2014年11月28日金曜日

第5号

※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です。(記事により毎週・毎日更新もあります。毎週・毎日更新の記事は、右の[俳句新空間関連更新リスト〕ご参照ください。)



  • 12月の更新第6号12月12日・第7号12月26日




  • 平成二十六年 俳句帖毎金00:00更新予定)  》読む


    (12/5更新)
    秋興帖 第八 中西夕紀

    冬興帖 第二 …寺田人・曾根 毅・陽 美保子・関根誠子・小林苑を・飯田冬眞

    (11/28更新)
    秋興帖 第七 小澤麻結

    冬興帖 第一 …山本敏倖・中山奈々・杉山久子・福永法弘・山田露結・内村恭子



    【俳句を読む】
    • 「我が時代――戦後俳句の私的風景」の附録
    • 能村登四郎の戦略―無名の時代 (9)新人システム
      筑紫磐井 》読む

    【句集を読む】
    • 吉村毬子『手毬唄』 
    詩の到来を待つまでに… 田沼泰彦  》読む




    当ブログ媒体誌俳句新空間』を読む(毎金00:00更新)
    堀下翔、仮屋賢一、網野月を、浅津大雅、中山奈々… 執筆者多数  》読む
      およそ日刊「俳句空間」 (12月も月~土00:00更新) 
        日替わり詩歌鑑賞 》読む
        …(12月の執筆者)竹岡一郎・黒岩徳将・佐藤りえ・仮屋賢一・今泉礼奈 
          大井恒行の日々彼是(好評継続中!どんどん更新)  》読む 



            【時評コーナー】


            • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
              ~登頂回望~ その四十一、四十二網野月を  》読む
              • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
              『寺山修司俳句全集』を疑う  外山一機     》読む 

              • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
              • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
              • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                あとがき   》読む





                      当ブログの冊子!-BLOG俳句空間媒体誌- 

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                      筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆





                      「角川俳句賞の60年」異聞 …筑紫磐井  》読む





                      【俳句時評】 『寺山修司俳句全集』を疑う 外山一機



                      『円錐』第六三号(二〇一四・一〇)で、今泉康弘が寺山修司に関するきわめて重要な指摘を行っている。同号に掲載された「寺山修司と『差別語』―その書き変えの問題」がそれである。今泉はすでに角川文庫から出された寺山の著作の「差別語」の書き変えを逐一調査していたという(「寺山修司におけるいわゆる「差別語」と角川文庫によるその書き変えについての資料」『日本文学論叢』法政大学大学院日本文学専攻、二〇〇四)。今泉は「角川文庫は、もはや寺山の文章を読むためのテキストではない」と述べているが、しかしながらそれ以上に驚いたのは、『寺山修司俳句全集』(新書館、一九八六)においても『寺山修司の俳句入門』(光文社文庫、二〇〇六)においても「差別語」の書き変えが行われていたということ―とりわけ『寺山修司俳句全集』においては書き変えを行った旨の断り書きが見当たらないという指摘であった。

                      詳しくは『円錐』を参照していただかなければならないが、たとえば今泉は青森の俳誌『暖鳥』に掲載された寺山の文章「自己形成へ―県下高校生俳句大会について」(一九五二・一〇)に見られる次の部分を挙げて、その書き変えの実態を検証している。


                      句にはさすがに花鳥諷詠がなく、その反面、やたらに「孤児」や「びつこ」が多かった。
                      これは特に山彦会員に見られた現象であつてよく言えば新興俳句的野性への目覚めであり、若さの横暴であるが一考を要するところであろう。

                      この部分に用いられた「びつこ」が『寺山修司俳句全集』『寺山修司の俳句入門』では「身体障害者に関するもの」という言葉へと書き変えられていること、さらにカギカッコを削除してしまっていることを指摘したうえで、今泉はこのような書き変えが「びつこ」という具体性の消失やその他の障害をも指してしまうということを懸念するだけでなく、当時の高校生俳人たちの表現者としての志向や俳句観を見えなくするものであるとしている。


                      寺山の記す「新興俳句的野性」とは、新興俳句のもつ革新的傾向のことだろう。それは、一つには用語の新しさであり、また一つには社会問題への志向でもあろう。というのは「孤児」とは戦争による孤児のことだと考えられるからである。同文章に引用された京武久美〈夜の蝗孤児が濡らせし重き軍靴〉にそれが暗示されている。とすれば「びっこ」もいわゆる傷痍軍人のことを描いたのかもしれない。つまり、「びっこ」という語には、そうした形での当時の高校生俳人たちの社会的関心が具体的にあらわれている可能性がある。

                      『寺山修司俳句全集』の刊行は一九八六年(寺山は一九八三年没)であるが、この刊行年と同書に書き変えに関する断り書きのないこととをあわせて考えれば、今泉のいうように「編集部が勝手に書き変えたということになる」とするのが自然であろう。今泉は「ハッキリ言ってしまうと、『全集』も『入門』も、俳句についての寺山の文章を読むためのテキストとしては信用できないものだ」と断言する。その通りであろう。寺山に限らず、ある俳句作品の初出にアクセスすることはしばしば困難を伴う作業となる。そうであればこそ、『寺山修司俳句全集』は俳句作品の初出や異同を示したのであろうし、こうした書誌的なことがらを丁寧に提示するという仕事ぶりに僕もまた信頼を寄せていたのである。また『寺山修司俳句全集』も『寺山修司の俳句入門』も寺山の俳句を集めたそれ以前の本と異なりアクセスしにくい寺山の俳論をいくつも収めている点が画期的だったし、そこにはまた、寺山の俳句に対する編集者の深い理解や後世に寺山の俳句を伝えようとする志のありようがうかがわれもしたのである。

                      実際、寺山のように他者の作品をアレンジ・コラージュして自らの作品とするような作家の場合、その作品の制作された文脈を知ることがより豊かな読みに繋がるということがある。たとえば寺山に次の句がある。


