2014年9月12日金曜日

こもろ・日盛り俳句祭レポート ――十八歳の小諸紀行――  / 浅津 大雅

八月一日から三日にかけて行われた、第六回こもろ・日盛り俳句祭。その会場で私が見聞きしたことを書いていく。既にこの「戦後俳句を読む」の方で三つの秀文が掲載されているので、そちらを先にお読みいただきたい。

まず、初日のことをしるす。二十五歳以下の若手のうち、初日に参加したのは私だけだった。だから、私以外の若手俳人に、また初日にいらっしゃることができなかった方々に、一日目の小諸の様子を可能な限りお伝えしようと思う。

私が小諸に着いたのは、午前六時半。京都・軽井沢間を走る夜行バスの直行便に乗って来た。小諸へ着いての第一印象は、とにかく空が青い、山が美しいというものだった。日盛俳句祭の本会場であるベルウィン小諸での受付が八時三十分開始だったので、それまで二時間ほどあったが、その時間を、一人市内吟行に費やしてみた。まだひとけが少なく、車もそれほど走っておらず、開いている店もほとんどない。空気が澄んでいて非常に気持ちがよかったので、この町のことが好きになった。二時間はあっという間に経ってしまった。

さて、良い頃合いを見計らってベルウィン小諸へ行ったものの、それでも早く着きすぎてしまったらしい。ちょうど準備のほとんどが済んで、虚子記念館の館長さんからスタッフの皆さんへ挨拶が行われているところだった。しばらくそれを眺めていると、地元の高校に通う方々が手伝いにいらっしゃった。俳人のみならず、地域の方々にも愛されたイベントであることを知ることができ、嬉しく感じた。

朝のうちに市内を一人で吟行してしまったこともあり、受付後は昼頃までバスで真楽寺方面へ向かうことにした。バス内では、ほかの参加者の皆さんに声をかけていただく。かわいがっていただけるのは大変ありがたかった。実は、一人で来ていたこともあって最初は不安を抱えていたのだが、和やかに迎えていただけたようでよかった。俳縁、という言葉が思い浮かんだ。

虚子記念館で降車される方を見送りつつ、まずは真楽寺へ行ってみることにした。まずは水子供養と子供の安らかな成長のために建てられたという、地蔵菩薩を詣でる。日本一高いと言う二十メートルの地蔵菩薩の周囲を、いくつもの小さな地蔵が取り囲んでいる光景に圧倒される。しかし、やけに周囲に人が少ないと思っていると、「本堂はあちらですよ」とスタッフの方に声をかけていただいた。そのままついていく。樹齢千年を誇る神代杉、頼朝が巻狩り(多人数で獲物を追い詰める狩猟)中に休むため突いた杖がそのまま成長してしまったという伝説を持つ「逆さ梅」などを見ることができた。

スタッフの方に、「あちらもよいですよ」と誘っていただいたので、後を追って林の中へと入った。
木下闇のなかで、真っ青な「大沼の池」が広がっている。池のところどころにのみ、日差しが届いている。水紋をすっと広げながら、三、四羽の水鳥が泳ぐ。池の端には竜のくびが突き出ているが、これは甲賀三郎の伝説とかかわりのあるもののようである。二人の兄の計略によって穴に落ち、地底の国々を遍歴したのち、竜(伝承によっては、蛇)となって大沼の池に姿を現したとされている。毎年七月には、竜神祭が催されているそうだ。

みづうみの底に日当たる涼しさよ 大雅 
へびがみの棲んでゐたるや苔清水

句作を終えて、こんどは高浜虚子記念館にシャトルバスで移動。虚子が歩いたであろう散歩道をたどる。さらに午後には應興寺で句会を行う。黒岩さんも書かれていたが、若い私たちにとってスタッフ俳人諸氏との出会いは非常に貴重な体験であった。

句会後、再度ベルウィン小諸へ移動。ここで、初日最後の行事として、矢島渚男氏による基調講演「虚子のことなど」が行われた。

配布された資料三、四ページ目(※)のタイトルに「虚子の艶」とある。この部分が、今度の講演の核心部分であるかと私は思うので、特に大きく取り上げてみる。まずは、資料の内容を要約する。
「高浜虚子のあまり触れられていない一面がある。それは大へん重要な一面で、あるいは虚子俳句の規定をなしているものではあるまいか、とさえ思う。」と書き出されている。以降の内容を、かいつまんで説明する。1958年刊行の『虚子百句』(便利堂)に収められた虚子「自選」の百句のうち、「女」をうたった句が七句、恋を感じさせる句が五句、さらに女性の存在が感じられる六句までをも含めると、計十八句にものぼるという指摘がされている。この数はすなわち、「生涯の作品から自らよしとして選んだ百句の中に占める割合」のことだという。そして、

去年今年貫く棒の如きもの
白牡丹といふといへども紅ほのか

といった代表作が選に入っていないことを挙げている。

さらに、「客観写生」をスローガンとした虚子であるにも関わらず、

われの星燃えてをるなり星月夜
蔓もどき情はもつれやすきかな
などの主情的な俳句が選に入っていることなども指摘し、ここからタイトルの「虚子の艶」ということに論が収斂する。(「いわば虚子は花鳥を見ること女人をみるごとくであったといえるのではなかろうか。」)

