2015年4月17日金曜日

第15号




  • 5月の更新第16号5月1日第17号5月15日第18号5月29日




  • 平成二十七年 俳句帖毎金00:00更新予定) 》読む
    (4/24更新)春興帖、第八
    …佐藤りえ・中西夕紀・小林かんな・岡村知昭・関根誠子・中山奈々
    (4/17更新)春興帖、第七 (第83回海程秩父俳句道場編)
    …五島高資・堺谷真人・望月士郎・北川美美・筑紫磐井・宮崎斗士・関悦史
    (4/10更新)春興帖、第六
    …大塚凱・五島高資・飯田冬眞・ふけとしこ・坂間恒子・水岩瞳・寺田人
    (4/3更新)春興帖、第五
    …夏木久・望月士郎・川嶋ぱんだ・花尻万博・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
    (3/27更新)春興帖、第四
    …仮屋賢一・豊里友行・網野月を・瀬越悠矢・小野裕三・小沢麻結
    (3/20更新)春興帖、第三
    …早瀬恵子・前北かおる・堀田季何・岡田由季・浅沼 璞・真矢ひろみ
    (3/13更新)春興帖、第二
    …木村オサム・月野ぽぽな・陽 美保子・中村猛虎・山田露結・近恵
    (3/6更新)春興帖、第一 
    …福永法弘・曾根 毅・杉山久子・仙田洋子・神谷波・堀本 吟



    【好評連載】


    「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・

    その7筑紫磐井・堀下翔 》読む

    ・今までの掲載
      【俳句を読む】

      • 三橋敏雄『真神』を誤読する (108)
      • (野に蒼き痺草あり擦りゆけり) 北川美美  》読む



          当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む … 》読む
            ●およそ日刊「俳句空間」 (おおよそ月~土00:00更新) 
              日替わり詩歌鑑賞 》読む
              …(4月の執筆者)竹岡一郎・佐藤りえ・依光陽子・仮屋賢一・黒岩徳将・北川美美
                大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                  【時評コーナー】
                  • 時壇(隔週更新)新聞俳句欄を読み解く
                    ~登頂回望~ 六十一   網野月を  》読む
                    • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)

                    気後れするほどの誠実さ 
                    ―竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』―    外山一機 》読む
                     荒金久平『改訂復刻版句集 炭塵』の記憶 
                                堀下翔 》読む  

                       ・リンク de 詩客 短歌時評   》読む
                    ・リンク de 詩客 俳句時評   》読む
                    ・リンク de 詩客 自由詩時評   》読む 





                      【アーカイブコーナー】



                      ―俳句空間―豈weeklyを再読する

                      2008年8月15日発行(第0号(創刊準備号))■創刊のことば
                      俳句など誰も読んではいない高山れおな   読む
                      アジリティとエラボレーション中村安伸  読む

                      2009年3月22日発行(第31号)
                      遷子を読む(はじめに)
                      中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   》読む



                          あとがき  読む


                          祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!
                          句集『巨石文明』の成果により  
                           祝辞 筑紫磐井 第14号あとがきに記載 ≫読む

                          間もなく豈57号が刊行いたします!
                          薄紫にて俳句新空間No.3…発刊!
                          購入ご希望の方はこちら ≫読む

                              筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                              <辞の詩学と詞の詩学>
                              川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 



                              筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆








                              第15号 あとがき

                              2015年4月30日更新

                              あとがき遅延記録更新してしまいました…。

                              春興帖が最終便、次号から花鳥篇が開始されます。

                              今号は時評が2本同時掲載! 外山一機 vs 堀下翔 。当代若手の冴えある論評をお楽しみください。

                              (B&Bのその1)

                              【俳句時評】 気後れするほどの誠実さ ―竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』― / 外山一機



                              先月末、安倍首相が花見の際に披露したという俳句が新聞やテレビで紹介された。「賃上げの花が舞い散る春の風」という句がそれである。安倍首相が俳句を披露したのはこれが初めてではない。昨年四月にも「給料の上がりし春は八重桜」と詠んでおり、また同じく昨年一〇月のイタリア訪問の際もEUのバローゾ欧州委員長らに俳句を贈っている。

                              僕はこれらの俳句について、その表現としての未熟さを指摘しようとは思わない。僕にとって何より興味深いのは、僕たちがこれらをごく自然に「俳句」として読んでしまったという事態そのものである。これらの句を「俳句」として読んだのは、もちろん、これらの句が安倍首相の「俳句」として報道されたからであろう。だがこのような報道が可能であったのは僕たちに「俳句」という表現形式についての共通理解が成立しているからである。一方で僕たちは、「俳句」とは何か、という問いを少なからず目にしてきた。幾度も繰り返され懐かしい気配さえ漂うこの問いは、たとえば竹岡一郎が今月上梓した『ふるさとのはつこひ』(ふらんす堂、二〇一五)にも見られるように、今なお問い直されていることだ。にもかかわらず僕たちは「俳句」の何たるかをすでに理解しているようなのである。僕はこれらのどちらが間違っているとも思わないが、いまの僕は、「俳句」とは何かと問う誠実さにどことなく気後れがし、むしろ、わかっているような顔で「俳句」について語る身ぶりのほうこそが信じられる気がするのである。

                               芥川龍之介の「侏儒の言葉」に次の一節がある。

                              我我は母の胎内にいた時、人生に処する道を学んだであろうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。勿論游泳を学ばないものは満足に泳げる理窟はない。同様にランニングを学ばないものは大抵人後に落ちそうである。すると我我も創痍を負わずに人生の競技場を出られる筈はない。(略)
                               人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ。

                               試みに芥川のこの言葉に倣うなら、僕たちにはたしかに、俳句を学ばないうちに俳句を詠み・読むということがある。「俳句」とは何かという問いが今なお繰り返される所以である。「我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ」という一文の「人生」を「俳句」に置き換えたとき、そこにいくばくかのリアリティを感受するということはたしかにある。ただその一方で、こうした誠実な姿勢を嗤わずにいられないのははたして僕だけであろうか。芥川は「こう云うゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去るが好い」と言い、「人生の競技場に踏み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ」と言う。だが、いったい芥川のいう「ゲエム」「競技場」にとどまるほどの切実な理由が本当に僕たちにあるのだろうか。
                               そういえば安井浩司が俳句の現在について書いた一文のなかに、俳句を競技に見立てた次の言葉があった。

                              いつからか、俳人は、こまめに近距離のものをのみ撃つようになることであった。たとえば、彼にとって、近距離のものしか見えないせいだろうか。いや、私は、それを素材主義というほど狭量ではないつもりだ。ただ、近距離において、はやばやと安い魂を射てしまう空しさだけが目立つのである。小公園の狭い場の中で、さかんに撃ちあうから、命中率は高いだろう。命中弾を撃つことは、遠いものへの至近弾を撃つことよりも簡単なのである。私の観察するところ、近代俳句史のなれの果ては、ひたすら〝命中〟を楽しむ射的の場だけがひらけているようであり、そういう〝名手〟だけが要請されているようである。 
                              (「渇仰のはて」『海辺のアポリア』邑書林、二〇〇九)

