2014年1月31日金曜日

第55号 2014年01月31日発行

【俳句作品】

  • 平成二十六年歳旦帖 第四

        ……近 恵、黄土眠兎、堀田季何、小澤麻結、栗山 心、

大井恒行、小林苑を、飯田冬眞   》読む

  • 現代風狂帖 

流体力学   西原天気   ≫読む
   

<小津夜景作品 No.10>
    
      南仏離騒   小津夜景   ≫読む


<竹岡一郎作品 No.3>

    怒張の国 3   竹岡一郎    ≫読む
    

【戦後俳句を読む】

    • 「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」
    ④再び青年作家特集
      ……筑紫磐井   ≫読む



      【現代俳句を読む】

      • 【俳句時評】 俳句の「後ろめたさ」について
      ……外山一機   ≫読む



       【俳句時評】  大井恒行の日日彼是       ≫読む
        (-blog俳句空間-戦後俳句を読むAnnex) 詩歌・芸術のリポート満載。どんどん更新!!



      【編集後記】


      •       あとがき   ≫読む 
                                                   

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      本年もどうぞよろしくお願いいたします。

        • 第二回 攝津幸彦記念賞各賞発表  》読む
        • 祝!恩田侑布子さん
        Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子……筑紫磐井 ≫読む

        第23回ドゥマゴ文学賞授賞式の様子 ≫「俳句界ブログ大井顧問)

                              ≫受賞式記録映像  Youtube 画像


        西村麒麟第一句集『鶉』発刊!!















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        邑書林のサイトから購入可能です。
        関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!




        第55 号 (2014.01.31 .) あとがき

        北川美美

        旧暦のお正月、春節。2014年は本日1月31日(金) が春節にあたるそうです。歳旦帖第四でお祝い気分です。小津夜景さんも旧正月に合わせた作品が届きました。竹岡一郎さんの作品連載も3作目となり快調です。 作品群が今号も充実となりました。また時評では外山一機さんよりご寄稿いただきました。

        横濱中華街、神戸南金街では、春節のイベントが多数行われています。街が赤一色になる姿は迫力がありますね。



        当ブログ【戦後俳句を読む】で赤尾兜子論をご寄稿いただいている仲寒蝉さんが第二句集『巨石文明』を上梓されました。仲さんは長野県佐久市在住で角川俳句賞受賞者でいらっしゃいます。渾身の第二句集です。





        西村麒麟「鶉」について、すでに大井恒行氏のリンクブログに記事が上がっています。当ブログでも次号より鑑賞特集がはじまります。乞うご期待ください。

        http://ooikomon.blogspot.jp/2014/01/blog-post_29.html


        明日から2月。寒さが戻っているようですが、どうぞお元気にお過ごしください。

        筑紫磐井

        ○俳人協会賞の25日(土)に決定され発表された。「BLOG俳句空間」から見ても関心の高い<評論>に関して見ると、今年は例年になく対象評論集が多く、11編(昨年は8編)のうちから評論賞1編(昨年は2編)、評論新人賞1編(昨年はなし)となった。新人賞は不定時に授与され、最近は決定がない状態が続いたが今年は久しぶりに授与されることとなった。句集の方の新人賞は50歳未満となっているようだが、評論集の方は句集よりまとめるにあたってもっと高齢化してしまうこともあって、50代の執筆者であっても新人扱いすることとなった。

        評論賞:仲村青彦著『輝ける挑戦者たち・俳句表現考序説』(ウエップ刊)

        仲村青彦は昭和19年生まれ、「朝」 同人で、句集に『予感』『樹と吾とあひだ』『春驟雨』があり、平成5年に 『予感』で第17回俳人協会新人賞受賞を受賞した。

        『輝ける挑戦者たち』は、師の岡本眸と関係の深い富安風生から高浜虚子、正岡子規までの作家の表現の特質を分析したもので、一人の作家に1つから3つ程度の視点を設定して分析しているが、それぞれの洞察は鋭い。問題設定型の探求であるため分かりやすく、個別の作家論は近年にない高い水準である。草田男、久女、碧梧桐など、師系とも思えない作家も混じるが、あまり気にはならない。惜しむらくはこれらを総合して「俳句とは何か」の1編があって欲しかった。しかし、俳人協会評論賞に恥ずかしくない評論集である。

        評論新人賞:長嶺千晶著『今も沖には未来あり・『長子』の世界』( 本阿弥書店刊)

        長嶺千晶は昭和34年生まれ、中村草田男没後の「萬緑」入会後、山下知津子代表「麟」、岩淵喜代子代表「ににん」を経て、現在夏石番矢発行「吟遊」同人、さらに同人誌「晶」を創刊し代表。句集『晶』『夏館』『つめた貝』『白い崖』がある。俳人協会会員、現代俳句協会会員、世界俳句協会会員。平成23年吟遊俳句賞受賞。

        草田男の第一句集『長子』の作品の初出を丹念にしらべ、句集における草田男のモチーフを分析している。句集に倣い四季部立て別に分析しているが、草田男の年代記風にまとめれば著者の想定する結論にもっと直結したかもしれないのが惜しまれる。

        今年はこのほかにも面白い評論集が多く、倉橋みどり著『北を見る人・橋本多佳子論』、谷村鯛夢著『胸に突き刺さる恋の句・女性俳人百年の愛とその軌跡』等が読ませる内容をもっていた。倉橋はかって月刊「ヘップバーン」の編集長、谷村もジャーナリストで、俳句と女性雑誌、ジャーナリズムの新しい発見などをさせてくれるなど今では当たり前となっている俳句と女性の関係が新鮮である。  




         

        【俳句作品】  流体力学  / 西原天気


         ※画像をクリックすると大きくなります。



           流体力学   西原天気

         稲垣足穂「弥勒」より
        汝(な)より出づ尻子玉やら夜汽車やら

         セール『離脱の寓話』より
        水を見て日を見て春の懈怠かな

         ギアツ『ヌガラ 十九世紀バリの劇場国家』より
        花一片皿より皿へのりうつる

         龍膽寺雄『シャボテンと多肉植物の栽培智識』より
        A子さん(四〇歳・河童)

         ユルスナール「老絵師の行方」より
        緑陰にふたり水掻きの記憶

         トムキンズ『優雅な生活が最高の復讐である』より
        ひね胡瓜もんだりピアノ鳴らしたり

         阿佐田哲也『ドサ健ばくち地獄』より
        夕焼に魚影ひときは濃きところ

         ベイトソン『天使のおそれ』より
        河童妻泣くときシャンデリアを見上げ

         權田保之助『民衆娯楽問題』より
        皿いちまい海いちまいの初日かな

         ケストラー『機械の中の幽霊』より
        湯冷めして地球最後の日の河童




        【作者略歴】

        • 西原天気 (さいばら・てんき)

        1955年生まれ。「月天」「尻子玉句会」所属。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行中。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ・俳句的日常 

        【俳句作品】 平成二十六年 歳旦帖 第四

        ※画像をクリックすると大きくなります。










           近 恵(1964年生。「炎環」「豆の木」同人。合同句集「きざし」)
        餅がいま去年の空気を吐いて果つ
        松過ぎの風のあたっている目玉
        正月はここで終わっているようだ

           黄土眠兎(「鷹」「里」)
        国生みの入江の闇や淑気満つ
        若水を汲んで王家の暦師かな
        タカラヅカ百年女礼者なり

           堀田季何(「澤」「吟遊」)
        敏雄忌は平時か臭き花を嗅ぐ
        鮟鱇や亡びし弊(へい)に凌遅刑
             ロシア極東最東部の先住民族
        毛皮着て毛皮に寝るやユピクの子
        蛇眠りヘブライ人(びと)も眠りをり
        遺伝子の複製されて去年今年
        爆ぜたてのものばかりなり去年今年
        衛星や敵見えずして初御空
        初弥撒に白と黒ありまづは白
        死顔の頬の弾力鏡餅

