2013年4月26日金曜日

第16号 2013年4月26日発行



【俳句作品】 現代風狂帖(10句)

探龍譚   板藤くぢら   ≫読む


傘の骨   曾根 毅   ≫読む


【戦後俳句を読む】

  • 中村苑子の句【テーマ:水妖詞館ーあの世とこの世の近代女性精神詩】
……吉村毬子   ≫読む



  • 文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より⑦~戦後風景~】
……筑紫磐井   ≫読む



  • 戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】
……堀本吟   ≫読む


【現代俳句を読む】


  • 句集・俳誌・BLOG渉猟(7)~週刊俳句~……筑紫磐井   ≫読む



  • 87回 俳句時評  ~テーマパークで夢を見る~ ……外山一機   ≫読む




  • 二十四節気論争(10)最終回――日本気象協会と俳人の論争――/筑紫磐井編 ≫読む



  • 再録・黒い十人の女(六)   ……柴田千晶    ≫読む



【編集後記】

あとがき   ≫読む




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  • 募集!! 第2回  攝津幸彦記念賞 ≫読む

  • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」のご案内(現時点の概略)≫読む
~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~

   ……本井 英 ≫読む






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第17号(2013.04.26.) あとがき

北川美美

ある打合せ同行のため某古書店へ。店内を見ているうちに民族衣装の特集と新井淳一氏(テキスタイルデザイナー)の執筆に眼が行き『母の友』(福音館書店)1981(昭和56)年1月号を300円で購入(当時の定価200円)。『暮らしの手帖』的なおかあさんのための雑誌で岸田衿子の詩などの書き手も素晴らしいが挿絵が特に素晴らしい。驚いたのは付録についている西村重雄画作の「銭湯双六」である。一~十九の順番で右が女湯、左が男湯で、どちらが早く銭湯から出られるか二人で順番を競うとともに銭湯でのマナーを含むお風呂に入る順番がわかる仕組みとなっている。福音館書店というのは教科書の会社として記憶にあったが『ぐりとぐら』『いやいやえん』を世に送り出した児童図書の老舗。俳句の本があるのか検索したが、子供向けの日本の詩歌があったが俳句は含まれていなかった。

子供向けというとEテレの「にほんごであそぼ」は素晴らしい。子供が名句といわれる句を叫び萬斎が舞うというシーンを観た。その名句とは「はるかぜや とうしいだきて おかにたつ!」というもので子役が仁王立ちになり一回叫ぶ毎に句が画面に句がクレジットされ計三回叫ぶ構成になっていた。俳句は声に出してみることでその凄みがわかる。実際に声に出してみるというのもよい句作方法である。子役が叫ぶほほえましい姿をみていたら本当に丘に立っている気になった。「にほんごであそぼ」は何でも五七五にする「ごもじもじ」というのもある。面白い。いざ、おかにたつ!!

次週より【歳旦帖】【春興帖】につづく【花鳥篇】がはじまります。10句作品の【現代風狂帖】も引き続き瑞々しい作品を掲載いたします。乞う御期待!



筑紫磐井

今月10日に、鈴木鷹夫氏が亡くなった。「句集・俳誌渉猟」で取り上げたいと思ったが別の雑誌の時評で書いてしまったので、今回は上田氏の論争的な話題にしてみた。鈴木鷹夫氏は私が俳句を始めた時の先輩であり、「帯巻くとからだ廻しぬ祭笛」などの作品で巧者な作家としてすでに評価が高かった。ただ、時評を書くに当たって資料を読んでみると、意外な事実があり、雑誌の時評では触れなかったのでここに紹介しておこうと思う。

それは師である能村登四郎が、鷹夫氏の第3句集『春の門』によせて鷹夫氏の主宰誌「門」に書いた文章である。登四郎は多くの作品を取り上げて鷹夫氏のうまさを口を極めて褒めあげて、こうした五六十代の作家にもっと頑張って欲しいという。問題は最後の数行にそっとおかれる、―――「どうもほめっぱなしので、先輩として注言をしなくてはならないと思うが」と言ってこんな結びをする。「強いて言えば技あって心足らずということ」。

この行にぶつかった途端、心が凍り付くような気がした。今まで、延々と書いてきたバラ色の賞賛がすうっと消えて行く感じがするのである。

これは鷹夫氏を貶めようという趣旨ではない。戦後派作家(能村登四郎、飯田龍太、森澄雄など)という人々は、無意識のうちにもこんな冷酷なことを平気で言ってしまう世代なのだと言うことである。また、こんなことを言えない戦後生まれ作家とは全然違うと言うことなのである。

これで本編の「句集・俳誌・BLOG渉猟」と話が通うことになるだろう。戦後派作家は我々と違う価値観を確立していたのだ。おそらく今の初心者にこんなことを言ってもらえる師がいたら―――たぶんそれは最大の贅沢だと思う。「おじょうずですねえ、心がこもっていないけれど」。

【注】引用文は「ほめっぱなしので、先輩として言をしなくては」の間違いではないかと思う。

戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】/堀本 吟

【十二】津田清子の発見・昭和二十六年天狼賞以後

1)

受賞以後の津田清子は、この一年間「天狼」の遠星集上位入選をしめて、快調である。



「天狼」遠星集(第四巻第一號 昭和二十六年一月號))
巻頭の津田清子三句。

ミサのヴェールの中に眼開く四方つゆけし   奈良 津田清子 
 
聖歌隊解かれて処女柿齧る
 
どのポケットにも木の実教師は聖職か 

 以下のごとく山口誓子の選評がある。

聖歌隊解かれて處女柿齧る  
  
津田清子さん――(略)。解放された処女は柿にいきなり歯をあてて食べ始めた。それは聖歌を歌つた人の振舞とも思へぬし、第一、柿といふもの、キリスト教的雰囲気に於いて見るべき果実とも思へぬ。 
しかし、さういふ唐突さの中に俳句があるのである。いかにも日本だと思ふ。 
(山口誓子《選後獨斷》同號) 
遠星集の句の欄には、「処女」と書かれ、誓子の選後獨斷の選評には「處女」である。この時代、新旧の漢字使いが皆混乱している。いずれも読み方は「オトメ」、と読むべきだろう。讃美歌を終えた若い娘たちは列をほどくと、ホッと緊張がほぐれて「柿」をそのままかじりだした。という句である。
慎ましく敬虔であるはずの聖歌隊のおとめ達の緊張が解かれたあと、制服のままに野放図とも見える「柿」を「齧る」さま、をうまく捉えている。また、柿とキリスト教の取り合わせに、西洋文化に接した「日本」を感じ取っている。

筆者にも、この句がたいへん面白かった。

津田清子も「處女」の部類にはいるはずである。もともとが田舎育ちであるから、りんごやバナナよりは「柿」という果物を身近に感じているはずである。野育ちの自然体を好む津田清子の好奇心の有り様がわかる。清子にとっては、柿を齧る行為自体の新奇さよりも、やはり、キリスト教のミサという厳格な規律や形式の実行の中に生じている「自然」の姿勢をキャッチしている。日本的といえば、なるほどそうであるが、その場合の「日本」を誓子はどのように受け止めたのであろうか?

