2013年8月30日金曜日

第35号 2013年8月30日発行

【俳句作品】

  • 平成二十五年 夏興帖 第七
……近恵, 小久保佳世子  ≫読む

  • 平成二十五年 夏興帖 番外篇
……北川美美  ≫読む  

【戦後俳句を読む】

  • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む11~年中行事その⑥~】
……筑紫磐井   ≫読む   


【現代俳句を読む】


  • 【俳句時評】僕たちのもう怖くない「加藤郁乎」について
……外山一機   ≫読む new!!

  • 【俳句時評】 「鷹」の8・9月号を読む
……筑紫磐井   ≫読む new!!

  • 【俳句時評】「かつて難解いま題詠のホークス遊び」(渡辺隆夫)
……湊圭史   ≫読む


【俳句時評】平成二十五年 こもろ日盛俳句祭 参加録3  
……北川美美   ≫読む     new!!


  • 【俳句時評】 『二十四節気論争』(追加)
……筑紫磐井 ≫読む 


【編集後記】

      あとがき   ≫読む   


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  • 「虚子研究余滴の会」の開催

……筑紫磐井   ≫読む  

  • 緊急告知!!第4回芝不器男俳句新人賞 作品募集について 
  •                               ……西村我尼吾   ≫読む 


  • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
  • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」無事終了いたしました。ありがとうございました。

    



※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。


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第35 号 (2013.08.30 .) あとがき

北川美美

「夏興帖」いよいよ第七まで来ました、平成二十五年夏興帖は今号が最終となると思います。近恵さんは今年の現代俳句協会新人賞を受賞されますます今後の作品に期待が高まります。受賞者というのはやはりどんなに作品数が増えても作品が萎えない強さを持っていると思いました。小久保佳世子さんは、かの金原まさ子さんのブログを管理していらっしゃる「街」でご活躍の横濱の方です。「アロハシャツ」の句は古き横濱の風景が浮んできます。「訳」という題で作句されたと伺っています。

「こもろ日盛俳句祭」での吟行句を夏興帖番外として掲載しました。兼題「登山」「青林檎」は相当難しい気がします。実際の日盛句会でも兼題よりも嘱目が多かったと思います。そして伝統的手法の投句が多かったように思います。「参加録3」では実際の日盛句会に出た句などを含め書いてみました。手元のノートによる写しなので何か間違い等ありましたら御一報ください。

俳句時評では外山さんが加藤郁乎について触れています。もともと外山さんは加藤郁乎論を書かれていて得意中のテーマではないでしょうか。筑紫相談役の【「鷹」を読む】でも加藤郁乎に触れています。

そういえば、大井顧問のブログで外山さんに会ったことが出ていました。


もう次号は9月です。同じく大井顧問のブログに「秋暑」という言葉が出ていました。ええ、本日とても暑いです。

詩歌といえばやはり秋。しいかしいかと虫の声・・・。

また次号もつづきます。乞う御期待。




筑紫磐井

○編集後記を書いたのだが、いつの間にか気分が乗って時評となってしまったので「現代俳句を読む」に昇格させ、「「鷹」の8・9月号を読む」としてしまった。と言うことで今回は編集後記はお休み。夏休み。



平成二十五年 こもろ日盛俳句祭 参加録3 /  北川美美

初参加の「こもろ日盛俳句祭」。小諸へ行くことも初めてである。盛りだくさんの句会メニューと町興しを思うイベントに「祭」の期待が高くなる。小諸に到着すると、観光名所に「こもろ日盛俳句祭」の紫の幟がはためき、歓迎されている予感あり。ネームタグに「日盛俳句祭」のロゴが入ったものを首から下げた御蔭で各所アットホームに接していただき、小諸の街の人達に好印象を持った。そしてこの俳号の書かれたネームタグは吟行途中で参加者同士がすれ違って見知らぬ参加者同士が会釈できるような交流面にも役立ったのである。

さて小諸。島崎藤村、高浜虚子、山頭火などが滞在、文豪を誇る文化・教育水準の高い地域であることを感じた。俳句の聖地といわれる「松山」に継ぎ「小諸」も俳句イベントに恰好の場所であることを思った。懐古園(小諸城址)を散策し、島崎藤村の「千曲川旅情」の冒頭「小諸なる古城のほとり」の歌の通り、千曲川を臨めるビューポイントに立ったとき千曲川が本当に曲りくねっていることに感動した。そして虚子旧居「虚子庵」はまさに「庵」として風情と趣があり、ここで、岸本尚毅氏、小川軽舟氏らと句会ができたら、確かに感慨深いと妙に納得するのだった。また「真楽寺」という小諸と軽井沢の中間地点にあるひっそりとした寺も信仰と歴史の重みのある吟行地としては相応しいところだった。




イベントメニュー選択に「初心者講座」があったのだが句会を優先してしまったため出席できなかったことがちょっと後悔である。冷やかし参加ではなく、自己学習のみという環境であるため、そのような実作の講座を受けたことがない。聴くところによると参加者が極端に少なかったということである。今更ながら実作講座に興味が湧いてきた。

今年はシンポジウムに宮坂静生氏が登壇されることもあって長野県が本拠地の「岳」(宮坂静生主宰)、そして小諸に支部があるという「鷹」からの参加者の方が多かったようだ(高柳氏のブログによると「鷹」参加者は196名の参加者で賑ったようだ。)俳句熟練の参加者であったように思う。

前週に「気仙沼・海の俳句全国大会」というイベントが開催(週刊俳句に詳細掲載中)lされ、佐久が本拠地の「里」が能登吟行と重なったりして、集客の奪い合いとなる8月のイベント日程である。

さて、このイベントの核となっている「句会」であるが、なんといっても、俳句総合誌でよく拝見する俳句作家の方々を交えての句会がイベントの目玉だろう。「スタッフ俳人」というタイトルがついている。そのような著名な先生方が句会でどのようなお話をされるのか、吟行で同じ風景をみてどのような句を創られるのか、大いに期待大!である。茨木和生、宮坂静生、櫂未知子、中西夕紀、小川軽舟、高柳克弘、山西雅子、奥坂まや、藺草慶子、対馬康子・・・筑紫磐井、本井英…オールスターである。登壇だけの先生もおられるが、おそらく角川の俳句総合誌「俳句」に参加された方の写真が掲載されるだろう。乞う御期待である。

今回私が二回参加した句会に二回偶然に当った「スタッフ俳人」とは、かの「鷹」編集長の高柳克弘氏である。部屋の割り当ては句会直前に参加スタッフ間のジャンケンで決めるらしい。高柳克弘氏のつつがない句会進行役に感心しきりであった。ちょっとした説明も穏やかであり相当な場数を踏んでいる印象である。

今更ながらプリンス高柳氏のプロフィールを『新撰21』で拝見したところ、1980年生まれ。藤田湘子に直接指導を受けている。「俳句甲子園」の出身者ではないようだ。結社という社会で鍛えられた別世代とのコミュニケーション能力がある印象を受けた。学生の延長線にいない雰囲気がある。(年齢計算すると34歳であり年齢相当の落ち着きといえばそうなのかもしれない。)「高柳」という名前は御本名かもしれないが、伊達に「高柳」ではない、という印象だった。きっと彼はこの世界でプリンスでありつづけ更に成長するのだろう。そう確信したのである。そういうナマの俳句作家に直接触れることができるというのがこのイベントの特色かもしれない。

*** ***

さて実際の句会。一回目の句会での私の部屋は、岸本尚毅、高柳克弘、相子智恵、中田尚子の各氏がスタッフとして担当された。会場は30人ほどで満席であり、末席にかろうじて入れていただけた盛況ぶりである。30人で5句出句は時間的ロスが多いようにも思えた。三句くらいが妥当という印象である。5句選だったように思うが、30人の選句の披講、そして特選一句の弁を参加者全員に述べるだけで相当な時間がかかる。イベント性のある句会進行はなかなか難しいというのが感想。

個人的には岸本尚毅氏と同じ教室で投句がシャッフルされることに興奮を覚える。講評での岸本尚毅氏の話に大いに頷き、流石に岸本尚毅だわ!と感心。岸本氏の本を何冊か購入しているが、(『生き方としての俳句』『高濱虚子 俳句の力』どちらも三省堂)文章同様、講評もわかりやすく説得力がある。俳句に向き合ってきた時間とその密度がずっと濃いということが伝わってくる。岸本氏は私よりやや年長だが、俳句上ではお父さんのように感じる。質問をしても、質問自体を卑下せず、わかりやすく答えていただけそうな印象があるからかもしれない。岸本氏が私にお父さん呼ばわりされる筋合いは全くないのだが。

岸本氏の講評は具体的な実作の意見を述べられ、せっかく小諸まで行った甲斐があるという具合だ。具体的にいうと、

黒雲の生れてあめんぼ荒々し  アベモエコ(御名前漢字表記不明)

という句を岸本氏が選句され、「黒き雲生れ」というように文語を避ける表記にしてみる手もある、という他の選択肢の意見を述べられる。

別の参加者からの別の質問に答えていらしたのは、「<時候と食べ物>の組み合わせは相性がよいようです。」という実作のヒントも惜しみなく述べられる。なるほどと、と思う。

しかし、<時候と食べ物>の組み合わせについての例句となるものを探したがそう簡単に出てこない。食べ物が季語になる可能性が高いからだろうか。

夏の夜や崩れて明けし冷し物 芭蕉 
短夜や胃の腑に飯の残りたる 正岡子規 
水無月の魚に塩を効かせけり 鈴木真砂女 
暮れなずむ夏至ビフテキの血を流す 松崎鉄之助 
オン・ザ・ロック白夜てふ刻(とき)ゆるやか  いとうゆふ


上記が探してみた、<時候と食べ物(食料、飲料)>の句である。二十四節気題詠句で実際に作句してみたいと思案中である。



「スタッフ」の皆様の投句をいくつか。

砂かぶる松ぼっくりや蟻地獄 岸本尚毅 
ウエルテルは早足ならん蟻地獄 高柳克弘 
涼しさや鳴きゐる鳥の名を知らず 中田尚子

相子智恵氏の特選句が岸本氏の句であった。

細く濃きこの片蔭をひとりずつ 岸本尚毅

吟行句と思えるが、「この片蔭」の「この」に臨場感が出ているという相子氏の評であった。さらに岸本氏の投句に下記があった。

虚子翁に八人の子や扇風機 岸本尚毅

虚子は子沢山だ。たまたま落札した句集に『松村禎三句集』(深夜叢書)が手元にある。松村禎三は武満徹、黛敏郎とならぶ日本の作曲家でありその業績は高く評価されている。その句集序文を書いているのが音楽家の池内友次郎であり、それが虚子の次男である。虚子の一族には音楽にすすんだ系統もあるようだ。帰ってきてからも岸本氏の俳句を基になんとなく高濱家について検索してみたりして興味を覚えたわけである。


***  ***

三日目に参加した句会会場に当ったのは、高柳克弘、奥坂まや、藺草慶子、本井英の各氏。最終日とあって人数も前日より減り20人ほどの句会であった。イベント句会としてはこのくらいの人数がいいのかなという感想。