                      みぞれにて孤児の軍靴曠野の泥

                      この句は一九五二年一〇月に発表されたが、この句に先行して発表された作品に京武久美の「夜の蝗孤児が濡らせし夜の軍靴」がある。これは先の「自己形成へ―県下高校生俳句大会について」のなかで寺山が引用している句であるが、この文章が「みぞれにて」の句と同時期に書かれたことを鑑みれば、寺山が京武の句を念頭に置いて「みぞれにて」の句を詠んだと推測するのはそれほど無理なことではないだろう。今泉は京武の句に当時の寺山周辺の高校生俳人たちの社会問題への志向のあらわれを見ているが、寺山はこうした同世代の作家たちの志向を指摘しつつ、自らもまたそうした表現の渦中へと自覚的に参入していこうとしていたのかもしれない。この句は「山彦俳句会」で発表された句であるから、当然京武も目にしたであろうし、寺山もまた京武が目にする可能性を考慮に入れていただろう。ここには、同世代の俳人たちのオーガナイザーであり批評家でありつつ、一方では他者の作品を織りなおすことで同世代の他の作家に先駆けて次の一句を展開していこうとする俳句作家としての寺山の姿―そしてその織りなおしを隠すどころかあられもなく開示する寺山の姿がある。寺山の表現行為に対してはのちに剽窃であるとの批判がなされたが、こうした寺山の志向をふまえればそのような批判はむしろ不当なものであったとも思われるのである。

                      このように、寺山の俳句は寺山がその当時関わっていた「場」との関わりのなかで生まれてきたものであり、そうであればこそ、今回のような無断の書き変えは看過できない問題なのである。今日、『寺山修司俳句全集』を寺山の俳句や俳句に関わる文章を読む際のテキストとしている者は決して少なくないはずだ。今泉はいずれ『寺山修司俳句全集』『寺山修司の俳句入門』と初出とを比較対照したものをつくりたいと述べているが、これは決して今泉の個人的な寺山への愛着から発した言葉ではあるまい。今泉の問題意識はもっと広く共有されるべきものであると思う(なお、現在では新書館版『寺山修司俳句全集』を底本とし増補・改訂を行った『寺山修司俳句全集 増補改訂版』(あんず堂、一九九九)が刊行されている。あんず堂版を確認したところ、「自己形成へ―県下高校生俳句大会について」では新書館版と同じく書き変えが行われており、また、書き変えに関する断り書きも見当たらなかった。この点については、新書館版を底本とするのだからいわば当然のことであろうが、あんず堂版で増補された文章には書き変えが行われていないのだろうか。現在では新書館版よりもむしろあんず堂版のほうが入手しやすいと思われるだけに、気になるところではある)。

                      ところで、こうした差別語について加藤夏希は一九七〇年以降に規制が行われるようになったとし、次のように述べている。


                      一九七〇年代から起き始めた差別語問題は、「部落差別」から、「障害者差別」、「人種差別」へと徐々に枠を広げていったことが分かる。そして、児童書や小説が次々と絶版・回収に陥っていく風潮の中で、差別語問題に関わるのは「怖い」、「面倒だ」といったイメージが広まっていった。そして、『言い換え集』が多数出版され、差別語の「言い換え」のマニュアル化が進み、やがて問題の過熱化が「言葉狩り」と批判されることとなったのである。このような風潮の中で、『ちびくろサンボ』の絶版は行われた。早すぎる絶版を批判する研究者も多いが、絶版を急いだ要因には、当時の差別語問題の過熱、米国からの批判、出版社の企業イメージ回復といった背景があることは認識すべきである。 
                      (「差別語規制とメディア 『ちびくろサンボ』を中心に」『リテラシー史研究』リテラシー史研究会、二〇一〇)

                      ようするに、『寺山修司俳句全集』における書き変えが行われた一九八〇年代は、差別語への規制が次第にその対象となる枠を広げ、エスカレートしつつあった時代だったのである。興味深いのは、先の記述のなかで加藤が『ちびくろサンボ』絶版・回収の急がれた理由を、対外的な事情に見出している点である。今泉は角川文庫の措置を「事なかれ主義」と批判しているが、いわば差別語問題に関わることの「面倒」くささが寺山の作品の書き変えとして結果したのかもしれない。

                      だがこうした書き変えについては、それを実行した編集者や出版社の側にのみその責任を負わせてよいものではあるまい。こうした書き変えが行われたのは書き変えを望んだ者がいるからである。いうまでもなくそれは読み手―僕たち自身である。もちろん僕は差別を助長しようとは思わないし、こうした読み手の態度はある意味では真っ当なものだと思う。そして、だからこそこうした読み手の態度はいくら批判や反省をしたところで絶えることはないだろうと思うし、絶えてしまってはいけないとも思う。だが一方で、こうした態度がテキストの不用意な書き変えの呼び水となったのも事実であろう。いわば寺山のテキストを書き変えたのは僕たち自身なのである。『寺山修司俳句全集』を疑うまなざしは、反転して僕たち自身へと向けられるものでもあるはずだ。ならば、僕たちに必要なのは『寺山修司俳句全集』の改訂をぼんやりと待つことではなく、書き変えを望みつつ拒むこと―この二重性を引き受けながらその改訂を待ち受ける姿勢であろう。



                      第5号 あとがき

                      北川美美

                      11月最終週。 隔週になり時間の流れが加速して感じられます。12月がすぐそこです。

                      今号より冬興帖がスタート。

                      11月に新メンバーでスタートした『およそ日刊・俳句新空間』は順調に1か月更新して参りました。12月1日より、若干メンバーの入替を行い、再び毎日更新します。執筆者の皆様のご協力に感謝します。

                      冊子『俳句新空間』も早くもNo.3の準備中です。

                      先週は地元の「えびす講」(通称:エビスコ)の「えびす太鼓」を聴きにゆき、最後に振舞われる福豆をキャッチ。恵比須様がやってくるかもしれません!