           小澤麻結(「知音」同人)
        ほのぼのと玉露に沈み結昆布
        手袋赤ゴールテープを今放ち
        初旅や呪文の如きチェティナドゥ

           栗山 心(「都市」同人)
        読初や煽りのうまきインタビュー
        四日はやドームへ向かふ人の波
        ロープへと伸ばしたる手や淑気満つ
          棚橋弘至選手
        新春のリングに愛を叫びけり

           大井恒行
        水の火を祀る火の水火の鶴に
        歳旦の雪の華こそ骨のいろ
        喰うて寝て老い皺の寒さかな


             小林苑を
        紅白消し大つごもりの鎮まれり
        蛇口から水がじやあじやあ去年今年
        はつゆめにふれやうとしてふれられず
        松飾り訳詞の歌を口づさむ
        人日のまるまるとした赤ん坊



          飯田冬眞(「豈」「未来図」)
        靴べらは柱の真中淑気満つ
        コメントのなき賀状だけ寄せておく
        スクリーンに完の一字や女正月


        【俳句時評】俳句の「後ろめたさ」について /  外山一機


        昨年末、牧野十寸穂が編集する『アナホリッシュ國文学』第五号(響文社)が刊行された。「俳句」を特集した本号のメインは「俳句の近代は汲みつくされたか」と題する上野千鶴子、齋藤愼爾、江里昭彦の三者による鼎談、およびW・S・マーウィンによる蕪村句集の英訳完結を受けたマーウィン論と蕪村論であるようだ。

         しかしながら、上野らによる鼎談記事にはほとんど見るべきものはなかった。それは彼らが提示する俳壇や俳句表現の現在についての認識や展望があまりに常識的で良識的なそれであったことに原因のひとつがあるように思われる。

         たとえば江里は「俳人」の定義について「結社に属して句会で高い点を取るのに夢中になるとか、結社の出版記念会に出席してすこし華やいだ気分になる、そういうことを繰り返している人」もいれば「俳句を文学として追究して、齋藤さんのようにいろんな本を読みながら活動している俳人」もいるとしたうえで、次のように述べる。

         これは互いに交わらないかもしれないし、ときには敵視しあう。俳句が大衆的な基盤を保ちつつ作られ続けるだろうということは見越せるとしても、その内部ではいろんな軋轢、反目はなくならないでしょうね。それを活力に転じることが出来るか、非生産的な消耗戦として遂行していくかという違いはあるにしても。

         この「良識的」な見解はすでに僕たちにとってありふれたものだ。というよりも、ここでいう「軋轢」のなかで、それでも俳句を書こうとするとき、それはどうすれば可能であるのかということを僕たちに示し続けてきたのがほかならぬ江里だったはずである。したがって、「俳人」や「俳人」の営みについてのこの種の言説ほど僕たちにとって常識的なものはない。もちろん、いまだこうした認識を提示するところから始めるほかない江里の覚悟は僕などには思いもよらないことであるが、一方で、この種の「良識」を前提としてきてしまった僕もまた江里とはやや異なる意味においてこうした認識から始めるほかないのである。

        同号には俳句についての論考が数本掲載されているが、関悦史が寄せた「俳句の懐かしさ」のなかに次のような記述がある。

         俳句形式に固有の聖性への回路があるとすれば、それは日常生活・技術・物・溺死者といった断片的個人的なものたちに凝集された歴史性と、聖性・法・道徳律といった不可視の統合性との間にあるものとしての人間に、脇句以下を欠いた断片として独立し、個人の内面や言説性をその短さと滑稽性によって相対化しつつ、ひとつの統合性を示すという俳句のあり方とが構造的に相似であるという点に他ならない。俳句の懐かしさはここにある。俳句は飛躍と断裂と驚異によって自己や因果律を離れ、その上で他界的なものを含みつつ再統合を果たすものなのだ。

        関はここで「俳句のあり方」を「脇句以下を欠いた断片として独立し、個人の内面や言説性をその短さと滑稽性によって相対化しつつ、ひとつの統合性を示す」ものであるとしているが、これを関自身がかつて照井翠の句集『龍宮』について述べた次の評言と考えあわせるとき、俳句形式によるほかなかった書き手としての照井のありようがよりくきやかに見えてくるようである。東日本大震災で被災した照井の俳句について関は次のようにいう。

        ここでの句作は、大災害の表現不能性に直面することではなく、涙を誘う程度には理解・受容の可能なものへと震災をスケールダウンしていくことにひたすら奉仕しており、この句集の達成と限界はいずれもそこにある。(略)
        繰り返すが、嘆き、泣くという感情的な反応に回収可能な、綺麗なものへと震災体験を変貌させることが、照井翠にとっての震災俳句の意義なのだ。(「俳句形式の胸で泣く 照井翠句集『龍宮』を読む」『週刊俳句』二〇一二・一二・一六)

         個人の危機のさなかにあって照井が俳句形式に自らの寄る辺を見出したのは、まさに先の関の示した「俳句のあり方」を逆手に取るような発想によるものであったろう。いや、もう少し正確にいうなら、それは「発想」などというものではなく、むしろ俳句形式に携わってきた照井がほとんど無意識裡に選びとった自己救済の術であったろう。だからこそ、僕たちにはそのような照井の姿勢を安易に批判することができないし、さらにいえば、照井のあり方はそのまま僕たちのあり方を映しだすものでもあることに気づかされる。

         関はまた『龍宮』評で次のようにも述べていた。

        この句集が読者にとって辛いのは、震災体験に晒された人の苦しみに巻き込まれるからということだけではなく、涙に俳句を奉仕させることの倫理的ともいうべき是非に、作者とともに立ち会わされるからである。

         関はこのように述べるが、もう一歩踏み込んでいうなら、涙に俳句を奉仕させるとき、その俳句にもまた他者を奉仕させているのである。たとえば、照井が一人の死を「ランドセルちひさな主喪ひぬ」と詠むとき、そのように詠むことで照井はようやく事態に対処できたのであろうが、逆にいえばこの句はほかならぬ照井のための渾身の一句であって、「ちひさな主」のための一句ではありえない。言い換えるならば、ある個人の死が照井によって「ちひさな主」の死として俳句になるとき、照井はその個人の死を自らの俳句に―ひいては「涙」に―奉仕させているのではあるまいか。これはいかにも傲慢な行為のようだが、しかしながら、たとえそれが倫理的に間違っているとしても、そのことをもって他者を俳句に奉仕させることが間違いであるとするのは違うだろう。というのも、照井やあるいは俳句に携わる僕たちの営みのはらんでいる本質的な「後ろめたさ」に思いを寄せるならば、このような照井の行為の是非を問うこと自体は重要であるにしても、その答えを見いだそうとすることはほとんど無意味であろうと思われるからだ。

        たとえば、東日本大震災の発生から約二週間後の「被災地」で取材を行った森達也は自身の「後ろめたさ」について次のように述べている。

        不幸の度合いが大きければ大きいほど、被写体としての価値は増大する。当たり前のこと。でもならばなぜ、人は誰かの不幸に興味があるのだろう。そもそも僕はなぜここにいるのだろう。なぜ両親を亡くした子どもを撮りたいなどと考えたのだろう。(略)
         事件や事故、そして災害は、すべて「人の不幸」が前提だ。愛を訴えるとか絆を確認するとか後世の教訓にするとか、そんな綺麗ごとで自分や誰かをごまかしたくない。状況が悲惨であればあるほど、記事や映像は価値を持つ。だって人は人の不幸を見たいのだ。そして僕たちは、人のその卑しい本能の代理人だ。つまり鬼畜。謙虚でも開き直りでも比喩でもなく、鬼畜のような行状を仕事に選んだのだ。(森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治・佐藤忠男『311を撮る』岩波書店、二〇一二)