                               安井のいう「ひたすら〝命中〟を楽しむ射的の場」「小公園の狭い場」は、芥川の「ゲエム」「競技場」とおよそ異なるものであろう。安井と芥川のまなざしの先にあるものが必ずしも同じであるとは思わないが、少なくとも両者はその誠実な姿勢においていくらか共通するところを見出せそうである。そしてそれゆえ、僕は安井のこの言葉に同意するとともに、同意するという自らの振る舞いをついに嗤うことなく全うする自信がないのである。さらにいうなら、僕は「ひたすら〝命中〟を楽しむ射的の場」ではなく芥川流の「競技場」にとどまりうると今なお信じることのほうにこそ空々しさを感じるのである。僕たちは本当に「はやばやと安い魂を射てしまう空しさ」に抗うほどの理由を持っているのだろうか。

                               たとえば摂津幸彦とは、こうした空々しさに自覚的な作家であったように思う。摂津はその空々しさを知っていたからこそ「こまめに近距離のものをのみ撃つ」ことをやめなかったように思うし、また、「こまめに近距離のものをのみ撃つ」ときと同じ姿勢で「遠いものへの至近弾を撃つ」こともできたからこそ摂津は稀有な書き手であったように思う。実際、高柳重信が摂津の『鳥子』の序文に記した「本当にすぐれた俳人は、ただ一人の例外もなく、そのときどきの俳句形式にとって予想外のところから、まさに新しく俳句を発見することによって、いつも突然に登場して来たのである」という言葉は、摂津をこのように理解するときいくらか了解できるようにも思うのである。先にふれた竹岡の句集の巻末には摂津から影響を受けた旨を綴った一文が見られるが、竹岡の句集がどうしてもナンセンスなものに思われてならないのは、いわば「『こまめに近距離のものをのみ撃つ』ときと同じ姿勢で『遠いものへの至近弾を撃つ』」という摂津に倣いつつもその実「こまめに近距離のものをのみ撃」っている、という迂路を辿っていることに対して、竹岡に何の衒いもないように見えるからだ。それを象徴するのが、竹岡が巻末に記した「俳句とは詩の特攻である」という一言であろう。

                               なぜ俳句を選んだか。「比良坂變」を書いていた頃、漸く形を成してきた思いがある。「俳句とは詩の特攻である」、この答を手にして以来、私は迷わなくなった。
                              「俳句とは日本のなつかしい山河である」、例えば、こんな答が羨ましくないと言えば嘘になる。だが、如何に羨もうと、それは私のための答ではない。答は恐らく、俳人の数だけあろう。各人が独自の答を見つけられることを祈る。
                               
                              (「あとがき」前掲『ふるさとのはつこひ』)

                              僕は「特攻」という言葉を用いた竹岡について倫理的な是非を問おうとは思わない。僕が気になるのは、おそらく摂津は竹岡ほどまっすぐな気分でこうした言葉を用いることはなかったのではないかということのほうである。僕が「俳句とは詩の特攻である」という一言を不思議に思うのは、「摂津幸彦」以後にあってどうして竹岡がこのように素直に書きつけられるのだろうかということにある。

                              鬼火曰く正義はあたしだけにある
                              ミサイルに張る蜘蛛の巣を奏でる蝶
                              聖(ひじり)よ俺は死霊の坩堝かつ子宮
                              比良坂に植う新しき桃の苗
                              朝焼のピンヒール「パパ刺して来た」
                              比良坂や涙のやうに蛆零る
                              弔銃は無し草笛をただ一度

                               摂津に「生前ついに、知ることもまみえることも出来なかった悔恨に、逆上」し、「逆上のままに書き綴った」という「比良坂變」から引いた。竹岡の言葉は、その語彙の異様さにもかかわらず、いわば馬脚をあえて晒しているのではないかとさえ思えるようなわかりやすさへと決着していく。摂津が、自分の知っていることを書くことで自分の知らない彼方までを書きえたのに対し、竹岡は自分の知らない言葉で自分の知っていることを書いているのではあるまいか。あるいはまた、次の句の場合はどうだろうか。

                              巨き脳わたつみへ煮え墜つる夏

                              安井浩司には「鳥墜ちて青野に伏せり重き脳」があるが、安井の句は「鳥墜ちて青野に伏せり/重き脳」と切れを設けることで「鳥」と「脳」との間に奇妙な歪みを生じさせ、そこに安井独自の存在論さえほのみえる。対して竹岡の句は、たとえるなら「巨き脳」のありようを一枚絵にしたような感じで、そのキャンバスの裏側には何もないがその一枚絵の迫力をもって押し切ったような句である。そして、この押し切りかたがさらなる凄みをもったとき、思いがけない句が現れるようである。竹岡の句に多分に気後れしながらも、しかしいつのまにかそれを忘れてしまう瞬間があったとすれば、それはたとえば次の句に出会ったときだった。

                              あたしのくしやみで文明畢るけど
                              鋼鉄の蛹を割つて超てふてふ
                              おほひなる精子地底湖へ着床
                              祭あと市電がへんなもの撥ねる
                              少年が少女に東風をけしかける
                              螢浴び地獄の覇者になりたくねえ




                              【俳句時評】 荒金久平『改訂復刻版句集 炭塵』の記憶  /堀下翔



                              荒金久平『改訂復刻版句集 炭塵』(平成26年/文学の森)が刊行された。著者荒金(昭和4-)は昭和32年「芹」入会、素十没後は「蕗」に拠った作家で、昭和21年から定年まで三井三池炭鉱に勤め上げた。定年目前の昭和58年に刊行されまた今回復刊に至った『炭塵』はその炭鉱マンとしての生活を詠った句集である。編年体収録の掉尾が昭和55年の句でありながら、その後の第二句集『初空』(平成18年刊)が昭和47年の句に始まっているのは、『炭塵』あとがきに〈尚収録した句は全て「芹」誌入選句とし、一部「蕗」「雪」誌より炭鉱生活関連の句のみを採録、この句集の締めくくりとした〉とある通りであり、同あとがきが〈三池争議、三川鉱爆発事故、僚友や多くの知人の事故死、宮浦坑をはじめ多くの閉山、全ては炭鉱生活の思い出にあり一期一会ではなかっただろうか。/来春定年を迎うるに当り、今後の句作の一つの節目として刊行することを思い立った。この拙い句集が鉱山に逝った多くの人々の鎮魂の詩となり、炭鉱生活の証しとなれば幸甚と思う次第である〉と記す本句集の性格を表している。

                              刊行から30年以上が経過した『炭塵』が再び陽の目を見ることになった事情には、幕末・明治期の重工業施設を世界文化遺産登録にこぎつけようとする近年の運動が大いに関連している。