                      2014年も残すところあと1か月ですが、当サイトでごゆるりと、様々なコンテンツをご堪能ください。



                      筑紫磐井

                      「未来図」が30周年を迎え、11月8日(土)、ホテルオークラで祝賀会を開いた。多くの会員や来賓が集まっていたが、鍵和田主宰のあいさつで、それまでの10年、20年と30年は何か違うようだ、一つの仕事が仕上がる時間が30年ではないかというような話をされていた。確かに紅顔の20代が働き盛りの50代に、50代が老境の80代になるということは、同じ作家であっても俳句そのものがそこで変質している可能性が高い。

                      特にその間、順調に主宰・会員が成長するだけでなく、何人かは亡くなっていることも多いから、そうなった場合は志や思想そのものが大きく変わってしまう筈だ。「未来図」に先立って祝賀の大会の行われた「玉藻」も「鷹」もそうだし、大会等考えてもいなかった「豈」だとて30年(実は34年)経ったから大きく変質している。

                      そういえば、いま連載している「能村登四郎の戦略」も馬酔木の30周年にやっとたどりついた。途中から出発したから丹念に30年をたどっているわけではないが、秋桜子と縁もなく創刊されたホトトギス系の「破魔矢」という雑誌が、秋桜子に主導され「馬酔木」に改題され、やがてホトトギスに造反して独立し、楸邨、波郷を輩出、山口誓子を迎えて反ホトトギスの大勢力となるなかで、戦後ふたたび蘇生の時期を迎えるという疾風怒濤の時代を見ると、まことに30年というのは長い時代であったと感じられるのである。

                      ただ謙虚に考えれば、この「俳句新空間」も一応30分の1を経過しようとしているのであり、疾風怒濤の一部を我々も共有しているのかもしれないのである。




                      作句10年以内の方必見!
                      締切 2014年12月31日





                       登頂回望その四十一・四十二 / 網野 月を

                      その四十一(朝日俳壇平成26年11月17日から)
                                              
                      ◆猫を呼ぶ虚栄や朝の山粧ふ (船橋市)斉木直哉

                      金子兜太の選である。筆者はこの句を読み切れない。何故なら猫のことを何も知らないからだ。動物の句は色々あるが、猫と犬ほど人に密着してそのイメージが縦横無尽な存在はないだろう。彼ら彼女らは時に家族であり、時に敵対するものであり、常時われわれ人を教え導く存在でもあるのだ。作者は、自身の虚栄心を指摘することで猫の存在の何たるかを表現しようとしている。作者にとってこの猫は同等かそれ以上の格位を有しているのかも知れない。

                      それにしても中七後半から座五の「朝の山粧ふ」は適合しているであろうか?季題の表現に「朝の」を付加して一層複雑化している、もしくは限定的に使用している。朝起きてみたらくらいの意味で解してよいのであろうか。作者にとっては特殊な意味合いがあるようだが、読者には無関係である。筆者には季題の確定が弱いように考えられる。


                      ◆ドン栗が話をしたり笑つたり (所沢市)小泉清

                      長谷川櫂の選である。団栗を擬人法で叙した表現である。「ドン」というようにカタカナ書きすると首領(ドン)のようであって、団栗の親玉同士が談笑しているように読めたりする。団栗が降りしきる頃の情景であり、その降ってきた団栗が丸みのあるが故に転げている様を話したり笑ったりと表しているように読める。

                      ◆海に降る雪は音なく消えにけり (東京都)池田合志

                      大串章の選である。雪はどんな場合も無音なのである。地に降る時も、空を舞い降りる時もである。融ける時にも無音であり、時にヒューヒューと聞こえる時は風の音が代弁して聞こえているのである。

                      雪辱という言葉があり、降り敷く雪がすべてを覆い隠してしまう様子を表現して、辱を雪ぐ意に用いるのだが、海上では雪辱することなく雪は「音なく消え」てしまうのである。筆者は、この句の中に誓子の「海に出て木枯帰るところなし」の含意に似たものを感じてしまう。象徴性の高い句は教訓の句に陥ってしまうことがあるが、掲句は自然への鋭い観察眼によってその難を避けて成功している。


                      その四十二(朝日俳壇平成26年11月24日から)
                                              
                      ◆果なきは青きことなり秋の空 (大和郡山市)中西健

                      長谷川櫂選である。評には「三席。こんなに青い空の下、人はなぜ瑣事に追われるのか。自省の一句?」と記されている。評は作者の自己存在を句中に意識している。自己投影とは若干ニュアンスが異なるが、作者の心境を慮っての句の解釈なのである。が座五「秋の空」の季題を上五中七で表現していると、素直に受け取ってもよいのではないだろうか?

                      果てしなく青い秋の空は、ポジティヴな表現である。当然のことに大自然に比べれば人間の何と小さいことか!その小さいことに比して自分自身の小ささをネガティヴに受け取るのか、それとも小さいながらも自分自身を大自然に投げ出して自己をも自然の一部であろうとしてポジティヴに受け取るかは夫夫の心の持ち方である。失礼ながら、この選評は評者・長谷川櫂自身の思いを重ね合わせている評ではないだろうか。当然のことであるが句の解釈は読み手の自由である。それでも筆者は、決して作者は瑣事に追われる自己を叙しているのではない、と考えたい。

                      ◆枯蟷螂命ばかりとなりにけり (いわき市)馬目空

                      長谷川櫂選である。「枯蟷螂」は未だ骸とならない状態であるから、中七座五「命ばかりとなりにけり」は「枯蟷螂」のことである。「枯蟷螂」を視る作者の目は、「枯蟷螂」を鏡として自己をその中に見出しているようにも読める。一読、シリアスな印象を与える句であるが、読み返すうちに作者の清々しい心境を句底に見出すことが出来た。後は次代へ生を継ぐだけである。実はそれが大仕事であるが。

                      「なりにけり」の措辞が、大きなタメを作り出していて、重荷を下ろして身軽になった感があるのだ。逆説的ではあるが、心が軽くなる思いである。


                      ◆稲妻に一瞬顔を見られたり (稲沢市)杉山一三

                      大串章選である。座五の置き方は典型的な俳句の手法である。稲妻が光って、その一瞬に顔が露わになった、ということである。ところで誰に見られたのであろうか?上五「稲妻に」とあるので稲妻を擬人法的に捉えて、顔を見たものが稲妻のようにも読めるところが面白い。



                      吉村毬子『手毬唄』書評~詩の到来を待つまでに~ / 田沼泰彦



                      吉村毬子の処女句集『手毬唄』は、ひとことで言って「評者泣かせ」の句集である。なぜならそこには、作品そのものの読解を助けようとするかのごとき作者の心配りが、過剰なまでの饒舌となって読者の前に開陳されているからだ。乱暴な言い方だが、その饒舌の数々を批評の俎上に載せるだけで、吉村毬子の俳句作家としての資質のあらかたをさらけ出すことができよう。つまり、そうした資質を捉えたうえでテクストを読み進めていけば、おおかた気の利いた句集評として、この新人作家の特性描写に説得力を持たせることは可能であろう。しかし、それはあくまでも、作家と評者が暗黙のうちに手を組み捏造した「物語」に過ぎない。「評者泣かせ」とは、そうした魅力的な「物語」を疑うところから批評を始めなければ、『手毬唄』の真実には届かないと思うからである。