津田清子には、第一句集が『礼拜』であったことにもや窺われる感があるが、彌撒の現場を読んだ句がいくつかある。

「貴女はクリスチャンなのですか」、と筆者がかつて津田さんに質問したことがあるが、そういう宗教的なことではなく、ご本人の答えとしては、俳句の材を探していてどんなかたちでミサが行われるのか興味があり、友人のツテでそこに「潜り込んだ」、のだそうである。

後年、写真家の芥川仁に連れられて、公害の邑土呂久へ旅吟をくわだてたり、銀鏡神楽を見に行ったり.ナミブ砂漠へいったりすることと同じ探究心が、早くも現れている。具体的な教義からというより、感覚的に神のいるところに、彼女は吸い寄せられるのかもしれない。しかし、この作家の創作意欲を掻き立てるものは、やはり、俳句のための新しい素材、俳句の場の開拓であろう。「神も恋愛したまへり」も、当時「恋愛」という言葉を使いたかった、ということだし、この「神」も、イザナギ、イザナミ、も彷彿するものの、また、誓子があげた中国の正虹、副虹の故事を持ち出してもいいが、清子は。どちらかとえいえば西洋のモダンな当世風の受け止め方をしている。

このようなところ、創刊同人達が期待した戦後の新人の条件をそなえていたと思われる。

また、天狼創刊同人たちも、遠星集に登場するこれら新人の新しい感性にきたいするところ大である。



誓子の評文のスタイルは、まず字句通りの解釈を施し、字句にしたがって、景を明らかにする。そして、そこにあらわれる作者の意図を追いながら、この句の本意を掴みとる。それに基づいて自分の感想を述べ、作品として自分が選をするにふさわしい完成度があることをしめす。

上記の津田清子句や山口誓子の《選後獨斷》と関連して、誰しも、思い出すのが、

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規(明治28年作『寒山落木』巻四)

であろう。出典は高浜虚子選『子規句集』より。(岩波文庫・昭和16年初版、本書は一九九三年坪内稔典解説)。明治期に掲出の正岡子規の「柿」とお寺の取り合わせが新鮮である。子規の場合は、法隆寺であろうと興福寺であろうと、仏教と柿の取合せであり、誓子が指摘した清子の句では基督教との取合せ、柿と宗教との取合せは目を引く。

しかも、清子の場合、讃美歌をうたう清純な處女が丸かじりする庶民性に視点が及んでいる。

なんとなく「ピカピカの一年生」という感じがするのであるが、こう言う選句のり方を読んでゆくと、山口誓子が、戦前とは違う、戦後的素材をこなす新人を待望していたかが、見えるような気がする。



この號には、次席薄鵜城の三句、三席八田木枯の三句、第四席西村青渦三句、というふうに続き七人が三句、それ以後二句が六十三人、以後一句入選が四百七十一名。筆者の方の数え間違いもあるかもしれぬが五百十四人。大半二十歳代、三十歳代の人たち五句づつ、投句している。津田清子は、この時三十歳になったかならぬかである。

良夜明けをり野より犬帰りをり       岐阜  薄 鵜城 
河澄みて鉄橋冷ゆることはじまる 
風にさからふ雪片みれば都会よし
夕虹は一度見しもの母戀し         東京 八田木枯 
野の川の浮き上る見ゆ秋の暮  
      
蟋蟀のこゑが濡れたるものに附く
 
秋風や競輪地獄わきかへり         兵庫 西村青渦 
月明にしべのみひかる曼珠沙華 
殺されし蛇のみ生(なま)の重さ持つ 
                    (「天狼」遠星集 同号)
2) 「天狼」遠星集。(第四巻第二號)昭和二十六年二月号

この号では、巻頭を八田木枯が四句という好成績、次席橋本美代子三句についで、

秋の海航くのみなるに旗汚る    奈良 津田 清子
海をゆく心細さよジヤケツ着込む 
秋刀魚の香父母兄弟の香の中の
である。これを山口誓子が次のように評している。



秋の海航くのみなるに旗汚る 

津田清子さん――秋の航行である。/船の旗は白地なのに薄汚れてしてゐる。/前から汚れてゐる/作者もそれを知らぬわけはあるまい。
それだのに、作者はその汚れた旗を見て、秋の日の海を航行するだけなのに、この旗はこんなに汚れてしまつた―と詠つてゐる。
旗こそいい迷惑だが、そんな風に旗に難癖をつけた事によつて、その旗の汚れが生き、秋の日の航行が生きて來た。秋でなくてはならぬのである。
(山口誓子《選後獨斷》同 二月號)

筆者は、最初、誓子評の解釈の部分を省略して(書写しが面倒になったのである)、後半の方だけを引用していたのだが、文末に「秋でなくてはならぬのである。」、と結ばれていたので、また、文頭の「秋の航行である」、と入れ直した。かように誓子の文章には隙がない。引用も、いい加減に省いてしまうならば、原文の意図を忠実に伝えきれないことがある。

ともあれ、この俳句の眼目は、「秋の航行」、ひいては「秋」の季節的な環境、すべてが、くきやかな輪郭を持つこの季節特有の空気感、を表現している、と誓子は読み収めたのである。

しかし、津田清子本人の作句の感動や眼目もひとつはそこにあったことは否定できないだろうが、彼女の視線は、むしろ、白地の旗が航海中に薄汚れてしまっていることを改めて気がついた、ということではなかったか、と私は受け取った。

この句は、「秋の海」で切ることができる。「航くのみなるに旗汚る」と文脈上分断されているが、「を」を省略していると読めば、「航く」というところで意味がつながり、容易に海上の航海風景であることが知れる。この句の主格は「秋の海」ではなく、そこを進む船の「旗の汚れ」、にある。そこに人の生きる時間すらをにおわせる人間的な視線を当てている。

山口誓子の方は、上五の方に重点を置いて「秋の景」にこだわっているフシがある。草田男の一元的な、いわば象徴詩に対して、山口誓子は、二物衝撃の作法の囲いの中でオブジェ的に構成された秋の景といて、読み解かれていたのかもしれない。

この津田清子の視点について、文字通り、生活という存在の根源に迫るものとして私は着目する。(この稿了)。

句集・俳誌・BLOG渉猟(7)~週刊俳句~/筑紫磐井

「週刊俳句」の<週刊俳句時評78・79>「 "石田郷子ライン"……?」で、中原道夫が提案したという「石田郷子ライン」なる言葉が論じられている。

「作品が全体として本当の意味でのライトバースではなくて、軽い。これはいつから起きたというのは定かではないけれどある時代を画して似たようなタイプが出てきた。勿論一人ずつを吟味すれば違うのですが、私の中では"石田郷子ライン"と名付けている。李承晩ラインみたいに。彼女が新人賞を取ってから、藺草慶子、高田正子、山西雅子などあの辺の一派にディファレンスを感じない。みんな似たようで、さっぱりとしていて軽い、それでいて嫌な感じではないですよ、癒し系と言ったらいいのかも知らないけど、ああいう軽めのイージーリスニング、BGMみたいな集団として一個の塊がずうっと動いている感じがする。」