                              平成17年、鹿児島県が主催した「九州近代化産業遺産シンポジウム」に端を発する登録運動は、平成18年に九州地方知事会が「九州近代化産業遺産の保存・活用」を政策連合項目として決定したのを皮切りに複数県による取り組みへと発展した。世界遺産への登録を目指す暫定リスト――これは各国の推薦候補である――に「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が掲載されたのは平成21年のことであった。ここに含まれたのは福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、山口県、岩手県、静岡県、北九州市、大牟田市、中間市、佐賀市、長崎市、荒尾市、宇城市、鹿児島市、萩市、釜石市、伊豆の国市の8県11市であり、以後、上記で構成される登録推進協議会はシンポジウムや専門家会議を重ねた。平成25年に政府は同施設群を推薦案件に決定。そして本年6月、第39回世界遺産委員会において、登録の可否が審議される予定である。

                              萩の産業化初期の遺産群、集成館、韮山反射炉、橋野鉄鉱山、三重津海軍所跡、長崎造船所、高島炭鉱、旧グラバー住宅、三角西港、官営八幡製鐵所と共に同施設群の一つに指定されたのが三池炭鉱であった。登録の審議を間近に控え、各施設に大きな注目が集まる中、三井三池炭鉱を記録した文学作品として、『炭塵』が再び取り沙汰された。『炭塵』復刻版編集後記によれば、熊本大学文学部の学生がまとめた実習報告書、また〈京都在住の造園家の著書〉に句集の存在が紹介された結果在庫問い合わせが相次ぎ、次第に当時の残部では対応しきれなくなった――とのことである。

                              朝日新聞が取材した句集復刊の記事を筆者は興味深く読んだ。記事は上記の経緯に触れたうえでこのように書く。

                              その中で「人々の記憶も残したい」と大学研究者らから句集の問い合わせを受けた。(「朝日新聞」2015年1月30日西部・朝刊・福岡1地方)

                              いったい〈人々の記憶〉とはどのようなものであろうか。筆者が心惹かれたのはその点であった。一人の人間が書いたものが記憶などという個人的なものの集積を引き受けているのだとしたら、それははたしてどのような形をとっているのだろうか。まず思いが至ったのは、歴史の記述から抜け落ちたごく些末な事実関係はおそらくそういったものの一つとなりうるだろう、ということだった。たとえば以下の句は優れた炭鉱生活のデッサンと言いうる。

                              ポンプ座に餅を供へて坑内を守る 荒金久平(昭和33年)

                              坑内で使用するポンプに鏡餅を供え、新しい一年の安全を神仏に祈る。炭鉱生活にこのような文化のあったこと、年末年始であれ鉱夫が労働に従事していたことなどがこの句からは分かる。また「坑内」を「こうない」と読めば定型をはみ出すので別の読みが考えられる。これ以前のある句には「しき」とルビを振っている。「鋪」からの転用であろう。「やま」と読ませる句ものちには登場する。「しき」にせよ「やま」にせよ、それ自体は「坑内」、ことに「内」の意味を持たない。以上の点から、鉱夫たちの文化圏にあっては「坑内」と書いて「しき」「やま」と読むことがあったこと、また、彼らにとって「しき」「やま」はその内部を指していたことが考えられる。

                              初風呂や炭塵の顔みな笑ひ(昭和38年)

                              この句もまた前掲句と同様に鉱夫が正月休みを持たなかったことを示している。〈みな笑ひ〉という表現に、当事者たちにとっての炭鉱業務が正月であれば正月らしくめでたく笑い合うという当然の生活上にあったことを嗅ぎ取ることも可能である。

                              俳句形式なればこそ示されることがらも当然あるだろう。たとえばそれは17音の短さが許さなかった部分、すなわちそこに何が書かれなかったかだ。

                              俳句の骨法としばしば称される省略は要するにどこまで書かないでも通じるかを判断する行為である。例として清崎敏郎の〈雪の上に樹影は生れては消ゆる〉(『島人』昭和44年)という句を考えてみよう。一句が描いているのは――「雲」が流れて「太陽」が出ると、雪の上に樹影が現われ、また「雲」が「太陽」を覆うと、その樹影は消えてしまう――一こういった情景である。この情景を示すのに、その原因である「雲」と「太陽」の存在は言わないでもよいのである。もちろんこの句が素晴らしいのは「雲」と「太陽」を切り捨てられると判断した敏郎の観察眼なのだけれど、重要なのは、この句を読んでいる筆者たちとこの句を書いている敏郎との間にはいくつもの共通認識がある、ということである。太陽があれば樹影は生まれること、雲が太陽の下に来ると光は遮られること、雲は切れ切れになって流れているものであること。常識的なことがらを前提として省略は成立しているのである。

                              筆者は『炭塵』を読みながら、しばしば句意の分からない句に行き当たるので困ってしまった。

                              花散らす雨は恐ろし入坑す(昭和40年)今娑婆に出でしを告ぐる梅雨の月(昭和37年)

                              どうして花を散らす雨が恐ろしいのか。そう思ってページをめくると〈花の雨気圧降下を恐れつつ〉というほぼ同義の句が載っており、そちらの句にはこのような註が付されていた。

                              気圧降下の日は旧坑や炭壁面のメタンガスが切羽面に湧出しガス爆発の危険が多くなる

                              また〈今娑婆に〉の句も意味不明瞭である。娑婆というと服役していた罪人が出所し、そのことを家族なり知人なりに告げているのかとも思うが、この句集の編集としては変だ。この句にも註が付いている。

                              死者の魂が坑内に迷はぬ様坑道の箇所を知らせながら昇坑する

                              つまり、事故で死んだ鉱夫の魂は坑内で道に迷って昇天できないという民間信仰があるのである。そうなれば〈梅雨の月〉は土の下の生業と対照をなすイメージということも分かって句意は判然とする。

                              〈人々の記憶〉というものにとって〈死者の魂が坑内に迷はぬ様坑道の箇所を知らせながら昇坑する〉という事実以上に重要なものがここにある筈だ。荒金にとって〈今娑婆に出でしを告ぐる梅雨の月〉は〈死者の魂が坑内に迷はぬ様坑道の箇所を知らせながら昇坑する〉という註がなくとも了解できる句であったのだ。この句を書いた人間にとってそれは常識的な内容であった……俳句がその特性として残しうるのはそういった部分ではないか。〈人々〉がその時代に持っていた意識のありようは、書き残されないことの方にこそ見出されるのである。

                              爆発に父失ひて手毬つく(昭和39年) 
                              憎み合ふ隣り同士や濃紫陽花(昭和35年)