このような資料に基づいて、虚子のことが語られた。私が矢島氏の語りを聞いていて、はっとさせられたことなどを綴っていきたい。

春風や闘志抱きて丘に立つ
という虚子の名句について。これが碧梧桐に対して守旧派を宣言し俳壇へ復帰した際の虚子の句ということは知っていたが、上五の読み方は「しゅんぷうですよね」と、矢島氏が会場内で岸本尚毅氏と確認しあっていたことに驚いた。そうだったのか。不勉強であるが、「はるかぜ」と読んでいた。出典にあたったところで、振り仮名があるとは思えないので、どちらと特定はできないのだろうが、やはり中七下五に現れる決意の念には「しゅんぷう」という漢語調の響きが似つかわしく感じられるようだ。

また、虚子が女をうたった句として先の資料に挙げられている中には、さまざまな「女」が登場する。その表情もさまざまであり、はたして一人の「女」なのか、あるいは複数の「女」なのか、と考えさせられてしまう。

命かけて芋虫憎む女かな 
稲妻を踏みて跣足の女かな 
死ぬること風邪を引いてもいふ女

それぞれ壮絶である。そうかと思えば、

薔薇くれて聖書かしたる女かな 
屋根裏の窓の女や秋の雨 
松虫に恋しき人の書斎かな

などという、ゆったりとした雰囲気を纏う女性も登場する。非常に興味深い。

以上のような、少々自分勝手な楽しみ方も交えつつ、講演を拝聴した。基調講演というと、そのイベントの趣旨であるとか方向性を位置付ける大事な役割を持つ講演であるが、十二分にその意義が果たされていたように思う。要は、虚子の広く深い懐のなかで、フラットな立場で各人楽しく俳句を詠み、読むのが、この俳句祭の趣旨なのだろうと思った。

二日目。吟行では、高原美術館、マンズワイン回り、そのままシャトルバスでみはらし交流館へ到着。午後の句会となる。みはらし交流館はグリーンツーリズムの活性化拠点であるらしく、自然豊かな高原にあり、そこへ登るまでには蕎麦の花などが見られた。これを句に詠んだ方がいらっしゃったのを、覚えている。蕎麦の花は秋の季語だ。この点に関して、「吟行の際に実際に目にしたものを詠むのか、あるいは季に沿ったもの(この祭の時点では夏だろう)のみに限るのか」という点で、結社間に考えの違いが現れた議論がなされた。また、「季の先取りは許容するが、時期が前へさかのぼるのはよろしくない」という考えの結社が多いことにも興味がわいた。私自身はどうだろうかと省みて、結社に所属していないこともあり、あまり深くそういった物事にとらわれず句を作ってきたなあという感じがする。これが結社無所属の弊害、「緩み」「弛み」なのかもしれない。あるいは、だからこそ自由に作れるということもあるかもしれない。まだわからない。

三日目。最終日である。この日だけは、「ふらここ」メンバーほか若手の句友たちと吟行をした。そうとは言っても、その中でも私は最年少である。学ばせていただくことは多かった。吟行場所は、初日にも訪れた真楽寺である。

見つくしたと思っていた場所だったが、一緒に行く人が変われば見え方もかなり変わってくる。「ほら、ここ、蟻地獄」と言って、境内の影になっているところを指す人がいれば、茸を見つけたり、蜂の巣を見つける人がいたりして、本当に面白い。年齢が近いだけに、見えているものもそれほど違わないのではないのかと思っていたが、そんなことはなかったらしい。新しい発見がたくさんあった。次行った時もいくつもの発見があるのだろうか。そう考えると、来年が非常に待ち遠しくなる。

ベルウィンでの最後の句会を終えて、フェアウェルパーティのこと。この祭を裏で支えてくださっている島田牙城さんと、お話をする機会があった。

いい句は作れたか、楽しかったか、と、気にかけてくださる。そして、最終日になってやっとできた拙句

死なすため金魚もらつて帰りけり 大雅
が、三日目の句会でスタッフ俳人の奥坂まや氏・筑紫磐井氏の選に預かったことをお伝えすると「それはな、俳句でしか言っちゃいけんことや。でも、代表句できたんやないか」と、言ってくださった。すこし涙が出そうになって恐縮していると、「君はすぐ縮こまるからいかん」と優しくたしなめられた。

フェアウェルパーティ終了後、京都へ帰るための夜行バスを駅で一人待っていると、またもや牙城さんと偶然お会いすることができ、ひとつのベンチに座って雲を眺めるという貴重な時間を過ごさせていただいた。あの時間が、小諸における私にとっての最高の体験である。

十八歳の私が、小諸の地で見聞きして得ることができたものは、こんなところである。伝えきることができたとは到底思えないが、こんなにも素晴らしい祭に、ぜひともたくさんの方々に来ていただきたい。私自身、ぜひとも来年も参加したいと思う。




【筆者紹介】

  • 浅津大雅(あさづ・たいが)

1996年生まれ。第15回俳句甲子園出場。「ふらここ」所属。京都大学文学部に在籍。



※編集部注
矢島渚男先生著『俳句の明日へⅡ―芭蕉・蕪村・子規をつなぐ―』(紅書房)の抜粋を配布資料の一部としてご使用されたようです。

















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