2014年5月30日金曜日

第72号 2014年05月30 日発行

作品

  • 平成二十六年花鳥篇 第一

……曾根 毅,福永法弘,杉山久子,小澤麻結,中村猛虎,関根誠子,

網野月を,ふけとしこ,もてきまり,大井恒行   》読む

現代風狂帖

  •  小津夜景作品 No.25
   天蓋に埋もれる家(前)      小津夜景   ≫読む




●鑑賞・書評・評論・エッセイ 

【戦後俳句を読む】
  • 上田五千石の句【テーマ:「墓」】
……しなだしん   》読む

  • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 100.
……北川美美   》読む

【現代俳句を読む】


西村麒麟句集『鶉』 第5回田中裕明賞
  • 特集<西村麒麟第一句集『鶉』を読む> 14
  • 俳句的自意識  ・・・・・・しなだしん  》読む
    • <俳句時評> 僕たちは「高野ムツオ」で感動したい
    ……外山一機   》読む
    • <俳句時評> 五十句競作終了から30年目
    ……北川美美   》読む

    • <朝日俳壇鑑賞> 時壇 ~登頂回望 その十七~
        ……網野月を  ≫読む
           



      ●継続掲載



      • 小特集<「俳句新空間No.1」を読む>7

      『俳句新空間No.1』を読む(転載)……陽美保子   >>読む

      • <俳句時評>  BLOG俳句空間の歴史 
      ……筑紫磐井   ≫読む
      • <俳句時評>「俳壇抄」の終刊から 
      ……筑紫磐井   ≫読む




      • <俳句評> 新宿俳句泥棒日記(「詩客」より)
      ……カニエ・ナハ   》読む

      • <俳句評> 「クプラス」創刊号について(「詩客」より)
      ……田村 元   》読む

      • <俳句評> 型破りまでの正しいストレッチ(「詩客」より)
      ……そらしといろ   》読む




      大井恒行の日日彼是       ≫読む
      読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


      412日更新:筑紫磐井『我が時代』         》読む
      4月30日更新:仁平勝『路地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』 》読む 






      ● あとがき  ≫読む




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            第72号 (2014.05.30 .) あとがき

            北川美美

            花鳥篇が開始です。

            澤好摩祝賀会にて、桑原三郎さんを佐川盟子女史と北川美美にてがっちり挟み俳句のお悩み談義など。

            北川 「俳句できない。考えすぎて熱出た。」

            佐川 「わたしは遅作で・・・。たくさん作れないのが悩み・・・」

            三郎 「人の句見すぎなんじゃないの? 影響受けちゃうからね。 三橋さん(三橋敏雄)がよく言ってたけどね、俳句はどこかに必ず隙間がある、その隙間を作る。」

            佐川・北川 「隙間・・・。」

            佐川「人の句みなければ隙間かどうかわかりません・・・よね。」

            北川 「うー、難しい。畳の上ではなく畳の目の隙間を見るって感じ?畳の上だと今の自分、滑っちゃいますね。畳の目を拾わないと隙間も見えない気がしてやっぱり難しいですね。」

            (三橋敏雄の句に「戦争と畳の上の団扇かな」、句集に『畳の上』がある。)

            ***

            北川 「それで、三郎先生の句集を初期「春乱」から最新「夜夜」まで一昨日、一気に再読しました。「夜夜」は今までとぜんぜん違いますよね、相当遊びに入ってますね。なんとなく力が抜けたような感じ。」

            三郎「ああ、そぉお? それはどうも。」

            北川「三橋先生もそうなんですが、「しだらでん」あたりは人間になったという感じ。澤さんの句集、「光源」はさきほどのシンポジウムでも話がでていましたが、それ以前の句集に比べると綺麗で美しくまとまっている印象があります。」

            三郎「澤さんもあと10年したら、僕みたいな句になるんじゃないの。(遊びの境地になるという意味と解釈)」


            いつも涼しい笑顔の桑原三郎先生なのでした。改めて『夜夜』をご覧くださいませ。

            ごきぶりは誰の生まれかわりでもなし叩く 桑原三郎 
            できたての俳句大好き千代の春    〃

            高柳重信の師系でいえば、桑原三郎さんが年長で澤さんが弟分というところでしょうか。ともに「俳句評論」にて研鑚されたお二人です。 三橋敏雄先生の蛇笏賞受賞パーティの映像を拝見したら、桑原三郎さんと高橋龍氏が司会でした(高橋龍氏に髭がない)。 若かりし大井恒行氏も映っていました(すでに髭があった)。


            筑紫磐井

            繁忙のためお休み。

            三橋敏雄『真神』を誤読する 100. 肉附の匂ひ知らるな春の母/ 北川美美


            100.肉附の匂ひ知らるな春の母

            『真神』の視点、それは神の視点ともいえ、小さくなった一寸法師の視点でもある。母の身体に入ったり、流されたり、揚羽に乗ったり、自己の葬儀に立ち会ったりと、とにかくその視点は変幻自在だ。

            「春の母」が誰かといえば、少女時代の母と読む。夏でも秋でも冬でもなくあえて「春の」としていることがキーになる。五行思想の四季の変移を春は青春に重ねる。

            青春を過ごしている「春の母」すなわち少女時代の母に知られたら困ることがある。少女は、自分の体の奥に禁断があることにまだ気が付いていない。それは「僕」というまだ生まれていない、あなたを「母」として受け継ぐ存在なのだ。性の目覚めと同時にまだ誰が父親になるのかもわからない男の登場をはやくも「僕」が拒絶しているかのようだ。

            ありえないことなのかもしれないが、すでに僕というあなたから生まれる存在は、少女である母の中にすでに存在する。だから僕の肉附が知られては困る。まだ生まれる前の僕なのである。

            ここにあるのは未生の僕という視点である。

            『真神』の変幻自在な視点を知るとき、私はセザンヌの静物画を思い出す。視点が自在に操られているのである。

            セザンヌが作りたかったのは、そういう幻覚ではなかった。彼が作り出したかったのは、そこに充実した個体があり、そこに奥行があるという感じにさせるもので、それを彼は伝統的な描法を借りずにできると知ったのである。ただ彼は正確な描写にこだわらないことを実地に見せたこの作例が、芸術を今までの基盤から新しい基盤の上に大きく移すことになるとは夢にも思わなかった。(「美術の歩み」E・H・ゴンブリッチ著/友部直訳)



            『リンゴとオレンジのある静物』 1895-1900 オルセー美術館

            【俳句時評】 五十句競作終了から30年目  北川美美


            第64回文化庁芸術選奨文部科学大臣賞受賞の「澤好摩を祝う会」(5月25日)に列席させていただいた。

            澤好摩氏の経歴を明記すると1963年、東洋大学在学中に俳句研究会に参加。翌年に坪内稔典らと全国学生俳句連盟を結成。「いたどり」「青玄」「草苑」を経て1968年に坪内稔典、攝津幸彦らと同人誌「日時計」創刊(1974年終刊)。1971年、折笠美秋の誘いで「俳句評論」に参加し高柳重信に師事。「未定」を経て、1991年より「円錐」編集発行人として現在に至る。今回の受賞は句集『光源』が対象となった。

            うららかや崖をこぼるる崖自身 
            百韻に似し百峰や百日紅 
            うたたねの畳の縁を来る夜汽車 
            凭るるは柱がよけれ妹よ