                              も同様である。〈爆発に〉の句が示しているのは、昭和39年の炭鉱町の人々にとって〈爆発〉に失う父は、たとえば兵役にとられ戦闘に命を落とした父ではなく、炭鉱事故に巻き込まれた父であった、ということである。昭和35年作の〈憎み合ふ〉も何が原因で隣人が憎み合っているのかは分からない。句集には註がないが、先述の朝日新聞の記事に本人へのインタビューをもとにしたと思しき解説があった。〈石油へのエネルギー転換という流れの中で、59年から60年にかけて「総資本対総労働」といわれた三池争議が起きた〉。炭鉱町には会社側と労働者側の人間がともに住んでいたのであろう。あるいはストに加わらなかったり離脱したりした者もあったので、最後までストを強行した側とは確執も生まれた筈である。〈熱燗に酔ひし坑夫のスト嫌ひ〉(昭和39年)の句は労働者側の必ずしも全員がストに積極的ではなかった実態を伝えている。ともかくも昭和35年の彼らにとって〈憎み合ふ隣り同士〉とはすぐさまそういった事情に思い至る言葉だったのである。

                              『炭塵』を読めば分かることは多い。それらを〈人々の記憶〉と呼ぶこともできるだろう。けれども、と筆者は思う。そういった内実を受け取ることはこの句集を読むことと決して等しくはない筈である。二度目の引用になるが刊行当初に示された〈この拙い句集が鉱山に逝った多くの人々の鎮魂の詩となり、炭鉱生活の証しとなれば幸甚と思う次第である〉というあとがきにおいて彼自身それを鉱山の人々に対する鎮魂と述べこそすれ、炭鉱生活そのものに関しては自身のそれであるとしか書いていないのである。それは客観写生の忠実な実践者である高野素十門の作者にとっては至極当然の意識であったろう。とすればわれわれはもう一度この句集を読む必要がある。

                              『炭塵』所収の句を一作者荒金に引き寄せて読むとき――尤もそれは通常行われる読みの行為そのものなのであるが――まず気になるのは類似表現の頻出である。その一つである〈鉱害の沼〉という同一表現に展開される句を見てみよう。

                              鉱害の沼のさざなみ芦の花(昭和34年)
                              鉱害の沼に月あるさびしさよ(昭和36年)
                              鉱害の沼の一つの野火あかり(昭和39年)
                              鉱害の沼の枯蓮破れ蓮(昭和40年)
                              鉱害の沼のほとりの草を摘む(昭和41年)
                              鉱害の沼の末枯甚だし(昭和47年)
                              鉱害の沼の末枯はじまりし(同)
                              鉱害の沼に聞きしは初蛙(昭和48年)
                              鉱害の沼の大いに絮のとぶ(昭和49年)

                              おそらく作者にとって最も身近で心の騒ぐモチーフだったのであろう。十年以上に亘って繰り返し取り上げられる〈鉱害の沼〉であるが、これらの句を眺めるときに気づかされるのは、そこにあるのが〈鉱害の沼〉と季語との関係性のみである、ということである。コウガイノヌマという5+2音のあとに季語を含んだフレーズが挿入されるが、多くは季語を平易な言葉で引き伸ばした描写であり、そこにはなるほど素十門らしさを感じるものがあるが、とかく、ここには〈鉱害の沼〉と季語以外のものは存在していないのである。

                              ここに荒金と俳句との関係性がある気がする。荒金は俳句を詠む行為を愛していた。そして俳句と荒金とを繋ぎとめていたのは季語だった。数十年に及ぶ炭鉱生活、こと昼夜逆転もしばしばという状況において、荒金を困らせたのは季語であった。〈坑内の黴も暑さも皆俳句〉(昭和36年)という句もある通り、歳時記に記載されている多彩な季語が身辺に充実しているわけではなかった。結果荒金にとって、季語と出会うことは時として俳句を詠む行為そのものであった。

                              もう一例挙げよう。〈鉱害の沼〉とともに頻出するのが〈入坑す〉およびそれに準ずる表現である。

                              除夜の鐘鳴る頃ならん炭車押す(昭和35年) 
                              硬山の月惜しみつつ入坑す(昭和36年) 
                              坑出づる七日の月の冷まじき(同) 
                              秋天の好日惜しみ入坑す(昭和37年) 
                              いささかの花の疲れや入坑す(昭和39年) 
                              坑口の大魂棚や入坑す(同) 
                              元日の灯のあかあかと入坑す(昭和40年) 
                              短夜のあさきゆめみし入坑す(同) 
                              坑口の大初灯り入坑す(昭和43年) 
                              口笛を吹いて朧や入坑す(昭和44年) 
                              てふてふのひらひらとんで出坑す(同)

                              〈鉱害の沼〉と同様、ここにおいても季語と〈入坑す〉(=荒金自身)との関係性のみが只管に書きつけられている。季語と出会うことと俳句を詠むことは、やはり同一の行為として荒金の句に現れている。

                              そう考えたとき、季語と出会った荒金がしかし、一物仕立てとしてそれを一句ならしめず、〈鉱害の沼〉〈入坑す〉と、炭鉱に身を置く自身との関係性において詠み続けたことが、非常に切実なものとして筆者には思われる。あとがきに荒金はこのように書く。

                              炭鉱に働く一俳徒として、季感の少ない坑内や職場を描写し得る範囲は限られている。しかし、ありの儘を虚飾なく詠い続けたいと願う思念があればこそ今日まで作句し得たものと思う。

                              荒金にとって師素十の示した客観写生の道は自身の生活を偽らずして書きつけることであり、かつ、荒金の生活はつねに〈鉱害の沼〉〈入坑す〉という視点に保証されることでリアリティを持つものであった。『炭塵』にはきっと、頭の中で作った句は一つも入っていない。第二句集『初空』もそうだ。倉田紘文は序において、第一句集が炭鉱生活の記録として評価されたことに対する荒金の言葉を紹介している(倉田はこの言葉を荒金の書いたものからの引用としているが出典は不明である)。

                              私の俳句は見たままを詠む写実俳句。第二句集には炭鉱の句は入れません。二度と詠むことはないでしょう

                              事実、第二句集は炭鉱の句を、昭和59年に起きた有明鉱火災に駆けつけた時のものを除いて一切収めていない(なお同句群は改訂復刻版に『炭塵』以後として再収録されている)。この誠実さはまさしく『炭塵』を〈記憶〉として信頼すべきもののように思わせるものである。

                              作者自身が〈鉱山に逝った多くの人々の鎮魂の詩〉と述べた通り、

                              今年又新しき魂鉱山の盆(昭和38年)
                              冷やかに火薬負ひたるまま逝かれ(同)
                              炭坑の花にひとりの男逝く(昭和55年)

                              といった炭鉱事故を描いた句が『炭塵』には無数に見られる。そんな中にあってやや毛色の異なるのが句敵という田中茂季を詠った句である。それらは断続的に登場する。

                              九月二十八日 三川鉱に於て坑内火災あり、吾が無二の友であり句敵である田中茂季氏ガスに倒る。七七忌
                              菊焚いて菊焚いて酒温めん(昭和42年)

                              昨年九月二十八日 三川鉱坑内火災に倒れし友、田中茂季氏の初盆 
                              坑口の大魂棚に君ありし(昭和43年) 

                              鉱山に逝きし友田中茂季氏三回忌 
                              月に忌を修し三番方にゆく(昭和44年) 
                              霊棚に汝がありし入坑す(同)