谷底へ下る径あり葛の花 藺草慶子 
青林檎高原村の読書会 本井英 
空蝉のごとくスナックの看板 高柳克弘

藺草慶子氏は八田木枯関連で御名前を拝見し鑑賞文を拝読させていただいている。キリッとした美人である。藺草氏の投句は常に死生観を感じるものを出されていて、吟行といえども常にそのような眼で風景を見ることが訓練されていることに流石と学んだ感がある。

そしてイベント・キーマンである本井英氏。ダンディである。ヨットマンかなと眺めていたら、本井氏が主宰する「夏潮」とは逗子が本拠地と知った。裕次郎の街である。やはりダンディである。海の香りがする逗子から高原の小諸へと、「こもろ日盛俳句祭」に対する熱い思いが伝わってくる。逗子と小諸・・・ユーミン的にいえば、「サーフ&スノウ」である。ユーミン以前に文人はもともと海と山を制するのである。本井氏には俳句の「サーフ&スノウ」的なイベント仕掛けを今後も期待したいと思った。

最終日の句会ということで質疑応答などの時間もゆったり取られていたように思う。イベントに関する参加者の声に大いに耳を傾ける本井英氏の姿が印象的であった。


宿で涼んでいる間に小諸市内は地元の夏祭りで賑っていたようだ。そして市内某所では祭の喧騒の中、自主的な句会が遅くまで行われていたようだ。

ガニメデ58号を見ると、

滝になるまへ水重く集ふなり 佐藤文香

    ホッチキス滝はどこまで綴じられる 対馬康子


佐藤氏は昨年の投句をガニメデに収録したようだ。その逆パターンで対馬氏はガニメデ寄稿句と同じものを日盛句会で投句されたようだ。今年投句された句がどこかで活字になることもある。その現場に居合わすことができるというライブ特典のようなものが参加者にある。対馬氏の上掲句の句会での反応については筑紫相談役の参加録にその状況が記されている。

世代、結社を越えて参加できる開かれた俳句の場であることを思い、今後もつづくイベントであることを祈念したい。

朝霧に聳え立つ浅間山、そして城址のほとりの千曲川が曲がりくねる小諸。よい街である。「平成二十五年・こもろ日盛俳句祭」はよい夏の思い出となった。

最後に「小諸市立高濱虚子記念館」の館長ならびにスタッフの皆様には申込時より丁寧にご説明をいただいた。またイベント中も終始参加者に不具合がないか気遣っていただいた。私のネームタグの筆耕は館長直筆のものである。ボランティアとして参加してくださった小諸市内の高校生有志の皆さん、さわやかでした。高校生や大学生がなどの世代を交らせるイベントであるところが面白いのかもしれない。(社会学のゼミナールとして慶応大学の学生数名が運営側で参加されていたようだ。すれ違いでお会いできなかった。残念。)

スタッフの皆様ありがとうございました。



真楽寺 千年杉

【俳句作品】平成二十五年 夏興帖番外 こもろ日盛俳句祭 3


   ※画像をクリックすると大きくなります。

  
                 北川美美

  【題詠】(2日目:「登山」、3日目:「青林檎」)

水の音たよりに歩く登山かな

青林檎そこにも夜がきていたり

  【嘱目】

 〈懐古園にて〉

雲に雲影をしたがう夏の山

夏燕崩れ去るものなつかしき

蟻の兵一列にゆく城址かな

的に矢が当たり炎帝驚かす

炎天をあるいてゆけば山河あり


 〈真楽寺にて〉

山百合の山のしずけさ真楽寺

蟻地獄あらば「砂の女」潜む


 〈虚子庵・御岳神社界隈〉

ある径の或る向日葵と凸面鏡

馬頭観音に大小ダリア立ちて咲く

蓮浮葉それぞれ濡れていたるかな





  第五回 こもろ・日盛俳句祭
◇開催日 平成25年8月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間
◇会場 ベルウィンこもろ
 ・兼題 1日目「雷」 2日目「登山」 3日目「青林檎」

【俳句作品】平成二十五年 夏興帖 第七

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       近恵(「炎環」「豆の木」所属)

滴りの膨れて鈴になるところ
パチンコの玉洗われて八月来
さみしさはキャベツ一枚剥く音に


       小久保佳世子(「街」同人)

半裸ムキムキ選挙結果に怒りゐて
敗戦の日の通訳のアロハシャツ
幽霊の飛び出しさうな冷蔵庫

【俳句時評】 「鷹」の8・9月号を読む/筑紫磐井

「鷹」の8月号、9月号で、竹岡一郎が「攝津幸彦の韜晦」を連載している。8月号では、攝津の「恥ずかしいことだけど、現代俳句は文学でありたい」という言葉を引いて、対照的な恥じらいのない俳句として、虚子・兜太の句をあげる。そして二人の、一見含羞のように見えながら、あまりの大上段で却って含羞のかけらもなくなってしまうという句も例に挙げている。これは笑える。しかし、具体的にどんな句かは「鷹」を見ていただくとしよう。

さらに9月号では、

かくれんぼうのたまごしぐるる暗殺や

の句を挙げて、「深読みをしたいと思わせるのは、この句に流れる憂いである」と言っている。憂愁というのは、人生で成功した実業家にはおよそ理解出来ないものであろうから、竹岡が虚子・兜太と対比したのはもっともなことである。しかしさらに、晩年の加藤郁乎とも対比したのは、俳句に対する信念と同様にある種のそれが間違っていないかの反省が常に片隅に兆している点が郁乎とも決定的に違うからだろう。郁乎は常に正しかったからだ。そうでなければあんなに虚子流、月並流の悪口雑言を言えるわけがない。

         *    *

攝津はその後半生において、常に伝統派の作家に脅かされておりそれをたびたび言明していた。しかし、それは伝統派の現実の作品に脅かされていたのではなくて―――現在見る限り伝統派は逆に攝津の作品に常に脅かされ続けている、それは竹岡がこの論を書いた理由でもあるのだろう―――、「何よりも粘り強く有季定型という約束の中で限られた言葉を駆使し夥しい類想や類型の作品を書き続けることに耐え続けながら表現行為に参加している同世代の俳人がいるだろうと推測するたびに不思議な重圧を感じていた」からなのである。そして、結局、攝津のいだいたこの脅迫心は常に裏切られ続けていたのであった。つまり、何ら恐怖するような作品が伝統派からは生まれなかったのである。龍太、澄雄、汀子を論じた挙げ句、「本当の伝統俳句って俺たちなんだよな」と冗談めかして言った本心はそんなところにあったような気がする。

しかし、そうした脅迫的心情が、ある種の攝津的心情となり、攝津の句に唯一の解を許さないことを保証しているのも間違いない。およそ攝津幸彦の自句自解というものを見たことがない。自句はあっても自解などないからだ(私は、今ちょうど兜太の『金子兜太自選自解99句』を読んだところだ)。攝津の自解なんて、攝津の主宰する結社があるというのと同じくらい滑稽な気がする。だから、こうした心情を憂いといえば、攝津の作品が永遠に深読みを許しているのも納得出来るだろう。

文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む11~年中行事その⑥~】/筑紫磐井

【母の日―5月第2日曜】

※アメリカでアンナ・ジャービスという婦人が亡き母親を偲び、日曜学校で白いカーネーションを贈ることを始め、これが最初の「母の日」となった。この会合が普及し、「母の日」はアメリカの記念日として5月の第2日曜日と定められたという。日本で始まったのは戦後と言うがはっきりしない。
この季語の味噌は何故「日曜」であるか、ということ。ジャービスの母親が熱心なキリスト教徒であり、日曜学校の教師であったため、娘が母を偲ぶ会を日曜学校の後に開いたためである。これを季語として用いるなら、その本意は「日曜学校」にあると思わねばならない。まして5月はマリアの月(聖5月は聖マリアの月)でもあり、マリアの純潔を白い百合が象徴している。だから白いカーネーションこそ母の日の象徴だ。

母の日の花つけられて農婦羞づ 馬酔木年刊句集 菊池明石 
母の日の花つけ(ら脱カ)るる妻を待つ 馬酔木年刊句集 河野柳泉
※母の日のカーネーションは、上の由来からしても白が本来の色である。それがいつの間にか、色のついたカーネーションを生きている母に贈ることになった。

母の日の母なく小さき善をなす 石楠 27・7 井上◆子 
母の日の母無き者等寮へ帰る 俳句 29・8 真那智富助
※母の有無でカーネーションの色が変わる風習は残酷なところもあると我々は思うが、これこそが本来の母の日なのである。我々の日常ではそれが逆転しているから残酷に見えるのだ、奇妙なことだ。そして一度逆転すると、日本独特の常識がまとわりつき日本的、小芝居的なドラマを作るようだ。

母の日の母にして厨出でずあり 俳句研究 25・8 軽部烏頭子 
母の日子を負ふ紐が乳房を十文字 風 25・8 何村馬酔木 
母の日の母に買ひきし蝿たたき ホトトギス 26・10 植村抱芽 
母の日の妻の昼寝や唇ゆるび 馬酔木 27・7 中村金鈴 
母の日のやはり馴れたる厨下駄 曲水 28・7 渡辺晃城 
母の日の母のこまかき柄を選る 青玄 28・9 桂信子 
母の日やなにしても母よろこべり 青玄 28・11 富山よしお 
寝息しづけき母の日の灯を消しにけり 俳句 29・8 宮村美代 
母の日は家に居らむと今日出づる 馬酔木年刊句集 児玉典子 
母の日の母に来し子の耳朶の垢 明日 富永寒四郎

※いかがであろう、ここにいたって母の日の母のディテール淡々とを描いている句が大半である。微妙な感情の揺れを小さな条件を描くことによって感じさせる。こうした小さな世界を描くのが俳句では得意である。その意味ではうってつけの季語が生まれたというべきであろう。

前の2つの季語(文化の日、赤い羽根共同募金)と異なり、文化の衝撃というものは余程少なく思える(実は以上述べたようにやはり大きいのだが)。誰も母を愛する句をよろこばないものはいない(と思う)からだ。5月となったら母の日の句を詠むのが無難である(母の日の句に難解も前衛もありっこないからである)。しかし、文学としてはどうでもいい句がたくさん並んでいる。

考えてみると、上にたくさん掲げた実際の母の日の句は、「母の日」が題というより、「母」が題となっていると言うべきではないか。しかも、なまじ「母の日」と言う共感を持ちやすい熟語にしてしまったために、次のような一句に永遠に及ばない状態を作ってしまったのである。

朝顔や百たび訪はば母死なむ 永田耕衣
母の日を作るくらいなら母の句を作るべきではないか。そうして日本的本意を多少脱却した、――多少足掻いている、母の日の句を眺めてみよう。

母の日の母のほくろよ悪い子です 氷原帯 28・7 浜田陽子
※前の2つの季語(文化の日、赤い羽根共同募金)のように発展する中で次第に詠まれていった露悪的な句というものは「母の日」では少ない。妙な倫理感が働いてしまうからである、そうした句としては上の句ぐらいが限度であろうか。