            祝辞を述べられた宇多喜代子氏の挨拶の中に「五十句競作」の同窓会のような…というくだりがあり、参加者は確かに五十句競作で高柳重信(最終回の第12回は高柳急逝により三橋敏雄)の選を受けた錚々たる方々ばかりであった。かの「五十句競作」から数えてみると30年が経過していることになる。ここに五十句競作がひとつの歴史となったことを改めて実感した会でもあった。
             
            約30年前の五十句競作の受賞作品(高柳重信選)の中から出席者の作品を恐縮ながら掲出してみたい。

            ものかげの永き授乳や日本海 澤好摩 
            死火山にくる日くる日のいかのぼり 横山康夫 
            花吹雪駆け抜く言葉出ぬままに 三輪たけし 
            母系の火父系の点の夕雲雀 藤原月彦 
            焼跡にかの恋歌の夏は立ち 宇多喜代子 
            したたかに漕ぎゆく陸よ坂東記 桑原三郎 
            未生の我も目覚めてゐたる春満月 福田葉子 
            二階より足をたらせば岬に雲 小林恭二 
            枇杷の種埋めこの国の水甘し 池田澄子 (三橋敏雄選) 
            秋の風山の上より山を見て 鳴戸奈菜 (〃)  
            麦畑ひばり見ること避けられず 山田耕司 (〃)

            ※急遽欠席された高橋龍氏の五十句競作受賞作からも二句
            生み捨ての赤き野山に生まれ出む 高橋龍 
            行春を水は流れて一張羅      〃
            澤好摩氏の同胞でもあった坪内稔典氏の挨拶。「摂津幸彦は早逝したために伝説化されていて、それが決して良いこととは思っていない。澤さんには今までにない老人の俳句をつくってみせてほしい。」・・・確かに摂津幸彦、長岡祐一郎、夏石番矢各氏も五十句競作で高柳重信に選を受け、一躍世に出たという認識がある。

            青空に近き酢の物つまむかな 摂津幸彦 
            舟燃えてあひるぐんぐん秋となる 〃 
            出征や鯛のうらがはあきらかに  〃 
            薔薇窓のひかり選ばれ掌に 長岡裕一郎 
            頭の中を迷彩色の紐垂れき  夏石番矢

            「五十句競作」そして「俳句評論」(高柳重信が同志を募って創刊した俳句同人誌)のあたりの昭和55(1980)年から昭和60(1985)年頃というのが、高柳重信のつくった俳句ムーブメントとして今も語り継がれることが多い。しかしながら、そのあたりの俳句史的な詳細は、丹念に調べない限りあまり明確にされていないような印象がある。澤好摩氏の今回の受賞によりその頃の俳句史に脚光が当たるべき頃なのかもしれない。元々、脚光が当たることなど根っから考えていない少数派が澤氏の源流(赤黄男も白泉も重信も・・・)にあるのだが、今回の受賞によりなんとなく流れが変わるのだろうか。

            五十句競作をまとめて読むというのは俳句文学館で「俳句研究」(俳句研究社)のバックナンバーをコピーするしか現在は方法がない(筆者はそのコピーを見ている)のだが、久々にまとめて第一回から十二回までを見てみると、俳句の新しい可能性を秘めた作品が多いことはもちろんであるが、テーマが「火山」「石」「血」「母」「父」「鳥」「水」「けだもの」などの比較的激しい雰囲気の言葉が主流であったようだ。あくまでも総じてそう見える。(五十句競作について述べるには改めて相当な気構えで執筆に臨みたい。)

            あの頃の1980年代の日本経済の勢いは明るく、不安などどこにもない時代だったように思う。高校大学時代を過ごした自分にはそう映った。少なくともどうにかなるという思いというか、どうにかなるだろうという楽天さがあった気がする。

            最終の三橋敏雄選は他の回と異なる印象があるが高柳重信に選句された応募作は、どこか血豆が潰れたような気になる句が多い。崩落していくような、放出しているような、危うさが漂っている。これはあくまでも個人的感想である。おそらく受賞者の年齢層が戦後生まれ(戦前の生まれの受賞者もいらっしゃる。)、もしくは団塊世代といわれる世代層の受賞が多かったからだろうか。あるいは皆、三島由紀夫の自決前の演説を、あるいは安田講堂が燃え上がっている、浅間山荘の壮絶な立てこもり場面を目の当りにしたからだろうか。簡単には書きつくせない昭和の歴史そして俳句史のムーブメントである。

            「新撰21」「超新撰21」が刊行された時に五十句競作後の新人の発掘について筑紫磐井氏の解説に出てくる、「牧羊社の処女句集シリーズ」であるが、筆者が唯一持っているのは寺澤一雄氏の「虎刈」である。序文は小林恭二氏だ。(寺澤氏も出席されていた。)

            洗われし芋のごとくに人老いぬ 寺澤一雄
            印度から印度人来る夏館 〃
            肛門で腸終わりたる初茜 〃
            会のプチシンポジウムの進行は、澤氏の「円錐」の同人・山田耕司氏がメンバーの「Ku+」編集人・高山れおな氏が担当していた。編集メンバーである上田信治、佐藤文香各氏も「Ku+」イラストネームプレートをつけ販売促進の体制も万全。「五十句競作」ひいては「俳句評論」のあの勢いを継ぐにふさわしい次世代同人誌が「Ku+」なのだろうというイメージを会場で体感した気がした。(それが編集コンセプトなのかと思ったりも。)

            迷路ではない浮世の岸の秋だらう 高山れおな 
            あたらしい君がやさしい秋刀魚の夜 佐藤文香 
            スケーターワルツいきな り 止まる 上田信治 
            文鳥や用もなく見る野菜室  山田耕司

            30年前の1980年代より現在は相当な時代の閉塞感があり、なんとなく希望がないような、生きづらい時代にいる私たちであるが、上記のKu+編集の四作家の作品をみる限りでは、30年前の血生臭さよりも、混沌とした曖昧なエッジを行き来しているような器用な印象がある。あくまでも個人的な感想だけれども時代というのは句に出るのだなぁという感想を持つ。

            山田氏に限っては五十句競作時に高校生の作品と、30年後のKu+編集にも携わる現在の作品の二作を掲出させていただいたが、高校生時は見たくないものもすべて見えてしまう若さゆえの苦しみ、そして現在は用がなくとも自ら見にいくという視線に変わっていることも面白い。

            五十句競作、牧羊社の処女シリーズ、新撰、超新撰、そしてKu+・・・と世代差はあれど今という同じ時代に私たちはいる。五十句競作の錚々たる先生方と同じ空間にいて少し俳句がうまくなったような気になるのは大いに気のせいなのだが、自己に厳しさを課し、自らを励ましつづけ、俳句と離れずにいた、その息遣いが伝わってきた空間であったといえる。


             【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その十七~ 網野月を

            (朝日俳壇平成26年5月26日から)

            ◆母の日や母に会はざる年重ね (芦屋市)酒井湧水

            稲畑汀子の選である。作者にとっては、上五の「母の日」の提示によって母の日に特に思いおこされることはやはり「母」のことであった。「会はざる」は単純否定である。会わないのでもなく会えないのでもない。行動として会わないのでもなく、気持ちがあっても何かの都合で不可能なことを表してもいない。この「会はざる」によって既に他界した母に対して会っていないことの客観的表現になっている。作者の意志の反映はないのである。そうして会わないでいるうちに時を経てしまったという意味での「年重ね」である。上五の切れ字によって亡母へ話しかける作者の母恋しの心が詠まれているように感じる。