「街」の座談会で述べているもので座談会特有の軽さがあるが、輪郭として言えば、私はいわば「戦後生まれ世代」の次の世代の特徴を述べているのではないかと思った。これに対して、上田信治は"石田郷子ライン"の作家の列挙をし、

石田郷子 今橋眞理子 津川絵理子 明隅礼子 辻美奈子 西宮舞 浦川聡子 大高翔 中田美子 上田日差子 今井肖子 高田正子 中田尚子 仙田洋子 土肥あき子 黛まどか 中西夕紀 矢野玲奈 名取里美 藤本美和子 山田佳乃 井越芳子 藺草慶子 甲斐由紀子 甲斐のぞみ 日下野由季 藤本夕衣 杉田菜穂 小川楓子 高勢祥子 藤井あかり 鶴岡加苗

という名前をあげ、さらに、幅を拡げて、と言って

片山由美子 武藤紀子 山西雅子 岩田由実 森賀まり 満田春日 対中いづみ 杉山久子 北川あい沙 茅根知子

と書いている。実はこの辺になってくると私の見当のつかない作家も半数ぐらいいるので何とも言いようがない。

それはそれとし、上田の主張は、「"石田郷子ライン"の特徴は、まず、ことごとしい「文学的自我」や「作家意識」を前提としないことにあります」に基準をおくようだが、これは片山由美子を入れるあたりから相当にぶれ始めているような印象を受ける。

上田の根拠は、「片山由美子さんは「光まみれの蜂」の「まみれ」は表現として汚いから、美しいものに使わない方がいいという主旨のことを発言されたそうですが」と言うところに出てくるようだが、だからといって片山が石田郷子ラインの中にあって、神野が石田郷子ラインの外にあるとなると、これまた議論を呼びそうである。

"石田郷子ライン"を――中原が述べているように、「李承晩ラインみたい」で分かる若い人は少ないであろう。「李承晩ライン」については、私の「文体の変化/テーマ:「揺れる日本」より②」に出てくるのでご覧いただきたいが、このラインを援用して李承晩は「対馬」(今話題の竹島ではない)は韓国固有の領土であると驚くような主張をし、アメリカと交渉している(当時日本は主権を回復していないから、独立国韓国と交渉出来ない)。こうした民族主義的愛国運動と結びつけて石田郷子に「ライン」を付けるのはかわいそうであり、むしろまだしも金子兜太ラインや夏石番矢ラインの方がふさわしいような気がする。

脇道に逸れすぎたが、"石田郷子ライン"が分明でないのは、実はそれが対比される、前の代表的世代である(上田が「文学的自我」や「作家意識」を前提と考えている作家)長谷川櫂や小澤實、岸本尚毅らが、実は何であるのかがまだ論じられていないところにある。戦後派世代と言われた金子兜太や飯田龍太の守備ラインははっきりしている、しかし戦後生まれ世代の長谷川櫂や岸本尚毅らが何であるのか、誰もまた論じてあげていないのではないか。

さらに羽目をはずして言えば、前衛俳句(もしあるとすればだが)も伝統俳句(もしあるとすればだが)もそろって「俳句上達」に邁進しているのが現代俳句ではないかという気もする。詩人・歌人にくらべ俳人の異常なほどの仲の良さは、まさに「俳句上達」仲間だからこそのものであろう。

実は私も"石田郷子ライン"にいるのかなと思ったりする。そして冗談を抜きにして正直に言えば、現在問うべきは"石田郷子ライン"に誰がいるかではなく、こうした設問をすることによって俳句を何であると考えようとしているかが当面突きつけられている問題ではないかと思うのである。






文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より⑦~戦後風景~】/筑紫磐井

【焦土】

じゃがいもの花白し焦土たづねたき 新月 20 渡辺水巴 
はこべらや焦土のいろの雀ども 雨覆 20 石田波郷 
束の間や寒雲燃えて金焦土 雨覆 20 石田波郷 
炎天の川が焦土を抉るごと 早桃 20 大野林火 
梅雨の家並わづかにゆけば焦土見ゆ 早桃 20 大野林火 
大根の畝のみづみづ焦土貫く 俳句研究 20・12 篠原梵 
我子に葺く焦土の蓬さはに刈る 俳句研究 21・9 西島麦南 
人も夏荒れたる都八雲立つ 俳句研究 21・9 中村草田男 
焦土凍み吾がつぶやきは風が奪ふ 太陽系 21・12 岡田利作 
焦土の石積みて初午の祠とす 霜林 22 水原秋桜子 
厠の石灼く焦土より掘り起こす 歩行者 22 松崎鉄之介 
鰯雲焦土おほかた町をなす 現代俳句 22・1 百合山瓜公 
飢えと罪焦土にひかる蜻蛉の目 寒雷 22・3 渡辺朔 
子供ゐる焦土の天の花曇 ホトトギス 22・7 山口青邨 
太古より焦土かくあるごとき雪 俳句研究 22・10 林薫 
冬枯や焦土と河原一枚に 浜 23・1 大野西湘子 
天の川焦土東京をふるさとに 曲水 23・1 齋藤空華 
泰山木咲くや焦土の碑は高し 曲水 24・7 山本夕村 
焦土の路を絶ちてもろこし襖なす 石楠 24・9 臼田亜浪 
寒むや厠忘れゐたりし焦土見す 青水輪 25 大野林火 
未だ焦土にて陽炎の立ち易し 浜 26・6 北野晴彦 
虹二重狭まりつつもなほ焦土 曲水 26・3 椎名麦銭 
汗涸れて阿鼻の焦土にゐしか吾 俳句 28・4 下村ひろし 
凍焦土種火のごとく家灯る 俳句 28・4 下村ひろし 
きりん草咲けども焦土かくし得ず 俳句研究 28・12 岸風三楼 
明日いかに焦土の野分起伏せり 野哭 加藤楸邨
【焼跡】
焼跡に遺る三和土や手毬つく 来し方行方 20 中村草田男 
焼跡の低き乏しき百日紅 雨覆 21~22 石田波郷 
焼跡や空朝焼し夕焼す 石楠 21・5 林原耒井 
焼跡の焚火その夜と異なる色 浜 24・5 池谷素石 
焼跡の雪虫きのふ見たる辺に 曲水 25・3 小川枸杞子 
焼跡の青空名なき草芽生ゆ 浜 26・6 北野春彦 
焼跡はことに霜濃く慰まず 曲水 27・3 宍戸一太 
焼跡のほこりつぽくて今日も南風 ホトトギス 27・10 椋砂東 
焼跡やくらき昴がさしのぞく 浜 27・12 宮津昭彦
【瓦礫】
瓦礫に月虐げられしものばかり 冬雁 21 大野林火 
あはれこの瓦礫の冬の虹 太陽系創刊 富沢赤黄男 
我が活路あらむ瓦礫の柳萌ゆ 石楠 23・5 藤波紫影 
戦はなほありや瓦礫に蝿生る 浜 27・6 渡辺浮美竹 
瓦礫踏まへ高貴の蜥蜴尾かなりし 俳句 29・7 堀井春一郎
【廃墟】
木犀の香を留め廃墟たもとほる 太陽系 21・10 水谷砕壺 
巨いなる骸の駅へ装も 万緑 21・10 岡田海市 
牛はしづかに馬は廃墟を蹴るばかり 現代俳句 22・5 火渡周平 
夏草生ふ空地あり都市悲しうす 浜 25・10 松崎鉄之介 
雷雲を四方に廃墟の獣ふかし 石楠 八杉朽人
【戦後】
尾を振りつ蝌蚪浮き上る世は新た 万緑 21・12 香西照雄 
ラグビーのせめぐ遠影ただ戦後 来し方行方 22 中村草田男 
蚊帳の疵どれもことごとく戦後のもの 俳句研究 24・9 川島彷徨子 
陸橋の秋風の燈も戦後も暗し 浜 25・1 永野萌生 
あたりは案山子こけても泣かぬ戦後の子 俳句研究 26・1 中村草田男 
殺戮以て終えし青春鵙猛る 歩行者 27 松崎鉄之介 
冬菊や戦後抱きつぐ膝小僧 氷原帯 29・2 川端麟太 
餅腹のたもつよ「戦後」ながかりき 寒雷 29・2 加藤楸邨 
かつかつに読みし戦後や蛾の栞 俳句 29・7 平畑静塔 
咲く薔薇が平和の砦戦後の家 青玄 29・8 伊丹三樹彦 
【戦災――戦禍】
六甲嵐荒涼と戦禍の街残す 石楠 25・6 藤村咫城 
いぬふぐり戦禍忘るる日のおほく 石楠 25・6 武田暁風 
このあたり戦災のがれ蝉時雨 ホトトギス 26・11 佐野丶石 
草露や戦禍のいかりさへいまは 百戸の谿 28 飯田龍太

