2014年3月14日金曜日

【俳句時評】 「Ku+」と第4回芝不器男俳句新人賞 / 筑紫磐井

【Ku+】

俳句同人誌?「Ku+」(クプラス)がようやく刊行された。

140頁の大冊であり、おめでたい限りである。

まだ、出てからあまり時間がないので、さっと眺めた感じを書いてみよう。

直球で一番面白かったのは、高山れおなのインタビューする鈴木明の談話だった。その句集『白』『〇一一年一月』は私も前から面白いと思っていたが、今の時代に迎合してはいない句集だから、最先端をゆくであろう「Ku+」の第1号企画としては異質ではないかと思ったが、しかし読んでみて一番骨があって面白かった。戦後、最も売れっ子となった俳人でありながらすっかり忘却の淵に沈んだ才人楠本憲吉という人の弟子であり、その主宰誌「野の会」も地味なように思われているが、かえって時代の風が止まったところにこそ戦後俳句の本質があるように思われたのである。

一方、「Ku+」第1号の中心企画である「いい俳句。」は、多くの俳人にアンケートを出し、それを踏まえて上田信治・阪西敦子・佐藤文香・関悦史・谷雄介・依光陽子が座談会をやっているのだが、正直私は「いい俳句」という企画の問題意識にあまり共感が湧かなかった。同様の人は何人かいたようで、特に、石田郷子は「いい俳句、というコトバをみただけで、何か恐怖を覚えました」と言っているが、この魂に触れるような言葉が見過ごされて、コメントの一つとして遇されているのはいかがなものであろうか。この種のアンケートは、アンケートの1つ1つの回答に様々なヒントが込められているはずで、数値処理できるものではあるまい。その意味では数値に基づく傾向性で議論されている点が問題意識を異にする人を引き込まない理由ではないかと思った。

むしろ私は別の関心があった。それは、これらの若い作家たちの関心に似た関心を持っているのが、「円錐」「鬣」などの雑誌による作家たちであるような気がしたのである。逆に、中村草田男、加藤楸邨、金子兜太、飯田龍太であったら全然別の反応(ネガティブな反応)であったと思うものが、これらの作家たちには表面的には共感されているようなのが面白かった。

①今泉康弘
「言葉を「写生」の道具だと見做すことは一種の錯覚である。重要なのは、言葉をいかに組み合わせるかによって、いかに美を生み出すか、ということだ。それは一方で、常に新しい美を求めることであり、また一方で、言葉の持つ歴史をふまえることでもある。それゆえ、様々な文化・芸術を本歌取りとしてふまえ、かつ、それを斬新に組み合わせてみせるものを「いい句」の一つとして推奨したい。

②澤好摩
「一句を構成する主たる言葉の働きが、単なる情報や報告に陥ることなく、緊密かつ明晰な構造により、虚実いずれにおける世界にせよ、ありありとその存在を感じさせる句。」

③外山一機
「意識的であれ無意識的であれ、俳句形式の居心地の良さを自覚しながら、そして以後ことがよいということがいかなる事態であるのかを自覚しながら、それでも自分の作品を「俳句」と呼ぶことを是とする自分の精神に準じようとして書かれたような俳句。また、その句を前にしたときに、自分があるいは俳句形式によって書かされてしまった(読まされてしまった)のではないかという周知と喜びを感じるような俳句。」

④林桂
「問題は逆に「いい俳句」がふえて散在することで、「いい俳句」の共通項が括り出せなくなっていることではありませんか。ネットを含め、それぞれのコミュニティで、「いいね」とコメントすれば、「いい俳句」が成立したかのような状況が問題かもしれません。虚子のような独占的権威は必要ありませんが、我々の眼を洗ってくれるような、俳句史を自分の美学に結んで提示する「目利き」は必要だと思っています。共通項を括り出す作業です。塚本邦雄、吉岡実、高柳重信などの「読む力」に学ぶことは多かったように思います」

⑤山田耕司
「模範とは「うわ、立派だなぁ」と仰ぎ見させるものだとして、「これなら自分でもやってみたい」と人を唆すものを典型とよぶことにしようか。私にとっての「いい俳句」とは、模範よりも、典型。骨はありつつ、スキマもある。お手本をなぞるのとお手本に惚れるのとの差もここにあるのだろう。ともあれ、人をそそのかす典型とは、未知やら未来やら何やら名づけがたいところやらに、その身をはみだしているのである。」