                      もちろん「物語」を読み解くことが無意味だというわけではない。むしろ「物語」を押さえておくことは、それを疑うための第一歩でもある。それが作者自身の企図によるものなら、なおさら看過することはできないだろう。たとえば、目に映る物自体にも「物語」は宿っている。物自体とはこの場合『手毬唄』の装丁のことを指すが、本の表紙に巻かれた布地は、吉村の俳句作品に頻出する「水」のイメージを表す「水色」に染められている。そこには「毬」の一字が金で箔押しされているが、その文字は、吉村が敬愛する俳人である安井浩司の直筆色紙、「大鶫ふところの毬の中るべし」から採られている。こじつけかも知れないが、この句集が、安井の愛読書として、それこそふところにしまわれるほど大切にされますように、との吉村の願いが込められていると読むこともできよう。こうした物に現れた企図や願望には、自著を自らの分身(=肉体)として捉えたいという極私的な欲望が働いていると思われる。

                      著者の自著に対する欲望は、こと装丁だけには留まらず、当然のことながら作品テクストにも現れて然るべきだが、『手毬唄』の場合は少し事情が異なる。作品テクストを補完する意味合いで、短い散文テクストが巻末に二本掲載されているからである。一本は、吉村が所属する同人誌に掲出されたエセーの再録で、「景色」と題された原稿用紙六枚超の短文だが、「あとがき」には「自然から受ける恩恵で句作していることへの感謝を書き残しておきたかった」と控えめな言い方をしてはいるものの、いくつかの私的体験から派生した思考過程の背後に、自身の句作原理をほのめかそうとした「宣言」には違いない。

                      多分、それは景色であろう。私を取り巻く諸々の温度、陰陽、色彩、音、質感その全てである。(中略)日本という地の四季、風土記に浸りながら、あえかに生を閉じてゆくことが、現在の私の詩である。(『手毬唄』所収の「景色」より冒頭部分を引用)

                      文中「それは」とは、吉村自身の俳句観のことと思われるが、そうした概念の感覚化には、女性ならではの、あるいは女流特有の捉えかたと言えるだろう。女流という括りの良し悪しはともかく、吉村はどちらかといえば、女流俳人としてのこうした「女性性」にこそ、自らの詩的足場を確保しようとしていると思われる。そもそもの創作原理に関わる欲望と言ってもいいそれは、もうひとつの散文テクストでより明確に語られている。

                      それは巻末の「あとがき」のことだが、そこには三人の女流俳人の言葉が引用されている。一人は、戦後俳句を変革へと導いた高柳重信とともに、同人誌「俳句評論」に集った急進派をまとめ上げた中村苑子で、吉村にとっては文字通りの師である。また、三橋鷹女は苑子の一つ上の世代で、前衛的な女流俳人として伝説的な存在である。言うまでもないが、この二人はすでに故人である。三人目は吉村の同人仲間である豊口陽子で、前述した吉村が敬愛する俳人安井浩司の唯一の弟子である。「あとがき」は、この女性三人の言葉によって鼓舞された吉村の、俳句に対する決意「宣言」で閉じられている。

                      私の全身が変貌しようとも、私の血は私の詩である。(中略)この身の肉が裂け、血が迸り地に渇くまで、私は彼方の俳句を目指して書き綴っていかなければならないのである。(『手毬唄』の「あとがき」より文末部分を引用)

                      「全身が変貌する」とは、極端に言えば我が身が躯になってもということだろう。たとえ死が訪れようとも、吉村の体内を流れる血が詩であることに変わりはない。つまり、吉村毬子という「詩」は永遠だという願望のもと、自身の表現行為に対する決意が語られる。「私の血は私の詩である」という断定からは、短歌の世界ではあるが、これも女流における前衛歌人の代表的存在であった山中智恵子の、「私はことばだった。」という一語が想起されよう。このように「ことば」にしろ「詩」にしろ、作品世界を構築する原理そのものを、「私」や「血」といった主体そのもの、言うなれば自らの分身と捉える極私的志向こそは、女流作家に特有の存在様態であり、吉村とて決して例外ではないわけだ。

                      極私的な欲望と女性性という2つの観念(=物語)は、いずれ「肉体」という物質(私の血=私の詩=作品)へと収斂されていくのは当然で、『手毬唄』は極めて忠実にその物語をなぞって進んでいくと言える。巻頭頁と巻末頁から、それぞれ並んだ2句を引用する。

                        金襴緞子解くように河からあがる
                        日論へ孵す水語を恣(ほしいまま)

                        菊石を抱く中陰の漣(さざなみ)よ
                        水鳥の和音に還る手毬唄

                      きらびやかなうえに枷のように重たい「金襴緞子」を脱いだ「私」は、母鳥が卵を温めて生まれ出た子を伸び伸びと自由に育てるように、「私という言葉」=「水語」を我が意のままに扱って「私の血」=「私の詩」を創る。そうやってできた「私の肉体」と言うべき句がこの句集に収められた全てである。それは、やがて肉体としての死を迎えるが、魂となってふたたび蘇るまでのあいだ、アンモナイトのように身を丸くして、ただ波の音に耳を傾けていよう。その繰り返す漣は、いつしか手毬を突く単調な音となって、和音としての永遠を獲得するだろうから。

                      以上が『手毬唄』における物語の枠組であり主題である。この主題が、極私的な欲望という推進力を得て、女性性という水先案内に導かれ、様々な変奏曲となって物語を紡いで行く。そのようにして出来上がった織物は、水のように形を成さないという意味で自由であり奔放であるはずだ。それは、吉村が執着する女性性のことだ。そうした女性性は、吉村が崇拝する先達によってもたらされたものだが、それは吉村の欲望そのものと見事に折り合っている。欲望の主体である肉体=作品が、そうした女性性への欲望に極めて忠実だからである。それは、本句集の読後感に、ある種の安定感を付与している。さらにその安定感が、『手毬唄』の全体を通して、成功作という印象をもたらしている。