【戦後世相】
かかる世の蟻はしづかに列をなす 暖冬 21 目迫秩父 
狂へるは世かはた我か雪無限 暖冬 23 目迫秩父 
啓蟄の蟻混濁の世に光る 浜 23・6 山崎鶴人 
世やけはし咲きつぎ石楠花あまた 浜 24・8 松崎鉄之介 
冬日まみれにわが悲しければ日本かなし 歩行者 25 松崎鉄之介 
ひたすらに狭き国土の木々芽吹く 曲水 26・6 鈴木蒼穹 
雨季に入る世界図の日本朱く少さし 石楠 28・7 畔見秋垢
【希望喪失】
地の涯に倖ありと来しが雪 砂金帯 20 細谷源二 
雁や市電待つにも人跼み 冬雁 22 大野林火 
ただ懶し干潟ひろくてあてなき蝶 浜 22・5 大野林火 
今回は、「揺れる日本」に載っているすべての項目をあげていはいない。次の項目は省略している。

【焦都】【焼ビルーー焼工場】【焼木――焼トタン】【旧軍事施設】【闇市――マーケット】【新薬】【婦警――パトロール】【押売】【買物袋】【物々交換】【交通難】【台風<戦後的な>――台風予報】【人間天皇】【生理日】(以下その他となっているものである)【国歌――君が代】【密漁】【密造】【街頭放送】【金物ひろひ】【返爵】【ビル建設――都市復興】

理由は、「揺れる日本」について、その細目を、①政治経済、②戦争平和、③社会、④基地、⑤労働関係、と見て来たが、⑥衣食住、⑦年中行事、⑧人事、⑨風俗流行には、生々しい生活断片こそひしめいているが、社会性俳句的要素はほとんどない。とんで、⑩戦後風景の中の一部にそうした句が復活している。そこでこれらの句だけを項目で拾ってみることにしたのである。

おそらく主題というものは、抽象化し、隠喩化することによって詩となるのではあるまいか。リアリズムにあっては、個別具体のばらばらな日常生活素材では詩化されない。メッセージとしては伝わっても、詩に昇華しないのである。これは重要な事実である。さらに言えば、個別具体の日常生活素材は、個別具体の日常生活素材として伝達されるだけではなく、それらが戦争や悪魔の隠喩や諷喩であることによって詩の本質を獲得するのである。

またリアリズムにあっては、常に作者の倫理的態度が控えていなければならない。西欧の写実主義が教えたものは、そういう文学の態度であった。美しいものより醜いものを、傍観的な態度ではなくて社会を動かす運動を、そうしたものを写実主義文学は求めることになる。写実主義文学の句系である自然主義文学はまさにそうした激しい文学運動であった。素材についても、①政治経済、②戦争平和、③社会、④基地、⑤労働関係について我々は激しく怒り、感動するが、⑥衣食住、⑦年中行事、⑧人事、⑨風俗流行にあっては興がる事のほうが多いのであろう。

言ってみれば、主題があって我々の態度が生まれるのではなく、予め我々の態度があり、これに対して主題が選ばれるのだ。その意味では社会性的態度の人があり、その人々は社会性俳句を詠まずにはいられないのだ。従ってその態度は千差万別であり、同じ戦争問題を全員が画一的に詠むのではなく、人それぞれに戦争に寄せる態度が異なっており、それに応じて社会性俳句が詠まれる。このように理解するのが、俳句における社会性の適切な理解ではないかと思われる。
それにしても焦土の句の圧倒的多さ(60句)に、当時の時代を感じ取るべきだ。戦後俳句とは「焦土」俳句であったのだ。「揺れる日本」の中の主要主題を掲げれば、以下、基地(57句)、スト(52句)、税(38句)、メーデー(35句)、パチンコ(35句)、焼跡(29句)、平和(20句)、(原爆にかかわる【原爆忌】から【放射能】までふくめると64句)・・・。このように並べると戦後の風景が今一度再認識されるだろう。

中村苑子の句【テーマ:水妖詞館ーあの世とこの世の近代女性精神詩】11.12.13.14./吉村毬子

11 わが襤褸絞りて海を注ぎ出す

海へ行き、波を被ったのか、着物のまま海へ入ってしまい、遊んだのか。海水に濡れた着物を絞る様子を詠んだともとれるのだが・・・。

かつては美しかった絹の着物が「襤褸」となる頃、それを絞ると、歳月が「海」の如く溢れてくるのだと解釈したい。母なる海―女と海の関係は詩に詠われるものである。水を好む苑子は、海も好んでいた。女としての、昏く、そして華やかな人生を過ごした時間は、大海原を漂流した船乗りのように、その疲れ果てた「襤褸」から絞り出されるのだ。「わが」と強調したところにも思いが感じられる。それは、辛く透明な汗と泪の混じる深い青い色をした「海」なのであろう。