        もちろん、「当事者」である照井の表現行為と「非当事者」である森のそれとは次元の異なるものであり、同列に扱うべきものではないにちがいない。しかし、どのような表現行為であれ、この種の「後ろめたさ」はどうしようもなくつきまとう。だからこそ僕は、他者を俳句に奉仕させることの倫理的な是非は常に問われるべきだと思うし、同時に、その答えを出すことは無意味だと思うのである。
        森は「人は人の不幸を見たいのだ」と述べているが、「後ろめたさ」はまた見る側にも通底するものだ。かつて写真家のケビン・カーターが飢餓状態にある少女を撮影した「ハゲワシと少女」を発表したとき、なぜ少女を助けなかったのかという批判が殺到したというが、この批判が示唆していたのは表現するという行為の持つ「後ろめたさ」だけではあるまい。あのとき猛烈に沸き起こった批判は、本当はそうした写真を見ることを欲する側に潜む「後ろめたさ」のひとつの反照ではなかったか。

        翻って、先の江里の言葉に立ち戻ると、「結社に属して句会で高い点を取るのに夢中になるとか、結社の出版記念会に出席してすこし華やいだ気分になる、そういうことを繰り返している人」と「俳句を文学として追究して、齋藤さんのようにいろんな本を読みながら活動している俳人」という二分法は、俳句についての本質的な議論には何の関係もないことだ。結局のところこの両者は俳句という営みに携わっているという点において共犯者なのである。たしかに、自らの行為について自覚的か否かという違いはあろう。けれどその程度の違いなど、俳句という営みのもつ圧倒的な「後ろめたさ」の前で何になるというのだろう。


        「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」④ /筑紫磐井


        ④再び青年作家特集

        前号で紹介したのは正木ゆう子が発表した初めての特別作品だが、翌年50年5月には「青年作家特集」と題して30代作家を含めて再び特別作品10句を発表している。この年の評者は友岡子郷氏で、以後毎年、著名な俳人が若手の作品を鑑賞・評価して行くようになる。

           三角錐 正木ゆう子 
        髪切りてどこかにひとつめの蓮華 
        いぬふぐり母への言葉溜めてをり 
        きさらぎの昼クリスタル眠る地下 
        春宵の蒼さの底にゐてひとり 
        無人の夢見て三月の朝遠し 
        蘇枋咲く頃部屋隅の三角錐 
        雪の夜の夢の放恣を許しけり 
        眠らねば朝来ぬごとく雪降れり 
        雪の中を行くべき手紙投函す 
        六月やナルシシズムの果ての月

         恥ずかしながら私の作品も併載させていただく。こんな水準だったということを感じてもらえればいい。またテーマ詠だ。

           しづかなる反戦 筑紫磐井 
        ヒロシマや万緑の奥うづきにたへ 
        原爆忌呪縛のごとき火の明るさ 
        八月の怒りしづかにまなこ灼く 
        円柱の胸間よぎる黒い蛇 
        妄執に餓鬼道のみづ水を恋ふ 
        ひるねざめ血のうみのゆめだぶだぶと 
        原爆忌雪の如くに人は消え 
        死者は行くな青葉密なる白き河 
        しづかなる反戦の夜火蛾よとべ 
        雪しんしん俳句を捨てて銃持てとや

        こんな作品を批評させられた友岡子郷氏も大変であったと思う。当時友岡氏は、飯田龍太の「雲母」の気鋭の作家・批評家(41歳)であった。友岡氏がこの評を記憶されているかどうかは不明であるが、中にはこうした出会いから、長い交流の続く作家たちもいた。若手たちに取って幸運だったのは言うまでもないが、新進作家たちが、将来俳壇に頭角を現わすかも知れない20代作家たちを観察出来ると言うことは、決して悪いことではなかったと思う。もちろんこれは変な俳句を読ませてしまった者の強弁である。

        「純真と自愛」    友岡子郷 

           髪切りてどこかにひとつめの蓮華  正木ゆう子
         
        清らかさとどこか隠微な美しさとがうっすらと重なり合った感じがある。もともと、いくぶんの奔放さを秘めた多才の人のようで、次の作品などにその片鱗が覗く。 
           きさらぎの昼クリスタル眠る地下 
           蘇枋咲く頃部屋隅の三角錐 
        どこかつっけんどんだが、若い才能を開花させるためには、こういう多少の粗さをためらってはならないと思う。 
           八月の怒りしづかにまなこ灼く 筑紫磐井 
        「八月の怒り」は、ほぼ「原爆投下への怒り」と普遍してとらえられるであろうから、この句は一応の独立性を持つと見てよい。 
        この一編、反戦への疼きをテーマにしているが、そのような社会的政治的な渇望を持つことは、詩人の究極のヒューマニティに関わる重要事に違いない。問題はどう現わすかである。 
           死者は行くな青葉密なる白き河 
           しづかなる反戦の夜火蛾よとべ
        力詠だが、やはり平均作と見る。
        正木ゆう子は第一句集『水晶体』には「髪切りて」「雪の中」の句を納めているだけである。まだそれ程自信があるわけではなかったであろう。ただ、ある独特の雰囲気が、失敗作であろうと、句集に残さなかった句であろうと、漂っているのである。例えばそれが青春だと言ってしまえば言えなくもない雰囲気なのである。

        そしてそれこそが肝要なのである。句集として残した作品からは、その時作者が感じた空気の全てが伝わっているわけではないからだ。次のように並べてこそ伝わってくる正木ゆう子の青春もあるように思う。ある種の美意識で切りとり、独自の世界に耽っている。幼くもあるが、どこか淋しげな、自己陶酔の風景だ。正木ゆう子の俳句世界はこうしたところから始まっている。実態のない茫漠とした心象風景は、自ら作り上げたものか、「沖」の中で醸成されたものなのか、改めて考えてみたい。

        髪切りてどこかにひとつめの蓮華 
        きさらぎの昼クリスタル眠る地下 
        蘇枋咲く頃部屋隅の三角錐 
        雪の夜の夢の放恣を許しけり 
        雪の中を行くべき手紙投函す 
        六月やナルシシズムの果ての月

        後に書くことがあるかも知れないが、私が「沖」で評論を書き始めたとき、能村登四郎の昭和22、3年頃の作品を詳細に調べ、当時の登四郎あらゆる言説を引用した鑑賞や解説を毎月連載したことがある(「沖」昭和60年1月~63年5月)。能村登四郎の俳句の誕生はまさにその時期に全ての秘密があると思われたからだ。この時の副産物が、『能村登四郎読本』の詳細な<文献解題>として利用されている。その後何人かが登四郎論を書きその時期に触れた人もいるようだが、少し違うのは、それらが昭和22、3年頃の登四郎を長い能村登四郎伝の一部として通り過ぎるように書いているのに対して、私は昭和22、3年頃の登四郎を巡り漂っていた雰囲気、息吹を極力書き留めてみたことだ。その時期の登四郎は今日眺めている登四郎ではない、今日評価されている戦後派世代の一角を占める能村登四郎となることを予測もしていない不安に満ちた登四郎があったわけであり、また登四郎を巡る作家の中には、今日の登四郎や湘子を凌ぐ戦後を代表する作家となる可能性のあった若手(秋野弘、岡野由次、野川秋汀、岡谷鴻児、高野由樹雄、五十嵐三更ら)がいたのかも知れない。そうした「未確定」の状況の中で、暗中模索していた登四郎を眺めなければ登四郎を知ったことにはならないと考えたのである。そしてそうした登四郎を書くには、若手全体の生々しい言葉の中で登四郎が何を考え、何をしていたのかを探求する必要がある。私が書いたのはそうした登四郎論であった。俳人研究について多少とも私が方法論を獲得したとしたらこの時の経験が全てだと言えるかも知れない。

        言ってみれば―――日常が歴史になる過程をたどってみる、こんなことをこの正木ゆう子論の中で再度行ってみたいと思うのである。



          【小津夜景作品 No.10 】 南仏離騒   小津夜景(詩 李賀)

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            南仏離騒   小津夜景(詩 李賀)