                      この書評はここで幕を引いてもよいかもしれない。つまり、吉村毬子の処女句集『手毬唄』は、作者の意図するポエジーが処女句集らしく極めて素直に作品全体を貫いており、吉村はこのポエジーを自らの肉体と刺し違えることで、水の如き永遠性を獲得しようとしていると、いささか長過ぎる印象批評を締めくくることは可能だ。これに次作以降への期待を込めれば、より立派な書評が完成するだろう。だが、吉村の俳句的資質を批評するのに、作者自身が企図した「物語」に同調し、そのお行儀のよさを「ささやかな成功」として拍手を贈るだけでいいのだろうか。そうした善意が、果たして作家の将来に有益なのだろうか。批評にまつわるこうした事情は、こと吉村に限った話ではない。特にネット上に蔓延(はびこ)る掃いて捨てるほどの書評や句集評が、都合のよい「物語」を捏造した挙句、「成功」をほのめかすことであらゆる方面からの反論に対する逃げ道を確保しようとしているように見えるのは、なにも筆者の疑心暗鬼によるものばかりではないだろう。

                      乱暴な言い方かもしれないが、吉村は『手毬唄』の冒頭で「金襴緞子解く」と書き付けながら、「金襴緞子」という「物語」を完全に脱ぎきってはいなかったのではないか。だから、「恣」なはずの「女性性」がかえって足枷のようになって、その作品を肉体の内へと閉ざそうとするのだ。『手毬唄』をなんどか読み通して感じるのは、こうした肉体的に感受し得る「閉塞感」だ。それは吉村の「極私的な欲望」に起因しているに違いないが、そこに原因を求めるのでは単なる印象批評に終わるだろう。この「閉塞感」をもたらしている大元には、俳句特有の原理が働いていると思われる。それは、俳句という「形式」と作者という「主体」との軋轢、あるいは俳句という「形式」と「詩」との齟齬、と言ってもよいだろう。つまり、吉村が企図した「物語」そのものが、俳句という文学形式にとって、ある種の反作用をもたらしているということである。そして、こうした反作用こそは、他でもない「俳句の欲望」によって引き起こされている。言うなればそれが、俳句という原理であろう。

                      あくまでも仮定の話だが、もし高柳重信ならば、こうした「俳句の欲望」を指して、それをも含めて「俳句形式」と呼んだかもしれない。重信ほど、「主体」やら「詩」やらを抹消し凌駕する「形式」の強さに対し、自覚的だった俳人はいないと思うからだ。そしてそれを彼は、「俳句の無間奈落(『敗北の詩』)」と呼んだ。鷹女にしろ苑子にしろ、重信のもとにいて、この「無間奈落」を垣間見たはずの数少ない俳人に違いない。そもそも吉村俳句に、先達が到達した「物語」を当てはめること自体が、時期尚早なのは否めないだろう。処女句集は「未来」という希望によって成立しているともいえるが、ならばはっきりと来世の見取り図を描くべきではないだろうか。

                      極私的な欲望であれ、女性性であれ、それはなんでも同じだと思うのだが、「物語」が足枷である以上、そこに執着することに意味はない。その執着から逃れるためには、いったん「俳句の欲望」に身を任せてみるのも手立てではないだろうか。『手毬唄』の中には、「俳句の欲望」に導かれたと思える句が数句登場する。掲載順に以下に引用するが、それは引用した七つの句にこそ、吉村俳句が辿るべき道行きが垣間見えるからに他ならない。

                      睡蓮のしづかに白き志(こころざし)
                      吊橋に遊ぶ祭りのだらり帯
                      月光へ抛る林檎を鹿と視る
                      蝉時雨何も持たない人へ降る
                      母とゐて蒼穹の鳶見失ふ
                      秋冷の鶏鳴く方へ片詣り
                      縄文の欠片遍く絞り神

                      これらの句は、詩的というよりは少しだけ写実が勝っていると思われる。それは日常的な世界を写したという意味ではない。俳句という日常が立ち上がっているという意味だ。つまり、「俳句の欲望」によって俳句が作られている。そこには、作者である吉村毬子の顔はない。この主体を抹消するとは、俳句にとっての、いや創作そのものの、「地獄降り」と言えるほど困難なことだ。が、「詩」とはおそらく、その後にしか到来しないはずだ。あえて言うが、吉村が自らの俳句的未来を賭ける場所は、そこにしかあるまい。(了)

                      2014年11月14日金曜日

                      第4号

                      ※「BLOG俳句空間」は基本隔週更新です。(記事により毎週・毎日更新もあります。毎週・毎日更新の記事は、右の[俳句新空間関連更新リスト〕ご参照ください。)




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                          日替わり詩歌鑑賞 
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                              • 時壇(基本・毎金更新)新聞俳句欄を読み解く
                                ~登頂回望~ その四十、四十一網野月を  》読む
                                • 俳句時評 (隔週更新  担当執筆者: 外山一機 / 堀下翔)
                                仁平勝の遊びに付き合う   堀下翔     》読む 

                                • 詩客 短歌時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                • 詩客 俳句時評 (右更新リスト参照)  》読む
                                • 詩客 自由詩時評 (右更新リスト参照)  》読む 




                                  あとがき   》読む





                                        当ブログの冊子!-BLOG俳句空間媒体誌- 

                                        俳句空間No.2 ‼















                                        -俳句空間ー豈 第56号2014年8月7日発売!!邑書林のサイトからご購入可能です

                                        筑紫磐井連載「俳壇観測」執筆


                                        角川俳句賞特集‼
                                        新人誕生の歴史!筑紫磐井
                                        多作多捨って、面白い! 本井英、中西夕紀 ほか
                                        「角川俳句賞の60年」異聞 …筑紫磐井  》読む






                                        第4号 あとがき


                                        北川美美

                                        神無月すでに半ばに。私の暮らす町では通称:エビスコとして神無月に出雲に行かなかった留守の神の「えびす神」のお祭り<えびす講>が大いに賑わいます。久しく出向いていませんが、新宿花園神社と同じ蛇女がいるということを聞いていますが…。


                                        隔週更新となった新装変更後もご愛読に感謝いたします。

                                        今号、当ブログの主要コンテンツである句帖、秋興帖第五です。暦の上ではすでに冬ですが、2014年の秋の句をご堪能ください。

                                        およそ日刊・俳句新空間(11月月~土更新)も好調。俳誌「俳句新空間」を読む(毎週金曜更新)は中山奈々さんが連載で、句を元にしたストーリーがスタート。お見逃しなく!