「海を注ぎ出す」という表記に寄り、「襤褸」という語が稀な美しさを表出し、輝きを放つ。

そして、「襤褸」と「海」の二語で、自身の人生という時間を十七文字で表現し得る俳句形式の強さを感じずにはいられない句である。

12 おんおんと氷河を辷る乳母車

初めてこの句に出遭った時、(すでに二十年以上も前だが。)松本清張rの『砂の器』の父子が凩の中、海辺を黙々と歩く姿が重なった。

「おんおん」と泣いているのは、赤ん坊か我か―。氷河は、「おんおん」と音をたてて崩れては、流れては、形を変えていく。全てが「おんおん」と鳴り響くその目くるめく怒涛の中、乳母車と共に氷河に身をまかせていくしかない女の姿。それは、女『子連れ狼』の如くにも感じられる。

橋本多佳子の句

乳母車夏の怒涛によこむきに

とは、明らかな違いがある。夏の荒波にも耐え、しっかりと立つ多佳子の乳母車が、海に抱かれたその光景は、逞しくおおらかであり、爽やかでさえある。

人は、平坦で緩やかな場所ばかりを歩んで来るわけではないが、苑子が「氷河」を舞台設定にしたその思いと覚悟は、如何なるものであったろうか。夫が戦死し、俳句を術に氷塊のような固く冷たい世間を歩けば、足元から崩れることもある。安定など有り得ない。大海原に浮かぶ氷塊を、乳母車と共に辷りながら、縋りつきながら生きていくことこそ、苑子の詠う母の詩である。苑子の生き様も描かれていると同時に「母」という名の精神性を最も享受できる句であろう。

13 貌を探す気抜け風船木に跨がり

風船の空気が抜けて、木に引っ掛かっている様子であろう。大空は快適で自由であったが、いつの間にか風に流されて木に引っ掛かってしまったのである。

空気がたっぷりと入って溌溂と大空を回遊していた風船が、時間が経つにつれて空気が抜けて萎んでいくことは、必然である。人もまた、時間経過と共に身体は衰えてゆくのだが、この句は「風船」を「貌」に喩えている。

苑子は、少女の頃、お転婆であったと話していた。凧揚げや木登りもよくしていたらしい。無垢な強さを身に纏っていた頃を思い出しながら、静かに現在の己を見詰めているようである。

歩いて来た俳句人生の道程を振り返りながらも、老年に差し掛かった将来への不安と焦燥を少しは感じるが、木に跨り、地より浮いたその場所で本当の自分を探している手段は、諦めに似た落ち着きを持つ。

しかしながら、この句には、確かに自分を「気抜け風船」だと認識している倦怠が窺える。
果たして「貌」は、何処へいったのだろうか・・・。

14 貌が棲む芒の中の捨て鏡

前句の「貌」が行き着いたところか・・・。

「風船」であったはずの「貌」は、生気を喪ったが、鏡の中で己を取り戻したのか・・・。

見開きの右側一頁に、11・12の句、そして左側の頁に13.14の「貌」の句が置かれている。(毎回、この四句づつ書き進めているのだが。)13の「貌を探す・・・」と並べられているということは、意図的であり、意味を持たせているのだろう。

この句は、苑子の代表句としてよく取り上げられる句である。

倉阪鬼一郎氏も著書『怖い俳句』で解説している。

いちめんの芒の中にぽつんと一枚、鏡が捨てられています。その中に、人知れずえたいの知れない貌が棲みついています。それがいかなる貌なのか、なぜ鏡の中に棲むようになったのか、俳句は何も説明してくれません。(中略)鏡を捨てた者が貌として宿るようになったのか、あるいは物の怪のたぐいが棲みつくようになったのか、これまた短かすぎる俳句の言葉は伝えようとしません。
 一読、誰もが倉阪氏と同じ思いを抱くだろう。

俳句の形体に迷いがない。まず、上五で「貌が棲む」と言い放っている。そして、鏡が芒原に在ることも、想像を掻き立てるに事欠かない設定であり、その中に棲む「貌」は、異様としか言いようがない。

鏡を捨てるということ自体が、非日常的であり、割れてしまったのかも知れないが、それは、不吉を予感させられると言われている。持ち主が亡くなってしまったのなら、形見としての存在が許されなかった女のものだったのか・・・。

いずれにしても、鏡の中に棲む貌は、そこへ定住しながら生き永らえていくのである。芒は、陽光を浴びながらサワサワと揺れ続ける。逆行の夕景、晩秋の宵闇、枯芒の頼りない揺れの中も鏡はそこにある。まるで、古代よりその地に棲みつき、存在していたかのように。一筋の諦念を髪に携えながらも、終の棲家の鏡の中に納まっている。憎悪や復讐などは、とうに芒原の風に吹かれ、永遠に原野の一部となる。全てを捨てられ、捨てた貌は、怒りに満ちた貌よりもずっと恐ろしく見えるのではないか。

今回の四句は、前回の叙情で詠う「母・女」よりも、更に激しく、母として、女としての性(さが)を焦点を絞り詠い挙げている。現代を生きる女性にも、その一欠けらは共感するものと信じたい。



【執筆者紹介】

  • 吉村毬子(よしむら・まりこ)

1962年生まれ。神奈川県出身。
1990年、中村苑子に師事。(2001年没まで)
1999年、「未定」同人
2004年、「LOTUS」創刊同人
2009年、「未定」辞退
現代俳句協会会員

【俳句作品】 傘の骨 / 曾根毅

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   傘の骨   曾根毅

原発の湾に真向かい卵飲む

燃え残るプルトニウムと傘の骨

折り鶴は羽を尖らせ別れ霜

寒き夜核分裂を繰り返し

断崖や批評のごとく雪が降り

放射状の入り江に満ちしセシウムか

原発を探しておりし風見鶏

海底の火口を思い日脚伸ぶ

釣筏昨日の雪を揺らしおり

海髪として靡く千年若狭かな

【略歴】

  • 曾根 毅(そね・つよし)

1974年香川県生まれ。「LOTUS」同人。現代俳句協会会員。

【俳句作品 】探龍譚 / 板藤くぢら



  ※画像をクリックすると大きくなります。
 

   探龍譚   板藤くぢら

逃水や鍵入れし箱の鍵探し

春陰の箪笥に毒と毒消しと

カタカナで記す宿帳春愁

この星の半分は夜龍天に

蛍火やもの言わぬ岩恐ろしく

隧道を抜けて祠の春灯

桜まじ荷駄は押すより術はなく

青き踏む土管と見ればすぐ屈み

かひやぐら消すべきものを積み上げて

かまい時判じ難きはリとソとン


【略歴】
Ⅰ953年 新潟市生れ
Ⅰ995年 『童子』入会
2003年 『童子』同人
2008年 『童子賞』受賞
そして、なんと
2012年 『童子大賞』受賞
 俳句は駄作多謝で良く、誤読は読者の権利だと思う。

2013年4月19日金曜日

第16号 2013年4月19日発行


【俳句作品】 ~現代風狂帖(10句)~


榾の宿   紺野ゆきえ   ≫読む

永き日   小林かんな   ≫読む


【戦後俳句を読む】

  • 文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より⑥~労働関係~】

……筑紫磐井   ≫読む

  • 戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】

……堀本吟   ≫読む


【現代俳句を読む】

  • 句集・俳誌渉猟(6)~『堕天使の羽』~ ……筑紫磐井   ≫読む

  • 86回 俳句時評  将棋・電王戦と文化における「場」……湊圭史   ≫読む
new!!
  • 87回 俳句時評  テーマパークで夢を見る ……外山一機   ≫読む

  • 二十四節気論争(10)最終回――日本気象協会と俳人の論争――

……筑紫磐井編   ≫読む

  • 再録・黒い十人の女(六)……柴田千晶    ≫読む


【編集後記】

あとがき   ≫読む



PR広告・告知のページ

  • 募集!! 第2回  攝津幸彦記念賞 ≫読む

  • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」のご案内(現時点の概略)≫読む
~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~

   ……本井 英 ≫読む






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※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!