            ◆幸せになろうとしてた春だった (横浜市)神野志季三江

            長谷川櫂の選である。たぶん作者の現況は幸せなのでありましょう。筆者はそう想像する。そうしていま幸せになってみると、嘗て「幸せになろうとしていた」頃の己の若さや至らなさが、恥ずかしくもあり眩しくもあるのだ。「春」は季節の春であるとともに人生の春を投影している。「春」は日本においては卒業や転勤、入学や入社のシーズンであり人生の春における節目がある時季である。特に若い世代にとっては決まって春に別れと出会いが訪れる。

            俳句は、よく現在の景を詠むものである、と言われる。「だった」のような過去形は使用しずらいものである。と同時にうっかり使用すると注意されたりすることもあるようだ。掲句の場合の「だった」は、現在から過去のある時点を回顧してのものであって、現在の想いが主眼になっていることから、俳句は現在の景を詠むものであるとする先生方からも許されるのではないかと考える。今年の春を迎えて幾多の過去の春春が思い起こされているのである。





            【執筆者紹介】

            • 網野月を(あみの・つきを)
            1960年与野市生まれ。

            1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

            成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

            2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

            現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




            (「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)



            【西村麒麟『鶉』を読む24】   俳句的自意識 / しなだしん


            絵屏風に田畑があつて良き暮らし   麒麟

            西村麒麟は、自分が俳人で、他者からも西村麒麟という俳人として認識されていることを常に意識している人である。過剰な自意識ではない。自分を冷静に見るクレバーな自意識だ。その一方で見られているという意識から他者にサービスしてしまうという面も持つ。

            今般上木された句集『鶉』が私家版で、自選、序無し、あとがき無し、目次無し、という形式も、その表れであると思う。さらに『鶉』の巻頭が「へうたん」という力の抜けた素材の季題の句を三句並べる、というあたりも然り。

            そもそも「麒麟」という俳号自体からして自意識とサービス精神のかたまりのようなもので、その名を含めて「西村麒麟」という俳人は出来上がっているのである。

            さて、掲出句。この句もまさに俳句的自意識とサービス精神の真骨頂といえる作である。

            一双の屏風の中の絵のことだけを詠っている。

            それほど大きくない絵屏風を想像する。温かみのある筆致で描かれているのは、田畑の広がる古いが豊かな暮らしの様子。もしかすると絵の中には笑顔の好々爺も描かれているかもしれない。それは作者の好きな井上井月の時代の長野伊那の原風景を想像するのもいいのかもしれない。

            そしてこの句の極みは、下五に置かれた「良き暮らし」という突き放した物言いだ。だが、突き放していながら嫌味にならないのは、それが作者自身の本心であるからに相違ない。

            「良き暮らし」は、作者の真の感慨であり、措辞であり、俳句的自意識であり、さらに麒麟俳句を読む読者へのサービスでもある。

            この句を読んでいると、屏風に描かれた絵の世界からズームアウトして、絵屏風を眺めている作者の姿があり、それを眺めている読者が居て、それを想像している作者西村麒麟が居る、という重層構造になっているようにも、想像が膨らむ。

            西村麒麟という俳人の俳句的自意識とサービス精神は、これからもどんどん広がってゆくことだろう。

            上田五千石の句【テーマ:「墓」】/しなだしん


            風薫る青山ここに定まりて   上田五千石

            第三句集『琥珀』所収。昭和六十三年作。

            前書きに「富士霊園 文学者の墓に生前手続きす 二句」とあり、二句目には

            ゆめに雪桂信子と墓仲間
            がある。

            前書きの通り、この句は己の墓を購ったときの句である。

                    ◆

            富士霊園は静岡県駿東郡小山町にある霊園。昭和四十年開園、宗派不問。

            富士が見通せる広大な暮域に約七万区画と関連施設があり、春には街路の桜が咲き、五月頃には躑躅が咲き誇るという。

            前書きの「文学者の墓」とは富士霊園内にある、日本文藝家協会所有の共同墓であるらしい。霊園の高台にある文学碑公苑には碑があり、また墓碑には日本文藝家協会会員の名がずらりと刻まれている。二句目にある通り「桂信子」の墓もここにあるのだろう。

                    ◆

            「青山せいざん)」はもともと、「樹木の青々と茂った山」の意味だが、「骨を埋める所、墳墓の地」の意味がある。これは中国北宋代の政治家、詩人、書家であった蘇軾(そしょく)の獄中の詩の一節「是処青山可埋骨(是の処の青山 骨を埋む可し)」からきているらしい。「いたる処青山、骨埋めるべし」、これで青山を墓とするのはなんだか強引な気もするが。

                    ◆

            ちなみに二句目の「ゆめに雪」は、一句目の時期と合わず、季語として成立してはいない。敢えて無季の句、ということになろうか。それにしても「ゆめに雪」は桂信子の何へ繋がっているのか。雪の句だとすると「窓の雪女体にて湯をあふれしむ」だろうか。

                    ◆

            掲出句の「風薫る」には現場の臨場感があり、「ここに定まりて」にはしずかでどこか清々しい気分が伝わる。

            この句の年、五千石五十四歳。この十年後の九月、生前手続きをしたこの墓に骨を埋めることになる。


            僕たちは「高野ムツオ」で感動したい   外山一機


            高野ムツオの『萬の翅』(角川学芸出版、二〇一三)が第四八回蛇笏賞を受賞した。選考委員の一人である長谷川櫂の選評によれば、長谷川は俳壇が「震災句集」を認めたという点にその受賞の意義のひとつを見出しているようだが(『俳句』角川学芸出版、二〇一四・六)、長谷川の言葉の政治的な匂いはさておき、金子兜太もまたその選評において高野の句集の震災詠を評価していたように、宮城県で「被災」した「高野ムツオ」の句集としての評価が本書の受賞に影響していることは間違いないだろう。そういえば蛇笏賞の少し前に高野は本書をもって第六五回読売文学賞(詩歌俳句賞)を受賞してもいるが、同賞選考委員の高橋睦郎は次のように述べていた。

            三・一一大災という新千年紀の大事件に真に対応しえたのは、ことを詩歌に限っていえば、詩でも短歌でもなく俳句ではないだろうか。理由は五七五なる窮極最短の定型が含み込まざるをえなかった沈黙の量にあろう。その沈黙のみが大災の深刻によく応ええたということだろう。なかんずく直接の被災地である東北地方の俳句作家たちの仕事が注目を集めたのは言うまでもない。その決定版ともいえるのが、昨年十一月に満を持して出た高野ムツオ句集『萬の翅』だ。収めるは平成十四年から二十四年春まで足かけ十一年間の四百九十六句。この編集によりみちのくという受苦の地の、しかしとりあえず平穏な時間の流れの中で突然噴出した大災の衝撃が、透明な説得力をもって迫ってくる。
            http://info.yomiuri.co.jp/culture/2014/02/post-54.html

            だが、そもそもこの句集の震災詠に注目することは、何か肝心なことを見落としている可能性をはらんではいないだろうか。たとえば僕は「地震」や「放射能」といった名詞を抜きにしては震災前の高野の句と震災後のそれとを区別することができないような―もう少し正確にいうなら、僕は、本書にある次のような句を区別することができないのではなく、区別したくないような気がするのである。