ところで、これらの話と全く関係ないが、

母の日の来ておとろへし牡丹かな 曲水 21・12 飯塚杏里 
母の日は薔薇の匂ひに明けにけり 曲水 24・9 三宅一正

※どうだろう、母の日に花を配したのだが、ここにいたって「母の日」は5月の上旬という季節感を表すためだけのものになってしまっている。

【俳句時評】 僕たちのもう怖くない「加藤郁乎」について / 外山一機

加藤郁乎句集『了見』(書肆アルス)が刊行された。二〇〇五年から亡くなるまで(二〇一二年)の全句を収録した遺句集である。巻末に付された「編集余禄」によれば、加藤は「句はまとめてある」と遺言し句集の題も「了見」と定めていたという。

 
 ぼんじやりと酒しみわたる蝸牛の忌 
 色里は色かくしてやひとしぐれ 
 さはやかに程よく勃ちてめいりやす 
 しぐるゝや銀座に古書肆あるべかり 
 松に月こゝろないぞへ月の松 
 俳諧は十六むさし父の恩 
 巻を措くわたしは俳句けふの月

 仁平勝は『了見』所収の「しぐるゝや七つ下りの雨女」をとりあげ、江戸時代の洒落を恋の句に仕立てた加藤の手腕を「解説」しているが(「俳句時評」『読売新聞』二〇一三・七・二九夕刊)、「加藤郁乎」についてのこの種の評言によって自らを慰めようと企む目ざとい小心者ははたして僕だけであろうか。

 加藤郁乎は遊び過ぎて、俳句の何も信じていないのである。昔江戸に遊び呆けた俳人がいて、その俳人が愚直に遊びの日々を信じてものにした句集が『江戸櫻』であると、加藤郁乎は偽書をでっちあげてみたのである。(中上健次「文芸時評」『ダ・カーポ』一九八九・七) 
 「滑稽の初心を終生わすれずにいた点、鬼貫は芭蕉をこえている」(滑稽の初心)と看破した加藤郁乎の第11句集『初昔』は現代俳句の異風にして正統である。前句集『江戸櫻』において「当たり前を吐くのが江戸前の俳味である」と俳諧風流の本筋、無用の用、無楽の楽を語ったイクヤワールドの展開を矜持して余すところがない。(大井恒行『図書新聞』一九九八・九)

 こうした世界がやはり『了見』においても揺るぎなく構築されているかのような気がするのは、それが間違いであるかどうかということ以上に、おそろしいことだ。こうした「偏見」は、一方で加藤自身が欲してきたものであるけれども、僕たちもまたそのように読むことで自らを慰撫し続けてきたのではないか。

あらためて思うのは、加藤の作品や営為を「俳諧」という言葉で語ることの不毛さである。それは結局ほとんど何も言っていないのに等しい。高柳重信は「加藤郁乎を評すると、それは古今の俳人の誰とも似ていないということであろう」といい(「編集後記」『俳句研究』一九八三・七)、江里昭彦は加藤を「エイリアン」と呼んだが(「俳句の近代は汲み尽くされたか」『未定』一九九〇・五)、「俳諧」などという評言をもって加藤を語ることは、「エイリアン」の襲来をなんとか自分たちの手持ちの言葉で解釈しようとした彼ら自身の苦悩をそのまま曝すような何とも痛ましい行為ではなかったか。

郁乎には、彼を前衛俳句の一員のごとく見なす誤解が永らくつきまとっていまして、それが誤解であることをこれから説明しますが、でもその誤解のおかげで彼は俳句界に着地できたともいえる。(前掲「俳句の近代は汲み尽くされたか」)

僕は加藤郁乎が「俳諧」や「江戸」という言葉で評されるときその座りのよさのなかに、加藤を「前衛俳句」と評したときのそれとは異質でありながらも、しかし「俳句界に着地」させようとする評者の不用意さを感じるのである。とはいえ、こうした事態がどこか見えにくいのは、「エイリアン」自身が「俳諧」で解釈してくれと言わんばかりの振る舞いをしていたことにある。

 俳句の生みの親とでもいうべき俳諧、その俳諧の根本義である滑稽の風をさしおいて俳句を云々するなど、じつに、いや、実は滑稽というものだろう。極言するまでもなく、どこかがおかしいからこそ「俳」の趣があり、従ってどこもおかしくないような俳句なんか成り立つわけがない。(加藤郁乎「自作ノート」『現代俳句全集』第一巻、立風書房、一九七七)

だが、たとえば『出イクヤ記』以降の加藤について、それがいかにも「Uターンともいうべき、一八〇度の捻り」らしくみえはじめたとき(木村聰雄「連続それとも………」『未定』一九九〇・五)、安堵した俳人がいなかったとは僕には思えない。しかしそれは加藤の作品が提示していたはずの「俳諧」や「江戸」などという言葉では本来いいおおせるはずがないものを、そう呼ぶことで隠蔽してしまっているだけで、結局のところそのような批評など評者と加藤の出来レースに過ぎまい。

 そういえば『豈』(二〇一三・一)が「加藤郁乎は是か非か」なる特集を組んでいたが、ずいぶんと悠長な問いである。僕たちの現在はそのような問いがもたらした正と負の遺産のなかにこそあるのであって、だから、そのような問いが成立したかつてへと思いを及ぼすことの方がよほど重要ではないかと思う。換言すれば、「加藤郁乎」をいかようにも見限れるこの種の問いが成立するまさにそのとき、より具体的に言えば、「加藤郁乎以後などという価値観の神話が本当は何の意味も持たなくなった」(夏石番矢「うたげのあとのよだれ」『未定』一九九〇・五)という認識が持たれるようになったそのときのそれぞれの作家のまなざしの精度と性質について考えることこそが、僕たちにはより切実な問題なのではないだろうか。

 新興俳句運動そのものは、はなはだ雑多な性格を有していたものではあったが、富沢赤黄男を代表とする優れた幾人かの俳人における新興俳句運動に対する認識の中には、俳諧連句の発句の概念(遺制)をもって俳句を規定しようとする、それまで流布されていた俳句観を根本から問い直し、発句とは直結しない新たな俳句への創造と言う方向が、はっきり見据えられていた。高柳重信の戦後の多行表記への試行も、言えば、富沢赤黄男らとのこの試みを、さらに拡大・実践したものということができる。ところが、こと加藤郁乎は、富沢赤黄男・高柳重信が紡ぎ出し、事実、戦前から戦後への俳句を代表するに足る仕事として定立したこの方向に、必ずしも沿ったものとして自らの句業を位置づけてはいないのである。位置づけないというより、それは、むしろ逆の方向と言うべきところから、富沢赤黄男・高柳重信に遭遇する結果になっているのである。(沢好摩「句集『球体感覚』と加藤郁乎」『俳句研究』一九八〇・四)

 僕は、ひとり加藤郁乎の「俳諧」「発句」という言葉を畏怖する。(略)
 加藤が「俳諧」と言い「発句すなわち俳句」と言うとき、それは従来の俳句享受史を経てきていないものであり、加藤の内部で俳句原初の可能性を把握し得た故のものである。芭蕉を経た従来の俳句享受史ではなく、加藤郁乎を経ることによって始まる享受史を、「滑稽」の中に加藤は見据えようとしているのではなかろうか。(林桂「加藤郁乎掌論」『俳句研究』一九七九・七)

『出イクヤ記』以降の加藤が「俳諧」という語をもって論じられることは少なくなかったが、同時代の評言を読んでもその「俳諧」なるものの内実ははっきりしない。というよりもむしろ、いまだ名付けえない何ものかについて、それを「俳諧」の名で呼んでいたようにさえ思われる。思えば、加藤郁乎の「俳諧」が取り沙汰されていたちょうどそのころ、三橋敏雄の「俳諧」もまた彼らにとって重要な問題として見えてきていたのであったが、沢は坪内稔典が三橋敏雄について論じるなかで用いた「俳諧的技法」という言葉について次のように述べていた。

俳句が俳句として成立するためには、いわゆる反俳句的なものとの葛藤をエネルギーとするような地平に立たねばならない。(略)そういう葛藤を持続している時だけ、俳句は新たに更新され、輝く。そのような葛藤が沈潜したあとには、いわゆる俳句的熟成が進み、また、そのぶんだけ俳句の危機がつのってゆく。(略)その作品の熟成ぶりと安定性において、三橋敏雄は結果的に俳諧的技法を内に呼び込んでいる。(「昭和40年代と三橋敏雄Ⅰ」『俳句研究』一九八一・九)

沢はまた「「俳諧的技法」とは或る固有の技法を指し示すことばとして受けとめるのではなく、俳句が今日という時代の詩としての根拠を見出しえないままに書かれる俳句作品をその内側から支えている言語規範の総称として理解する方がいいのではないだろうか」とも書いている(「続・戦後派の功罪」『俳句研究』一九八三・五)。まだなにも見えてきていないことをもってようやく自恃となしえたような彼らの現在にあって「加藤郁乎」や「三橋敏雄」とは重要な問題の謂であったにちがいないが、「加藤郁乎」や「三橋敏雄」を思考するなかで見えてきたものをそれぞれ「俳諧」という名で呼ぶとき、それは名付けえないはずものを名付けていくような危うさをはらんでいたように思う。そうした営為は坪内稔典の『過渡の詩』(牧神社、一九七八)や仁平勝の『詩的ナショナリズム』(富岡書房、一九八六)に見られるような定型論を生み出した営為とも無縁ではない。彼らはあのとき俳句形式の本質的な部分を問うていたのであり、林のいう「畏怖」とはそのように問う者こそが知ることのできるものであったろう。いわばこの「畏怖」は加藤のみならず俳句形式に対する「畏怖」でもあったのだが、不思議なのは、彼らがその「畏怖」を「畏怖」のままに自らのうちに抱え込み続けることができなかったことである。「俳諧」にせよ、坪内の「過渡の詩」や仁平の「幻股」にせよ、彼らは自らの「畏怖」をそのように解釈する言葉を持つことで自らのその後を準備していたようにも思う。あるいは表現行為とはこの種の賭けに身を投じていく行為の謂であるのかもしれない。しかし、そうであればこそ、僕には彼らのこうした言葉がついに何ものをも示していなかったのではないかというおそれと向き合うことで、ようやく彼らの―ひいては僕たち自身の―表現行為への批評の端緒を見出せるように思われるのである。

2013年8月23日金曜日

第34号 2013年8月23日発行

【俳句作品】

  • 平成二十五年 夏興帖 第六
……関悦史  ≫読む

  • 平成二十五年 夏興帖 番外篇
……網野月を  ≫読む


    

【戦後俳句を読む】


  • 上田五千石句の句【テーマ:黒】
……しなだしん   ≫読む


  • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む10~年中行事その⑥~】
……筑紫磐井   ≫読む   


【現代俳句を読む】

  • 【俳句時評】「かつて難解いま題詠のホークス遊び」(渡辺隆夫)
……湊圭史   ≫読む   new!!