本当は川名大氏の俳句表現史論をうかがってみたらもっと面白かったと思うのだが、なぜか、アンケートを出し忘れたか、回答が返ってこなかったかで漏れているようである。この問題に最も的確な答を提供してくれるのは、私や石田氏ではなく、川名氏であろう。

次の企画は、「番矢と櫂」。長谷川櫂と夏石番矢の二人を組み合わせて悪いというのではないし、小川軽舟の『現代俳句の海図』がことさら夏石番矢を外していたのはおかしいと思っていたからここに登場するのは分からなくはないが、「現時点」においてこの二人を組み合わせる特集は何か奇異な感じがした。そういえばかつて愛媛県が創設した「21世紀えひめ俳句賞」(2002年)で長谷川櫂(中村草田男賞)と夏石番矢(河東碧梧桐賞)が受賞したのだが、その時有馬朗人と金子兜太が伝統派の長谷川櫂と前衛の夏石番矢でちょうどいいと言っていたのを思い出して、今回の編集者が21世紀初頭の有馬氏と金子氏と同じ意識を持っていることに深く感動したのであった。




【第4回芝不器男俳句新人賞】


 雑誌を読んだ翌日は、第4回芝不器男俳句新人賞の最終選考が行われた。結果は次の通りである。

芝不器男俳句新人賞:曽根毅 
同奨励賞 
大石悦子奨励賞:西村麒麟
城戸朱里奨励賞:表健太郎
齋藤愼爾奨励賞:庄田宏文 
対馬康子奨励賞:高坂明良
坪内稔典奨励賞:原田浩佑
同特別賞:稲田進一 

今回は99編の作品から予選で選ばれた34作品を対象に、5人の選者による公開討論(司会:西村我尼吾参与)が行われ、予定の時間を超過して激論が交わされて決定した。

まず、各選者による34作品全編のコメントが提出され、休憩をはさんで各選者による3編の推薦があり、大石、城戸、齋藤によって推薦された曽根作品を中心に議論が行われた。曽根作品に賛意を表さなかった、坪内、対馬から批判が行われた。特に、大石からは迫力がある上に、冒頭の直接的な原発事故を詠んだ11句とそれ以降の直接的でない俳句の対比が効果的であるという意見があり、城戸も日常性の中の亀裂が見えていると賞賛があった。これに対し、坪内からはマイクロシーベルトやセシウムの生な用語が説明でしかない、後半の作品も氏をテーマとしているようだが現実を超えてないと批判があった。

そこで、曽根作品以外を最終候補として推薦する意見を求めたところ坪内の原田作品、対馬の高坂作品のほかに、齋藤の庄田作品が推薦されたがこれらを最終受賞作品として推す意見は出ず、膠着状態に陥った。司会の西村参与からは「第1回新人賞の冨田拓也を超える作品でなければ授賞する意味はない」と過激な発言があり、最終的には今回受賞作なしとするか、曽根作品を受賞作とするか2つに1つの選択を迫るための採決を取ることとし、曽根作品を新人賞とすることに、大石、城戸、齋藤、対馬が賛成したので新人賞は曽根作品と決定した。


 奨励賞はそれぞれの選者の推薦により決定、特別賞は西村参与が予選非通過作品から1編を推して決定した。


 行き当たりばったりのやりとりもあり、なかなかスリリングなプロセスであった。ただし、各賞が決定した段階では各選者も疲労困憊の風情であった。その後ただちに表彰式があり、出席していた西村麒麟氏と高坂明良氏に表彰状などがわたされ、私からもお祝いを申し上げた。



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※俳句雑誌「クプラス」購入方法


※下記は全て 「芝不器男俳句新人賞公式サイト」にリンクしています。

第四回選考結果 

芝不器男俳句新人賞:曽根毅  (作品No.33)
同奨励賞 
大石悦子奨励賞:西村麒麟 (作品No.42)
城戸朱里奨励賞:表健太郎 (作品No.36)
齋藤愼爾奨励賞:庄田宏文 (作品No.52)
対馬康子奨励賞:高坂明良 (作品No.72)
坪内稔典奨励賞:原田浩佑 (作品No.48)
同特別賞:稲田進一 (作品No.10)


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