            我も捨蚕空の青さに身をよじり 
            死者に会うための眠りへ葛の雨 
            芽吹くとは血を噴くことか陸奥は 
            月光の音枯蘆の音となる 
            満開の嗚咽ばかりや花の闇 
            みちのくの今年の桜すべて供花 
            蘆鳴れり一本ごとにいっせいに

             僕は桑原武夫の真似をしたいのではない。結論からいえば、僕には、両者を区別したくないような気がするということこそが、高野の表現行為に対する僕たちの欲望のありようを示唆しているように思われてならないのである。そしてまた僕には、いま述べた意味において、高野の震災詠が、すでに震災前に用意されていたものであったように思われてならないのである。

             先だって刊行された徐京植の評論集『詩の力』(高文研)のなかで、徐はアウシュヴィッツの生存者であるプリーモ・レーヴィの次の言葉を引いている。ホロコーストの危機が迫っておりその兆候さえ見えていたときになぜユダヤ人たちは亡命しなかったのか、という問いに対して、レーヴィは次のように述べる。

            知識人たちは数多く逃げ出していたが、数多くの家族がイタリアやドイツにとどまっていたのは事実だ。「その理由を問いかけ、自問することは、歴史を時代錯誤的に、ステレオタイプ的に見ている印である」(プリーモ・レーヴィ、竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞社、二〇〇〇)

            このように述べてから、レーヴィは特に「祖国」を離れることの「心理的性質の困難さ」の想起を促している。レーヴィのいう「心理的性質の困難さ」とは、過酷な真実から目をそむけるため無意識につくりあげ信じ込んでいる「虚偽」や「幻想」といった「都合のいい真実」にすがろうとすることを指す。ここで注意したいのは、徐がレーヴィの指摘を次のように解釈していることである。

            レーヴィはここでいますぐ逃げ出すという決断を迫っているのではない。また、逃げ出せない人々を愚かだと嘲っているのでもない。「なぜその『前に』逃げ出さないのか?」という質問自体がステレオタイプであり、現実に届いていないと指摘しているのだ。

             高野には「春風や原子力発電所ふわり」(『鳥柱』虹洞舎、一九九三)、「チェルノブイリ夜の菫のその先に」(『雲雀の血』ふらんす堂、一九九六)がある。高野の目に「その『前』」がまるで見えていなかったわけではあるまい。一方で高野は「都合のいい真実」にすがろうとしたわけでもあるまい。震災からすでに三年以上が経っているが、福島の状況を思えば、いまなお「その『前』」であるという見方もできるかもしれない。とすれば、いまなお東北に留まって「想像をはるかに凌駕する」ほどの「艱難」(「あとがき」『萬の翅』)を詠み続けようとする高野の営為とはいったいいかなるものであろうか。

             ただ、ここで忘れてはいけないのは、そもそも僕たちは必ずしもこうした高野の仕事と誠実に対峙できるほど強くはないということである。たとえレーヴィのいう「ステレオタイプ」に陥ることを免れたとしても、読み手としての僕たちにはもうひとつの問題が残されているように思われる。

             たとえば僕は、『萬の翅』を読んでいると、ふいに恐ろしいような気分になる。それはこの句集がとても見事に僕たちの「期待」に応えてくれているように見えるからだ。すなわち、この句集はかつて東北にあって「食へざる詩」を書き続けた「佐藤鬼房」の志を継ぐ者が「被災」し、それでもなお東北で俳句を書き続けているというような、とても美しい「物語」を僕たちに与えてくれているものであるかのように思われる。実際、句集の冒頭で「悼 鬼房」と前書きされた「月光の瀧を束ねにとこしえに」に触れ(むろんこの句は鬼房の「死後のわれ月光の瀧束ねゐる」をふまえていよう)、さらに鬼房の高名句「陰に生る麦尊けれ青山河」を想起させる「麦青む頃鬼房のしゃがれ声」を経過しつつ、震災後に詠まれた次の句を目にしたとき、思わずこの「物語」に引き込まれそうになるのは僕だけではあるまい。

            みちのくはもとより泥土桜満つ 
            始めより我らは棄民青やませ 
            草の実の一粒として陸奥にあり 
            冬晴や魚虫草木みな無名 
            村一つ消すは易しと雪降れり

             それにしても、どうして僕たちはこうした「物語」にひきつけられるのだろうか。ここで再び徐の言葉を借りてみたい。徐は、『夜と霧』の著者であるフランクルに対する竹熊博英の評価―すなわちフランクルはその著書において「いかにして強制収容所で生きるのか、極限の生存状況の中でいかに自分の精神を高めるのかに主眼を置いている」という評価―をとりあげ、次のように述べている。

             フランクルとレーヴィの間にあるのは比喩的に言うならば、過酷な現実をいかに生き延びるかという「臨床的な」次元と、その現実の原因を究明しようとする「病理学的」な次元との差異であるといえよう。この二つの次元は本来、相互に排除し対立するものではないはずだが、往々にして混同され、同一平面上でぶつけ合わされることになる。そして、「理解できないことを理解しようと無益な努力をするよりも、与えられた運命の中でいかに生き延びるかが重要だ」という、いわば思考停止のメッセージへと歪曲され、「感動的」に消費される。

             たとえば僕たちは「始めより我らは棄民青やませ」という句を見つけたとき、何かほっとするような感覚を得てはいなかっただろうか。あるいは「みちのくはもとより泥土桜満つ」を目にしたときは―?そこに「与えられた運命の中で」生きようとする「彼」や「彼女」の姿を見出すことはたやすい。たとえば僕たちは、「始めより我らは棄民青やませ」という句を見つけたとき、あるいは苦々しく、あるいは気の毒そうな表情をしながら、しかしその一方で「棄民」であると自称する「彼」や「彼女」に安易な拍手を送ってはいなかったか。この句集を、そういうかたちで消費してはいなかったか。

            『萬の翅』に対する華々しい評価を見ているうちに、何か恐ろしいような気さえしてくるのは僕だけだろうか。僕は何だか、僕たちが心のどこかでこのような消費の衝動を引き受けてくれる何かがやってくるのを今か今かと待ち構えていたような気がしてならない。それは、「震災」を「棄民」の「物語」へと収斂させることで―さらにいえば、「高野ムツオ」という固有名詞へと収斂させることで―自らを慰めようとする僕たちの心性の現れであろう。震災前から「我も捨蚕」と詠んでいた高野なら「始めより我らは棄民」と詠むのは当然のことなのだというような、安易で傲慢な解釈に僕たちは与してはこなかっただろうか。石母田星人は「俳句総合誌などを読むと、多くの俳人が『高野は風土に根ざしている』と言い、彼自らも『そうである』と書いている」と指摘しているが(「無意識の所産―高野ムツオ小論」『高野ムツオ集』邑書林、二〇〇七)、実際、「満開の嗚咽ばかりや花の闇」と詠み「死者に会うための眠りへ葛の雨」「芽吹くとは血を噴くことか陸奥は」といった句を詠みうるようなまなざしをもって生や死に対していた高野の仕事は、震災後の「みちのくの今年の桜すべて供花」へと確かに見事に接続しているような気がする。思えば、『萬の翅』以前から「阿弖流為の鼓膜を張りし春田あり」(『雲雀の血』)、あるいは「阿弖流為の髭より冬の蝗跳ぶ」(『蟲の王』角川書店、二〇〇三)と詠み、また『萬の翅』においても「蝦夷の血吹き出るごとし春の雪」、「阿弖流為の形見ぞ虫の原一枚」と詠み続ける高野は、「震災」を他者の「物語」へと収斂したい僕たちにとって格好の対象であったのかもしれない。

