2014年8月22日金曜日

<こもろ日盛俳句祭特集>付録・詩歌を巡る長野の旅・・・こもろ・日盛俳句祭 参加録 / 北川美美


「こもろ・日盛俳句祭」・・・二回目の参加である。夏の思い出としての「俳句祭」。夏休みも「俳句」とは相当俳句が好きなことを自覚、更に回を重ねての参加ほど面白い・・・というのが感想である。

前年の当ブログでの「小諸特集」を読み直してみると、自分で関わりながら書くのもどうかとは思うが、どの記事も面白い。関わったから面白いというのは当然といえば当然であり、行って参加してさらに面白いイベントというのが正確なところだろう。 詩客のときに小諸特集は24節季論争となった<季語・季題をめぐる緊急集中連載>が中心の掲載であったが(2012年)、昨年の当ブログの特集では作品を若干掲載(2013年)。、そして今年は島田牙城氏作成の全参加者の特選句全句公開というもので、現場で投句された作品、レポートをみていると現場の臨場感が伝わり楽しい。

現在6回のイベント実施ということだが、参加してみると、結構やみつきになる。浅間山の雄大さ、痛アツい日差し、千曲川の曲がり具合と…虚子のたくましさ…などなど、さらに過去掲載の参加実作者(参加者もスタッフとの先生方も毎年参加の方が多い)と顔を合わせることができる。自分の俳句環境とは異なる方々、俳人先生方との句会というのもなかなか発見がある。「週刊俳句」での事前特集でイベントの中心人物である本井英氏が述べるように「どこまでも平等に俳句を楽しめる」というのが句会でのリピーターが多い最大の理由だろう。

今年は「週刊俳句」掲載のイベント参加へのきめ細かな配慮、そして島田牙城氏の協力によりfacebookでの応援サイトも登場し、ネットで情報収集可能な俳句人へのアプローチとしてはまずまずだったように思う。 

以下、個人的視点での旅行記となるがお許し願いたい。

今回、日盛俳句祭イベント2日目の8月2日(土曜)に参加した。朝9時の小諸はすでに炎暑で町は静まり返っていた。受付を済ませ向かったのは、虚子記念館。昨年同様に「虚子の散歩道」とされている虚子旧居(「高浜虚子記念館」に虚子庵が併設)裏の小径である。

一年ぶりの小径、田園へ通じる路地がなんともサビシイ郷愁のある雰囲気である。同じ家に恐らく同じ人々が暮らしがあり、あったはずの家が取り壊されていたり、そしてリンゴの木にリンゴが小さく実をつけていたり、自家葡萄棚を持つ家の葡萄が昨年と同じように色づきはじめていたり・・・と、昨年と同じ風景、しかし微妙に異なる風景であることを想いながら炎天を歩く。一年ぶりの風景だからこそよいものだなと思う。そういう意味でもこのイベントに魅了され毎年参加されている参加者、そしてスタッフの方が多くいらっしゃるのも納得できる。


ご自宅前で葡萄を食し、その種から葡萄棚を作るまでに成長した葡萄


小径を散策して虚子記念館に戻るあたりで近くの小学校(小諸市立野岸小学校)の吹奏楽部の子供たちの演奏が聴こえてきた。ジャズの名曲 sing sing sing が聴こえて来たのだが、てっきりプロのリハーサルと思いきや、子供たちだったのである。驚くべき演奏の上手さとリズム感。小諸おそろし。 (野岸小学校は2013全日本小学校バンドフェスティバルで金賞受賞している)


野岸小学校吹奏楽部の練習風景

イベントの主な会場となる「ベルウィンこもろ」は小諸市役所のすぐ裏手に位置する。懐古園(小諸城址)、高浜虚子俳句記念館の中間地点でもありJR小諸駅からも徒歩圏内という便利な立地である。昨年はアニメイベント(TVアニメ「あの夏で待っている」の舞台が小諸市内)と日程が重なり、昼食時の小諸そば屋はどこも混み合っていたが、今年はいつもながらの町を歩けたのかと思う。毎年のことのようだが、小諸市の市民夏祭「こもろドカンショ」が市内本通りで行われ(今年は8月2日土曜夜)、地方都市の夏の賑わいを味わうことができる。ドカンショとは浅間山の爆発音からきているらしい。