                                        時評・堀下翔さん、五千石句・しなだしんさん、時壇・網野月をさんと今号もどうぞごゆるりと。





                                        筑紫磐井

                                        (繁忙によりお休み)




                                        代わりに広告!

                                         登頂回望その四十 ・四十一 / 網野 月を

                                        その四十(朝日俳壇平成26年11月3日から)


                                        ◆どんぐりやつないでゐない方の手に (福岡市)伊佐利子

                                        金子兜太と長谷川櫂の共選である。金子兜太の評には「伊佐氏。童謡。中七が旨い。」と記されている。握手は右手同士でするものだが、繫ぐ手は左右でするものある。その片方の空いている方の手に団栗を握っている。団栗の感触が伝わってくる。

                                        ◆句句くくと鳩は秋思を詠み続け (秦野市)熊坂淑

                                        金子兜太の選である。上五の「句句くく」は鳩なら一年中同じであるが、作者の感性は季題の「秋思」に結びつけた。これは早い者勝ちである。「秋思」は漠然とした季題で、具体性の欲しいところに鳩の鳴く声を示して形にして見せている。鳩の鳴き声は季節感的には長閑さと合うようにも考えるが、付き過ぎてしまうようにも思う。座五の「詠み続け」で受けて「秋思」が落ち着いている。とにかくも「詠み続け」が哀れである。

                                        ◆虫時雨皆既の月の球となり (伊万里市)田中南嶽

                                        稲畑汀子の選である。評には「一句目。皆既月食を見ようと空の展けた野へ出た作者。虫時雨を聞きつつ月はやがて赤黒い球となった。」と記されている。評の通り「球となり」をズバリと詠んだところが秀抜であろう。円ではなくて球に見えたのだ。書き割りのような二次元的月ではなくて、三次元に見えたのである。赤黒くなった瞬間に球に変貌した月を見逃さなかった。

                                        上五の「虫時雨」はどうだろうか?「虫の声」ではいけないだろうか?虫の声の鳴いたり止んだりを表現する「虫時雨」の描写はある意味で濃いイメージを表出する。虫の声へ作者が傾聴しているのである。だからこそ時雨れているのが分るのであるから、作者にとっては「虫時雨」と球へと変貌した月とどちらへより神経を集中させているのであるか判然としないようにも読める。「虫時雨」を主役として際立たせている句ならばスムーズに受け取れるのだが。掲句の場合は勿論中七座五の意味が中心であり、その句の本意を弱めてしまっていないだろうか?

                                        次掲句も稲畑汀子の選である。

                                        ◆天高し外出が好きで夫元気 (北海道鹿追町)高橋とも子

                                        「好きな」ならば「夫」を修飾しているのだが、「で」は作者自身の事のようにも受け取れる。作者自身が外出していて、夫は留守番していて且つ元気であるということであろう。「夫は元気で留守がいい」のパロディである。・・まあ、元気であるから何よりであるが。



                                        その四十一(朝日俳壇平成26年11月9日から)
                                                                  
                                        ◆伝へてよ未だ見ぬ人へ紅葉降る (蓮田市)岩崎新吉

                                        金子兜太の選である。上五と中七が倒置になっているのであろうけれども、強引に解せば幾通りかに読める句である。中七の「未だ見ぬ人へ」は降る紅葉の景を未だに見ていない人なのか?作者にとって未知の人ということなのか?が最も判然としないところである。どんなにか強引でも「人へ紅葉降」りかかる、とは読めないだろう。八十パーセントは紅葉の様子を知らない人へ、この素晴らしい紅葉の様子を「伝へてよ」なのだろう。けれども十九パーセントは、未知の人へ紅葉の降る様子を「伝へてよ」とも解せるだろう。残り一パーセントの可能性は、紅葉の降り盛る中で何かを未知の人へ伝えようとしている様子にも解すことが出来る。何かを伝えようとしてその何かも判然としないし、未知の人物も見えて来ないのだから一パーセントの可能性は、もっと低いかも知れないが、紅葉の降りしきる中に立ちすくむ主人公の心のモヤモヤを表現していると考えれば、一パーセントの可能性も悪くない。

                                        ◆子も妻もみんなときどき時雨けり (新潟市)佐藤秀一

                                        金子兜太の選である。「みんな」は妻子以外の他の人物というよりも、街全体がということであろうか。新潟市の作者ということであるから、この景を納得してしまう。時雨自体がときどきの意味を含むので重複のようにも感じるが、重複表現が調度良いくらい降ったり止んだりなのである。「けり」が作者の思いを深く表現している。

                                        ◆花は花葉は葉断固と石蕗の茎 (岐阜県揖斐川町)野原武

                                        長谷川櫂の選である。「断固と」は「断固としている」状態を省略して、表現しているのだろう。石蕗は、花茎が長く伸びて空間的に花と葉が隔離しているようにも見えるからだ。筆者の曲解は、花も葉も断固としている、それら「と」茎も断固としている、というものだ。花と葉を繋いでいる茎こそが断固とした存在なのであろうから。

                                        ◆月食に触れんばかりや鹿の声 (田川市)田尻福子

                                        大串章の選である。評には「第三句。「触れんばかりや」が鋭く澄んだ鹿の声を思わせる。」と記されている。その通りで、この句の主は「鹿の声」である。すぐこの前の天体ショウであったので「月食」であろうが、「月」だけでも十分に成り立つ内容である。筆者は不勉強でわからないが、月食であると殊更に鹿が猛ることがあったりするのであろうか?折角の鹿の声が月食に食われてしまっていて惜しい気がするのである。


                                        【俳句時評】  仁平勝の遊びに付き合う  / 堀下翔


                                        2000年代はノスタルジーの回収に費やされた。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)、テレビドラマ『わが家の歴史』(2010)、『ゲゲゲの女房』(2010年)といった昭和懐古作品が次々に生み出され、消費された。吹田東高等学校俳句短歌部の句集『群青』第五号(2013年)に当時女子高生であった大池莉奈がこう記している。「一昨日2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定した。「昔は良かった」とALWAYS~三丁目の夕日~ばかり見ていた日本に、初めて(と1995年生まれの私は感じている)未来の話が飛び交っている」。すなわち2000年代のノスタルジーブームは、当時を知らない世代を巻き込む形で進行していた。下の世代の者たちは、親世代あるいは祖父母世代の懐古に長きにわたって付き合わされたのであった。