                序句  むばたまの巨大かつらや初オペラ

        上楼迎春新春帰  あらたまのやぐらみあぐるミモザかな

        暗黄著柳宮漏遅  初葡萄酒いま俗物という渋さ

        薄薄淡靄弄野姿  ギャルソンが責め具に見立て茶筅松

        寒緑幽風生短絲  初萌えのジャン・ルノワールうたたねす

        錦牀暁臥玉肌冷  まじないのごとし寝姿馴れ初めて

        露瞼未開対朝瞑  わが春や別離にまぶたあかずとも

        官街柳帯不堪折  初枝を手折りし僧のけろりかな

        早晩菖蒲勝綰結  初ミサに座し野ざらしを疑わず

               挙句  いつになく蓬莱嫌いの句とならん





        【略歴】
        • 小津夜景(おづ・やけい)

             1973生れ。無所属。

        【竹岡一郎作品 No.3】   怒張の国 3   竹岡一郎

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           怒張の国 3   竹岡一郎

        しろがねのイルカの群の盾なせり

        肉叢(ししむら)を起こす鬼火の勢かな

        火矢として番(つが)へし鬼火いつ放つ

        原宿原色大帝眠る森の冴

        枯山の銀の木霊に慚(は)ぢにけり

        伊勢赤目大峰むすぶ狼道(おいぬみち)

        狼が強引に神連れ戻す

        氷河割り火界煉りやうやく霽(は)れて靖国

        猫抱くや凍土に熾る剣の傍

        唄が好き不羈不遜にて雪女



        【作者紹介】

        • 竹岡一郎(たけおか・いちろう)

        昭和38年8月生れ。平成4年、俳句結社「鷹」入会。平成5年、鷹エッセイ賞。平成7年、鷹新人賞。同年、鷹同人。平成19年、鷹俳句賞。
        平成21年、鷹月光集同人。著書 句集「蜂の巣マシンガン」(平成23年9月、ふらんす堂)。

        2014年1月24日金曜日

        第54号 2014年01月24日発行

        【俳句作品】

        • 平成二十六年歳旦帖 第三
        ……小野裕三、中村猛虎、竹岡一郎、
          小鳥遊栄樹、林雅樹     》読む

        • 現代風狂帖 

           <小津夜景作品 No.9>
            
              やわらかなグノシェンヌ   小津夜景   ≫読む

            

        【戦後俳句を読む】

          • 「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」
          ③沖の二十代作家としての初登場
          ……筑紫磐井   ≫読む

          • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 95.
          ……北川美美   ≫読む


          • 「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(続・4)

          ……大井恒行   ≫読む


          【現代俳句を読む】

          • 【短歌評】 <ショート・エッセイ>何が違うか
          ……筑紫磐井   ≫読む


          • 【俳句時評】 エッセイ “Haiku in English”からヒッピー文化、そして高屋窓秋へ
                                  ……北川美美   ≫読む


           【俳句時評】  大井恒行の日日彼是       ≫読む
            (-blog俳句空間-戦後俳句を読むAnnex) 詩歌・芸術のリポート満載。どんどん更新!!



          【編集後記】


          •       あとがき   ≫読む   




          PR】 広告・告知

          本年もどうぞよろしくお願いいたします。

            • 第二回 攝津幸彦記念賞各賞発表  》読む
            • 祝!恩田侑布子さん
            Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子……筑紫磐井 ≫読む

            第23回ドゥマゴ文学賞授賞式の様子 ≫「俳句界ブログ大井顧問)

                                  ≫受賞式記録映像  Youtube 画像


            西村麒麟第一句集『鶉』発刊!!















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            「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(続・4/波多野爽波「水遊びする子に手紙来ることなく」)  / 大井恒行

            波多野爽波「水遊びする子に手紙来ることなく」

            波多野爽波(1923〈大10〉1.21~1991〈平3〉10.18)の自信作5句は以下通り。

            厄といふ赤み帯びたるもの落す    「青」1989(平成元)年3月号 
            ニコチンで肺がまつくろ磯巾着      〃         5月 
            チューリップ花びら外れかけてをり    〃         6月 
            水遊びする子に手紙来ることなく     〃         8月 
            北風や椿油は瓶の底           〃 1990(平成2)年1月号


            一句鑑賞者は、岸本尚毅。その一文には「この句は決して目で見て作った写生句ではない。水遊びをしている子供をじっと観察していても、その子に『手紙来ることなく』という情報は得られない。もし、その子宛に友達からつたない鉛筆書の葉書が届き、『○○ちゃん、□△ちゃんから葉書が来ているわよ』と母親が言いにくる場面があれば、容易に、/水遊びする子に届く手紙かな/と詠めるであろう。しかし、爽波の句は、感覚だけではとらえられない子供の本質を洞察し得てはじめて書ける作品である。『届いた』という肯定型の認識には、注意深くものを見ていれば、やがて到達できよう。しかし、何の手がかりもないところから、『来ることなく』という否定型の認識を切り取って来るのは相当高度な芸である。それには、まず思考の回路の中で子供と手紙とが結びつかねばならない。そのためには真面目な努力だけでは得られない何かが必要なのだ」とある。

            また、この一文の冒頭には「波多野爽波は、一見人を食ったようなトリビアルなことを俳句に詠んで、実はこれまた人生の意外な真実を突き付けてみせる作家である」と切り出している。

            爽波は、この句ののち、ほぼ一年とわずかでこの世を去り、主宰誌「青」は終刊する。そして、翌1992(平成4)年、爽波の弟子であった田中裕明は、この句に呼応して「水遊びする子に先生から手紙」の句を詠んだ。まとめられた裕明の句集『先生からの手紙』は、文字通り子どもを詠んだ句も多いが、師の爽波を詠んだ句も多い。「爽やかにあゆみし人を師表とす」「冬木立師系にくもりなかりけり」「子規の忌を修し爽波の忌を修す」「先生の句に脇を付け夏料理」。


            三橋敏雄『真神』を誤読する 95. さし湯して永久(とは)に父なる肉醤(にくびしほ) / 北川美美


            95.さし湯して永久(とは)に父なる肉醤(にくびしほ)

            さて難しい句である。

            『眞神』での父の登場は、唐突であり、さびしく且つネガティブな印象がある。父の句には父に対する遠さと決して自分と交われない混乱があるように思えるのである。もしかすると「父」というのは敏雄自身を表現するものなのかもしれないと思いながら結論は出ないままである。

            肉醤(にくびしお)は、一般的には「にくしょう」と読み、魚や鳥の肉で作ったひしお。また、干し肉を刻み、麹(こうじ)と塩に漬け込んだ調味料となるものである。穀物からの「溜まり」よりも前の時代の原始的方法の調味料が肉醤・魚醤ということになる。また古代中国で行われた極刑も意味し、処刑後の死体を塩漬けにすることも意味する。

            「永久に父なる肉醤」・・・謎である。

            世を捨てて 山に入るとも味噌醤油 酒の通ひ路 無くてかなはじ   狂歌師・大田蜀山人
            上記の歌はキッコーマン社のサイトから醤油のルーツとなる歌をみつけた。世捨て人となり山に入るにも味噌醤油は無くてはならないものだという歌だろう。永遠に使い続けられる醤を父としているのであるから、無くてはならない存在という意味として解してよいと思える。それが肉醤であるというのだから、ケモノの匂いのする父を想像するのである。

            そこで「父なる」に続くものがあるのかを考えてみる。「母なる大地」という考えはある。Mother Land and Father Heaven という言葉があるので、「父なる天」ということになろうか。確かに、天は荒々しく、変わりやすい。下記の歌もある。

            夏を愛する人は 心強き人 岩をくだく波のような 僕の父親
            冬を愛する人は 心広き人 根雪をとかす大地のような 僕の母親

            「四季の歌」詞・曲:荒木とよひさ
            一般的に父というのは、荒々しく厳しく、強いというイメージがある。では、肉醤にそのイメージがあるのかということになるが、ケモノから作った醤(ひしお)であるのだから、プリミティブ、野蛮ということを思う。

            それを「さし湯」して「永久」なるものにしているのだから、ケモノの匂いのする醤(ひしお)を人肌くらいに口にできるようにして、永遠に飲み継いでいく、家族代々がその醤で生きながらえていく、ということに読めるのである。「父を忘れるな」という意志が込められていると読めなくもない。