虚子の小径より


今年は、句会場に「応興寺」を選んだ(いくつかの句会場があり選択ができる。事前予約が必要な会場もある。)。 「ベルウィンこもろ」から商店街を横切り、会場に到着すると参加者はほぼ「夏潮」(本井英氏主宰)の皆様で埋まっていた。湘南の香りがする雰囲気でおしゃれな方々という印象である。湘南ブリーズをそのまま高原へ運んでいらしたような雰囲気である。

本殿に隣接する和室は庭が一望でき句会場としては最適であり5台ほどの扇風機をフル回転させて鍛錬句会の雰囲気もばっちり。この会場では計17名の句会メンバーとなった。昨年の二日目のベルウィン会場では一室に30名ほどの参加者であったため、参加側からすると20名以下くらいがちょうどいいという希望ではあるのだが・・・イベント句会であるのでその場に応じての人数割り振りとなる。

当ブログで句帖、そして「俳句新空間を読む」にご執筆いただいた黄土眠兎さんがいらして、知ったお顔にほっとする。スタッフとしては仲寒蝉、小林貴子各氏が担当された。最年少と思える女子が席につかれた。大学生と自己紹介された大藤聖菜さんである。


谷底は暗渠に果てぬ蝉時雨  黄土眠兎 
夏木立チェロを背負った女性行く  大藤聖菜
穴城から町人見上げ夏柳
広島忌新しき墓古き墓
山々に日向と日陰土用かな



そして大藤さんの句は仲寒蝉氏から特選を受けた。

万緑や地層の隙間にも地層  大藤聖菜

大藤さんは、広島県立広島高等学校の生徒として2011年に俳句甲子園に出場されている。

検索させていただいたが、<滝の底ネバーランドのありぬべし  大藤聖菜>の句があり、なんとなく詩的。地層の句も3Dの大画面で映画(ラッセルクロウ主演「ノア-約束の舟」あたり)をみているようである。広島忌を詠み込んだ句を投句されているので、出身地の広島と対峙しながらヒロシマについて考えようとする、姿勢が感じられた。今後も大藤さんの広島の句を拝見したいと思った。

スタッフである仲寒蝉さん、小林貴子さんの特選以外の会場選を受けた句をいくつか。

夏蝶の影のゆらりと谷底より   寒蝉 
煽ぎたる扇子もて寺指しくれし  
 
夏雲は浅間をかくすために湧く  貴子
落ちてより訴ふる花凌霄は 


披講を小林貴子さんが担当された。感動した。私は、自由律、破調、口語句もある句会参加が多いため(ということは言い訳にならないが)披講の骨法というのか、素晴らしい披講、感動するような披講というのにあまり巡り合えていないような気がしている。何が披講としてよいのかが、今一つわかっていない。この<こもろ日盛俳句祭>では、スタッフの皆様の披講を毎回拝聴できるというのも句会での楽しみなのではないだろうか。

この日のシンポジウムの<字余り・字足らず>にて音韻の話、拍の取り方などの話が討議に挙がったが、俳人の拍の数え方は、披講の鍛錬によって決まる気がする。小林貴子さんの披講は、さりげない拍の中に、感情や意を込めるでもなく、披講という役割を大いに果たしていることを思った。そう思っていたところに、シンポジウムでは、登壇者よりよい話が聞けた。特に櫂未知子さんがアナウンサーからの問いに、「かすかなる切れを意識してほしい」ということをリクエストされたということを伺い、なるほどと思えることに巡り合えた。小諸で学ぶべきことは大きい。

先ほどの野岸小学校の子供たちではないが、ここ数年の音楽ソフトの普及により子供たちの音楽に対するレベル、そして拍をとる能力(リズム感といいましょうか。)は、驚くべき進化である。