                              初盆の句に見覚えのある人は多かろう。昭和39年の〈坑口の大魂棚や入坑す〉とほとんど同形である。昭和39年において〈坑口の大魂棚や入坑す〉と捉えられたその情景は、昭和43年の荒金にとっては〈坑口の大魂棚に君ありし〉として書きつけられるものだったのである。〈入坑す〉を抜きにして〈君〉を呼ばなければならなかった事態がどれほど切迫していたかは想像に難くない。かつまた、同じ情景を再び〈入坑す〉の生活の枠組みで回収し始めた昭和44年の句が、しかし決して〈坑口の大魂棚や入坑す〉ではなかったという結果は、荒金がどれほど生活をリアルに感じていたかをありありと伝えている。


                              • 参考資料

                              三橋敏雄『真神』を誤読する 108. 野に蒼き痺草あり擦りゆけり / 北川美美



                              108. 野に蒼き痺草あり擦りゆけり


                              「痺草」を「しびれくさ」と読むと予想する。標準和名のイラクサかもしれない。ヨーロッパとアジアではその種類が異なるようだが、西洋ではnettleと呼ばれ食用ハーブとして花粉症などに効用があるとされる。いわゆる「食べられる野草」である。マリファナとして知られる大麻もイラクサ目で野草として痺れの作用もあるようだ。いずれにしても、痺れの作用がある野草を生のまま人体に擦り込んだというのだ。


                              「あり」「擦り」」の「り」(Li)の音韻が重なり、更に句末には切れ字の「けり」のLi音で終わっている。17音の頑なな定型でありながら、Ki-Li-Li-Li という音律が調子を創りだし鳥の囀りのようにも感じることができる。 Ki-Li-Li-Li(「きりりり」)という音が、痺れ草が皮膚に擦り込まれていく様子にも繋がり不思議な余韻が残る。俳句も音楽である。詩歌なのだから。


                              以下いくつか音の顕著な真神の句をみてみたい。


                              ・<Ki>音の音律

                              16.著たきりの死装束や汗は急き  KitaKirino … aseha seKi
                              62 裏山に秋の黄の繭かかりそむ     …aKiino Kinomayu KaKarisomu

                              ・<N>音が句の頭韻となっているもの

                              64 撫で殺す何をはじめの野分かな  Na-Na-No



                              上五の形容詞の活用が<Ki>音のものについても拾ってみた。
                              白き、青白き、赤き、強き、重き、長き、の言葉の選択に傾向がある。


                              顔古夏ゆふぐれの人さらひ
                              蒼白蝉の子を掘りあてにける
                              きなくさ蛾を野霞へ追い落す
                              水赤捨井を父を継ぎ絶やす
                              馬強野山のむかし散る父ら
                              青白麺を啜りて遠くゆく
                              水重産衣や春を溺れそめ
                              花火嗅父を嗅ぎ勝つ今夜かな
                              野に蒼痺草あり擦りゆけり
                              喉長夏や褌をともになし





                              Urtica dioica from Thomé, Flora von Deutschland, Österreich und der Schweiz 1885.

                               【時壇】 登頂回望その六十一 / 網野 月を

                              (朝日俳壇平成27年4月6日から)
                                                     
                              ◆春愁や死は怖れぬと言ひつつも (横浜市)松永朔風

                              稲畑汀子と大串章の共選である。「言ひつつも」ということは愁えているのだ。中七座五は「・・も」で止めて反語的に処理している。当然、「実は・・」なのであって余韻を残すというより、続く文言を言わないで確実に言う方法である。詩の叙法として是非論があるかも知れない。

                              ◆異国めく光も午後の彼岸かな (船橋市)斉木直哉

                              金子兜太と長谷川櫂の共選である。長谷川櫂の評には「三席。やけに明るい春の光があふれているのだ。まるで別の国へ来たかのよう。」と記されている。「午後の」ということは、評とは反対にもしかしたら光の量は僅少なのかもしれない。「後」という文字のイメージは光の強さや多さと反比例することもある。また上五の「異国」は何やらヤシの木の茂る港をイメージさせることが多いであろう。少なくとも評者はそう解釈している。「異国」は日本列島よりもより高緯度にある場合も想定される。

                              ◆卒業し起こされるまで寝てをりし (栃木県壬生町)あらゐひとし

                              長谷川櫂の選である。春休みを謳歌しているのであろうか。作者自身のことなのか、身内の誰かのことなのかは判然としないが、深読みすると、他の意味を紡ぎ出しているところに気付く。そこが面白いし、俳諧味がある。


                              「俳壇」の欄外に「うたをよむ」があり、今回は黛まどか著の「三津五郎さんの俳句」と題したエッセイが掲載された。

                              ◆凍鶴のそのひとあしの危ふさは
                              ◆初島を遠くに見せて虎が雨
                              ◆昭和さへ遠くとなりて草田男忌
                              ◆討入の芝居のあとのひとり酒
                              ◆楽屋出で花散る街の人となり

                              句集としてまとめて貰って是非他の御句も拝見したいものである。揚げた句のどれもが歌舞伎に繋がっているように感じる。「凍鶴」「虎が雨」「討入」などは歌舞伎のアイテムそのものである。
                              ご出席されていた「百夜句会では三津五郎さんの忌日に「海棠忌」を提案している。」と書かれている。愛花に因んでのことだそうだ。



                              2015年4月3日金曜日

                              第14号





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                              …木村オサム・月野ぽぽな・陽 美保子・中村猛虎・山田露結・近恵
                              (3/6更新)春興帖、第一 
                              …福永法弘・曾根 毅・杉山久子・仙田洋子・神谷波・堀本 吟
                              【好評連載】

                              「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・
                              その7
                                筑紫磐井・堀下翔 》読む


                                【俳句自由詩協同企画】

                                「俳人には書けない詩人の1行詩  俳人の定型意識を超越する句」
                                ●俳句・自由詩協同企画縁由 …… 筑紫磐井 》読む


                                  • 自由詩3月   ……柴田千晶  》読む
                                  • 俳句3月 虎の贖罪 …… 竹岡一郎  》読む


                                    【俳句を読む】

                                    言いおおせて円かなる―水岩瞳句集『薔薇模様』 

                                    ……関悦史  ≫読む




                                        当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む
                                        堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
                                          およそ日刊「俳句空間」 (おおよそ月~土00:00更新) 
                                            日替わり詩歌鑑賞 》読む
                                            …(4月・月~金の執筆者)竹岡一郎・佐藤りえ・依光陽子・仮屋賢一・黒岩徳将・北川美美
                                              大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



                                                【時評コーナー】
                                                • 時壇(隔週更新)新聞俳句欄を読み解く
                                                  ~登頂回望~ その五十九・六十……    網野月を  》読む
                                                  • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)

                                                  …堀下翔   》読む 
                                                  under construction 
                                                  • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                                  • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                                  • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                                                    【アーカイブコーナー】

                                                    ―俳句空間―豈weeklyを再読する
                                                    2008年8月15日発行(第0号(創刊準備号))■創刊のことば            
                                                    俳句など誰も読んではいない     ・・・高山れおな   読む

                                                    アジリティとエラボレーション     ・・・中村安伸  読む

                                                    2009年3月22日発行(第31号)
                                                    遷子を読む(はじめに)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井   》読む



                                                        あとがき  読む
                                                        (戦後俳句を読む…赤尾兜子研究執筆中)
                                                        祝 仲寒蟬 芸術選奨新人賞受賞!