            あるいは、嗅ぐ嗅がないという意志に関係なく、「父」の香りのする生クサイ「醤(ひしお)」を家族は累々と、糠味噌床のように継ぎ足して使用してゆく。それは、「家」を継いでゆく、ということを意味しているのではないか。「家」の在り方、「家長=父」という考えについて「眞神」のムラに問題提議されている気がする。さし湯して薄まりつつも、その醤(ひしお)は、その家に無くてはならないものとしてま存在するのである。



            父の表現については、混乱が起こる句ばかりである。

            水赤き捨井を父を継ぎ絶やす 
            父はひとり麓の水に湯をうめる 
            父はまた雪より早く出立ちぬ 
            馬強き野山のむかし散る父ら 
            さし湯して永久(とは)に父なる肉醤(にくびしほ 
            少年老い諸手ざはりに夜の父

            敏雄の表現する「父」は敏雄自身なのかもしれないが、混乱している「父」という姿を描くことにより、代々累々と受け継がれてきた「父」という立ち位置の「揺らぎ」なのだろうか。

            近代文学の中に「父」との対峙というテーマがある。敏雄の『眞神』はその文藝に「俳句」として入れる作品であることを思う。

            敏雄の近代への挑戦ということも踏まえ、島崎藤村の「悲劇的生涯を終えた父親の苦悩」について鍵がある。まだまだ研究が必要である。


            第54 号 (2014.01.24 .) あとがき

            北川美美

            2014年1月第4週。54号をお届けいたします。

            小津夜景さんの作品快調。第9作目となりました。タイトルについている「グノシェンヌ」というのはエリックサティの曲で知られ、サティの造語であると言われています。語源はまた、古代クレタ島にあった古都「グノーソス宮」とも神秘教会グノーシス派とも。小津さんが作品に込めるのは、詩の脚韻を踏んだリズムなのでしょうか。

            そして、【戦後俳句】での正木ゆう子論にて、筑紫相談役23歳時の作品が公開!。必見です。

            大井顧問ブログも快調に更新されています。 先週このあとがきに俳句の古書の入手困難さについてについて書きましたが、耳よりな記事もあります!加藤郁乎氏の蔵書かも!? ブログ閲覧どうぞお見逃しなく!

            トップページの【PR/告知】にも掲載しておりますが、Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子さんの受賞様子を記録した映像を発見しました。どうぞその受賞の様子をご覧ください。







            西村麒麟「鶉」の反響がありお問合せいただきました。誠にありがとうございます。著者に確認してご連絡申し上げます。




            本日、大井顧問の【戦後俳句】の原稿が入りましたので掲載します。

            この後記の北川/筑紫の配置について気にしていましたが、昨年通りのままで配置掲載しております。気になりながらも、まだこの配置でしばらく掲載をつづけてみます。


            筑紫磐井

            ○新年を迎えたところで今年1年の俳句カレンダーを紹介しよう。

            ○26年3月11日(火) 第4回芝不器男俳句新人賞選考会・授賞式

            [日時]
             16:00~18:30 公開選考会
             19:00~20:30 授賞式・懇親会

            [場所]
             産業技術大学院大学 講堂

            [経費]
             公開選考会・授賞式・懇親会全て無料

            芝不器男俳句新人賞公式ページ

            ○26年8月1日(金)~3日(日) 第5回こもろ日盛俳句祭

             詳細は1月下旬に決定予定。「BLOG俳句空間」を注意してください。





            【俳句時評】エッセイ “Haiku in English”からヒッピー文化、そして高屋窓秋へ / 北川美美



            湊圭史さんの俳句時評にあった「Haiku in English – The Fist Hundred Years」の書籍紹介が何やらとても楽しそうでついつい購入した。最近ようやく読む気になり頁を開くと英文ながら結構私にも読めるのでひどくはまってしまった。

            Haikuといっても、堅苦しい定義はなく三行のものもあれば一行詩的なものも広く収録されてる。下記の詩(Haiku)が眼にとまった。

            an empty elevator
            opens
            closes
             
            JACK CAIN
            ビジュアル的にも惹かれてしまい、「俳句的」な思考が確かにあると思った。言葉による映像である。これは説明するに及ばず、言葉が目に入り、脳を通して頭の中で映像となるという連鎖反応が起こり読者がそれぞれの映像を想像する。私は上掲詩により、映画監督・デイビットリンチ的な不可思議な世界を思い、説明すると一気に野暮になるのだが、空っぽのエレベーターの扉が開いたり閉ったり永遠とつづく「映像」を想像し、妙な感動を覚える。これは短詩型でなければ起らないことだろう。

            英語の俳句がなんたるかの定義もあるのかもしれないが、これを見ていたら、初期のオノ・ヨーコの作品を思いだし「grapefruits」を引っ張り出し、またもはまってしまった。

            RIDING PIECE 
            Ride a coffin car all over the city. 
            1962 winter Yoko Ono”grapefruits”
            命令形であるはずだが、街中を霊柩車に乗って行くという空想の何物でもない気がする。しかし、オノ・ヨーコは実際にこの言葉からメルセデスベンツの霊柩車を制作して実際に街中を走るのである。こういうクレイジーな感じがするところが60年代の世界の風潮にも合っていたのだと思う。

            Ono Yoko ”Coffin Car "の画像


            オノ・ヨーコは私の中では戦後の日本における高等遊民ともいうべき芸術活動家で、草間弥生、出光真子とともに日本を代表する女性芸術家としての鮮明に位置付られている。その中でもオノ・ヨーコがヒッピー文化のアイコン的存在だった印象がある。それは、言葉を作品の一部とした傾向によることからきているのかと思う。オノの作品で思い出すのは、額縁に虫眼鏡がぶら下がっていて、その虫眼鏡で額縁の中の小さな文字を覗くと[Peace]なんて書いてある。梯子の作品では、天上に虫眼鏡がぶら下がっていて、虫眼鏡で天上にあるゴミとも虫とも思える小さな文字を覗く。すると[YES]なんて書いてあったりする。(私が持っているオノ・ヨーコデザインのコーヒーカップは内底に[YES]と印字されている。)

            虫眼鏡でしか見えないものが[Peace]という当時の政権に対するアイロニーの作意もあるかもしれない。

            [Peace]の流行が先かオノ・ヨーコの作品の中の[Peace]が先かは不明だが、[Peace]は当時のベトナム戦争に反対するヒッピー文化の合言葉として定着したのである。写真を撮るとき、今もジャンケンのチョキ、いわゆるピースサインをして「チーズ」と言うのが定着しているが、元々あれは、ベトナム戦争反対のサインという説があり、サインに合わせるのであれば「チーズ」ではなく「ピース」だった記憶があるのだが、いつのまにか、発音で笑顔になるという理由からか「チーズ」となった経緯が私の中にはある。

            ヒッピーというのは「愛と平和とセックス」がスローガンなのだが、これがまた食文化、音楽、芸術、ファッションにまで浸透したのだからすごいムーブメントだったわけだ。現在のロハスという言葉も、マクロビオティックという食事療法もヒッピー文化の進化だと分析できる。

            ヒッピー文化の影響を受けて来日し、現在、京都の古民家に住むハーバリストのベニシアさんが出演する番組「猫のしっぽ カエルの手」を見ていると彼女の人気の理由がわかる。番組最後の詩の朗読である。基礎的英語がわかる人ならば理解できる英語をブリティッシュイングリッシュで朗読する。

            「雨が降る(あるいは「降っている」)」ということを彼女のお国の言葉で「It rains.(あるいはIt is raining.)」と彼女自身で朗読することにより詩のエネルギーに変化する。彼女の朗読を聴いていると詩っていうのは比較的わかりやすい言葉で端的に表現することにより、こんなにも言葉というのが人に受け入れられるものなのだと実感できるのである。

            ベニシアさんの人気も凄いが、ヒッピーの末裔のような存在で世界的に有名なのは、故スティーブンジョブスによる「Stay hungry, stay foolish」であるがこれは詩というよりもスローガンに近いものなのでまた別の機会に書いてみたい。(タワーレコードの「No Life. No Music」というのも短詩といえばそうなのかも。)