リズムが欧米化しているのである。それが良いか悪いかはなんとも言えないが、日本人の拍の取り方はどこからくるのかといえば、郷愁の中の祭囃子のリズムからくるものが大きいのではないだろうか。日本語と正しく向き合うにはリズムが大事。音読である。それは人としての思考にも大いに影響を及ぼすのだ。(シンポジウムで配布された、井上泰至氏の配布資料では興味深い文献からの引用もあった。※)


因みに、さきほどの虚子旧居近くの根岸小学校の子供たちの演奏に感化され、<夏来る小学生のジャズ一団>という句を投句したが、小林貴子さんに選句を受けた。兜太<どれも口美し晩夏のジャズ一団>と三鬼<おそるべき君等の乳房夏来る>が想起されるとも予想する。しかしせっかく選を受けたので、推敲後に自分らしい句にして生まれ変わらせたい。句会では句が開かないのでは、と少々気落ちしていたが、最後の小林貴子選、仲寒蝉選で句が開いた時は「小諸まで来た甲斐がある」と気分が一転する。ゲンキンなものだ。

また黄土眠兎さんは翌日の句会で筑紫磐井選を受けたそうで、相当喜んでおられた。高浜虚子の小諸での鍛錬句会に因んでいるイベントであるので参加者は主に伝統的な俳句の系統・・・とはいわれているが、異なる傾向、趣向の方々も交じっているのでご安心いただきたい。参加者はよい俳句と思うものに選をすればよいのだ。そういう意味でもあくまで平等な句会であると思う。

さて、シンポジウムでは、<字余り字足らず>が討議のタイトルであり、後日その詳細については別途掲載を予定している。専門的なことも多かったように思うが印象に残った言葉を少し紹介しておこう。「「韻」は言葉の響きであり、「律」はリズムである」島田牙城、「定型に縛られたい喜びがある。無意識の中八を許さない。」櫂未知子、「(定型は)星飛馬のような矯正ギブス」岸本尚毅、「五七五はイデオロギーとは言わないがその感じが強い」井上泰至、などの言葉が印象に残った。

登壇の岸本尚毅氏がから余談で最新句集『小』というタイトルの話が出たが、それは「小諸」の『小』であることを明かしていた。それは小諸でなければ聞けない真相であった(書いてよいものなのだろうか)。なので読みは「コ」かもしれない(ご本人は「自由に読んで(発音して)いただいて構わない」という弁だったと記憶している)。現在も岸本氏の最新句集は人気のため欠品続きらしい。 (失念していたが、昨年の小諸にて岸本氏が担当する句会(スタッフはくじ引きで部屋が決まる)に参加し、氏の淡々とした講評が更に聴きたくなり、私はその秋のNHKカルチャーセンターの岸本尚毅講座を受講した。)

今回、『続小諸百句』(価格2000円 市立小諸高濱虚子記念館)を購入した。小諸の虚子記念館のみで購入可能である。
http://www.city.komoro.lg.jp/news-institution/2014061000051/


いろいろな方々と巡り合い、再会でき、俳句について改めて気が付くことがある。小諸は奥が深い。


8月2日懇親会にご参加のスタッフの皆様

小川軽舟主宰を囲む鷹の皆様


後日、小諸高濱虚子記念館より郵便物が届いた。

当日二句一組で有料投句した一句<夏草を踏みしめている乗用車>が筑紫磐井氏の選を受けた通知だった。


風花に山家住ひも早三年 高浜虚子  


賞品として虚子石碑の拓本が同封されていた。虚子記念館の方々が一枚一枚作成されたものと想像した。ありがたく頂戴いたします。 虚子記念館はじめ小諸市職員、市民の皆様、スタッフ関係者の皆様、ありがとうございました。


虚子記念館入口の虚子ゆかりの蓮。 





※井上泰至氏の配布資料では、『日本語のリズム 四拍子文化ー別宮貞徳』『日本美の心理』(誠信書房)、『露伴全集』別冊「日本文学に於ける和歌俳句の不滅性」からの引用があった。

※また配布の資料では井上泰至氏の資料のみが横書きであり、「わたしだけレジュメが横です」とおっしゃっていたのが印象的。井上氏は防衛大学教授。国文学系の講義にもレジュメは横文化なのか興味がある。




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