を踏む天皇に草もみぢ〉)、それとは別の作である。

さて、平成18年以降の句に目を移すと、〈還暦もとうに過ぎ、人生の儚さを思うときもあるが、今後も力の続くかぎり鍬の柄を握り、自然界と睦み合ってゆきたい〉(同書あとがき)の言葉通り、既刊三句集と変わらない意識の風土詠がうちならぶ。

青嶺よりこぼれ落ちたる棚田かな 
ほの白く天日すわる代田かな 
堆き雪を鎮めて雪降れり

これらの句の「こぼれ落ちたる」「すわる」「鎮めて」はいずれも擬人法である。このような知的な見立てにはなるほど狩行門らしさを感じるものであるが、それにしても動詞が大がかりだ。古く人が太陽に様をつけて「お天道様」と呼んだのと同じ素直な畏敬を「すわる」「鎮めて」に感じるし、「こぼれ落ちたる」のコミカルさだってともすれば過剰に大げさな神話の世界観と地続きかもしれない。ところでこの三句は下五の切れが格調だかい。ともに定型にしたがっている背筋のよさも相まって朗々と詠じあげたくなる。若井の句に対してさきほどから筆者は一貫性を言ってるのであるが、ただ切れ字に関していえば句集を追うごとに切れ字が増える。第一句集『雪意』などは読んでいて気になるくらい切れ字が少なく、たとえば下五がラ変系活用語――要するに「けり」とか「り」とか――の句は4句しかないし、下五「かな」は7句にとどまる。対象にまつわる気分、意味を執拗に描いたとでも言えよう初期句群であるが、第四句集に至るまでに増える切れ字によって、彼の句にはおおらかな余白が生まれた。それは彼が意識する過去への時間のはるけさを裏打ちするものであろう。

峡中や蛇笏遠忌の雲の端

ここまで引かなかったが忌日俳句が多いのも若井の特徴である。〈空気やや抜けしてんまり良寛忌〉〈砂粗き汀歩きて啄木忌〉(『雪意』)〈潮風に髪のもつるる多佳子の忌〉〈炊煙の山へ流れて良寛忌〉(『雪田)〈蛤の汁のうは澄み翁の忌〉(『冠雪』)など、人物にゆかりの事物を詠みこむ作が多く、取り合わせとしてはさほど飛んでいないシンプルな方法である。「峡中」もまたいかにも蛇笏の山盧のおもむきがある。その息子龍太が〈一月の川一月の谷の中〉(『春の道』)と詠ったその谷は山盧のうしろにあった。この「峡中」は「谷の中」と呼応しているように思われる。この句、なにより「遠忌」がすごい。遠忌は十三年以上の年忌に対していうがこの場合は五十回忌であろう。意味自体を取り上げてもさほどではないが、「をんき」という響きには言い難い迫力がある。「遠」の字面も蛇笏逝去の50年前を思うときに強い。単に時間で言えばたとえば先の良寛忌のほうがよほど経ているのだが「遠」という字があるので出てくる時間の厚みが違う。

黒土の畝たかく春去り行くも

オーソドックスなつくりが多い中にあって、句またがり、かつ句意が明白ではないこの句はやや異質かもしれない。土が黒いのは腐れた植物のせいで、そのいい土が畝をなしている。農業生活が本格的になる時期の気分のよさを言った句と思うが、この「も」はなんであろう。ゆったりとしたそれまでの流れには散文の匂いもしないではなく、だからこれは接続助詞のような気がするのであるがいかがか。去り行くのだが、とか、去り行くのであっても、とか。いずれにせよその後は述べず、言いさしである。何を感じたのかは作者自身うまく言えなかったのだ。「春終る」「春逝く」などのきまりきったかたちではない、「春去り行く」と引き延ばした表現には、その微妙な気分もあった筈である。

かまくらの奥で手招きしてゐたり

俳句は断らないかぎり主語は自分である、とはよく言われるところであるが、この句の主体はどうも自分ではない気がする。そう思ったのは自分がしているのであれば「奥」と言うだろうか、という理由だ。だからこの句は、自分は外にいて、かまくらの奥の誰かに手招きをされている。かまくらをなす雪は分厚く、中は小暗い。そこに招かれる。むろんかまくらのある景であれば日常茶飯のことがらではあろうが、いやに不思議な雰囲気がある。主語が誰か分からないからなおさらである。

いずれも、風土の中で感じた微妙な気分をたしかに書きつけた句だ。たしかだから迫力がある。祖なるものを肌で感じる生活は、きっと彼にこれからも多くの思いを抱かせるであろう。時間への意識に裏打ちされた彼の句は、以後もすごみを帯び続けるにちがいない。

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