  • 平成二十五年 こもろ日盛俳句祭 参加録2  new!!
……網野月を   ≫読む


  • 【俳句時評】 『二十四節気論争』(追加)
……筑紫磐井 ≫読む 


  • 緊急告知!!第4回芝不器男俳句新人賞 作品募集について 
                              ……西村我尼吾   ≫読む 


    【編集後記】

          あとがき   ≫読む  

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    • 「虚子研究余滴の会」の開催/筑紫磐井   ≫読む  new!!


    • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
    • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」無事終了いたしました。ありがとうございました。
         











        ※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。


        ※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
        関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!


        第34 号 (2013.08.23 .) あとがき

        北川美美

        夏興帖に関悦史さん、夏興帖番外として「こもろ日盛俳句祭」での作句を網野月をさん、同じく網野さんにはシンポジウム、句会の様子を御寄稿いただきました。俳句時評は湊圭史さんです。 「戦後俳句を読む」ではしなだしんさん。今号は男性陣で固まった感があります。どうぞご堪能ください。

        そろそろ豈55号が刊行でしょうか。摂津幸彦賞が発表になるのか、待ち遠しいです。ちなみに当サイトで一番アクセスが高いのは「摂津幸彦賞募集」の投稿で現時点790のアクセスがあります。どのような作品群が応募されたのかたいへん興味があります。

        神保町の古本街をたまたま通りました。お盆休みだったため何件かの書店は営業していませんでしたが、『俳人想望』(和田悟朗・沖積舎・平成元年)を入手しました。

         九十五歳のパブロ・カザルスがゆっくりと生涯をふりかえって語る中に、古いバッハの曲を、毎日毎日、日課のように弾き続けたということばのあと、シェーンベルクのように新しい音楽運動にはあまり多くを語りたくないといい、「二十年も経てばあとかたもない」といったのが、きわめて心象的であった。 
         昭和の半世紀には、じつにいろいろの多くのことが起こり、そして、その大半はあとかたもなく消えていった。ぼくば、むかし、残るのが立派だと思ったことがあった。しかし、いま、一方では、残らないものを愛する心を持っている。夥しい昭和俳句の数の中で、消えるために書かれた作品も沢山あったはずだ。それは、カザルスには忘れ去られるものであっただろう。             
        -昭和俳句十句撰‐『俳人想望』和田悟朗

        ふと夏バテの身体と心が解き放たれたような気になりました。「残らないもの」が美しいということがあります。何かを残そうとすると何か不自然な力の入ったものになるのかもしれません。「戦後俳句を読む」という行為は、消えるために書かれた作品の検証なのかもしれない、と思ったのです。

        すでに虫の声が聴こえてきましたが、残暑が続いております。皆様どうぞご自愛くださいませ。


        筑紫磐井

        ○文学の森の俳句雑誌「俳句界」の顧問を務めてきた大井恒行氏が常勤の職を辞した(非常勤の職は残っていると言うことらしい)という。もともと弘栄堂書店の販売を担当していたのだが、澤好摩氏の創刊した「俳句空間」(書肆麒麟版)が5号で行きづまり、これを弘栄堂書店で引き受けたいという話を会社から了承を受けた時から総合雑誌の編集に首を突っこむことになったという。「俳句空間」(弘栄堂書店版)6号から23号までの18冊は伝説の雑誌となって今もって語られている。特に、18号から23号までの6号はかの攝津幸彦が編集委員に加わり、すでに終刊も間近と予想されたから、豈編集部による自由自在な企画がまかり通った記念すべき雑誌となっている。「十七音の遊撃手―輝けマイナーポエット」(18号)、「西東三鬼のいる風景」(19号)、「拡がるネット・いま、同人誌は」(20号)、「俳句はこれでいいのか、悪魔の俳句辞典」(21号)、「俳句の新しい読み方」(22号)、「現代俳句の可能性―戦後生まれの代表作家」(23号)という絶対売れない、しかし読んでみたい特集名が目白押しで並んでいる。

        「俳句空間」終刊後、キヨスク(旧鉄道弘済会)の子会社であった弘栄堂書店吉祥寺店は国鉄改革の流れで早晩そうなると予想された通り閉店することになったが、ちょうどその閉店の日に大井氏も定年を迎えたと聞いている。

        その後、ただ遊んでいてもしょうがないと言うことで、「俳句界」の顧問に就任したが、その後4年たち、ここも辞めることになったらしい。

        「俳句界」と言う雑誌もなかなか一口では言いがたい雑誌であるが、それでも筋の通った企画を見るたびにこれは大井氏の企画だろうと言うことはすぐ分かった。

        また大井氏が情に厚い人であることは、編集部のブログを500回以上にわたり執筆し(要するに91%)、文学の森から出した句集をこまめに紹介していたことからもよく分かる。

        今回の退職の辞が雑誌「俳句界」の編集後記で出てくるのかと思ったが、何の挨拶もなく名前が消えていた。かわりに、大井氏の担当といってもよいだろう編集部のブログに淡々と退職の挨拶が書かれていた。そこで述べられているのは、今後の「望みは何と尋かれたら、「俳句を作るフツーの人」と答えたいなと思っています」だそうであるが、果たして世の中はほっておいてくれるだろうか。

        ○それはそれとして、改めてご苦労様と言っておきたい。「俳句界」と何の関係もないこんな場で慰労の言葉を述べるのも妙なものだが、誰もいわないのであるから一言、言わせていただきたい。

        【俳句作品】平成二十五年 夏興帖 第六

        ※画像をクリックすると大きくなります。



              関悦史

        扇風機部屋中の書の付箋そよぐ

        ここに不意に線量計付き精米機建つ片蔭

        夏負けやランドルト環みな笑ふ





        文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む11~年中行事その⑥~】/筑紫磐井

        【赤い羽根共同募金―11月1日より1カ月】

        ※昭和22年に第1回共同募金運動が41県で実施(11月25日~12月25日。翌年第2回から10月1日から開始)された。募金をすると赤く着色した羽根がもらえる(寄付済みの印)ことからの命名で20世紀初頭からアメリカで行われていたコミューニティチェスト運動を導入したもの。街頭募金や町内会を通じて募金される。これもアメリカの文化運動の一つがGHQ関係者によって導入されたものであろう(サンマータイム同様GHQはアメリカで行われている行事が無条件で正しいものと思っていたし、昭和20年代の敗戦国の日本人もそれらが無条件に正しいものと思っていたのだった)。

        落穂拾ひ愛の募金の補ひに 石楠 25・2 大沢芳禾 
        台風の募金病者ら鳴る金を 浜 29・1 渡辺白桃子

        ※赤い羽根共同募金と言いながらそのまま「募金」が詠まれている句はそう多いわけではない。むしろ、①「赤い羽根を挿す」こととその②「街頭」での募金という従来日本にはなかった風習に注目する句の方が圧倒的に多い。

        赤い羽根コートに挿しぬ秋の雨 春燈 26・1 藤巻志津 
        赤い羽根挿せる子のパンの餡が見ゆ 俳句 27・12 下村槐太 
        赤い羽けふ着おろせし袷かな  春燈 28・2 長谷川湖代 
        胸に赤い羽根秋刀魚のおくび空へ抜く 俳句研究 28・4 山口六兵 
        愛の羽根透視を了へて失へる 馬酔木年刊句集 児玉典子 
        愛の羽根胸に四隣も共に貧し 馬酔木年刊句集 副島花愁 
        吾子の胸に誰ぞさしくれし愛の羽根 馬酔木年刊句集 田尻稚稔 
        愛の羽根朝の銀座の動きそめ 馬酔木年刊句集 秋元草日居 
        愛の羽根胸に受けゐて秋暑し 慶大俳句作品集 槫沼 けい一 
        つつましく立つ故愛の羽根もとむ 馬酔木年刊句集 大網信行

        ※胸に羽根が挿されている状態、むしろ一種の秋のファッション、衣装のような扱いをされているところが目立つ。最後の句のように、募金の印として受け取った羽根がいつの間にか購うものとなってしまっているのだ。快適なファッションはやがて、「愛の羽根」と言う言葉で題詠のように一斉に使われ始めるのも特徴だ。耳ざわりのよい言葉は季語として残りやすいのである。

        ビルを背に募金の生徒らにも雪 石楠 25・3 西田紅外 
        春塵はげし募金の子等のかすれ声 氷原帯 26・7 山木比呂志 
        群衆は背高し赤羽根募金の子ら 天狼 27・1 堀内小花 
        共同募金青年大股に素通りす 道標 27・1 三好奈津緒 
        五月の街ゆきて募金に取りまかる 石楠 28・7 大場思草花 
        ※それにもまして、児童たちが学校の活動の一環として、学外に出て募金活動をする独特の風物としてとらえられている。おまけにそれらをシニカルに眺めている句が詠まれるようになっている。このように季語は発展することにより、普遍的な季語になってゆくのであろう。

        ※ちなみに例句を見てみると現在の歳時記の季節とは違う時期が詠まれているようだ。雪が降っていたり、5月であったり、春塵が舞ったり、秋暑であったり。季節がダイナミックに混乱しているこのような季語こそ、俳人の季節感覚が生き生きしている証拠だ。激動の時代に生まれた俳人の至福といわねばならない。


        上田五千石の句【テーマ:黒】/しなだしん

        邯鄲や阿蘇のしづけさ底知れず

        第五句集『天路』所収。平成八年作。

        句集『天路』は平成十年に刊行された。五千石が六十三歳で亡くなった翌年のこと。

             ◆

        今回のテーマ「黒」は、色が何もない無彩色のこと。色は光が作るが、その光が無い、もしくは届かない状態。色を光りで認識する人間にとって「闇」と同じといっていい。

        掲出句にはテーマである黒という言葉は表れておらず、「闇」という言葉すら表出していない。だが、邯鄲の規則正しい鳴き声は阿蘇の闇の深さが思われる。「しづけさ底知れず」は大きな闇の空間を想像させる。

             ◆

        掲出句は、《『草枕』の地を訪ねて 四句》と前書のあるうちの一句で、同時作は以下三句。

           峠路や秋を瑞葉の肥後大根 
           炉の秋や魚もけものも山の幸 
           坂鳥やけぢめつけそむ山と空 
        『草枕』は夏目漱石の小説で、1906年に『新小説』に発表された。熊本県玉名市小天温泉を舞台にした作品で、「山路を登りながら、こう考えた」という一文に始まる。著者のいう「非人情」の世界を描いていて、漱石初期の名作と評される。

        前書にある通り、玉名市小天温泉を散策し、阿蘇まで足を伸ばしたのだろう。阿蘇の手付かずの大自然が生む漆黒の闇は、邯鄲の鳴く豊かな闇でもある。

             ◆

        五千石の句に今回のテーマの「黒」という言葉の表記のある句は非常に少ない。全集を見ても数句程度である。以前にも書いたが、五千石は「死」という言葉も忌み嫌った。「黒」は「無」に通じ、「無」は「死」に通じる。そんなところから死と同じく「黒」を嫌って使わなかったのかもしれない。