俳句時評 第87回 ~テーマパークで夢を見る~ / 外山一機


今年初めに亡くなった福田基は、師である林田紀音夫が第二句集『幻燈』以後、無季作家からの「変身」を企図していたことを指摘していた(「林田紀音夫の俤 雑感風に」『俳句界』二〇〇八・六)。林田の無季俳句を時代が必要としなくなっていくのを、林田は自身の変化とともに誰よりも敏感に感じとっていたのであった。たとえば林田の無季俳句を時代の表現ではなくあくまでも個人の物語として享受し消費したがるのが僕たちのいる現在の風景なのであって、そのような風景のなかにこそ『豈』(二〇一三・一)のあとがきに記された「今は『幸せな者?が俳句を書く時代』なのかも知れない」という認識も現れてくるのであろう。

先頃、恩田侑布子が評論集『余白の祭』(深夜叢書社)を上梓した。恩田は俳句史を辿りつつ俳句を「身と環の文学」であるとする独自の見解を提示しているが、その評論家としての手際の良さが端的にあらわれているのは「桑原武夫「第二芸術論」に応う 極楽への十三階段」であろうか。恩田は桑原の「第二芸術―現代俳句について―」について次のようにいう。

俳人から評判が悪いこの論文が私は好きです。切って捨てる厳しい論調に、限りない
父性愛を感じるからです。ちょうど祖父の世代に当たるので、その厳しさが有り難くな
ります。(略)
 
折に触れて繙いてきた「第二芸術」ですが、今回ノートに論点を書き抜いてみるとお
もしろいことに気づきました。隠し階段が潜ませてあったのです。桑原は同時代の俳壇
を、みんな仲良く上っていく階段、「極楽」という衰弱死が控える十三階段に、すなわ
ち絞首台にこっそりと喩えていたのです。

「俳人から評判が悪いこの論文が私は好きです」という言葉からは表現者としての恩田の自負がうかがわれるが、恩田はこの十三階段を上りながら、第二芸術論をあるいは揶揄し、あるいは認め、あるいはその非を指摘する。そのなかで桑原のいう「いまの現実的人生は俳句には入りえない」という点については、近代以降の俳句史に「現実社会には目を塞ぎ」「身のまわりのきれいな自然にこだわ」る「屋上庭園派」と、「非日常なる詩的俳句を追求し」「他者不在の俳句の出現」をもたらした「自我肥大派」とを見出し、「一句が作者の全投影ではなくなり、まるごとの人間が俳句から消えてしまった」と述べている。

だが僕は、多分に否定的なニュアンスをこめて発せられたであろう次の言葉に違和感を覚えた。

まるごとの人間が消失した代わりに俳句を支えるのは意図と演出です。明るいひかりをわたり歩く扁平でクリーンなテーマパーク俳句。一枚コンクリートをめくればそこは埋
立地です。生き物の歴史がありません。

僕にはなぜいまの僕たちが「まるごとの人間」といったものを詠えるのかがわからない。だから僕には、この言葉はほとんどそのまま僕たちのいる俳句の現在を肯定する言葉にさえみえる。僕たちは初めから意図と演出によって俳句をつくってきたのではなかったのか。戦後派が老大家となり、戦後派以後を「戦後派以後」という名で呼ばざるをえないような状況を通過した現在にあって、僕たちのいる場所は扁平でクリーンな俳句で満ちている。恩田は「季語は俳句を作る人間にとっては、また味わう人間にとっては、本体でも本尊でもなく、はたらきなのだ」としているが(「おのれを拓く発光装置・季語」)、まさに季語が「本体でも本尊でも」あるような「クリーン」な俳句表現こそ僕たちのいる場所に流通していたのであった。けれども、それを批判することにどれほどの意味があるというのか。僕には古地図に描かれた東京湾よりもコンクリートによって上書きされたディズニーランドのマップのほうが愛おしく懐かしいのである。

僕たちのいるクリーンな場所の周旋者の一人に長谷川櫂がいるが、本書にはこの長谷川にかんする評論も収録されている。恩田は長谷川の第一句集『古志』について「俳句の可能性が満ちあふれている」、あるいは「俳句史上の黄金の釘であることを私は疑わない」とする一方で、「自分を古典とことばに、すなわち自分の信じる「場」なるものに、ややかたくなに早々と明けわたしすぎた」として近年の長谷川の作品をやや批判的に論じている。たとえば『果実』『蓬莱』『虚空』の数句を挙げたうえで、次のように述べる。

現実よりも、十七音という額縁的な「場」のなかで、季語が力を発揮する季のハイパ
ー空間が現れる。季物が手に取るように浮かびあがる。季物のコーディネイトの達人と
いう意味で、すぐれた茶人の感性をさえ思わせる。櫂自身のことばを耤りれば、「季語
をホログラムとしてつかいこな」した句群である。
 
しかし、どれにも発想の契機に混沌がない。すなわち櫂自身のいう、切れという「黒々
とした深淵」がない。作者の関心はことばの木の根っこの部分ではなく、すきとおる若
葉の部分に集中している。

長谷川へのこうした批判が、ときにむなしいものに感じられるのは僕だけであろうか。このような言葉が僕に強く印象付けるのは、長谷川の俳句表現の至らなさよりも、むしろ、このような批評の言葉が、長谷川自身には何も響かないであろうということ―そして、それは長谷川の傲慢さや表現者としての無自覚さから生ずる落ち度などではなくて、恩田の批評の落ち度を示唆するものではないかということであった。

そもそも、長谷川の「俳人」としての「見事な」歩みを思い起こせば、この程度の言葉によって揺らぐ長谷川ではないし、「黒々とした深淵」のない俳句の隆盛もまた喝破しえたとはと思えないが、僕にとってはむしろこのような長谷川の表現者としてのありようや、「季のハイパー空間」の形成に熱心な者が生み出される場所のありようこそが興味深いのである。たとえそれが無意識的な行為であったとしても、自らの表現から「黒々とした深淵」を追いやってしまうような「俳人」の登場は、起こるべくして起こった事象であるに違いない。いま、俳句に「黒々とした深淵」などというものを求める者がどれだけいるというのだろう。だから、長谷川櫂にまで「黒々とした深淵」を求める心性は、僕には懐古趣味にみえる。なぜそのようなものを表現しなければならないのか。そのようなものを表現することは、いまもなお僕たちの切実な行為たりうるのだろうか。本当のことをいえば、表現するということのもっていた切実さというものにさえ、僕はときどき違和感を覚えるのだ。表現をするということを、今でも本当に僕たちは希求しているのか。