                                                        句集『巨石文明』の成果により受賞  文化庁による報道発表
                                                         
                                                        祝辞 筑紫磐井 第14号あとがきに記載 ≫読む


                                                        薄紫にて俳句新空間No.3…発刊!
                                                        購入ご希望の方はこちら ≫読む

                                                            筑紫磐井著!-戦後俳句の探求
                                                            <辞の詩学と詞の詩学>
                                                            川名大が子供騙しの詐術と激怒した真実・真正の戦後俳句史! 



                                                            筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆







                                                            第14号 あとがき

                                                            (2015年4月10日更新)

                                                            北川美美

                                                            またも、あとがき更新が大幅に遅れました。失礼いたしました。

                                                            4月3日更新 第14号、春興帖とともに、「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」がその7となりました。 書く醍醐味、そしてその極意をつかめるか、そして…新たな切込み隊員も来るのかも…!?というところですが、筑紫相談役曰く、将棋の5面打ちでもOKということです。油断ならないサイボーグの筑紫氏です。次回は堀下さんのリプライが入稿するのか…? 乞うご期待ください。 といってももう次週が次号更新…。

                                                            「およそ日刊・俳句新空間」の一句鑑賞ですが、当月4月は本当にほぼ毎日です。執筆者6人×5句で30回、 土日も更新いたします。 執筆者も奮闘中です。


                                                            さて、4月5日・6日に「第83回 海程秩父俳句道場」2日目の特別ゲストに筑紫磐井・関悦史の両氏が登壇しました。堺谷真人氏、北川美美が潜入参加させていただき、海程の皆様に暖かく迎えていただき、楽しく有意義なひとときを過ごして参りました。金子兜太主宰、安西篤氏、運営の宮崎斗士氏をはじめとし、多くの海程の皆様にお世話になりました。 

                                                            詳しくは、次号にて海程秩父俳句道場潜入レポート、春興帖特別編を準備中です。

                                                            また、昨年に続き、「第3回攝津幸彦記念賞」募集の予定です。詳細については後日掲載! 


                                                            4月の雪に震えておりましたが、気温変化の激しい季節です。皆様どうぞご自愛ください。




                                                            第83回 海程秩父俳句道場
                                                            金子兜太主宰、安西篤氏とともに。 (特別ゲスト:筑紫磐井、関悦史)
                                                            撮影:北川美美
                                                            (写真転載禁)

                                                            【句集評】 言いおおせて円かなる――水岩瞳句集『薔薇模様』 /関悦史



                                                             水岩瞳の第一句集『薔薇模様』を読み進むと、エッセイ集を読んでいるような気分になる。つまり作中に作者そのひととほぼ同一と見てさしつかえないような我がいて、その目が見たもの、感じたことが一人称的に語られているのである。

                                                             これは当たり前の ことと思われるかもしれないが、俳句においては必ずしも標準的なありようではない。どちらかといえば初心者的な作り方である。水岩句では、写生的な作でも、自分の言動や思いを提示した作でも、この主体と客体のきっぱりと安定・分離しきった位置関係は変わらないのだ。一般には、作中の我がよほど独創的なものの見方でもしない限り、かえってその単独性を薄めることになりかねない性質である。

                                                             あとがきによると、水岩が俳句に素直に夢中となった最初の五年から先について、藤田湘子は「この時期から第二期に入るので、一年間よく考えて学びなさい」と書いているという。それを踏まえた上で曰く、「普通ならば、自分の句風に自分自身が納得できたときに、第一句集を出すのでしょう。で も、私は、私の第一期の終わりに出すことにしました」。


                                                              どろどろのマグマの上のかたき冬

                                                              レトルトの春の七草確と食ぶ


                                                             句集刊行の果断さといい、これらの句の、マグマやレトルト食品の熱い不定形な充溢を控えた「かたき」「確と」との張り具合といい、この作者の主客の区別は今後も変わらないものと思われる。つまり一見、初心者的と見えた特質は、水岩瞳の本質に直結するものである可能性が大きいのだ。

                                                             句集の解説は、結社的に無関係で水岩と面識もない池田澄子が書いている。水岩の父は戦争中、ルソン島を敗走して沢山の兵を死なせたことを悔やみ、戦後はフィリピンに学校を建てて一時期そちらに住んでいた。父を戦病死で失った池田が、手紙だけで解説を 引き受けたのはそうした共通点があってのことである。

                                                             そのことばかりが「マグマ」の実質を成しているというわけではないのだろうが、報告的な作りの句が、力みとは違う張りを実現しているのは、そのモチベーションと単純明快な主客の構造が、多弁でありながらもすっきりした太い一筆書きの線へと転じているからである。


                                                              流灯の二つ寄り添ひ燃えてをり

                                                              火だるまの流灯ひとつ急ぎけり


                                                             これら流灯の句の火勢の過剰さと定型性との合一は、その好例である。


                                                              荒梅雨やみちのく降るな此処に降れ

                                                              何故なのか今も問ふべし敗戦忌

                                                              署名する「さよなら原発」秋暑し


                                                             これら社会性の強い句は、水岩の特徴である等身大性が、述志以 外の詠み方を許さないという限界がある。しかしこれらの句が、作者が真面目であればあるほど陥りがちな他人事感をともかく回避し得ている点は評価すべきだろう。「荒梅雨や」は被災地を想っての震災詠だが、中七の助詞省略による寸足らずさをも正気の強さに変えて押し切ってしまっている。

                                                             社会詠では「ブラック企業」と前書きのついた《理不尽なことはメモせよ卒業子》も、その右顧左眄しない直情ぶりと実際性が小気味よい。ただしこれら社会詠は、ほぼ言説内容への同感を誘うだけにとどまっているので、飛躍や詩性をどう繰り入れるかが今後の(おそらく生涯の)課題となるだろう。

                                                             句集の基調を成しているのは、こうした「マグマ」を直観させる句ではなく、日常詠である。


                                                              吾子と見る絶滅危惧種の目高かな

                                                              避暑楽しサラダにバルサミコ酢振り

                                                              おむすびや隠岐の石蓴をふりかけて


                                                             これらは生活の華やぎを詠っていて、嫌味がない。巧拙とは別に、俳句擦れした嫌味の少なさ(句によっては全くないわけではない)は、句の格に直結する美質である。


                                                              麒麟から見れば吾も猿木の芽風

                                                              花虻に生まれ潜りぬ花宇宙


                                                             動物の句は比較的少ない。この二句は麒麟や花虻の視点を想像しているが、アニミスティックに、内在的に動物たることを経験するという面はあまりなく、擬人化とも少しずれ、別な視点に拠った知覚変化がもたらす機知的展開が作者の興味の中心となっている。つまりここでも等身大という特質は変わっていな いのだ。風景、事物、他者がそれ自体として入りにくい作風である。