        【俳句作品】平成二十五年 夏興帖番外 こもろ日盛俳句祭 2

         ※画像をクリックすると大きくなります。
             
                   網野月を

        【題詠】(「登山」「青林檎」)

        登山道沖縄産塩飴噛み砕く

        バッシューの紐畳み込む登山口

        同じ樹で色味競ふ青林檎

        早生林檎浮かべ名湯の誉れとや

        手玩具に三個貰いし青林檎

        【嘱目】
        〈懐古園にて〉

        石垣の苔枯れ果てて日盛りぬ

        日盛りや然も覗き込む鏡石

        アルマイトの柄杓に涼し鉢手水

        〈真楽寺にて〉

        神代杉は半身不随蝉の殻

        夏涼し寺域に注連を掛ける杉

        行く夏や方に床抜く鐘撞き堂

        蝉時雨疾うに枯果てし逆さ梅

        〈虚子庵・御岳神社界隈〉

        巨峰かな一つ二つと濃紫

        碑積み石鳥居仏塔古墳朱夏





          第五回 こもろ・日盛俳句祭
        ◇開催日 平成25年8月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間
        ◇会場 ベルウィンこもろ
         ・兼題 1日目「雷」 2日目「登山」 3日目「青林檎」

        【俳句時評】「かつて難解いま題詠のホークス遊び」(渡辺隆夫)/湊圭史

        さっき図書館で角川書店『俳句』8月号をのぞいてきました(書くんなら、買えよ!とツッコミ入れてください)。

        特別座談会は「超世代で語る 俳句のスタンス」(宇多喜代子/高野ムツオ/小川軽舟/阪西敦子)。これを読む限りでは、俳句界はジェネレーション・ギャップとは無縁のようです(インターネットの使用、といった周辺トピックは除いて)。バリア・フリーという言葉がちょっと前によく聞かれましたが、季語と切れに関する基本的ルールを覚えれば、妙な表現に転んだりせずに歩きまわれる安全な場所という印象(いや、老人向けっぽいとかそういうんじゃないですよ、たぶん)。それでも転んじゃう人は「結社」に入れば、なおよろし(座談会ではこちらの話が多いですね、俳句の集まりではだいたいそうですけど)。

        俳句にはルールがあるので一般向けではない、という趣旨のことを昔どこかで読んで、うーん、それは違うのではないかなと感じたのを思い出しました。むしろ、季語や切れといったルールは一般人にとって俳句の世界に入りやすくしている要素だと思うのですね。だって、それを守っていれば(上手下手はとりあえずおいて)、「俳句」になるのだから。ルールがなくて何か書いてくださいといっても、だいたいの人は特別書くことなんてないですしね。俳句人口が増えているとしたら、これはどうしたって雑誌特集などでどんどんマニュアル化してくれているルールのおかげでしょう。

        うーむ、すいません、実際の座談会とはすっかりズレた内容になってしまいました(だから、ちゃんと買えって)。要するに?、読んで、世代の上の人間は下の人間が書いたものが基本的に分かる、下の人間も上の人間に分からないような書くつもりはない、という雰囲気が濃厚だった、ということです。

        渡辺十絲子著『今を生きるための現代詩』(講談社現代新書)は、新書では珍しく現代詩をとりあげています。「現代詩とはぐれた」人(「「むかしは詩を読んでいて、一九八0年代ごろまでの詩人の名前は知っているけれども、今世紀に入って出版された詩集は手にとったことがない」という人」向けに書かれている。いやー、現代詩とはぐれかけているかなー、と最近思わないではないので、こちらは買って読んでみました。

        渡辺さんの個人的現代詩体験を基本ラインに、分かってもらいたい、でも分からない難解な部分も守りたい、というのがせめぎあっていて、何だかハラハラしてしまいました。現代詩をそれなりに読んできたものにとっては、身につまされる、というか、あるい意味、シンドい読書体験(そんなに私は「はぐれて」なかったということか)。基本的には、正直なよい本だと思いました。

        上に書いたような読者層を想定している、ということで、当然というか、「分かる/分からない」、詩の「難解」さをいかに納得してもらうか、がメイン・テーマとなっています。第一章では、谷川俊太郎の「生きているいうこと/いま生きているということ」よく知られた詩「生きる」をとりあげて、渡辺さんが中学生のときに教科書に載っていたこの詩に違和感を覚えたということが語られる。その理由が、最終的には、以下のように(ちょっと引用長くてすみません)説明されています。

        この詩は、詩に出会いたての中学生の理解力で「こなせる」ほど手軽な詩ではないのである。それどころか、詩の初心者である。それどころか、詩の初心者であるこどもにあたえるのにもっとも向かないタイプの詩だと思う。 
         その理由は、ヨハン=シュトラウスやピカソに代表されるような「おとなの一般常識」をあてにしなければ、この詩は読む人には、この詩は読む人に伝わらないからである。 
        [・・・」 
         ピカソが二十世紀の美術にどんなインパクトをあたえたか、ヨハン=シュトラウスの作曲したワルツやポルカが現代のわれわれの暮らしのなかにどれくらい響いているものか。つまり彼らが人類にとって魅力的な、すてきな存在だということの了解が(たとえぼんやりとでも)なければ、この詩のなかの「ピカソ」「ヨハン=シュトラウス」ということばは「読めない」のである。 
         また、おとなならば誰でも思い浮かべられる「産声があがる」ことや「兵士が傷つく」ことの映像的イメージ(から出発し、人類共通の、ぼんやりした感情的リアリティーに行きつくもの)にも、この詩はかなりの部分をたよっている。体験がとぼしく教養もないこどもに、このイメージをいますぐに共有しろと言っても無理である。 
         つまり13歳のわたしは、この「生きる」という詩にこめられたリアリティーをまったく感じることができなかったため、わたしにとってこの詩はうすっぺらなことばの羅列にしか見えなかった、というのが真相だと思う。(26ー27) 

        うーむ、さっき「基本的には、正直なよい本だと思いました」と書きましたが、この部分はいただけないな、と思います。本当は、この詩の場合、つまらなさは「ヨハン=シュトラウス」と「ピカソ」について深く知っても、詩の面白味は深まらないという点にあります。逆に、よく知っている人はこんな使い方をして、と引っかかる可能性大。「産声があがるということ」、「兵士が傷つくこと」については、実際に「「兵士が傷つく」ところをみたりしたら、こんなに軽くは書けない。作者はこんなことは重々承知で書いているでしょうし、「ヨハン=シュトラウス」と「ピカソ」は名前の響きと、後衛・前衛、音楽・美術といったバランスで選んでいる。そのセンスを(大人としては)楽しむ詩でしょう。「この詩はうすっぺらなことばの羅列にしか見えなかった」とあったけれど、この詩の「ことばの羅列」はどうしたって「うすっぺら」です。「ヨハン=シュトラウス」と「ピカソ」をよく知っている人は、この部分を読みとばさないとこの詩は読めない(読む気になれない)でしょう。渡辺さんも、少し前の部分で、

        でも、この詩[「生きる」]は違っていた。こころがふるえなかった。危険ではなかった。危険ではないということは、魅了されないということである。なぜそうなのか、13歳のわたしには見当もつかなかった。(26)

        と書いているように、13歳の時から、たぶん分かっているのだろう。13歳の自分をもう少し信用したほうがよいのではなかろうか、と思わないではない。と書いて、読み返してみましたら、少し後に、

        要するにこの「生きる」という詩は、「知的世界の一般常識」を作者谷川俊太郎とわかちあえる読者だけに供された「おとな向けのおしゃれな小品」なのである。ああしゃれているな、スマートだな感心するためのものだ。正面きって批評や鑑賞をすべきタイプの「本格派の詩」でもないし、ましてこどもの国語科の教材にするようなものではない。(30)

        とあり、ああ、この詩が嫌いだったんですね、と分かる仕掛けになっている。やっぱり基本的に正直な本である。「この「生きる」という詩にこめられたリアリティーをまったく感じることができなかったために・・・」とか、書かなければいいのに。この詩に「リアリティー」なんてない、わけでしょう。

        おっと、俳句時評であることを(毎度ながら)忘れかけておりました。とりあえず、上の部分まとめますと、渡辺十絲子著『今を生きるための現代詩』はいい本です、ぜひご一読を(オイオイ)。

        強引に最初の『俳句』特別座談会の話につなげますと、「見当」違いの説明を後々つけてしまう、というのが、この「分かる/分からない」をめぐる論議のややこしいところ、で、こんなことに揚げ足をとられずに楽しくやりたいというのがマトモな人の感覚だろう、と思うのです。現代詩(つまづきの石がる、というか、地雷原のような)なんぞにかかずらわっているのは、この面倒が好きなキトクな方々か、根本的にこの面倒をじぶんで抱えてしまっている人たちなんでしょう。

        というのは、もちろん私じしんを含めていっているわけで、私が好きな現代の俳句は、ほとんどの人にとって、「転ばせよう」と思っておいてある障害物にしか見えないような句なんです(もちろん、作者は「転ばせるため」に書いているわけではないでしょうけどね)。

        空はとかげの色に原爆を落とす日   中村安伸 
        マンゴーを紙の力士は縛りけり    岡村知昭 
        昼顔やあれ神経家のおはよう    九堂夜想

        バリア・フリー化も結構ですが、たまには転ぶ危険もないと、足腰が弱るのではないですか・・・と、これは老婆心でした。



        平成二十五年 こもろ日盛俳句祭 参加録2 /網野月を

        【シンポジウム編】


         8月2日から4日にかけて小諸の「ベルウィンこもろ」において、今年で5回目になる「こもろ日盛俳句祭」が催された。その2日目の夕方に開かれたシンポジウムについて報告する。

         パネリストとして、小川軽舟、山西雅子、宮坂静生、司会として筑紫磐井が登壇した。初めに筑紫から進行について若干の説明があり、続いてテーマ「旧い季語・新しい季語」についての概略のコメントがあった。(催し物の案内の印刷物には「季語」の用語が用いられていて、当日の演壇右脇のテーマの看板には「旧い季語・新しい季語」と「・・の季題」という文字が混じっていて、登壇の面々も少々戸惑っている風にも見受けた。また下に記載した当日配布の資料では、スタッフに予めアンケートを取ったものをまとめて資料にしたらしいが、こちらは「季題」でのアンケートのようである。角川書店刊『俳文学大辞典』では微妙なニュアンスを書き分けていて、シンポジウムのセッティングの甘さを露呈したかたちであった)

         パネリストは宮坂からの順番で話しをする筈であったらしいが、資料不備で小川から、続いて山西へ受け渡された。最後に宮坂の話となった。シンポジウムの内容のあらましが理解されやすいと考えられるので、予め会場で配布された資料をここに掲載しよう。(宮坂の資料は当日、「地貌季語分類表1」「地貌季語分類表2」が配布された)