            先に僕は、僕には高野の震災詠がすでに震災前に用意されていたものであったように思われてならない、と書いた。高野の『萬の翅』が明らかにしたのは、僕たちが震災前から持っていたはずのこうした頼りない心性であったのではなかろうか。


            【小津夜景作品No.25】  天蓋に埋もれる家(前)   小津夜景

             (デザイン/レイアウト:小津夜景)








                    天蓋に埋もれる家(前)   小津夜景


            やつと『意味の変容』を読んだわ/沢山の命題を糸のやうに繋いで小説にしちやつた本/《外部の実現が内部の現実と接続する時これをリアリズムといふ》《矛盾は常に無矛盾であらうとする方向をもつ》《まずその意味を取り去らなければ対応するものとすることができない。対応するものとすることができなければ構造することができず、構造することができなければ、いかなるものもその意味をもつことができない》/こんな感じの命題が次々出てくる/で、最後はかうした命題から導いた作者の生死観を披露してお終ひ/すごく面白かつた/ただ私、作者が生と死を対称に見たがる点はどうしても納得が行かない/生きてることと死んでることつて全然そんな関係ぢやないと思つてたから/それらの境目が綺麗な矛盾を描くかにみえたとしても、二つの対応を暗に目論む本人が、実際とはほど遠い、それこそ自分に都合の良い意味をそこに押しつけたせゐなんだし/え?/『もしそれらの意味を一度全部とつぱらつてしまつたとしたらどうなるか』つて?/その場合は当然生も死もなくなる/あるともないとも言へない風体で一切が漂ふだけよ/違ふ?/生死から意味を取り去つてしまへばもはや構造することはできない/より厳密に言へば、二度と再び構造を生きることはできない/意味を取り去つてなほも構造できると嘯く人は、世界を眺める『私』を取り去るのを忘れてゐる/生死の意味を対称な規則へとこつそり改竄するために、わざとそれを忘れてゐる/でも生死の境がなくなつた後も、その生死に囲はれてのみ生成する筈の『私』といふ条件だけは平然と残してゐられるなんて、さういふ無神経な賢さつて、とても胡散臭いと思ふの。


            Je me séquestre dans une chaleur,
            石兵を抱けば羽交ひに地のほてり

             Comme une courgette dans une boîte noire.
            甘瓜のをとめがちなる巻き髭ぞ

             Qui parle, en flottant.
            みなみかぜ奪はれてゐる象耳が

             Parle, en incinérant,
            ひむかしに花炎ゆ炎ゆのかむいかな

             S’il me plaît la ruine.
            くらげみな廃墟とならむ夢のあと

            Des poissons flottants,
            たましひに飽きて金魚をたゆたはす

            Comme écriture fraîche, difficile à brûler.
            ジギタリス焚けり宇宙の偽書足りず

             Gratter,
            消印にかはほりほどの紆余あらむ

             Sans dénouer des cordons,
            紐すこしほつれて黴の訳詩集

             Dans un papier blanc florentin.
            梅雨やふいれんつえふつくらと幽閉す






            【作者略歴】
            • 小津夜景(おづ・やけい)

                 1973生れ。無所属。





            【俳句作品】 平成二十六年花鳥篇 第一


               ※画像をクリックすると大きくなります。








                 曾根 毅(「LOTUS」同人)
            たらたらと卵の白味花の昼
            夕永し桜の房を弄び
            夕ぐれの花に纏わる音一つ

                 福永法弘(「天為」同人、「石童庵」庵主、俳人協会理事)
            をさめ雛しるしありたるごと汚れ
            元服の十五がかなし武者飾
            七夕のおもたき筆の止まりがち

                 杉山久子
            桜蘂降る日さくさく鳩サブレー
            花冷の地獄絵に鳥らしきもの
            静脈のあをき道すぢ時鳥

                 小澤麻結(「知音」同人)
            まぼろしの如喪の列花の雲
            桜蘂降るや言葉を待ちをれば
            老鶯の死者喜ばせゐたるかな

                 中村猛虎(1961年兵庫県生まれ。「姫路風羅堂第12世」現代俳句協会会員)
            舳先よりゆっくり沈む花筏
            桜湯やたまに腕組む距離のひと
            飛花落花ピアスの穴の向こう側
            花衣脱ぎてテロリストの死
            花冷えの三面鏡に奴がいる
            曾根崎の路地の奥より不如帰
            告白の少し離れてほととぎす

                 関根誠子(寒雷・炎環・や・つうの会所属)
            梅古木男時女時の相似て来 
            蝌蚪すみれ鶯の声は撮れないなあ
            手に乗せて他生の縁の初蛙

                 網野月を(「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。)
            耳穴に鼻糞は無し若葉騒
            死ぬ音を聞かせ母逝く若葉光
            首筋に若葉疲れよ天女舞う

                 ふけとしこ
            湖までを木苺の花零しつつ
            すかんぽを折つて道草完了す
            しりとりの途切れすかんぽの萎れ

                 もてきまり(らん同人)
            鳴かぬ亀鞭もて責める老主宰
            六道の角にセブンイレブン八重桜
            攝津の帽子より生れて黒揚羽

                 大井恒行
            眼の端をぬらして芽吹く柳はも
            菜の花や涙の鳥のウクライナ
            敏雄句の戦塵訓話今朝の夏





            2014年5月23日金曜日

            第71号 2014年05月23 日発行

            作品
            現代風狂帖
            十句    ふけとしこ   》読む
            •  小津夜景作品 No.24
               ハラペーニョで人類を      小津夜景   ≫読む




            ●鑑賞・書評・評論・エッセイ 

            【戦後俳句を読む】
            • 小澤實一句鑑賞2
            ……池田瑠那  》読む
            • 我が時代――戦後俳句の私的風景[新連載]
            ……筑紫磐井   ≫読む

            • 「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
            (続・8、川崎展宏)
              ……大井恒行  》読む

              • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 99.
              ……北川美美   》読む

              【現代俳句を読む】
                • <俳句時評>  BLOG俳句空間の歴史 
                ……筑紫磐井   ≫読む





                • 小特集<「俳句新空間No.1」を読む>7
                『俳句新空間No.1』を読む(転載)……陽美保子   >>読む

                • <朝日俳壇鑑賞> 時壇 ~登頂回望 その十六~


                ●継続掲載


                西村麒麟句集『鶉』 第5回田中裕明賞
                • 特集<西村麒麟第一句集『鶉』を読む> 13
                • 『鶉』二十句について  ・・・・・・西村麒麟  》読む
                • <俳句時評>「俳壇抄」の終刊から 
                ……筑紫磐井   ≫読む





                • <俳句時評> 「攝津幸彦」を共有しない 

                • ……外山一機   ≫読む





                • <俳句評> 新宿俳句泥棒日記(「詩客」より)
                ……カニエ・ナハ   》読む

                • <俳句評> 「クプラス」創刊号について(「詩客」より)
                ……田村 元   》読む

                • <俳句評> 型破りまでの正しいストレッチ(「詩客」より)
                ……そらしといろ   》読む




                大井恒行の日日彼是       ≫読む
                読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