            英語俳句からはじまってヒッピー文化、そして本来の俳句の話に戻ると、ヒッピーとは完全に無縁な高屋窓秋の句がひどく頭の中を駆け巡る。今見てもこの句は、とても不可思議でセンセーショナルで、60年代的感覚とだぶる句ではないかと思う。


            頭の中で白い夏野となってゐる        高屋窓秋


            短詩型というのは時代や国境を越えて不思議な力を持っているものだとつくづく思う。


            「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」③ /筑紫磐井


            ③沖の二十代作家としての初登場

            能村登四郎存命中の「沖」という雑誌は異常に若い作家を優遇する結社であった。「沖」昭和49年5月号は、恒例の二十代作家特集が行われており、沖の二十代作家12人が特別作品15句を発表している。掲載順に掲げると、正木ゆう子・筑紫磐井・森山紀美子・十時海彦(現在「天為」同人・元文部科学省文化庁長官)・小籔早苗・大関靖博(現在「轍」主宰)・堀江棋一郎・陶山敏美・能村研三(現在「沖」主宰)・四方幹雄・酒井昌弘・森岡正作(現在「出航」主宰)であり、もう俳句の世界で名前を見なくなっている人も半数ほどはいるが、それなりに俳句を続けている人たちもいる。

            正木ゆう子(当時21歳)は俳句を始めてからわずか半年たつたかたたないかの掲載だから、当時の「沖」がいかに若手を優遇していたかがよく分かるだろう。この特集では、作品だけでなく所信まで書かせている。ではそれらをそのまま眺めてみよう。

            蒼い橋    正木ゆう子
            角ごとに風が生まれる二月の街 
            青き踏むスカートの裾軽く 
            桃咲いて部屋の四隅のやはらかし 
            シャボン玉ぱちんとはじけ山遠し 
            春暁の首すんなりと起き出づる 
            春浅しギターの弦を強く張る 
            春病めば足が遠くにあるごとし 
            恋いくつ籠めて春夜の喫茶店 
            バスが渡る春の夜の蒼い橋 
            喉の奥に狂気が育つ桜かげ 
            サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる 
            春のセーターからひとすじのラメを抜く 
            春の夜の髪の重さをもてあます 
            粉砂糖ほろほろこぼれ春寒し 
            故郷や母の後ろに連翹散り 
            昭和27年6月22日
               浅瀬から沖へ 
            去年の夏の或る日、黄色い小菊を抱いて歩いていると、ふと季語入りの十七文字の短い言葉が口をついて出て来た。それ以来、まるで子供が浅瀬で水遊びをするようにピチャピチャと俳句を読み、俳句とも言えないようなものを作ってきた。今、半年たって、自分にとっての俳句を意識して見ると、その魅力はもう浅瀬ではなく、引き返せなくなっていることに気づく。こうなったら覚悟を決めて、沖へ泳ぎ出すだけだと思っている。

            現在若手の口語的作品を未熟だと言う人が多いが、すでに正木ゆう子の句にもそうした作品が溢れている。しかし全部が全部見るに堪えないかと言えば、この時の作品で「サイネリア」の句は一時期正木ゆう子を代表する句になっていた。第一句集『水晶体』のあとがきで林翔はこの句を激賞しており、初めて正木ゆう子に注目した句だとしている。

            さて、所信の中で、正木が「季語入りの十七文字の短い言葉」といっているのはまことに的確だと思う。全ての俳句は、「季語入りの十七文字の短い言葉」から始まる、その意味で「俳句のようなもの」からしか「俳句」は始まらない、これは私も全く同感である。

            いや正確に言えば、「俳句のようなもの」から始めさせる能村登四郎の指導方法と、厳密な「俳句」から始めさせる藤田湘子の指導方法の二つがあったというべきであろうか。あとあと、湘子の系列の同世代の作家から話を聞くと、同じ馬酔木の出身でありながら俳句の指導原理が二人は全然違っていたようなのである。どちらがすぐれた指導方法であったか―――それは一概に言うのはなかなか難しい。ただ、より厳密に言えば、「能村登四郎の指導方法」といったが、指導などしていないのが能村登四郎の指導方法なのであった。「春暁の首」「春病めば」「春のセーター」など、そうした無指導の指導のよろしさを得た俳句であっただろう。

            ただ「喉の奥」などはおそらく今の正木ゆう子にとっては赤面するぐらい恥ずかしいに違いない。そこで、正木ゆう子ばかりに恥をかかせないために私(当時23歳)の恥ずかしい俳句も掲げておくことにする。

            秩父魚虫図      筑紫磐井  
            始祖鳥のまぼろしと啼く草いきれ 
            廃屋に蛇の睡りのわだかまる 
            蜘蛛去って鬼気ただよへり蜂むくろ 
            青蝿の一瞬に消え屍を残す 
            秩父には魑魅棲みつぐと油蝉 
            不気味にも夜の雲ちぎれ蛙なく 
            水底の我が影はめるかと大群 
            泉底に小さき修羅場や藻が隠す 
            炎天のどこから湧ける山の婆 
            水中花睡りの中にのみ揺れて 
                 ※ 
            廃屋の枝垂れ桜は夜が妖し 
            白梅の混み合ふ上を日が流れ 
            ものの芽にあはあはとおく別れ雪 
            霜の空蝶渡りたく息絶えぬ 
            愛憎の屋に夜明けをり漱石忌

            昭和25年1月14日

               民族の伝承詩 
            俳句は文芸ではない。それは、作者の境涯からも、私性からも解き放たれた「伝承のうた」である。作者の悲しみは、一人の立場を離れ、民衆の挽歌として残されてゆく。滅びとて同様である。 
            いつの日か、俳句の滅び去る日がくるかもしれない。しかし、そこにうたわれた時代の心は、文学以上の価値をもって人々を永遠に感動せしめうるであろう。 


            40年ぶりに資料を引きずり出して、実に俳句を始めたときから、写生・嘱目でなく観念的なテーマ詠をしていたことに驚く。また、その後評論に専念してゆく私であるが、俳句の雑誌で最初に書いた文章がこの所信であるらしい。<俳句は文芸ではない。「伝承のうた」である>は、つい最近刊行した『21世紀俳句時評』に全く同じ文章があったから、ちっとも変化・進歩していないらしい。これまた赤面するぐらい恥ずかしい。


                  *      *

            この企画では附録的な編集が様々に行われていた。まず、作品については、二十代作家の作品を沖の主要同人11名(今瀬剛一、鈴木鷹夫ら)が選句をし、点を競っている。高点句は次の通りであった。

            6点 春病めば足が遠くにあるごとし  正木ゆう子 
            6点 炎天のどこから湧ける山の婆   筑紫磐井 
            6点 水音のくもる高さに囀れり    能村研三 
            4点 桃咲いて部屋の四隅のやはらかし 正木ゆう子

            こんな傾向が当時の「沖」にあっては評価されていたということである。

            また、簡単ながら二十代作家論が掲載されている。「あざみ」の若手である小野元夫氏(現在「あざみ」副主宰)が「「沖の二十代作家」十五人評」を執筆している。特別作品を発表している12人に少し補欠を加えて書いている。その中ではこんな評が行われていた。

            ●正木ゆう子 
            俳句一家にあると言う環境も、本人次第で良くも悪くもなるものだ。 
            溶けそびれまた夜となる渓の雪  
            見つめられ柿輪郭を濃くしたり 
            俳句の骨法を第一に教えられたようだが、多少、少女趣味におちる位の自在性を持っていないと、いつか俳句を投げ出したくなる日がきたときに詰まってしまう。新鮮さがこの人の魅力なのだから、ある程度の柔軟性が欲しい。

