2015年5月15日金曜日

「豈」16号の頃のこと ―中烏編集長時代― / 筑紫磐井



愛知から出ている俳句雑誌「韻」が、かつて「豈」の編集長をしていた中烏健二の追悼記事を載せていた。昭和23年生まれ、攝津より1つ若い。大井編集長に連絡したがまだ連絡は来ない。昨年6月に亡くなったらしい。

名古屋にいた中烏が「豈」の編集を引き受けた期間は12号(1989年12月15日)から16号(1991年10月31日)までの短期間であるが、「豈」はこの期間やっと定期刊行に復帰している。だからその最大の功労者が中烏だった。何しろそれまでは3年に1回しか出ない遅刊の雑誌で有名だったのだから。なお12号発刊に当ってA5版に縮小変更しているのは中烏の趣味だろう。小さい活字がびっしりつまっている。老眼世代の現在の「豈」では考えられないことだ。表題も「豈nouveau」とされているのは意気込みがよくあらわれている。

16号を見ると実に懐かしい。同人二七人、四八頁は、現在の三分の一の規模だが、熱気はどちらがあったかは一概に言えない。

仁平勝が「加藤郁乎論(6)」を執筆しているが、これはその後単行本となった。この回は『えくとぷらすま』(その2)を書いている。

筑紫磐井は「新・鑑賞法入門(4)」を書いているが、これはその後『飯田龍太の彼方へ』となり俳人協会評論新人賞を受賞する。

攝津幸彦は、「陸々集」の名で100句を掲載。1992年5月に弘栄堂書店から『陸々集』として刊行されている。仁平勝の「別冊『陸々集』を読むための現代俳句入門」という解説書を付して刊行されたものだ。

長岡裕一郎は「寒兎跳梁杯」の50句、富岡和秀「天子論」、朝倉福「残尿記」、大屋達治「芥楼句帳(弐)」40句を発表している。その他は20句だ。現在豈に全く作品を発表していない大屋がこの頃は元気であったのだ。


祈りとは膝美しく折る晩夏 攝津幸彦 
君代知るやおはぐろどぶに薄氷 長岡裕一郎 
眼の中の蛇昇りゆく生命の樹 富岡和秀 
淡雪や堤駆けゆく「ち」の司 朝倉福 
畦焼くやあれは利休の捨てし舟 大屋達治

その他の作品発表者も、攝津、長岡の他にも、須藤徹、中村裸鳥はすでに鬼籍に入っている。現在残っている同人は7人。

大本義幸は「冬至物語(第八夜)」と題して不思議な文体を発表。

妹尾健が「季語・季題論の形成―有季定型の中心問題(2)―」を書いているがどこまで続いたのだろうか。

中烏はこの号で作品を発表していない。編集後記だけを書いている。

「随分16号の発行が遅れてしまい、申し訳ありません。深くお詫びいたします。(近ごろあちこちで謝ってばかりだ)
直接の編集は本号で中烏が終り、次号から筑紫磐井さんに交替の予定。
筑紫さんなら間違いなく、きちんとやっていただけるだろう。」

これが後任の編集長である私に対する業務引き継ぎである。「きちんとやれ」ということだ。また、同人全般に対しては、もう少し精神論を述べている。

「もともと一匹狼的な連中の集まりの同人誌だと思うが、ずらり作品を並べると、やはりそんな光景が見えてくる。
橋本七尾子さんが言ったが、パチンコ屋の眺めに似ているかもしれない。
ところで、必死にあるいは余裕でパチンコ台に向かっている豈の連中にも、俳句に対しては共通の意識があり、どうかすればあるまとまりを持ってくるような気がかねてからしていた。(ないものねだりかもしれないが)
そんなことになれば、面白いことになるかも。豈誌がどう展開し、以下に結末を迎えるか、もう少し様子を見よう。
逆に、益々てんでんばらばらになってゆき、お互いとりつくしまのないままだったらどうするか。その時はその時と、いったら遺憾だろうか。
同人誌が本来、運動体としての役割を担うものとしても、様相は変化しつつあり、別の意味を持つようになってきてはいないか。むしろ運動体というものは、同人誌を越えて、偶然に、社会的に・・・・・」

これが「豈」を通して中烏が残した遺言だと思うと切ないものがある。

それにしても、中烏のパチンコの比喩は分かりにくい。橋本七尾子の前号作品評を見てみよう。殆ど全員の作品をなで切りにした挙げ句、次のような感想を述べている。

「「唐突な質問だが、「あなたは麻雀が好きですか。パチンコが好きですか。気晴らしにやるとしたら、どちらをやりたいですか。」
どちらもいささかの時間とマネーを擁する庶民的なギャンブルだが、麻雀とパチンコには大きな違いがある。
何はともあれ麻雀にはメンバーという相手が必要で、いくら自分がペナルティを払うのだからといっても勝手気儘は許されない。おのずからゲームの流れというがあるから、それを無視すると白い眼で見られることになる。
そこへゆくとパチンコに派仲間も居ないし、セオリーもない。負けを覚悟しさえすれば、どんなくず台に有金全部はたこうと、やみくもに打って溜飲を下げようと誰に文句を言われる心配もない。
ここで私が言いたいのは、「豈」十五号の光景はパチンコ屋の眺めに似ているということである。
隣の人には、目もくれず、台に向って一心不乱、セオリーも戦略も有らばこそ、眼を血走らせて孤独な作業に励む一匹狼の群である。」

そうか、「豈」とはこんな雑誌であったのだ。


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