                412日更新:筑紫磐井『我が時代』         》読む
                4月30日更新:仁平勝『路地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』 》読む 


                ● あとがき  ≫読む




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                      三橋敏雄『真神』を誤読する 99. 死水や春はとほくへ水流る / 北川美美


                      99.死水や春はとほくへ水流る

                      前句<98.青白き麺を啜りて遠くゆく>において、明るくない雰囲気は、そのまま死後の世界を示唆するように掲句へと引き継がれる。

                      死に水は末期の水ともいわれ、臨終の際に死者の唇に水を含ませるという儀式の水として認識されている。釈迦が亡くなる際にも、弟子に川の水を汲んで飲みたいとたのみ、雪山に住む鬼神が鉢に浄水を酌んで捧げたという説がある。死に水も確かに流れていた水であり、その川の水は遠くへ流れる水のことである。 流れゆく先は、死後の世界へつながっていくことを示唆していると解釈できる。

                      なぜ「春は」なのか。確かに春は華やぎとは裏腹にどことなく悲しい季節でもある。死ぬには、春が適しているのだろうか。春と死といえば、

                      願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ  西行
                      が有名である。死生観といえば、やはり春という組み合わせがわかりやすくまた読者にも浸透しているといえよう。その春に西行が花と死を結び付け、敏雄は水を結び付けた。

                      春は生命が息吹く時であり、水ならば流れ出す時である。それと同じくして、次の世に流れるのも命が生まれる時と同じ時なのだ。生まれたならば、かならず死ぬ。けれどもそれは流れるという仏教的な考えにより、常に、どの世も自由に行き来ができ、「流れて」ゆくのである。永遠に。そして遠くに。

                      ※『眞神』収録の「流れる」語のある句 
                      59.海ながれ流れて海のあめんぼう
                      65.柩舟やゆくもかへるも流れつつ
                      77.産みどめの母より赤く流れ出む
                      92.水づたひ浮いて眞白き産み流し
                      96.とこしへにあたまやさしく流るる子たち
                      99.死水や春はとほくへ水流る
                      109.蝉の殻流れて山を離れゆく
                      死を受け入れること、それは死後を知らない現世の人間にとって常に大きな課題であり未知の世界である。人は、人類が始まって以来、儀式、文化、そして哲学、宗教とさまざまな様式で死を受け入れようとしてきた。「流れる」という観点から考えると、敏雄の死生観とは、死は悲しいことでも恐怖なことでもなく、流転していくものだという淡々とした覚悟が伺える。 「春は」としたのは、敏雄の強い主張、確定として理解するべきだろう。

                      『真神』が上梓された昭和49(1974)年、1970年代は、それまでタブーとされていた死の受け入れ方についての新しい概念ともいえる、終末の尊厳が叫ばれはじめた。キューブラーロスの『死ぬ瞬間』(1969年)が世界的ヒットとなったのも同じ時である。スピリチュアルという言葉が浸透しはじめたのもそのころだ。

                      時を経て、2011年の春まだ浅い三月、東日本大震災が起こった。多くの魂が流れていかれた。そんな予測のできない昭和40年代の作句であるが、春の水は、遠い次の世に流れていく水のことでもあるのだ。春はどことなく悲しい季節でもある。


                      【小津夜景作品No.24】   ハラペーニョで人類を    小津夜景


                      ※画像をクリックすると大きくなります。
                      (デザイン/レイアウト:小津夜景)








                           ハラペーニョで人類を    小津夜景


                      珈琲を漉そうわずかに陽を混ぜて

                      触診のラジオはいつも嗄れている

                      パティオふぬけて犬のこじんまり

                      親しみのある謎である郵便夫

                      静かだな服ぬいでもの食う部屋は

                      ありくいは白昼ゆめを吐くらしい

                      とびとびの音盤火星年代記

                      ハラペーニョ煮て人類を略奪す

                      おんぼろのロボットあわれ能面に

                      パロールが犬を愛して獰猛にクール

                      蛸足をふと奥の手と捉えたる

                      あしのうらぽかんと眠るとき他人

                      ぞわぞわと梢は揺れて ん 斬られた

                      すこやかな没我に火薬庫の匂い

                      風死にそうよカフェインが多すぎる

                      飲み干せば風もいまわをうごかない

                      陽を爆ぜてからっぽのカップだ

                      読むだろう まさかりで窓を開いて

                      どこまでも棒立ちの散歩者になる

                      絶海へつづくゼブラゾーンが眩しい






                      【作者略歴】
                      • 小津夜景(おづ・やけい)

                           1973生れ。無所属。





                      【俳句作品】   十句  ふけとしこ


                      ※画像をクリックすると大きくなります。




                          十句   ふけとしこ



                      夏帽子これは中也に贈りたし

                      サングラス試着の鼻の疲れたる

                      針運ぶ雹降る音と思いつつ

                      初蝉や昨日仰ぎし山に立ち

                      天道虫放つ再び戻らぬを

                      シチリアの日を浴びに行け天道虫

                      玫瑰の落す花びら欲しくて待つ

                      玫瑰散る鳶が翼を拡げれば

                      竹の葉の散ること淡し昼月も

                      草笛の鳴つて三つほど若くなる





                      【作者略歴】

                      • ふけとしこ

                      本名福家登志子。岡山県生れ。「カリヨン」を経て現在「船団」「椋」所属。句集『鎌の刃』『真鍮』『伝言』『インコに肩を』他に『ふけとしこ句集』『草あそび』等。1995年俳壇賞。
                      2000年4月より3年間個人誌「ほたる通信」を発行。2012年8月より「ほたる通信」凝縮版として「ほたる通信Ⅱ」を開始。 

                       【朝日俳壇鑑賞】 時壇  ~登頂回望その十六~ 網野月を

                      (朝日俳壇平成26年5月19日から)
                                               
                      ◆城に過去あり新緑に未来あり (名古屋市)中野ひろみ

                      大串章の選である。句意は哲学的命題のようである。「○○に××あり△△に□□あり」の構文は作句の常套手段の一つである。よく見るところである。「あり」が「ない」もしくは他の表現のバリエーションも在り得る。「○○は××△△は□□」であったり、「○○を××する△△なら□□する」といった具合である。○○と△△の対比、○○に対しての××の形容や、続く△△に対しての□□の修飾が秀句になるか駄句になるかの鍵になるであろう。

                      掲句の場合、城と新緑の対比が巧みである。城郭に残された樹木は往時を偲ばせるものとして格好だ。立地条件がぴたりと符合する。その符号の上で、既に過去のものとなった城に敢えて「過去あり」と形容し、初夏の季題・季語である「新緑に」は盛夏へ向けての「未来あり」と修飾するところは、もしかしたら出来過ぎていて面白さに欠けると評する向きもあるかも知れない。

                      ◆風船の探してをりぬ風の道 (塩尻市)古厩林生

                      長谷川櫂の選である。着想の良質さに目を瞠る思いである。風に沿って風船が飛んで行くとか、風船の動きに風の動きを知るといった内容のものは散見することがある。掲句のように、風船自身が「風の道」を探していると言うのは出会いの初手である。といって決して奇抜なわけではなく、着想のオリジナリティを感じさせる。確かに「風船」だけでメルヘン的ではあり、素材のイメージに拠る部分もあるのだが、良質なオリジナリティを読む思いである。