恩田は第二芸術論に対して次のようにも書いていた。

わたしたちは、そしてわたしたちは、楽しい十三階段、上りかけた十三階段を下りようと思います。(略)
わたしたちはパレードの見学者であったり、アトラクションで時間をつぶす決まりきった消極的な句作にさようならを言います。テーマパークで遊ぶのをやめ、時代の曠野に出ます。時代の流れるごつごつした溪や川原を歩きます。目だけの人間であったり、密室で空想する脳だけの人間であったりするのをやめます。

恩田は「テーマパーク」との訣別を宣言する。でも僕には「テーマパーク」と恩田のいう「溪や川原」の違いがわからない。僕がわかっているのはせいぜい「溪や川原」のような「テーマパーク」を歩いているということだけである。そして少なくとも僕にとって表現行為とは、「溪や川原」を歩くことを断念することから始まっている。僕はあまりに「テーマパーク」で遊びすぎたのだろうか。しかし本当は、「テーマパーク」で遊ぶことをもって「僕」であったような気がするのだ。「アトラクションで時間をつぶす」ことは「消極的な句作」だろうか。だが僕は「アトラクションで時間をつぶす」ことをむしろ積極的なそれとしてみなすことで、この空虚な営為の果てに夢を見ようとしているのだ。


第16号(2013.04.19.) あとがき

北川美美

編集後記というと「俳句研究」高柳重信の重厚な文章で読み応えがあります。『新撰』『超新撰』『俳コレ』発刊あたりの記事に引用、あるいはシンポジウムでリフレインされたような記憶があるのですが、その一節を下記に引いてみます。

俳壇の歴史を振り返ってみても俳句表現の新しい魅力は、新しい作家の登場によってもららされてきた。そして、その新しい魅力も、同じような作風が、五年十年と歳月を重ねるたびに、次第に古びてゆき、やがては、新しい何かを待たれるようになる。そこに、また、新しい作家が、新しい作風をもって登場してくる機会が生まれた。このような更新が、しごく自然に行われていれば、俳句形式は、いつまでも古びることはない。この点で、高浜虚子は、もっとも傑出した演出家であり、編集者でもあったような気がする。昭和四十五(1970)年7月号 (『俳句の海で 高柳重信』ワイズ出版)

上記からすでに43年の歳月が流れ、その間も俳句は作り続けられ、読者は常に新しい作風を期待してきました。新しい作風とは何なのか、それは俳句とは何かということが常に考えられてきたということに等しく、まさにそれらを読むことが「戦後俳句を読む」ことかと思います。

俳句作品(10句)を今号より【現代風狂帖】としてみました。(筑紫相談役案)

今号は、紺野ゆきえ氏と小林かんな氏の作品。

小林かんな氏作品が挙げられている、豈weeklyの記事(2009年11月19日号)をみつけました。

(豈weeklyは相当の文書量であり貴重な資料データベース的役割を果たしていると改めて思い、高山れおなさん、中村安伸さんを労いたいと思います。)

今後の作家ラインナップも揃ってきました。作品掲載もますます御期待ください。



筑紫磐井

○現在、「歳旦帖」「春興帖」に続き「花鳥篇」を企画している。多くの作家たちが、場を一にして競い合うのは日本的伝統に適ったものであるかもしれない。連歌、連句、歌合せ、句合せなどを踏まえて、伝統と前衛の饗宴を作りだしたい。

○福田葉子さんから、福田さんが参加した故高柳重信を中心とした句会報の一部を頂いている。様々な顔ぶれが登場する梁山泊的なおもむきの句会である。ある程度まとめて、いずれ論考として報告したいと思う。

○東京で攝津幸彦研究会が開かれる。昨年(9月8日)神戸文学館で豈同人により「1970-80年代の俳句ニューウェーブ〈攝津幸彦〉を読む」と題してシンポジウムが開かれたが、今回はこっそりと飲み屋の席で行われる。ただ、初めて攝津幸彦に触れる人たち(豈同人は一人もいない)だけに新鮮な内容となりそうだ。従来の人が誰も取り上げなかった句も俎上に上がっている。これらが材料となり、豈の次号(55号・56号)企画が組まれてゆく予定である。

戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】/堀本 吟

【十一】津田清子の発見・昭和二十五年「遠星集」入選作

1)第一回天狼賞 薄鵜城

ぎつしりと霜柱物を言はんとす  (薄 鵜城) 
東京寒し夜間飛行の音止まず 
癈墟かなしなほ降る雪にうづもれず 
天金より指さし入れて爐火搔けり 
セル著て佇つ滾ちゐるもの渦のみかは 
臥してすぐやはらかさ増す苜蓿 
犬吠えに吠ゆる避暑より帰りしや 
積亂雲生まれて間なし犬吠ゆる 
人泳ぐ岐阜も颱風圏なるに 
花火のみち見れば若さはとゞめがたし(天狼・第二巻第一號・昭和二六年一月號)

天狼賞はかねての計画であつたが、その第一回の受賞作品を電撃的に發表した。昭和二十四年度の遠星集より抽いて賞するものである。(山口誓子 編集後記) 

2) 第二回 津田清子、天狼賞受賞作品

   第二回天狼賞作品  奈良  津田清子
(第三巻第一號 昭和二十六年一月號掲載) 
礼拜に落葉踏む音遅れて着く 
鶏にも夜が長かりしよ餌つかみてやる 
北風に唄奪られねば土工よし(註。原句では、「奪(と)られ」とルビ) 
雪激し何の夾雑物もなし 
聖歌中勇気もて爐の灰落す 
讃美歌の余韻咳なほ堪へてをり 
火星に異変あるとも餅を食べて寝る 
雪積る中滑らかな水車の軸 
夏潮や柵正しくて画にならず 
うろこ雲うろこ粗しや眠り足る

第二回の天狼賞受賞者が決定した。前年度に於ける二句以上の入選作より精選したものである。(山口誓子 編集後記。天狼題四巻第一號)

「天狼」第三巻第一号(昭和二十六年 一月号)には、表表紙裏側に、第二回天狼賞の受賞者津田清子の十句が書かれてある。(前回抜書した遠星集入選作からさらに山口誓子が選んだもの)

3) 清子句についての誓子評(遠星集《選後獨斷》より)

これについては、前年度誓子の《選後獨斷》で、批評がある。
(以下清子の句と誓子の批評の引用は総べて昭和年二五年の天狼誌より抜粋。)

☆  礼拜に落葉ふむ音遅れて着く  清子    (一月號3人目三句)  