                                                             日本近代文学における「風景」の成立が「内面」と直結していることを指摘したのは柄谷行人だが、水岩の句には「内面」はない。言い換えれば「発語されなかった言葉」がない(作者本人には無論あるはずだが)。「マグマ」や流灯の炎上もほとんど「言説」として句に登場しているのである。

                                                             しかし沈黙の部分がなく、等身大の視点で全てを言い尽くしてしまう性質と、句の円満な充足性との両立は、句集のオビに引かれた一句を見ると、必ずしも不可能ではないようである。


                                                              円かなる月の単純愛すかな



                                                            「評論・批評・時評とは何か?――堀下、筑紫そして・・・」その7 / 筑紫磐井・堀下翔


                                                            21.筑紫磐井から堀下翔へ(堀下翔←筑紫磐井)


                                                            the letter rom Bansei Tsukushi to Kakeru Horishita,Yuki 

                                                            筑紫:何も文学論に無理に当てはめる必要はないでしょう。なぜなら我々が扱っている575という作品は文学【注】であるかどうかは解らないからです。

                                                            大学で体系的に文学を学ぶ堀下さんなどと違って、私の詩学入門は『歌経標式』や『文心彫龍』等の極めていい加減な本ですが、それだけに自分なりの考え方をまとめるにはいい教科書でした。いい加減はいい加減なりに核心を突きます。その根底思想は、文学などはなく、ジャンルが先にあるというものです。

                                                            明治初年に西欧から導入した「文学」という概念を、それを遡ること三~四百年の俳句ないし俳諧に適用するのはどことなくおかしいようです。明治二十年代に帝国大学に入学した夏目漱石に、が大学に入って何をするのか、と聞いたので、漱石が「文学(ご承知の通り漱石は英文学専攻です)だ」と得意げに答えると、父親が「何、軍学?」と答えたという有名な話があります。これは父親が迂闊なのではなくて、父親のような人間ばかりがいる、ちょっと前まで江戸と呼ばれていた東京で、「文学」と言って通じると思っていた漱石の方が迂闊なのでした。

                                                            このような時代混乱・時代錯誤は、最近俳文学者の堀切実氏と論争して浮き彫りになっているところです。私が、俳句で「伝統」ということばが生まれたのは(子規以前にはなく)せいぜい虚子からであり、それを遡って芭蕉にまで「伝統」を使うのはおかしい、それなら「正風」「道統」というのがいいところではないか、といったのに対し、堀切氏が岩波の「文学」で堂々と反論されたことがあります。もちろん、堀切氏が間違っているとする論拠は、私の『戦後俳句の探求』をご覧になればよくお分かりの通りです。こと程左様に「文学」「伝統」などの言葉が怪しげであることは知らねばならないでしょう。

                                                            『定型詩学の原理』で指摘しておいたのですが、「文学」が今日の意味で用いられたのはそう古いことではなく、フランスの『百科全書』、カントの批判哲学、ヘーゲルの芸術論においても「文学」はまだ登場しません(これらにおいても偶然かも知れませんが、『文心彫龍』同様言葉の芸術の前にジャンルがあると述べているように解釈しました)。この時代以前は、文学はまだ「文字」の意味に近いものであったようです。「文学」に代わって芸術論でいわゆる文学作品の考察の際盛んに論じられたのは、実は「詩」でした。アリストテレスの『詩学』以来の伝統のあるこの概念に立って、俳句は詩であるか、と問うことは意味があると思いますが、俳句は文学であるかはあまり適切な質問とは言えないと思います(その割には最近、詩は滅亡したと詩人自身が言っているようですが。これは皮肉)。

                                                            だから我々は「文学」から解放されて、「定型詩」を考えるべきでしょう。ご質問の、<日本の俳句の世界ではまったく浸透していない>というのは事実でしょうが、そもそも浸透すべき環境にあるのかどうかは、上の理由からよく考えてみるべきでしょう。「俳句は文学ではない」(波郷)、「俳句は無名がいい」(龍太)「滑稽・挨拶・即興」(健吉)は俳人の血肉になっている思想だからです。

                                                                     *

                                                            その時見えてくるのは「テクスト」です。これはバルトの指摘する前から自明の理なのです。万葉集が文学であるか、詩であるかを論ずる以前に「万葉集」というテクストは存在しているからです。こうしたテクスト論は、バルトのテクスト論と同じと言うべきか、全然別と言うべきか、むしろお伺いしたいと思います。

                                                                  ◆      ◆

                                                            次に作者がいるかどうかと言えば、定型詩学では、「作者」は存在せず、「編集者」が存在するというのが鉄則です。「テクスト」には作者は不要であり、編集者こそが不可欠だからです。だから、バルトが言う「作者の死」は余り意味がなく(存在しないものは死にようがないからです)、「作者の不在」こそが普遍的真理ということになります。こうした作者論も、バルトの作者論と同じと言うべきか、全然別と言うべきか、お伺いしたいと思います。

                                                                     *

                                                            『万葉集』で多分間違いないのは、大伴家持という編集者がいたことであり、しかし額田王という作者は存在しなかったかも知れません。額田王はまだしも、有間皇子大津皇子は間違いなく(歌人としては)存在しなかった、古代人の感傷の対象にすぎないといえます。こういう人が、こういう状況にあれば、こういう歌を詠むであろうという願望にすぎません。編集者の意図した作品の焦点が作者なのです。時には、編集者と作者は一致するかも知れませんが(大伴家持。それでも作者の全貌を見せてはいない)、あるいはしないかも知れません、また編集者が観念で創り出した作者(有間皇子や大津皇子)もいるわけです。

                                                            もちろん、堀下さんが話題とされた相馬遷子ともなると、近現代の作家ですから余程「文学」の「作者」に近くなりますが、それでも定型詩である以上、句集や馬酔木投稿欄というテクストを通してみているわけで、編集者の一面をやはり残していると思います。遷子は自己演出しているのです。