                      中七の「・・をりぬ」で間を置いて披講すると好いのであろう。「風船」が、そのままに探し当てた道のような句意となる。続けて一気に読んでしまっては、味気無いと愚考する。





                      【執筆者紹介】

                      • 網野月を(あみの・つきを)
                      1960年与野市生まれ。

                      1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

                      成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

                      2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

                      現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。




                      (「朝日俳壇」の記事閲覧は有料コンテンツとなります。)



                      第71 号 (2014.05.23 .) あとがき

                      北川美美

                      71号をお届けします。

                      作品では、ふけとしこさん、小津夜景さん。そして陽美保子さんより『俳句新空間』掲載の麒麟句に関しての評(転載)、網野月をさんより「時壇」が届きました。また筑紫相談役の「blog俳句空間の歴史」という壮大なタイトルの記事が。後半から関わっているだけに感心の眼で読ませていただきました。

                      おそらく当サイトの読者はある程度の定期購読者と思われるのですが、元々、どうやってこのサイトに辿りついた、あるいはお知りになったのか、今もって不思議です。 このサイトのBloggerの機能に参照元サイトの分析がある程度出るのですが、詩客から飛んでこられる読者を100とすると、Google と Yahooの検索から入って来られる方がそれぞれ、その倍の200というような分析データが出ています。 またデータソースの統計では、読者が独自にGoogle・Yahoo で <俳句空間><戦後俳句>と検索wordを入力されて辿りついているというデータまで出ています。(みなさんお気に入り機能というのは活用していないのですね、私もですが。)以前はツイッター、facebookからの閲覧読者の数字もありましたが、現在は統計結果に上がっていない状況です。

                      ということは、身内のようで身内ではない方々。ようするに執筆者の縁故者ではなく、ある程度は当ブログをご存じで、且つ純然たるお客様の読者の方が多いのではないか・・・という感触があるのですが。

                      また、実際にGoogle・Yahoo の検索サーチで<俳句空間><戦後俳句>と入力すると当ブログがトップに出ます。 しかし、一般の俳句にごくごく興味があるだけの人が例えば、<俳句><ブログ>という言葉を入れると、個人ブログでアクセスの高い、夏石番矢さんそして、金原まさ子さんのブログが出ます。<俳句><サイト>と入れると、なるほどNHK短歌/NHK俳句がトップに出てきます。面白いほど真っ当な検索結果です。

                      私が俳句をはじめたころは、インターネットでの俳句サイトに何があるのかというのは検索してもめぐり会うことはできず、人に薦められて、『増殖する歳時記』を閲覧していました。やはり当ブログも人づてで閲覧されている読者の方が多いのでしょうか。

                      作品連載をご寄稿いただいている小津夜景さんは、<河原枇杷夫>と検索したら『豈weeklyに辿り着き、その後、『週刊俳句』に、そして摂津幸彦記念賞に応募してみたいと思う気になったということを伺いました。 

                      まさに「考えるヒット」(@近田春夫)を考えなければなりません・・・。






                      筑紫磐井

                      ○5月12日に本井英氏のもとで雑談、話がこもろ・日盛俳句祭に及び、細目が決まったと紹介を受けた。

                      俳句の林間学校 「第6回 こもろ・日盛俳句祭」が開催日 平成26年8月1日(金)・2日(土)・3日(日)の3日間開かれる。

                      http://www.city.komoro.lg.jp/news-institution/2014041800039/

                      ①句会(120分、5句出句、5句選句で開催します)

                      「嘱目句」「当季雑詠」も可(兼題8月1日「青胡桃」、8月2日「土用」、8月3日 「金魚」)。

                      ②イベント

                      講演会 8月1日(1日目)16:00~

                      講師 矢島渚男先生 演題 「虚子のことなど」

                      シンポジウム 8月2日(2日目)16:00~

                      テーマ「字あまり・字足らず」詳細については、決定次第お知らせします。

                      懇親会
                      1日目、2日目 18:00~
                      最終日 「さよならパーティー」 18:00~

                      ○宮沢賢治生誕祭全国俳句大会(花巻市、市教委後援、岩手日日新聞社など協賛)の実行委員会(大畑善昭委員長)は、花巻出身の童話作家宮沢賢治が誕生した8月に毎年開催しており、参加を広く呼び掛けている。今回(第22回)大会は、8月27日に同市大通りのホテルグランシェール花巻で開催する。事前に受け付ける応募句と、会場で受け付ける当日句の2部門で行う。

                       応募句は未発表の当季雑詠2句1組で1人につき何組でも受け付ける。投句料は1組1000円。選者は筑紫磐井、高野ムツオ、小原啄葉、太田土男、白濱一羊、小菅白藤、高橋秋郊、大畑善昭の8氏。優秀作に大会賞、選者賞などを贈る。

                       当日句は、大会当日午前11時まで受け付ける。当季雑詠2句で、投句料は1000円。筑紫、太田、白濱、小菅、高橋、大畑の6氏が選者を務め、大会賞などを贈る。

                       また、当日は季刊誌「豈(あに)」代表の筑紫氏が「俳句もいろいろ」と題して記念講演する。

                       応募句の締め切りは6月20日。詳細は大会事務局の浅沼さん=0198(24)2653=へ。

                      http://www.city.hanamaki.iwate.jp/shimin/176/181/p004962_d/fil/kenjihaiku.pdf

                      【俳句時評】 BLOG俳句空間の歴史 / 筑紫磐井


                      必要があって「―俳句空間―豈weekly」の記事をさがして眺めてみると、現在でも毎日結構なアクセス数が出ている(「BLOG俳句空間」と違って、「―俳句空間―豈weekly」は毎日のアクセス件数が示されるのだ)。何で今もって閲覧されているのかよくわからないが、よく続いてきたものだと感心する。そこで、北川さんに過去の「―俳句空間―豈weekly」へのリンクをしてみたらと勧めてみたら早速に対応してくれた。

                      これで、現在右の欄でリンクしているいくつかがBLOG俳句空間の歴史がつづられることになるので、すこしそれらを紹介することとしよう。

                      (1)「―俳句空間―豈weekly」(第0号(創刊準備号)2008年8月15日~第100号2010年7月18日発行) 高山れおな・中村安伸

                      (2)「俳句樹」(第0号(創刊準備号)2010年9月10日~第8号2011年1月18日発行) 中村安伸・宮崎斗士・筑紫磐井

                      (3)「旧詩歌梁山泊」代表森川雅美(実行委員に詩人・歌人・俳人が参加)

                      1)旧詩歌梁山泊~三詩型交流企画Shiika Ryozanpaku(2010年10月8日開設) 
                      2)旧詩歌梁山泊~三詩型交流企画 東日本大震災 被災者応援サイト(2011年3月24日~4月13日)・「東日本大震災復興支援俳句コンクール」を募集4月24日) 

                      (4)「詩客 SHIKAKU - 詩歌梁山泊~三詩型交流企画公式サイト」(第0号(創刊準備号)2011年04月21日~現在継続中) 代表森川雅美(同上)

                      (5)「-blog 俳句空間- 戦後俳句を読む」(2012年12月28日~現在継続中)北川美美・筑紫磐井

                      これだけ綿々と続いているのだ。「週刊俳句」と違い、「豈weekly」の歴史は興廃の歴史と言えようか。もともとこうしたウエブの類は、2年が賞味期限ではないかという気がしてならない。雑誌でいえば100号、10年である(明治の「明星」がそうだった)。あとは何か変質させることによって当初と狙いを変えてゆくしか鮮度を保つ方法はない。