                                        284万人とされる『ALWAYS 三丁目の夕日』の観客全員がじっさいに当時を懐古していたとは到底思われない。あの時期、若者たちは一つの大ヒット映画として『ALWAYS 三丁目の夕日』を消費した。大人たちが回収したノスタルジーは、しかし一方で、若者サイドにおいて再生産されていたのではないか。直接的にはまったく知らない昭和時代へのノスタルジーを僕たちは2000年代によって与えられた。絶え間なく供給される「ALWAYS」を下の世代が引き受け続けられた理由もここにある。若者たちはノスタルジーの発生点が奈辺にあるかを誰一人として理解しないままに、「ノスタルジー」という概念そのものを受容し、納得してきたのだ。

                                        この六月に『仁平勝句集』(ふらんす堂/現代俳句文庫)が刊行された。既刊句集『花盗人』『東京物語』『黄金の街』の抄録に加え、『黄金の街』以後の句群も収められている。句集以後から引こう。

                                        立春の電車に座る席がない 
                                        いまに手放す風船を持ち歩く 
                                        蚊遣火のまはりに風が出てきたよ 
                                        ちり紙を落して拾ふ寒さかな

                                        無内容で軽い。かつての「探偵の一寸先は闇の梅」「蓮の香や一男去ってまた一男」(『花盗人』)「童貞や根岸の里のゆびずもう」(『東京物語』)といった仕掛けにあふれた句はほとんど見られない。もっとも仁平はこれらのおもちゃのような句と並行して上に引いたような句を昔から多く残してきた。

                                        百日紅こんどはぼくが馬になる 『花盗人』 
                                        弾丸の出ぬ特別付録年変る 『東京物語』 
                                        長兄の手品はいつも薔薇が出る  
                                        夏休み親戚の子と遊びけり 『黄金の街』


                                        あっと驚くような記述はどこにもなく、だから筆者はこれらの句のすべてに対して納得してしまう。こんどはぼくが馬になると言った少年の気持ちも、弾丸の出てこない付録の充実感も、兄が出してみせる薔薇の安っぽさも、親戚の子が来る楽しさもすべてである。筑紫磐井は彼の「初恋は色水を飲む役どころ」を挙げて「仁平の俳句は基本的には、昭和三十年から四十年代の原風景によって語られているようだ」と指摘した(「仁平勝が評論家となり俳人となるとき」邑書林『仁平勝集』所収)。彼の句の親しさはおそらくノスタルジーに起因している。読者は彼の句に触れ、確かにこんなことがあったな、と思う。

                                        重要なのはそれらが原風景的である点にある。それは心象的なイメージであり、記憶の具体的な記述ではない。昭和25年生まれの筑紫のみならず平成7年生まれの筆者さえもが彼の句に納得しうるのはつまり、そのノスタルジーが実体から乖離しているためではないか。2000年代のノスタルジーブームはしばしば指摘されるとおり実際の昭和を誠実に描いていたわけではなかった。衛生や経済といった部分のくらさを大人たちは思い出さなかった。2000年代に再生産された昭和は変奏ですらない別物であったろう。末梢の事実がよく分からなかったからこそ下の世代は曲りなりにも大人たちのノスタルジーに付き合いきれていた。われわれが仁平の句を読んで何らかの共感を覚えうるのもまた、ここに描かれた世界が、どの記憶にも収束しない、たとうれば季語の本意ならぬ時代の本意のごとき存在であったがためである。

                                        筆者はなにも作り上げられたノスタルジーの共有を切り捨てようとしているのではない。驚きはむしろその喚起力の高さにある。「長兄の手品はいつも薔薇が出る」を読んだ人間はその切なさに立ち尽くすだろう。いつも、つまり長兄はもう何度もこの他愛のない手品を弟妹たちに見せている。出てくるのは薔薇だ。大の男の手から取り出されるものが薔薇であるとはなんとチープであることか。美しいものとして取り出されたはずの薔薇が、長兄の手を経ることで言いようもなく情けなくなる。薔薇なんていう美しいものを出して見せる男の情けなさである。ノスタルジーはどう転んでも切ない。仁平の句はその意味ではじめから切なさの文脈に置かれている。

                                        追憶はおとなの遊び小鳥来る 『黄金の街』

                                        仁平の遊びに付き合いきれる読者は多いだろう。それら一つ一つに立ち尽くす遊びはとても楽しく、それ自体が懐かしい気もする。




                                        三橋敏雄『真神』を誤読する 103. 舂く日靴屋は山へ帰りゆく / 北川美美

                                        103. 舂く日靴屋は山へ帰りゆく


                                        まず【舂(うすづ)く】という言葉から絵画的に陰影を伴う陽の光を想う。


                                        【舂く】(うすづく)とは、二つの意味がある。1.穀物などを臼に入れて杵でつく。(臼搗く)2.太陽が山の端などにかかる。太陽が没することをいう。(日本語大辞典)

                                        没する太陽と同時に靴職人(多分靴を作る仕事を屋号としている意味の靴屋)が山へ帰ってゆく。杵で就く(革をなめす)様子と没する日の二つ意味があることが意識的な言葉の選択である。

                                        何故、靴屋が山に帰るのだろうか。靴屋が隠遁生活をする物語を想像してみるが靴が意味することを考えてみる。

                                        日本では軍靴の必要から明治初年に靴が作られるようになった。靴と保存食というのは世界的にみても戦争が契機となり発展してきたが、日本で靴が庶民に普及するのは関東大震災以降のようだ。そして先の大戦では、編上靴という重い革靴で底に鋲を打ったものと、地下足袋(軽い布製でゴム底)が主流だった。(出典 『菊地武男の靴物語』2005晩声社)

                                        月星シューズ、ABC Mart、ジョンロブ、そしてクリスチャンルブタンも靴屋であるには違いない。しかし、この句の靴屋、何故山へ帰るのか。靴屋が隠語でもあるかのように。