                                                            これに対して批評家が出来ることは、作者の生身を探求することではなく、テクストを通して合理的解釈を作ることです。それが批評であると思います。ただ、相馬遷子のように埋もれた作家になると、世間は遷子のテクストを作ることにすら怠慢であり、個々の批評家自身が埋もれたテクストを探索するという余計な作業をする必要があります。なぜなら、相馬遷子全集ですら不完全きわまりなく、相馬遷子の全貌を浮かび上がらせるものではないからです。これは、我々の研究書『相馬遷子 佐久の星』を読めばよく分かる通りです。だから「調べる」とは、テクスト周辺作業に過ぎません。しかし貴重な作業ではあります。相馬遷子がどのようにして生まれたか、どの様に成長したか、どのように絶望したかを知りたくて調べたといいましたが、何も遷子その人、そのものを科学的に知ろうとするわけではなく、そうした論拠となる作品(テクスト)を追求したというべきであったかもしれません。なにせ、遷子が馬酔木で初めて詠んだ俳句は、我々の『相馬遷子 佐久の星』が出るまで誰も知らなかったのですから。俳句の場合テクストとは、1句である場合もあるでしょうが、テクスト群である可能性もあります。人によって読むべきテクストが確定していない、その状況で批評するのです。不確定なテクストの解釈は、文学論とも、バルト流のテクスト論とも違うかもしれません。
                                                            その意味で、我々の行う俳句の批評とは想像であり、壮大な創造でもあります。無から有を作る作業であるといえます。


                                                            【注】「文学」とこともなく言いましたが、そもそも「文学」はどこに存在しているのでしょうか。日本文学、アメリカ文学、フランス文学、中国文学に共通する「文学」は果たして存在しているのでしょうか。「世界文学」という概念が、唱えられたようですが、これも新しいものです。

                                                            少なくともこのコラムにもっともみじかな定型詩で見れば、日本の定型詩、アメリカの定型詩、フランスの定型詩、中国の定型詩と並べた時の、共通項である「定型詩」は存在しません。個々の定型詩が存在するばかりなのです。

                                                            更に言ってしまえば、日本の定型詩は、日本語の文法[辞]と日本語の辞書(単語体系)[詞]からできており、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。

                                                            拙著『戦後俳句の探求』で日本の定型詩から「辞の詩学」を摘出しましたが、これは助詞・助動詞の詩学であり、これが日本の詩歌の大きな特色をなしているという主張です。これが他の定型詩との関係でも、特に日本の詩歌と中国の詩歌の根本的な違いを生みます。なぜなら中国語に助詞・助動詞は存在せず(極めて乱暴な言い方で正確ではありませんが、輪郭を理解するために一応こう言っておきましょう)、中国の定型詩に「辞の詩学」はないからです(もちろん別の詩学が存在するとは想像されます)。


                                                            かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを


                                                            このような言語原理の詩歌は中国では生まれません。典型的な「辞の詩学」の定型詩だからです。





                                                             【時壇】 登頂回望その五十九・六十 / 網野 月を


                                                            その五十九(朝日俳壇平成27年3月23日から)
                                                                                      
                                                            ◆春塵や車を積んで車行く (東京都)齋木百合子

                                                            長谷川櫂の選である。新車・中古車の車両を積載して運搬するトレーラーである。大型のものから超大型のものまでその大きさは様々だ。そのトレーラーが春塵を巻き上げながら爆走している。将に上五の季題の「春塵」が相応しい。上五の切れ字「や」は断絶を含む強い切れを示すが、この「や」は感嘆というか、驚愕を示しているようだ。

                                                            ◆被爆地の空高々と鶴帰る (大村市)小谷一夫

                                                            大串章の選である。作者は大村市在住だ。大村市は長崎市の北に位置している。大村市の西側に広がる大村湾内には、市から程近いところに長崎空港が浮かんでいる。たぶん上五のこの「被爆地」は長崎のことであろう。

                                                            掲句は五七五のリズムでも読めるし、また「空」の後で切って読むこともできる。ほとんど句意は変わらないし、どちらで読んでも想像する情景はほぼ同じである。句意が変わらないだけに上五の「の」の使用方法が気になって仕方ない。

                                                            ◆言い残すことの多さよ夕桜 (熊本市)永野由美子

                                                            稲畑汀子の選である。句意の是非については云々しないが、この言い回しの方法には意味が異なってしまうが、類する他の言い回し方があるかも知れない。言い残したこと、言い残せなかったこと、言わなかったこと、言ってしまったこと、言わなければ良かったこと、など等だ。多いについても、無い、少ない、少し、半々、など等と多様だ。その中からこの組み合わせを選んだ。もちろん作者の実感が籠っていて、表現したいことであるのだけれども。

                                                            他には言い残したいこと、言い残さなければならないこと、と積極的に感情が移入される場合もあるだろう。座五の季題「夕桜」があるので、作者は極力客観的な叙法を選択したのである。


                                                            その六十(朝日俳壇平成27年3月30日から)
                                                                                       
                                                            ◆春寒や別れを惜しむ梯子酒 (芦屋市)田中節夫

                                                            大串章の選である。三月は別れの季節である。卒業式や職場の異動が多い。それら別れ難い友人や同僚とついつい梯子酒になってしまった。人情である。上五の「春寒や」が中七座五の句意に、いわゆる密着し過ぎだが、体感もさることながら心情を表現しているのだ。解り易くてホロリとくる句である。

                                                            ◆白樺の梢細々と春の雪 (北海道音更町)信清愛子

                                                            稲畑汀子の選である。雪景の中に初めて「白樺の梢」の細々とした様態を確認することが出来た。「梢の雪」という表現もある。この場合は梢につけた花を雪に喩えて言う表現だが、通うものがあるように思う。「梢」の後にきれがあるだろうか。

                                                            ◆水温むのけぞる家やかがむ家 (さぬき市)野﨑憲子

                                                            金子兜太の選である。評には「野﨑氏。擬人化した風景に春の不思議な気分あり。」と記されている。何と言っても中七の「のけぞる家」、座五の「かがむ家」が圧巻である。評のように擬人化が効果大である。上五の季題「水温む」が春における万物の動き出す様子を引き出していて、この季題の斡旋が盤石な分だけ中七と座五の擬人化が浮ついた表現にならずにある。

                                                            ◆春の池わが顔憶えゐて映す (岐阜市)石田静韻

                                                            金子兜太の選である。氷が解けて水の面が鏡に戻った時、冬に氷が張る前に映したであろう同じ「わが顔」を映し出していることに気付いた。魔法のようであり、自然の理りの様でもある。「ゐて」が狙いのはっきりした叙法ではなくて、心情の向かうベクトルを指示している。

                                                            ◆子猫の眼疑ふことを知り初むる (前橋市)荻原葉月

                                                            長谷川櫂の選である。無垢なものが知恵を付けて、その自らの罪業に突き当たるのだ。宗教的でさえあるような措辞である。子猫が徐々に知恵を付けてゆく過程で、作者はその子猫に哀れを感じたのだろうか?生きる力を感じたのだろうか?

                                                            ◆蒸鰈見詰めてゐたき炎かな (豊橋市)佐原弘一郎

                                                            長谷川櫂の選である。蒸鰈を焼いているだろう七輪か何かの炎に見入っている様であろうか。火はどんなに見つめていても飽きないものだ。其処には海の波と同じ感覚がある。・・もしかしたら焼き加減の頃合いを計っているのかも知れない。食いしん坊の言である。そのくらい蒸鰈の焼き加減は難しい。