                      「―俳句空間―豈weekly」で高山れおなが、100号までと叫んだことから、「―俳句空間―豈weekly」は100号で終ったが、この考え方はそんな間違ってはいなかったように思う。

                      「俳句樹」はあっという間に終ってしまった(今もっていつ終ったのか分らない)が、それがウエッブの常態であろうと思う。

                      「詩歌梁山泊」と「詩客」はこの間発生した様々なサイトとその関係が当事者でも分らないぐらいぐちゃぐちゃであるし、それが(まだ終っていないのだが)「-blog 俳句空間-」(短歌の法はまた別のウエッブサイトがあるのだが)といつどのように分かれたのかこれまた分りづらい。当事者ですら、いろいろな固有名詞とともに起きた事件はもう記憶の隅で朦朧としている。

                      現状では、「-blog 俳句空間-」が更新される一方、その記事が「詩客」にリンクされ、また「詩客」の独自の記事に「-blog 俳句空間-」の執筆者が参加するなど、悪い関係ではない。

                      個人的評価をさせてもらえれば、「詩客」の実行委員をしているときから現在のような形が理想と考えていたから、何ら悪いとは思わないのである。三詩型に交流ということは言うは易く行うは難いことであり、関心を持たないジャンルに関心を持てといっても不可能なのである。ジャンル相互の関係はまったくないわけではないが、自然とそれらが進む状況を待つのが最適だと考えている。従って現状は悪くはない、三詩型交流の無理のない姿だと思う。そしてそれの証拠に、「詩客」は3年間のアクセスが300万件を越しており、多分詩歌系のウエブサイトとしては最大のアクセス数となっていると思う。

                      このウエッブサイトの特色は、「―俳句空間―豈weekly」は『新撰21』『超新撰21』という若手セレクションを刊行したことであり、「-blog 俳句空間- 」では「俳句新空間」という雑誌を刊行し始めたことである(「俳句新空間」の特色は、ブログに参加している原則全員が雑誌に参加している・参加出来ることである。従来の雑誌が選ばれた人達の雑誌であるとすれば、この雑誌は直接民主主義かも知れない)。こうしたネット環境と活字文化をどのような形でまとめるかは答えのない挑戦である。しかし誰かがやってみないといけないことであり、一つの提案であると思う。

                      BLOG俳句空間の歴史に関心を持っていただけた方々のために、参考文献を掲げておく。ご覧頂ければ有難い。



                      【参考歴史資料】

                      ★「―俳句空間―豈weekly」創刊の回想及び『新撰21』などの経緯

                      あとがき(第100号) 高山れおな・中村安伸


                      回想の『新撰21』――――いかにしてアンソロジーは生まれるか・・・筑紫磐井


                      『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会(1)・・・「週刊俳句」より


                      『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会(2)・・・「週刊俳句」より



                      『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会(3)・・・「週刊俳句」より



                      ★俳句樹・創刊の辞

                      「俳句樹」の発足に当たって考えたこと・・・「豈」発行人 筑紫磐井



                      立ち上がる、立ち上げる。・・・宮崎斗士



                      「俳句樹」に寄せて・・・中村安伸



                      ★詩歌梁山泊~三詩型交流企画

                      旧詩歌梁山泊~三詩型交流企画トップページ(森川雅美)



                      東日本大震災 被災者応援サイト



                      「詩客 SHIKAKU - 詩歌梁山泊~三詩型交流企画公式サイト」


                      変化のとき~「詩歌梁山泊」をはじめるにあたり・・・森川雅美



                      ★「-blog 俳句空間- 戦後俳句を読む」

                      「戦後俳句を読む」のブログ化にあたって/筑紫磐井


                      「-BLOG俳句空間- 戦後俳句を読む」の創刊にあたって/筑紫磐井




                      【俳句新空間No.1を読む】  『俳句新空間No.1』を読む(転載)/陽美保子


                      良き人と書いてあるなり鳴雪忌    西村麒麟
                      (『俳句新空間』No.1)

                       鳴雪忌は、内藤鳴雪の忌日で二月二十日。鳴雪の俳句は、〈初冬の竹緑なり詩仙堂〉、〈只頼む湯婆一つの寒さかな〉くらいは知っているが、それほど人口に膾炙しているというわけでもない。子規に俳句を学んだというが、俳句より江戸俳諧の研究の方が知られている。どんな人だったのだろうと調べてみると、「良き人」と書いてある。その単純明快な記述が、いかにも温厚実直な人柄を思わせて好ましい。この言葉を、これまた素直に受け取った作者のお人柄も一句に滲み出ていて、思わず顔がほころぶ。

                      水鉄砲最新式でありにけり      麒麟

                       最新式とはどんな仕掛けのある水鉄砲なのだろうと想像が膨らむ。また、その水鉄砲にやられて、「参った、参った」と言っているお父さんなども想像され、楽しい一句である。まったく説明しないことにより、読者の想像力が刺激され、一句が大きくなる好例だ。

                       〈雑に蒔く事の楽しき花の種〉〈鉄斎の春の屏風に住み着かん〉〈いただけるならもう少し冬休〉など自在。

                       (以上「泉」5月号より転載)

                      2014年5月16日金曜日

                      第70号 2014年05月16 日発行

                      作品
                      現代風狂帖
                      •  小津夜景作品 No.23
                         まれびとを待ちながら      小津夜景   ≫読む

                      • 竹岡一郎作品 No.15(短歌)
                      疲労の歌3    竹岡一郎       》読む




                      ●鑑賞・書評・評論・エッセイ 

                      【戦後俳句を読む】
                      • 小澤實一句鑑賞2
                      ……池田瑠那  》読む
                      • 我が時代――戦後俳句の私的風景[新連載]
                      ……筑紫磐井   ≫読む

                      • 「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ
                      (続・8、川崎展宏)
                      ……大井恒行  》読む

                      • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 98.
                      ……北川美美   》読む

                      【現代俳句を読む】


                      西村麒麟句集『鶉』 第5回田中裕明賞
                      • 特集<西村麒麟第一句集『鶉』を読む> 13

                      • 『鶉』二十句について  ・・・・・・西村麒麟  》読む
                      • <俳句時評>「俳壇抄」の終刊から 
                      ……筑紫磐井   ≫読む

                      • <朝日俳壇鑑賞> 時壇 ~登頂回望 その十五~




                      ●前号より継続掲載





                      • <俳句時評> 「攝津幸彦」を共有しない 

                      • ……外山一機   ≫読む





                      • 小特集<「俳句新空間No.1」を読む>6


                      • 平成二十六年新春帖を読む  ・・・・・・小澤麻結  》読む






                      • <俳句評> 新宿俳句泥棒日記(「詩客」より)
                      ……カニエ・ナハ   》読む

                      • <俳句評> 「クプラス」創刊号について(「詩客」より)
                      ……田村 元   》読む
                      • <俳句評> 型破りまでの正しいストレッチ(「詩客」より)
                      ……そらしといろ   》読む




                      大井恒行の日日彼是       ≫読む
                      読んでなるほど!詩歌・芸術のよもやま話。どんどんどんと更新中!!


                      412日更新:筑紫磐井『我が時代』         》読む
                      4月30日更新:仁平勝『路地裏の散歩者ー俳人攝津幸彦』 》読む 


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