2014年1月10日金曜日

赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

蒼白いにぎわいのあと綱取りの明るい海 『虚像』

綱取りと言えば横綱を目指す関取を思い浮かべるが、もちろんここではその意味ではない。舫い綱を取ると言うことであろう。ただ筆者は船や港について詳しくないので「綱取り」という特別の作業があるのか、単に舫い綱を外したり、或いは接岸するときに船から岸へ投げられた舫い綱を取るという行為を指すだけなのかは知らない。インターネットのあるサイトでは綱取り(接岸、荷の積み降ろし、離岸作業)とあったので接岸、離岸いずれにも用いられる言葉らしい。

「蒼白いにぎわい」とは船が到着、もしくは出港する時の賑わいのことだろう。船の種類については、賑わいというからにはある程度の乗客が乗った客船と思われる。ただ矢張りここで船が着いたのか出て行くのかはっきりさせないと景が見えにくい。船の到着の際の船内や岸の騒ぎが収まった後では舫い綱はすでにビットと呼ばれる係留のための支柱に巻き付けられているだろうから、もしにぎわいの「あと」綱取りが行われたのならそれは船が出てゆく時ということになる。ひとしきり船上と岸の人々のやり取りがあって(にぎわい)船が岸を離れたあと舫い綱が船に取り込まれる光景なのだろう。

この句の眼目は喧騒を「蒼白い」と表現したこと、それと対比するようにその後の海を「明るい」と表現したことだ。蒼白いというのも決して暗い色ではない。ならば明るいかと言われるとそれも違う。この場合句の前と後に対比するように置かれた二つの形容詞「蒼白い」と「明るい」は同じ方を向いていては効果が半減するのだ。なぜ賑わいが「蒼白い」のか、そこには別れがあり航海への不安があるからかもしれない。航海には希望もあるのではないかと反論されそうだ。しかし賑わいは岸でのこと、綱取りは船上でのこと。従って「蒼白い」のは岸に残された人や港の様子。「明るい」のは船上やこれから航海する海の様子ということになる。航海に希望があるとしてもそれは船上のことになるので「蒼白い」のはやはり残された側の不安を反映するとしか考えられない。


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