        ***** ***** ***** ***** ***** ***** ****

        「新季題・旧季題」シンポジウム資料
        25.8.3.
        ●小川軽舟

        【新季題】新しい季題をつくることにはあまり関心がありません。むしろ、現代の状況を考えると季題以外の題を探ることが必要になるように感じています。
        【旧季題】私は昭和三十年代くらいまでの季題の風景をかろうじて覚えています。私の郷愁のよりどころとなる季題は生かしていきたいと思います。

         例:蚊帳、蚊遣火(煙の出る渦巻型のもの)、青写真、(秋の)運動会。

        ●山西雅子

        【新季題】
         「海牛」(春の磯遊びの季語にいれたい)
        【旧季題】
          「木(こ)の晩(くれ)」『万葉集』にあり、『改正月令博物荃』に載る。
          また、「小鮎」は「稚鮎」とは別に、琵琶湖産の「鮎」として「夏」に入れたい。

        ○岸本尚樹

        【新季題】
         「クールビズ」。「冷房」の傍題でもよいが。
        【旧季題】
         「無し」
         ※「狼」のように滅びた種でも、季題としては「現役」と考えられる。季題は「過去帳」のように永遠に増え続けるしかない。
          無季や雑の句を否定しなければ、季題が何かという「線引き」は事実上不要となる(もとろん、理念としての季題は大切)。「季」という言葉にどこまで拘るかですね。

        ○土肥あき子

        【新季題】先日、ホトトギス季寄せに「逃げ水」がないことを不思議に思った。以前は武蔵野を代表する特定の地域でしか見られないという現象だったが、現代の日本では高温化と舗装で全国的な夏の景色のひとつになっているように思う。

        【旧季題】やはり二十四節気。あわよくば七十二候。処暑には打水、など古いもの同士を組み合わせてのイベント的に周知する等。

        ○本井英

         【新季題】
          「怪談」。「東海道四谷怪談」の上演記録なども圧倒的に夏である。昔は、寄席でも夏になると、競って話した由。
          「皇帝ダリア」、近年晩秋初冬に三メートルくらいに伸びる「ダリア」が流行りだした。新季題は「佳句」を得て初めて季題として認定される。従ってそれまでは「無季」扱いを受ける訳であるが、季題を目指す「季題予備軍」をテーマとする俳句と、のっけから「季」を無視する俳句は自ずから異なる。
         【旧季題】現実に存在しなくなってしまったものでも、「詩趣」があれば俳句は出来る。

        ○高田正子

         【新季題】
          「原発忌」一切。
         【旧季題】
          農林漁業に関わる季語一切。
        ① 昨今見直されている、という意味で。
        ② 顧みられぬ、の観点に限れば、技術の進歩により、使われなくなったツールで(歳時記に掲載のあるもの)。

        ◎筑紫磐井

         【旧季題】

         古い季語もかつては新しいきごでしたし、今の新しい季語もやがて古いきごとなるでしょう。季語の歴史を上げてみます。

        ① 和歌の縦の題に対する芭蕉の横の題

         鞍壺に小坊主乗るや大根引      芭蕉

        ② 開化新題(正岡子規)

         物くれる和蘭人やクリスマス     虚子

        ③ 昭和の新題(日野草城・山口誓子)

        ラグビーのジャケツちぎれて闘へる  誓子

        ④ 熱帯季題・大陸季題(高濱虚子)→廃止

        スコールの海くぼまして進みくる   虚子

        その他「バナナ」「三寒四温」

        ⑤ 家庭季題(高濱虚子)

        髷重きうなじ伏せ繕ふ春着かな    久女

        その他「毛糸編む」「日記買う」

        【新季題】

        最後に、気象協会ではない、気象庁が提案している季語の例を挙げます。

        ⑥ 気象庁が提案している季節の用語

        「吹き返しの風」(秋)「早霜」(秋)「晩霜」(春~夏)「春一番」(立春~春分)

        ***** ***** ***** ***** ***** ***** ****



        以上である。(当日会場で訂正の有った箇所、および明らかな誤字は訂正して掲載した)パネリスト+司会の話しが2巡してのち、会場にいる俳句祭スタッフからもコメントを聞くことができた。(上掲の資料にある方々からのコメントである。)コメントを載せているスタッフは客席側に散開して着席していてパネリストと会場が一体化しているような雰囲気を作り出していた。なかなか良い演出であった。(客席側のスタッフからは「前もって、アンケートが来たから答えたのだけれども、全員が回答したわけではないのね!」と不満を漏らすスタッフもいた。(笑))客席側のスタッフからは、上掲の資料にある記述に補足説明をするようなコメントが相次いだ。客席側にいるスタッフの話は最後に本井英で締め括られた。

        シンポジウム中で質量ともに大であったのは宮坂のコメントであった。初めは日本列島の南北広範囲に渡っていることや雅語から生活季語になるあらましが語られていたが、結局最後は持論である「地貌」に行き着いた。特に宮坂の提唱する「地貌」についてのコメントは、流石に熱が入っていて思わず頷かされてしまうような気がした。最後に筑紫から昨年の気象協会との経緯などが語られて、散会した。丁度白熱してきていたところだったので、懇親会の開会が多少押しても、もうす少し聞きたかったように思う。

        今回のシンポジウムは、季題(パンフレットには「季語」)の新旧、つまり時間軸における不統一感や季題についての世代間の認識差異についての議論がされるだろう、ことを筆者は予想していたのである。筆者の期待でもあった。俳句歳時記に載る季語は、多種多様な言葉の集大成である。国語辞典も百科事典も然りであるが、比して俳句歳時記は若干の分類がされている(歳時記によって分類方法が異なるが)。がそれらの季語は未だに未整理である。シンポジウムではその未整理状態の中にあって、それぞれの俳句作家たちの自家流の取り組みを拝聴できるものと期待していた。

        小川は自らを昭和30年代の日本の風景を覚えている最後の世代であるのではないか?と言っている。膨大な季題の体系は世代によって異なってくると言っているわけである。つまり季題をめぐって異なる世代間の認識や理解は当然のことに異なることになるというわけだ。「俳句歳時記」に載る季語のうち使いたいものを俳句作者は使えばいいのであって、敢えて排除をしなくても要らない季語は使用しなければ事は足りる。筆者は新旧の季題の要不要を考えるよりも世代間の認識や理解の壁をどう乗り越えるかに興味を持つ。(ヴィトゲンシュタイン的言語表現の諦めを感じつつ、やはり乗り越えようとする衝動が俳句作者にはあると思う。)

         「俳句歳時記」における一見日本列島総てをカバーしているような季語の総体がマクロ的であるとするならば、宮坂の提唱する「地貌」季語はその列島を細分化してその部分部分に適応する「地貌」季語を対応させてゆこうとするミクロ的試みなのかもしれない。いや従来の「俳句歳時記」においてもごく地方的なもが掲載されている。また、漁民の用語や一地方的な用語も季語としている例がある。とすれば、「地貌」季語は新たなる季語の発掘作業なのかも知れない。大いに期待したい。が「地貌」として新たに発掘された季語を、他の地域に住む人々はどう受容すればいいのか?

        本井のいうように「新季題は「佳句」を得て初めて季題として認定される」ということならば、「地貌」季語で発掘された季語を積極的に取り上げて「佳句」を得る努力は、積極的に季題を増やそうとする努力である。岸本尚樹のいう、無季の句と雑の句を否定しない、ということになるとどの季題が必要でどの季題が不必要か?という季題の選別よりも別の議論が必要な気がしてならない。


        例えば国際俳句の拡がりを考えてみる。日本列島と一地方という対比ではなくて、地球規模の広さと多様を視野に入れなければならなくなる。テーマの設定には今回のシンポジウムのように時間軸とともに空間軸の考えもあわせて、出来れば他にも別のカテゴリーの軸を設定して合わせて2次元的、3次元的な議論に発展することを期待したい。




         
        【句会編】


        • 2日目・ベルウィン句会 (兼題:「登山」)


        2日目の13:30~15:30pmに本会場の“ベルウィンこもろ“にて句会が催された。何会場かに分かれての句会で、筆者は第3会場で、一般参加者+スタッフ俳人(「俳人」と自称していました?!)30名くらいの句会であった。岸本尚毅、高柳克弘他計5名が主催者側のスタッフ俳人として加わっていた。

        岸本の句評は合理的且丁寧で、大変勉強になった。特定の結社のメンバーがグループで同じ句会に参加していて、選し合っていたりしていた。バラケル工夫が欲しかった。また兼題の「登山」の句が少なくて、残念であった。


        •  3日目・ベルウィン句会(兼題:「青林檎」)

        3日目の13:30~15:30pmに“ベルウィンこもろ”にて2日目同様に開かれた句会へ参加した。本井英、高柳克弘他が主催者側スタッフとして加わった。計20名ほどの句会であり2日目の句会よりも小規模で、筆者には好もしく思われた。

        兼題「青林檎」は、早生の品種で既に食べられる青林檎なのか?これから実ろうとする熟していない青林檎なのか?本井から説明があった。「よく考えずに不用意に出題されている」との解だが、・・・「私が出題しました」と白状に及んで笑いを誘っている場面もあった。句の評は句の解釈になることが多くて、筆者の期待した技巧的な側面はほとんど話し合われなかったように思う。

        最後に若干の時間の余裕があり、「こもろ・日盛俳句祭」への意見・反省点などがランダムに発言された。高原列車句会への反対意見、2日目のシンポジウムからの余韻であろうか「季語は誰が決めるのか?」「歳時記には俳人の忌日の季語が多すぎる!」などなど。主題者への慰労の言は無くて、建設的な意見も乏しかった!?という印象であった。

        今回の第5回こもろ・日盛俳句祭では、「案内とお誘い」という印刷物があって、これが要領を得ない案内なのだ。例えば日程は理解できない書き方をしている。(俳句を極めると合理的な日程表が書けなくなるのかな?何て嫌味な突っ込みをしてみたくなる)筆者は、このような催事を好もしく思っているので、永続的展開を期待しているし、回を重ねる毎により生産的な催しになって欲しいと考えている。主催者?事務局?スタッフ俳人?の一層の奮闘を期待している、ご苦労様でした。


        真楽寺




        【執筆者紹介】


        • 網野月を(あみの・つきを)
        1960年与野市生まれ。

        1983年学習院俳句会入会・同年「水明」入会・1997年「水明」同人・1998年現代俳句協会会員(現在研修部会委員)。

        成瀬正俊、京極高忠、山本紫黄各氏に師事。

        2009年季音賞(所属結社「水明」の賞)受賞。

        現在「水明」「面」「鳥羽谷」所属。「Haiquology」代表。


        2013年8月16日金曜日

        第33号 2013年8月16日発行

        【俳句作品】

        • 平成二十五年 夏興帖 第五
        ……仲寒蝉, 大井恒行, 
                田代夏緒, 北川美美 ≫読む

        • 平成二十五年 夏興帖 番外篇
        ……筑紫磐井   ≫読む

        • 二十四節気題詠句 その10
        ……小早川忠義, 
                                仲寒蝉, 北川美美, ≫読む

            

        【戦後俳句を読む】


        • 近木圭之介の句【テーマ:黒】
        ……藤田踏青   ≫読む


        • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む10~年中行事その⑤~】
        ……筑紫磐井   ≫読む   


        【現代俳句を読む】
        • 【俳句時評】 保見光成の「俳句」を信用する

        ……外山一機  ≫読む   


        • 【現代詩?時評】 最近のある事件について
        ……筑紫磐井・北川美美 ≫読む

        • 平成二十五年 こもろ日盛俳句祭 参加録
        ……筑紫磐井   ≫読む
        • 【俳句時評】 『二十四節気論争』(追加)
        ……筑紫磐井 ≫読む 


        • 緊急告知!!第4回芝不器男俳句新人賞 作品募集について 
                                      ……西村我尼吾   ≫読む 


          【編集後記】

                あとがき   ≫読む 

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          • 「虚子研究余滴の会」の開催/筑紫磐井   ≫読む  new!!


          • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
          • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」無事終了いたしました。ありがとうございました。
               











              ※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。


              ※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
              関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!


              第33 号 (2013.08.16 .) あとがき

              北川美美

              ・残暑お見舞い申し上げます。また首都圏での集中豪雨の御見舞を申し上げます。

              ・詩歌文藝誌GANYMEDE(ガニメデ)を購入。筑紫磐井氏の51句が掲載されています。3.11から二年五か月を経て俳句形式とはなにか、詩とは何かを存分に考えさせられました。編集人の武田氏も筑紫氏の寄稿に「一読。怠慢な現代詩的状況に対して、遠い世からの復讐を遂げてくれた想い、まさに本懐であった。」と絶賛。その他の俳句作品も50句詠が軒並み掲載。林和清、鳴戸奈菜、恩田侑布子、関悦史、小林千史、中西夕紀、対馬康子、佐藤文香などなど。(佐藤文香は<小句集100句詠み下し>と別枠。)「ガニメデ」は京都の三月書房から購読できます。

              ・本日八月十六日は亡師・山本紫黄の命日、御献体のため文京区本駒込の吉祥寺の順天堂大学供養塔に眠っています。八百屋お七・吉三郎の比翼塚で有名なこの寺は紫黄が眠るには合っているような気がしています。

              筑紫磐井

              ○こもろ日盛り俳句祭に行ってきたが、従来に比べてもかなり盛大であった。その時の句帖を参加者各人で紹介することにしてみた。また何人か篤志家が続くと思う。これと前後して、本井英氏が主宰誌「夏潮」の別冊<虚子研究号>を刊行し、これを素材に執筆者を集めて「研究余滴の会」を開催する予定だという。虚子について、偏ることなく、適正な関心を持ち、研究を行うことはよいことではないかと思う。本編の方で少し紹介しておいた。

              ○このようにBLOG俳句空間の周辺で行われているイベントに関する記事などもリアルタイムで紹介していきたいと思う。「芝不器男俳句新人賞」なども、おいおい関連情報を提供して行きたい。

              【俳句作品】 二十四節気題詠句 その十 (小早川忠義 二十四句、仲寒蝉、北川美美)


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                       小早川忠義(「童子」会員・「あすてりずむ」)

              (芒種 六月六日)
              大股に歩く芒種の河原かな

              (夏至 六月二十二日)
              雲低くいつまで白し夏至の空

              (小暑 七月七日)
              玉子焼片方焦がす小暑かな

              (大暑 七月二十三日)
              のびてをり大暑のカップヌードルも

              (立秋 八月八日)
              秋立つや醤油に辣油玉を成し

              (処暑 八月二十三日)
              処暑の湯や二十数ふるまで漬かり

              (白露 九月八日)
              朝の日に白露たちまち消え失せぬ

              (秋分 九月二十三日)
              秋彼岸まんなか薄き中華菓子

              (寒露 十月九日)
              落つるまでふくらんでゐる寒露かな

              (霜降 十月二十三日)
              霜降やこはれし傘の何本も

              (立冬 十一月八日)
              紳士とは程遠くあり冬に入る

              (小雪 十一月二十二日)
              小雪の夜やをとこのおさんどん

              (大雪 十二月七日)
              大雪の朝や豚汁煮詰まりて

              (冬至 十二月二十二日)
              列車待つ駅に冬至の朝日かな

              (小寒 一月六日)
              小寒や狛犬の爪欠けてをり

              (大寒 一月二十日)
              大寒や人差す指の鋭くて

              (立春 二月四日)
              春立つや古きカメラを競り落とし

              (雨水 二月十九日)
              参道の森静まらぬ雨水かな

              (啓蟄 三月六日)
              啓蟄や歓楽街に影無くし

              (春分 三月二十一日)
              カツサンド喉に通らせ春彼岸

              (清明 四月五日)
              清明やノートに赤き丸ひとつ

              (穀雨 四月二十日)
              つきあつてくれと穀雨に濡れてをり

              (立夏 五月六日)
              立夏かな牛久の沼に河童訪ひ

              (小満 五月二十一日)
              小満を過ぎて変声はじまりぬ


                       仲 寒蝉

              (雨水 二月十九日)
              中指へ雲のあつまる雨水かな

              (啓蟄 三月六日)
              啓蟄の釜飯の釜積まれあり

              (清明 四月五日)
              清明や船へ手を振る橋の上

              (夏至 六月二十二日)
              夏至といふ大きな回廊を抜ける


                       北川美美(「豈」「面」同人)

              (芒種六月六日)
              たしか芒種「種まく人」の絵の前に

              (夏至六月二十二日)
              枕下に西洋弟切草(セントジョセフワート)夏至祭

              (小暑七月七日)
              交響曲第一番満席にて小暑

              (大暑七月二十三日)
              すでに秋かもしれぬと思う大暑

              (立秋八月八日)
              植木屋の鋏の音も今朝の秋

              (処暑八月二十三日)
              白鳥が水切ってゆく処暑の川



              【俳句作品】平成二十五年 夏興帖番外 こもろ日盛俳句祭1

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                        筑紫磐井

              【題詠】

              駅のすぐ前が浅間山登山口

              登山して下山してまた明日がある

              【嘱目】

              鉄壁に女粧ふ炎天下

              にはとりの影の孤独や日盛りどき

              三の門蜥蜴くるりと挨拶す

                水の手展望台
              夏つばめばかりや視界さへぎるは

              【虚子的虚構】

              妻の不満不意の来客胡瓜揉み

              瓜よりも西瓜思ほゆ肉体派

              どうしやうもない 夕立に雨宿り 放哉
              シンプルなオーダーの冷スープ
              四万六千日前の政争東京府

              (追加(*))



                第五回 こもろ・日盛俳句祭
              ◇開催日 平成25年8月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間
              ◇会場 ベルウィンこもろ
               ・兼題 1日目「雷」 2日目「登山」 3日目「青林檎」

              平成二十五年 夏興帖 第五

                 ※画像をクリックすると大きくなります。


                 仲寒蝉(「里」同人)
              蝉さかんどの地下出口から出ても
              蚊遣火の途中で消えてゐる景色
              おしやべりをやめてひたすら立葵

                 大井恒行(「豈」編集人)
              かもめ書店に絮飛んでくる未来かな
              鶴折らばなお陽の影に白を恋う
              手を挙げたさよならに蝉しぐれ


                 田代夏緒
              地の文も軽薄サマードレスかな
              振り向いておのれを探す時計草
              欠点を許すほかなき大西日


                 北川美美(「豈」「面」同人)
              空という箱あるように雷鳴す
              東京の空は土砂降り水中花
              太陽が同じところに紫黄の忌
                       *山本紫黄忌日(八月十六日)



              平成二十五年 こもろ日盛俳句祭 参加録 1/ 筑紫磐井



              【2日目】

              日盛り句会は2日目から参加した。くじ引きで当たった山田真砂年(未来図)、対馬康子(天為・麦)両氏と句会場(ベルウィン第2会場)を担当することになる。兼題は登山。

              ホッチキス滝はどこまで綴らるる 対馬康子

              嘱目・題詠句の多い中でよきにつけ悪しきにつけ観念的な句だ。滝の飛沫をホッチキスに見立てている。イメージはなかなか華麗である。

              この句を除いて私の選んだ句は穏やかな句が多かった。私が作って出した句と比べて穏やかすぎると言った人がいるが、虚の句を作り慣れていると、なまじな技巧を凝らした程度の句はあまり感心せず、構成力のある平穏な句を選んでしまうのかもしれない。掲出句は、そんな中では一番虚構的だ。

              このあと、宮坂静生・山西雅子・小川軽舟氏と「旧い季語・新しい季語」の題のシンポジウムで司会をする。結構熱した議論となって大成功!

              【3日目】

              最終日は、高田正子(藍生)、井越芳子(青山)氏と一緒になる(ベルウィン第2会場)。兼題は青林檎。私は披講以後途中で退席。

              エンピツになぞる消印青林檎 中嶋夕貴

              私の選んだ穏やかな句の一例で特選とした。確かに郵便の消印は消えやすい、だから丹念にそれを読むというのだが、なぜそんなに丹念に読まないといけないのかがこの句のポイント。消印にあるのは、取扱い局と取扱い日付ぐらいであるが、エンピツでなぞる必要がある情報としては、取扱い日付しかないだろう。普通の郵便で日付と時間を確認する必要がある状況はかなり珍しい。ここではある事件があり、その事件が時間と密接に関係すると言うことが大事である。例えば恋愛であれば、現実に出合った時の諍いと、手紙が語っている思いの齟齬が、半日の差で重大な意味を持つ。喧嘩をしてその後書いた手紙なのか、手紙が出されたあとで行った諍いなのか。「手紙」の意味が全く違うことになる。鉛筆で消印をなぞるという事実でなくて、エンピツになぞる「消印」という物を示すことによる微妙な表現も思いを深めさせるだろう。青林檎はそこはかとない哀愁を醸す。

              【感想】

              5年ほど前、「岳」の記念大会で軽井沢に出かけ、一泊した後、偶然ロビーで出あった俳人たちと吟行句会をやろうと言うことになった。宇多喜代子、大井恒行、高野ムツオ、中西夕紀らであった。耳ざとく聞きつけた「俳句」の編集長が取材して記事にした。

              アイスでもホットでもよしレモンティ 筑紫磐井 
              夏野菜カレーわけても茄子の紺 宇多喜代子
              この記事を「未定」89号の編集長矢口昭氏が口を極めて批判した。「この程度の句をわざわざ天下の大俳句誌に載せることはあるまい」「この徒事のふやけ方はなにごとであろうか」「子規から百年、高濱虚子から数十年経つというのに、一歩も進んでおらぬ」「詠み合う人達も、それを天下に知らせる俳句誌も、おかしくはないか?」。特に宇多喜代子と金子兜太(何故、私でなくて兜太なのかよく分からないが)に意見を求める、そのためのページを開けて反論を待つと言っていたが反論はなかったようである。