                                        英語にSnob(スノッブ)という言葉がある。「知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋」「上位の者に取り入り、下の者を見下す嫌味な人物」という意味だが、このsnob(スノッブ)の語源が「靴屋」である。これは、18世紀初期のケンブリッジ大学において、「大学内に出入りする大学とは関係のない人々」を指す学生たちの隠語として「靴屋(snob)」が使われており、これが語源であるとする説がある。ちなみに、スコットランドでは現在もsnob は「靴屋」のことである。階級社会が寝付いている英国ならではの隠語である。

                                        またアイルランドの伝承に登場する妖精に「レプラコーン」という小人の靴職人がいる。地中の宝物のことを知っており、うまく捕まえることができると黄金のありかを教えてくれるが、大抵の場合、黄金を手に入れることはできない。この妖精は金の入った壺を持ち一瞬でも目をそらすとすぐに悪戯を仕掛け笑いながら姿を消すといわれている。 アイルランド南西部には「レプラコーンに注意」 (Leprechaun crossing) の交通標識がある。



                                        いずれにしても「靴屋」という言葉は東西格差社会を表現するように思える。

                                        敏雄の靴の句はどうだろうか。

                                        破(やれ)靴を穿(は)き正月の松と立つ  『太古』 
                                        日にいちど靴箆使ふ万愚節   『まぼろしの鱶』 
                                        穿き捨てし軍靴のひびき聞く寒夜  『畳の上』 
                                        轉生無し漸く行く靴の左右の音  『しだらでん』

                                        敏雄の「靴」には、軍靴の音の響きが伝わる。お粗末な軍靴を強いられた世代ならではの靴に対する憧れが伝わる。敏雄の世代は、靴があれば南方、北方にかかわらず過酷な戦地へ行かされる。<靴箆>の句は高価な革靴を穿くための靴べらであり、また<万愚節>から靴を履いたまま寝なくても済むという平和な時代に対する懐疑心が伺える。


                                        靴屋としての人生を諦めて山に戻る、それは、軍靴を作らなくてもよい平和な時代を言っているかもしれない。「帰りゆく」という複合動詞から、靴屋が役目を終え、惜別の雰囲気も考えられる。

                                        レプラコーンの妖精よりも『真神』に登場する限りはどうも皮を剥ぐハンニバルのような狂気的な雰囲気も期待するのだが、この句からその狂気性は感じられない。【舂く】(うすづく)陽が、淡くやさしくその男(男だろう)の背中を包むのである。

                                        読者は新しい靴を探さなければならない。一度靴を履いた自分はもう下駄に戻るわけにはいかないのだ。


                                        ※配列について

                                        96句目の<とこしへにあたまやさしく流るる子たち>から一連、未生の僕が山に帰る靴屋を見送るように読める並びである。また、生業を現す<油屋に昔の油買ひにゆく>の句の油屋もこの『真神』に収録されている。両句の直後は、手を表現する句が配置されていることも職に対する敏雄の概念が伺うことができる。


                                        46 油屋にむかしの油買ひにゆく
                                        47 みぎききのひだりてやすし人さらひ

                                        103 舂く日靴屋は山へ帰りゆく
                                        104 少年老い諸手ざはりに夜の父


                                        上田五千石の句(49)【オノマトペ】 / しなだしん


                                        熱燗やろんろろんろと鬼太鼓      上田五千石


                                        第四句集『琥珀』所収。昭和五十九年作。

                                        前書に「佐渡 七句」とあるうちの一句。同時作には以下がある。

                                        島といひ国といふ佐渡浮寝鳥 
                                        冬あたたかに融通の海と潮 
                                        清水寺
                                        目貼して密教の密いまに守る 

                                        炉話の聖すめろぎみな流人 

                                        浜山に蜑の寄せ墓囲ひせず 

                                        外海府
                                        柵なくて野の枯海になだれけり

                                                ◆

                                        「鬼太鼓」は、佐渡の伝統芸能で、島内各地に独自の様式で伝承されている。

                                        この句には前書が無いため、島内のどこで見た鬼太鼓なのかは不明だ。

                                        「鬼太鼓」は獅子舞の一種で、勇壮な太鼓に合わせて鬼が狂ったように舞うことからこの名がある、とされる。

                                        この句で「鬼太鼓」は下五に置かれていて、「おにだいこ」と発音する形となっている。だが本来、佐渡では「おんでこ」と発音するのが正当である。もっとも現在では佐渡の島民でも「おんでこ」ではなく「おにだいこ」と言う人も多くなっているようだから、これはこれで間違いというわけではないが。


                                                ◆


                                        掲出句は冬、おそらく十一月もしくは十二月の作だろう。

                                        本来「鬼太鼓」は島内各地で、春祭に五穀豊穣を祈願し、秋祭に作物の実りに感謝する意味で行われる。歳時記によっては、夏の祭の時期の季語として扱われているものもあるようだ。

                                        観光客向けのイベントなどで行われるものも四月から十月頃までで、海の荒れる冬は観光客も少なく、イベント等もほぼ行われない。

                                        この句の季語は「熱燗」。熱燗を酌みながら鬼太鼓を見ているということだろう。地元の人に見せてもらったのか、旅館が用意した余興などか。

                                                ◆

                                        この句の特徴は「ろんろろんろ」という独特のオノマトペである。これは「音」と捉えるべきだろうか。
                                        鬼太鼓は前述の通り、島内各地で独自の様式があるため一概には云えないが、太鼓のリズムに乗って雌雄の鬼が舞い、獅子が絡む、というようなものが多いようだ。

                                        太鼓はそんなに大きなものではなく、撥も割合細いもので、大太鼓のような重量感のある音ではない。リズムは独特で、いわゆる「甚句」などに近いかもしれない。

                                        この太鼓のリズムや音を聴き、五千石は「ろんろろんろ」と表現したのだろうか。個人的には、鬼太鼓の太鼓のリズム、音からは、「ろんろろんろ」は遠いオノマトペのような気がする。

                                        時は冬。「ろんろろんろ」というオノマトペは、どこか冬の海鳴りのようにも感じられる。

                                        鬼太鼓の舞を眼前にしつつ、冬の昏く荒れた日本海が胸中に広がっていった五千石ではないだろうか。

                                        厳しい自然と独特の歴史や文化が息づく佐渡。この島で暮らしてきた人々の情念のようなものを「鬼太鼓」に感じ、それも含めて「ろんろろんろ」と表わしたのではないか、そんなことを想像した。