            ●筑紫磐井 
            磐井君もまた学生である。彼の特性は極めて口数の少ない淡白な詠いぶりにある。 
            更けてきて炭火の起こる夜の乾き 
            雪わづか降る夜ほのかに咳もれぬ 
            雪降りに焚く火の色は母の色 
            など平明で、状況に対する反応は柔軟。しかし与えられた世界を変革してゆこうという気迫にかけるのは残念である。新しい展開が課題であろう。

            わずかな作品から作家論を書くのはいささか乱暴であり(正木ゆう子に到ってはわずか数ヶ月の作品だ)、正木ゆう子の「少女趣味におちる位の自在性を持っていないといつか・・・詰まってしまう」「ある程度の柔軟性が欲しい」は、私などこの時期の正木ゆう子など少女趣味・奔放の権化のように思っていたからかなり他人の評は食い違っていると感じた。私にしてからが、「与えられた世界を変革してゆこうという気迫にかける」なんて、長い40年の句歴の中で、その後一度も言われたことがなかったように思う。

                   *    *

            翌月の49年6月号ではその後も恒例となるのであるが、特別作品評「躍動する生命力――二十代作家特集を読んで――」を三十代の若手同人であった上谷昌憲氏(現在「沖」同人。俳人協会「俳句文学館」編集長)が書いている。身近な人だけに的確なところが多かったように思う。

            ●蒼い橋(正木ゆう子氏) 
            先ず何より魅力的なのは、ナイーブで柔軟な可能性であろう。 
            角ごとに風が生まれる二月の街 
            恋いくつ籠めて春夜の喫茶店 
            都会的な俳句は非常に骨が折れるものだが、ポイントとなる季感が的確なため、感情に押し流されていない。他の句もほとんどが都会的な素材を扱っており、つぶやきのような不思議な俳句を見せてくれる。 
            桃咲いて部屋の四隅のやはらかし 
            春病めば足が遠くにあるごとし 
            サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる 
            一句目、二句目の女性らしい完成。三句目の素直さ、奔放さ。今後もさらにこの世界の拡大を願っておこう。ただ「青き踏むスカートの裾軽く」の安易さや「喉の奥に狂気が育つ桜かげ」のポーズは止めにして・・・。

            ●秩父魚虫図(筑紫磐井氏) 
            現実への妥協を拒みつつ、具象を超えた何かに肉薄しようとする試みは貴重だ。だがその意欲が先行してしまって、観念の消化が不十分な作品も散見したがどうだろう。 
            秩父には魑魅棲みつぐと油蝉 
            泉底に小さき修羅場や藻が隠す 
            炎天のどこから湧ける山の婆 
            これらの句は虚実感を伴って筆者の胸に楔を打つ。山深い秩父の里で、作者はおどろおどろしき怨念のように詩への闘志を燃やしていたのであろう。「泉底に」の句は秀吟である。 
            廃屋の枝垂れ桜は夜が妖し 
            霜の空蝶渡りたく息絶えぬ 
            現実を直視したときに湧くある種の触発を、いかに形に現わすかという作業は難しい。「始祖鳥のまぼろしと啼く草いきれ」「愛憎の屋に夜明けをり漱石忌」は観念過剰と見た。 
            評者自身が若いから、自らの文章に溺れてしまっているようだが、なかなかいい線をいっているようには見える。

            さて、長々としたこれらの資料を読まれて読者はどう思うだろう。入会してからわずか半年、あるいは一年の若手にこれだけ場を提供してくれる結社がかってあったと言うことが驚きである。実は、このように若手を偏重した能村登四郎・藤田湘子であるが、能村登四郎・藤田湘子自身、昭和20年代に馬酔木が行った若手偏重特集の中で頭角を現わした作家たちであったのだ。戦後若手の輩出を切望していた水原秋桜子が、わずか48頁の馬酔木の頁を割いて膨大な新人のための特集を組み、それにより、馬酔木の戦後新人がやっと登場したのである。新人は、新人自らだけでなく、指導者が努力をしなければ生まれない―――これは、間違いない!





            【俳句作品】  平成二十六年 歳旦帖 第三

            ※画像をクリックすると大きくなります。

                 小野裕三(「海程」「豆の木」所属)
            覗かれぬものとして穴ある師走
            年守る湾ふかぶかと灯と人と
            初富士へ寄りつ戻りつ吾子と吾子


                 中村猛虎(1961年兵庫県生まれ。「姫路風羅堂第12世」現代俳句協会会員。)
            レノンの忌最近空を見上げてますか
            遊廓の投げやりな手の暖かし
            冬の田の土塊ゴロン爺さんゴロン
            不と思と議切れば海鼠の如くなる
            緩慢に死にゆく寒夜の受精卵
            独語辞書インクの匂いのして真冬
            深夜バスナイフ片手に乗る聖夜

                 竹岡一郎(「鷹」同人)
            参賀了へ九段北へと急ぎけり
            愛国者賀状に禁句光らしめ
            木剣に凹みあまたや初稽古

                 小鳥遊 栄樹 (「若太陽」「ふらここ」)
            初夢の海面に星触れる音
            初詣手を繋げば手の甲寒し
            空澄むや賀状に馬のようなもの

                 林雅樹(「澤」同人)
            光漏れ雨戸の板や大晦日
            ピアス連なる耳にイヤホン初詣
            親真つ青女礼者に抱きつけば




            【小津夜景作品 No.9】 やわらかなグノシェンヌ   小津夜景


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               やわらかなグノシェンヌ   小津夜景


            めくれでる我を我なるぬかるみが

            塞ぐなき傷ならずこの口を見よ

            感触にいたらぬ口の土台かな

            グノシェンヌ食へば ぬ と具のごとき舌

            舌そつとそよいでゆくよかはたれを

            黄泉の口ゆかば夕餉のみかど口

            食ひかけの一生を添はむいぢらしさ

            粘膜の舐めかねてゐる孤島かな


            出口なき袋が口に化けて哭く

            銃口やモジュールほろぶ口ほろぶ





            【略歴】
            • 小津夜景(おづ・やけい)

                 1973生れ。無所属。

            2014年1月17日金曜日

            第53号 2014年01月17日発行

            【俳句作品】

            • 平成二十六年歳旦帖 第二
            ……中山奈々,小林千史,しなだしん,下坂速穂,
              依光正樹,依光陽子,山田露結,池田瑠那,
               佐川盟子,望月士郎,早瀬恵子,山本敏倖,
                関悦史,小久保佳世子,堀本裕樹,北川美美,
                     柴田千晶,藤田るり子,山田耕司,小津夜景,   》読む

            • 現代風狂帖
                   シクラメン     水岩瞳   ≫読む

               

               <小津夜景作品 No.8>
                
                  冬の朝、そのよごれた窓を(その2)
               小津夜景   ≫読む

               <竹岡一郎作品 No.2>

                   怒張の国 2   竹岡一郎   ≫読む


              【戦後俳句を読む】


              • 上田五千石の句【テーマ:朝】
                                      ……しなだしん  ≫読む

                • 「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」 ②出会い
                ……筑紫磐井   ≫読む




                【現代俳句を読む】

                • 【短歌評】 <ショート・エッセイ>何が違うか
                ……筑紫磐井   ≫読む
                • 【俳句時評】  禅寺洞から遠く離れて 
                                        ……外山一機   ≫読む


                 【俳句時評】  大井恒行の日日彼是       ≫読む
                  (-blog俳句空間-戦後俳句を読むAnnex) 詩歌・芸術のリポート満載。どんどん更新!!



                【編集後記】

                      あとがき   ≫読む   



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                本年もどうぞよろしくお願いいたします。

                  • 第二回 攝津幸彦記念賞各賞発表  》読む
                  • 祝!恩田侑布子さん
                  Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞!恩田侑布子……筑紫磐井 ≫読む

                  第23回ドゥマゴ文学賞授賞式の様子 ≫「俳句界ブログ大井顧問)

                                          ≫ Youtube 



                  西村麒麟第一句集『鶉』発刊!!















