2014年9月12日金曜日

 【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その三十二~ 網野月を

(朝日俳壇平成26年9月8日から)

◆空気より蜩澄んでゆきにけり (静岡市)松村史基

稲畑汀子と長谷川櫂の共選である。中七の「澄んで」によって蜩の音調が空気よりも当たり前の存在になることを叙している。初蜩に秋の訪れを確かに聞き取るのであるが、それから数週間経ち盛りを過ぎ、フェードアウトしてゆくと返って寂しさを覚えるようになる。上五座五の「り」音の重なりが時の移ろいを演出している。

◆冷房に熱き一人の加はりぬ (横浜市)山本幸子

金子兜太と長谷川櫂の共選である。掲句は実感の句であろう。冷房車などに飛び込んでくる乗客が汗だくのことがある。まさしくその景である。が日盛りなどの場合は加わった一人と作者の間には一定の距離があって、作者が傍観している図になる。が満員電車などでは、隣に来られてしまうことがよくあるものだ。勝手なようだが、折角涼んでいたのにまたもや暑さを感じてしまうのである。その時の作者と加わった一人の位置関係を色々と想像させてくれる句である。

◆荒海や枕辺に着く父が蝉 (神戸市)豊原清明

金子兜太の選である。評には「豊原氏。父と子二人だけの、労り合いつつ奈落に落ちてゆくような日々。」と記されている。「蝉」に象徴させたものの存在を読み手はどのように想像し受容すればよいのであろうか?

◆鶏頭の燃えたる茎の太さかな (印西市)五十嵐栄子

長谷川櫂の選である。評には「三席。鶏頭の花も燃え尽き、茎の棒ばかりが立っている。たいまつの燃え殻のように。」と記されている。やがて植え替えられて処理されて朽ちるであろう残茎の景である。この時点ではまだ、植えられたまま花壇に名残を留めているのだ。鶏頭のゴージャスな花が終わり、それを支えていた茎の太さに改めて気づいたのであろう。

句中に切れの無い句作りで、一気に読み下して座五の切れ字「かな」でおさめている。茎の直線を表現するだけでなく、鶏頭花の凋落ぶりをも表出している。





【執筆者紹介】

  • 網野月を(あみの・つきを)
1960年与野市生まれ。

1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




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