              句会と言うことで、ふとこのことを思い出した。矢口氏の言っていることも半ば正解であり、ランボーのような独創的かつ文学的な詩は「句会」からは生まれないのだ。真の前衛俳人は句会をやってはいけない、深夜二時、三時、家族の寝静まった部屋で、ノートにむかって孤独に言葉を紡ぐべきなのだ。句会で生まれるのは、題詠か、嘱目か、ふやけた徒事に限られる。これは悪口ではない、「俳句」8月号で<俳句史に輝く名対談>を監修したが、その時、福原麟太郞の「些末事の文学」という発言がいたく気に入って収録した。まさに、俳句は些末事を詠む文学であるからこそ句会をし(「俳句」掲載は本意ではなかったが)、題詠、嘱目、ふやけた徒事(私は「虚子的虚構」というのだが)で事たれりとするのである。ただ、そこからも、文学からかけ離れた傑作が生まれる可能性があることは忘れてはならない。

              無季・前衛派(いや人間探究派でも、新興俳句でも、)が句会をやると言うことはどういう意味があるのだろうか。句会とは批評会とは違うはずである。すぐれた俳句を選ぶだけなら、句会のように一同集まったりする必要はない。まして他人の選評を聞くなどということは批評対批評の争いで十分であるべきで、作者を同席させる必要はない。句会は句会の価値観があるのであろう。こもろ日盛り俳句会で我々はそれを見つけることが出来たか。

              さて、我々を批判した矢口氏であるが、大冊89号をまとめた直後病気で編集長・同人を辞され、ついに病死した(「未定」92号編集後記)。ご冥福を祈りたい。わずか2年ほど前のことだが、矢口氏のことを覚えている人ももう多くはないだろう。矢口氏存命であったら上記のようなことを質問してみたいと思うのである。


                第五回 こもろ・日盛俳句祭
              ◇開催日 平成25年8月2日(金)・3日(土)・4日(日)の3日間
              ◇会場 ベルウィンこもろ
               ・兼題 1日目「雷」 2日目「登山」 3日目「青林檎」
              ◇句会(120分) 5句出句 5句選句

              近木圭之介の句【テーマ:「黒」】/藤田踏青

              黒く見えるのは咽喉に軍歌がねじれたまま

              第3回の折に、「圭之介にとって『黒』は氏の芸術の源泉であり、詩的認識の根源でもある。」、「形象化された『黒』の切断面は、氏自身をも傷つけているのだが、結局は真の『黒』そのものに収斂されてゆく。つまり、氏の意識の統一こそは『黒』なのである。」と述べたが、それはそのまま掲句(昭和60年作・注①)にも当てはまるであろう。

              掲句は懐旧としての軍歌であろうが、門司港で兵士を満載にした輸送船を見送る際に岸壁から旗を振りながら唄った軍歌と、船上から聞こえて来る軍歌が今もねじれた存在として圭之介の中に蟠っているのであろう。時代というものと夜の海と記憶とが内視鏡によって再確認されたかのように「黒」に収斂されるような感覚が伴なってくる。

              闇ノ方カラ舌タラシコツコツ砲車ガ        平成6年作     注②
              この句では現在と過去とが交叉した時空間に不吉な時代の響きを感じ取ったものであろう。そして闇からヌッと出現した舌は貪欲な拡がりつつある支配思想を暗喩しているのかもしれない。更に漢字とカタカナの表現のみが鋭くチクチクと痛みを伴って来る感覚をもたらしてもいる。

              黒い手袋黒く置いてある 月           昭和31年作    注① 
              蝶の黒い落ちている事実             昭和32年作    注①
              画家としての圭之介がそのデッサン力を詩的認識へと導いた作品。「黒い手袋」も「黒い落ちている事実」も共に死を暗示させており、月と事実とは現実への凝視でもあろう。それらをもとに次の様な詩も残している。少し長いが引用してみよう。

              <黒の装い>                  昭和35年作     注③ 
              庭の椅子の少年の不幸な過去/庭の椅子の神父の白いカラー/神父のメガネのつるはやや朱い 
              黒の手袋/記号/秋の秩序 
              神父の黒の装い/白の陶器の太陽/園丁(えんてい)がその周りの枝を切り払った 
              落葉/黒ノデッサン/黙って神父が通りすぎる 
              白の花べん 凝視/更に凝視/更に――― 
              太陽の背後(うしろ)は黒い/花や木や 山や川や 犬 鳥/あらゆるものが停っている
              海の日影の黒/黒の日影の海/小さく白の汽船
               
              月から落ちて来てかがやく砂/砂が消した朱い絵の絵硝子/不在の神父の白の食器 
              赤の/黒の/白の/紫の/懺悔/その間を梨色の風が吹きぬける 
              ガラスの手袋/ガラスの手袋の破片/ガラスの手袋の破片で書く詩(うた)
              やはり圭之介は黒に拘りつつ傷つきながら詩(うた)を書いていたのだ。

              注① 「ケイノスケ句抄」  層雲社 昭和61年刊
              注② 「層雲自由律90年作品史」 層雲自由律の会 平成16年刊
              注③ 「近木圭之介詩抄」  私家版 昭和60年刊

              文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む10~年中行事その⑤~】/筑紫磐井

              間に余計なサマータイムが入ってしまったが、また年中行事に戻ってみる。以下祝日等で当時最もよく詠まれたものをあげて、その詠み方を点検してみよう。初めて生まれる季語がどのように本意を獲得していくかが分かるであろう。

              【文化の日―11月3日】★

              ※国民の祝日に関する法律によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とされ、この日は戦前の明治節(明治天皇の誕生日)、祝日法の審議の過程で明らかなように、戦後の日本国憲法の公布日となっている。

              文化祭戦盲の将老静か 雲母 24・3 三浦甫舟 
              文化の日後の月夜となりにけり 曲水 25・1 佐野青陽人 
              天皇は篤学にまし文化の日 ホトトギス 25・3 川田信生 
              文化の日ひとの復活うつくしく 曲水 26・4 潤月 
              菊活けて文化まつりの事了る 曲水 28・2 遠野闘夢 
              吾子の画の選ばれ並ぶ文化の日 馬酔木年刊句集 希代一閑子 
              文化の日一冊の書を妻にも買ふ 馬酔木年刊句集 鈴木青洋

              ※戦後の日本人にとって文化は羨望であったからそれらが率直に詠み込まれた句が多い。従って俳句の特質と言うよりは、戦後日本の羨望と見てよいであろう。後述するようにこの季語は広がりを持って行くのだが、その前に、先ず多くの人が使いたくなるような俳句らしい、新しくて時代性のある季語であることが必要であった。

              火鉢に火入れて文化の日をひとり 春燈 28・2 山澤雉子亭 
              文化の日吾に悔なく麦を蒔く 雲母 29・1 向井老樵 
              職工として父老い給ふ文化の日 馬酔木年刊句集 石井博
              ※特に従来、文化とは縁のなかった人々や生活が文化に照らされるというしみじみとした感慨は如何にも俳句にふさわしいものである。前回も述べた境涯性とかかわり合うものである。「文化」を俳句で詠むのは難しいが、「文化の日」が俳句の受容度を高めているのである。

              文化の日無為に果てたることを悔ゆ 石楠 28・1 佐久間敏雨 
              ジェット機の爆音高く文化の日 雲母 28・1 大関馬骨 
              文化の日ほろほろ黒き飯食らふ 暖流 29・1 中島南映 
              ※一方で、文化と対照的な現実があることも事実であり、文化の日と配合することによりそうした矛盾を摘出する役にも立つ。これはむしろもう一つの流れ、社会性俳句につながるものである。

              文化の日人は眼鏡を飾とし 俳句研究 25・2 佐野青陽人 
              パチンコの玉流れ出て文化の日 俳句苑 27・5 林屋清次郎

              ※こうした視点が一層深まると、諧謔味にあふれた俳句が登場することとなる。戦後俳句と言っても、普遍性を帯びた句となってゆくのである。

              ※以上眺めたように、季語の中自身に発展する契機があることが必要なのである。

              ちなみに、11月3日、新憲法公布の日を詠んだ句が「揺れる日本」のなかで別に掲げられている。現在の憲法記念日(5月3日)ではなく、文化の日(11月3日)=新憲法公布の日と思って読むと別種の本意が生まれてくるようである。ちなみに青邨は「新憲法公布の日」を季語と思って詠んでいたようである。

              【新憲法公布】

              秋陽満つ日本歴史の曲り角 太陽系 22・1 日野草城 
              教授達髪白く憲法祭典の日 花宰相 21 山口青邨

              文化の日と合わせて鑑賞することによりとりわけ面白さが増すのではなかろうか。

              【PR】「虚子研究余滴の会」の開催/筑紫磐井

              こもろ日盛り俳句祭をプロモートした本井英が、さらに加えて、毎年この時期「夏潮」別冊<虚子研究号>を刊行している。虚子・ホトトギス一門であるか否かににこだわらず自由な虚子に関する論考を集めそれを刊行しているのである。今年で3冊目になるが、100頁を超える大冊である。のみならず、昨年からはこの研究の余滴を味わおうと、執筆者を集めて「研究余滴の会」を開催しており、次の要領で今年も開催されると予告があった。今年は俳句文学館を使って行われる。

              日時:9月7日(土)13:00~16:00

              場所:新宿百人町 俳句文学館 地下ホール

              その他:入場無料

              研究号執筆者による研究余談が語られ、質疑・応酬があるのだという。

                   *      *

              昨年私もはじめて<虚子研究号Ⅱ>に執筆したが、入院を控えて、「研究余滴の会」の出席は控えた。今年は是非出席したいと思う。

              昨年は「関東大震災と虚子」と題して、虚子が雑誌経営者として関東大震災にどのような態度で臨んだか、すべての虚子の俳句の姿勢は関東大震災の言行から伺えることを示してみた。どんな批判が出たか、考えるだけでも楽しい。

              今年は、昨年、井上泰至が、虚子は大正初期に冷徹・客観的な戦略を組んでいたと主張したのに対し、実は明治四十四年から大正二年の間すっかり俳句をやる気がなくなり、漱石や碧梧桐に鬱屈した思いを持ち、またおろおろしている虚子の姿を「喜怒哀楽する虚子」で描いてみた。
              このように、とても虚子讃美でない、生身の等身大の虚子をたっぷりかける場はなかなか少ないところから、私にとっては貴重な場となった。

              この他、児玉和子「『女七人に男一人』試論」は私の論の補強となるところもあり、感心しながら読ませていただいた。

              【参考】

              「夏潮」別冊<虚子研究号Vol.Ⅲ>2013年
              目次
              1.虚子の自選―『稿本虚子句集』/井上泰至
              2.鴎外と〈子規の衣鉢〉、あるいは、近代日本の亡失された水脈―鴎外と虚子(その一)―/大石直記
              3.高浜虚子における「もの」と「こと」についての覚書/岸本尚毅
              4.『女七人に男一人』試論/児玉和子
              5.虚子句と漢詩文/高橋魚雷
              6.喜怒哀楽する虚子―明治四十四年十月から大正二年九月まで―/筑紫磐井
              7.虚子の周辺~大谷句佛/松岡ひでたか
              8.「花鳥諷詠論」の展開/本井英