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                  第53 号 (2014.01.17.) あとがき

                  北川美美

                  はや新年も2週間過ぎ第53号をお届けいたします。

                  何かと慌ただしい年末年始でしたが、今年は整理整頓、自分の句帳、パソコン、身の廻りの整理に努めたく思っていますが、すでに乱雑極まりない身辺にちょっと辟易としております。捨てるしかないのですが捨てられないのですよね。本で家が傾くと家主に言われてどうにか重量分散しなければと思っています。

                  しかし、俳句関係の古書というのはなかなか入手困難になっています。年末頃に神保町に寄ってみましたが、ほぼ絶望的状態でした。理由は、俳句の価値が理解できる古書店が神保町にはもうないと断言されてしまいました。亡くなった方のご遺族に連絡してみようか、とか、ご高齢者の俳句のお仲間にもっとやさしくしなければとか邪念が走ります。さて初買は、「日本の古本屋」にて、「朝日文庫の現代俳句12冊(三橋敏雄解説)」を福岡の古書店よりセット購入しました。5000円也。よって虚子集が手元に3冊もある状況となりましたが。

                  ユニクロの店内にあるリサイクルコーナーのボックスを覗いてみると、ほとんど新品のような綺麗な状態のユーズドユニクロ商品が、これまた非常に綺麗に畳まれて入っていることに感動しました。買ったらリサイクルに廻すということを皆さん実行しているのですね。書籍、衣類が兎に角捨てられず、思い出の洋服を写真集にしたいくらいです。それでもお直しに何度も出し絶対に服を着継ぐことに努めているのですが。20年くらい前に、服の買い取りという店がちらほらできた頃に持って行ってみたところ、「微妙に古く、年式が中途半端」と言われ値段がつかずまた持って帰ってきて意地でも着るぞと思った記憶があります。現在スポーツウエア全盛期ですが全部外した肩パットがまたリバイバルする時もあるのでしょうか。書籍やCDもブックオフ、ディスクユニオンに持ち込んでみたりしましたがほぼ処分に廻るケースが多々です。

                  さて、捨てられてしまっては困ってしまいますが、西村麒麟さんの第一句集が上梓され、御本人の直筆で「私家版ですが句集を作りました。読んで頂ければ嬉しいです。麒麟」と鳩居堂の一筆箋が添えられおりました。筑紫氏と協議の上、西村麒麟フィーチャーを延々と続ける構想となりました。多くの方に麒麟さんの句を目にしていただける機会があればと願っております。

                  A6版サイズ。総頁数75。1頁3句組225句収録。繊維入りカバーにタイトル「鶉」と著者名「西村麒麟」が箔押しされています。内容は、「秋」「冬」「新年」「春」「夏」と構成されています。冒頭の「秋」の句と䈇尾の「夏」の句から一句ずつ。

                  へうたんの中より手紙届きけり   西村麒麟『鶉』より 
                  夏の果さつと出て来る漁師飯



                  私家版限定200部。ご希望の方は著者に連絡をとってみますので、編集部までお問合せください。

                  sengohaiku(あっとマーク)gmail.com  (慣れないアドレスのため返信が遅くなる可能性あります。ご了承ください。)

                  筑紫磐井

                  ○「詩客」はこの「BLOG俳句空間」の母胎となった俳句・短歌・自由詩の共通のウエッブ雑誌で膨大なアクセス数を誇っている。現在も「詩客」との関係は続いており、「詩客」の目次から直接この「BLOG俳句空間」の目次の一部をうかがうことができるようになっている。だから「詩客」からこの「BLOG俳句空間」へ流れてきている、特に歌人や詩人の読者がいるようである。

                  その「詩客」が今年から少し編集方針を改めて、俳句・短歌・自由詩の相互批評をしてみようと言うことになった。あまりそうしたことに興味のありそうな人が俳人では少なそうだったので、第1回は私が書いてみたが、せっかくなので、「BLOG俳句空間」の目次に「詩客」のリンクを張ってみたらどうかと思った。今までと逆のリンクである。今回の「現代俳句を読む」に載っている筑紫執筆の「」はそうした理由で入っている。ジャンルを超えた挑戦をしてみることは悪いことではないと思う。「詩客」では今後もこうした企画を続けるらしいので希望者があれば筑紫宛ご連絡いただきたい。


                  「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」 ② /筑紫磐井

                  ②出会い
                  正木ゆう子との出会いは、句会での出会いであった。当時付けていた日記によると、昭和48年9月26日(水)、上野の東京文化会館の沖の句会に参加したときの記録が残っている。

                  会場にはじめに来ていたのは、新入の人ばかりだった。そのなかの若い女性がつかつかとやってきて、「あなた初めて?いっしょに坐りましょう。」と言われ、はじっこに坐ることとなる。名前は正木ゆう子で、御茶の水女子大家政学部3年、正木浩一氏の妹、正木みえ子氏の娘さんと聞いた。一方私の名前を見て、「お宅、難しい名前ねえ、なんて読むの」などとぺちゃくちゃ。

                  当日出した私の「能面のまなこうつろの稲光」という句をこの句会で取ってくれたのは正木ゆう子一人。記憶にないのだが、私が取った句も正木ゆう子の句であったと彼女から後で聞いた(どんな句であったかは残念ながら失念)から、何のことはないニューカマー同士で慰め合ったようなものだ。

                  とはいえ、私が「沖」の昭和47年11月号から作品が掲載されたのに対し、正木ゆう子は昭和48年12月号に初掲載されているから1年ほどの先輩になるはずだったが初対面からしてそんな感じはなかった。彼女は、兄の正木浩一氏に勧められて沖に入会したが、その記念すべき第1号がこんな作品であった【注1】。

                  コスモスが群がり咲いて恋したし 正木ゆう子 
                  夜に入り紅かたまりぬ貴船菊 
                  秋日暮青ければ灯をともさずに

                  「恋したし」なんて若い女性特有の句で今見るとなんだか気恥ずかしくなってしまうが、それでもその後の正木ゆう子とどこか通うような気がしなくもない。

                  翌49年1月号ではもう上位に掲載されている。俳句を始めて数ヶ月なのにである。

                  秋澄むや鏡は空の写る位置      正木ゆう子 
                  椎の実を拾ひ地面の冷えを知る 
                  見つめられ柿輪郭を濃くしたり 
                  ごろごろと芋掘られなぜか笑ひたし


                  であり、特に「見つめられ」の句を掲げて能村登四郎は「20代作家特集が「俳句」誌で行われた時、私はお師匠さんの型真似が多いと批評したが、この作者は全くあたらしい発想で俳句に立ち向かっている。それだから実に新鮮である。私はこの作者が俳句を勉強して行くにつれてこの新鮮さをこわしてしますのを今はむしろ怖ろしく思う。」と評している。この時兄の浩一氏が巻頭句を得ているから、そんな縁で上位に登場したと言えなくもない――30年経ったからこれくらいのことは言っても怒られまい。ただそれにしても、能村登四郎の評そのものはまさしく正鵠を射ていたようだ。現在の61歳の正木ゆう子を評するのに、こんな的確な評を書ける評論家はおるまいと思えるのである。

                  こんなところから始まって、「正木ゆう子と私――戦後俳句の私的風景」を書いていってみたいと思う。

                  【注】正木ゆう子は、俳句を始めた頃の記憶を次のように綴っている(『十七音の履歴書』)。先に「沖」で俳句を始めていた兄の正木浩一から山本健吉の『現代俳句』が送られてきたときのことだ。

                  「俳句の本が他の本と違うのは、五七五という独特のリズムがあることだ。これは伝染病のように体に入り込む。私の体にもそのリズムが入り込んだらしい。ぶ厚い文庫本の『現代俳句』を読み終えたある日、花屋で小菊を買ってアパートまでの道を歩いていると、歩調に併せてふっと言葉が五七五になって出てきた。

                  「もしかしてこれって俳句?」と私は兄に手紙を書いた。」

                  「・・・兄は「沖」でたちまち頭角を現した。そうするともう俳句が面白くてたまらない。私に『現代俳句』を送ってきたのは、自分が始めて一年たった頃であった。

                  「これって俳句?」と私が書き送った最初の句は、待ってましたとばかりに、「沖」に投句されることになる。」