(略)作者はその落葉を踏む跫音を以て、刻に遅れてきた一信者を詩化した。時間のことは、教会でも喧しいさうだが、遅刻からはかういふ詩も生れるのである。(誓子《選後獨斷》一月號)

鷄(とり)にも夜が長かりしよ餌つかみてやる 清子 (二月號)

(略) 秋の夜は長い。飽き飽きする長さである。起きて鶏小屋に行つてみると、鶏も起きてそこにゐる。さだめし鶏たちにとつてもさうであらう。禽獣のことゆゑ、その長さはどうにもならぬ長さであつたろう。憐憫の情が強く湧く。作者は餌箱から餌を手掴みにして、それを鷄にやるのである。「つかみて」は作者の愛のあらはれに他ならぬ。(誓子《選後獨斷》二月號)

北風に唄奪られねば土工よし 清子 (三月號)

(略)―労働は自然に唄を誘ひ出し、その唄がまた労働を活気付ける。

この女性作家は、唄とともに働いてゐる土工を微笑ましい、いゝ職業だと思つて見る。
しかし、北風はその唄を土工から吹きさらひ、奪ひ去る。遠慮も会釈もない。うたふ唄を絶えず奪われてゐる土工は、実にみじめである。そのときの土工はたいしてもいい職業とは思へない。
この女性作家は、それを引つくりかへして、「北風に唄奪られねば土工よし」と詠つた。美事な手際である。
土工をこのやうに詠ふことは階級闘争の立場からは、非難攻撃されるかも知れない。
しかし、これは作者の人間として偽はることのできぬ実感である。このやうに実感を活かす場が俳句なのだ。(誓子《選後獨斷》・三月號) 

この句の読みどころとして、誓子は「引つくりかへ」したことを、「美事な手際」だと関心する。また、女性作家には珍しい、労働者の生態をとらへていること。階級闘争の立場からではなく、実感を生かすことが俳句せある、ことを指摘している。

雪激し何の夾雑物もなし 清子 (巻頭句三句のうち。四月號)
(略)雪片は同じ速さで激しく地上に向つて急ぐ。その激しさの故に、雪片は白く美しく純粋さを極めるといふものである。「作者」これを「なんの夾雑物もなし」と云ふ表現で以てあらはそうとした。
この表現は荒々しいにちがひないが、雪をその質に於て捉へてゐるから、單にしろいとか、美しいとか云つた場合よりも幾層倍も純粋な感じを受ける。決して抽象に終つてはゐないのである。言葉の摩訶不思議とはこのこと。
雪そのものは天の夾雑物ではないのか。(略)それを夾雑物と感じる限り、この詩は生れない。(誓子《選後獨斷》四月號、註・下線は堀本吟)

この作品の読み方には、山口誓子の、俳句を一個の詩空間として捉えようとする視点と、清子の物の見方に、呼応している。その引き込まれ方が率直に吐露されている。表現が「荒々しい」が「雪をその質に於て捉へてゐる」というのは、雪に関する普通の描写ではないことと、一切の説明を省いて雪の降り方を「激し」といっているところである。

また、「何の夾雑物もなし」というのは、これだけ天をうずめきって降ってくる雪の反語的なまた抽象的な形容だが、「決して抽象に終つてはゐないのである。」かえってリアリティががある。「言葉の摩訶不思議とはこのこと。」誓子の中には、現実の描写を超えてあるいは直観やイメージとは違う、言語表現としての現実の活写を求める意向がある。

☆  聖歌中勇気もて爐の灰落す 清子
(略)「勇気もて」と云つた為に、それを敢えてするのに非常な決意を要したことががわかつて面白い。聖なる歌に對し、それほどまでに憚つたのが面白い。その憚りは、やがて、 
讃美歌の余韻咳なほ堪へてをり  
にも現はれて、微妙な句を爲すに至つてゐる。(誓子《選後獨斷》四月號》


雪積る中滑らかな水車の軸  清子 (六月號)
(略)(ありふれた図を俳句にするためには表面を撫で回しただけではいけない。と誓子は書き)/この作者が爲したやうに喰い入らねばならぬのである。/降り積もつた雪の中、廻轉する水車、滑かな軸の廻轉、これがしづかなる雪の秩序の中で行はれてゐるのである。私にはその水車の軸がただの機械とは思へない。
(略)。(井伏鱒二の「つらら」という詩を引用。)
 
場所は
甚九郎方裏手の水車小屋
毎年冬になると
その水車の幅につららが張る
 
私には、この詩よりこの俳句に惹かれる。(誓子《選後獨斷》六月號》

というように、山口誓子は、清子の作句が、水車への観察の徹底していることと、それを「雪の秩序の中」していること、に及び、「ただの機械とは思へない。」と言わしめるまで作品として完成していることを述べる。井伏鱒二の詩がここにもちだされているのも興味深い。先の「虹二重」について、中村草田男や石田波郷の句を引き合いにして、津田清子という女性の俳人(まだ駆け出しである)の感覚が当時の詩の言葉としてあたらしいはけkんであり、井伏鱒二の詩に比べて、その韻文詩のつくり方が如何に象徴的な暗示に優れているかを指摘している。

☆  うろこ雲うろこ粗しや眠り足る 清子
 津田清子さん―晝間に一睡を貰つたのである。眠りは深かつた。疲労は回復した。頭の中はしびれるほど澄みきつてゐた。外に出て見ると秋晴で、天の高処を鱗雲が覆うてゐた。鱗雲はその一枚一枚が不思議なくらい粗く見えた。それは作者の目が頭と同じく澄み切つてゐることの証拠であつた。
「粗し」と云ふ選ばれた語は、その時の感覚を遺憾なくあらはしてゐる。
このやうなことが生理学の書に書かれてゐるかどうか、私は知らぬ。しかし、これは確かに詩に於ける生理学である。 (誓子 十二月號)

4)参考資料「天狼遠星集入選作品ー第三巻第一号から十二号」(昭和二十五年)

礼拜に落葉ふむ音遅れて着く      (一月號3人目三句)    
 
秋雨の洞を賛美歌もて盈たす
 
鷄(とり)にも夜が長かりしよ餌つかみてやる (二月號3人目二句) 
インテリが稲雀追ふ声短く 
北風に唄奪(と)られねば土工よし(三月號 二句) 
枯野にて追ひ縋りたき汽車の長さ 
雪はげし何の夾雑物もなし   (四月號 巻頭三句) 
聖歌中勇気もて炉の灰なおす 
讃美歌の餘韻咳なほ耐えてをり 
連翹やシヤツも下着も高く干す(五月號5人目三句)  
火星に異変あるとも餅食べて寢る 
炭焼くを業とし狭き額汚す 
雪積もる中なめらかな水車の軸(六月號3人目二句)  
 
暖炉漏る焔や禱る肩しづめ
 
春月が樹間にまどか放浪やむ (七月號14人目一句) 
クローバに二十四時間の昼夜過ぎる   
オール流す鹹き水とも思はずに奈良(八月號20人目一句) 
開衿の首清潔に受診待つ 
一指だに触れぬ恋緑陰を出る(九月號42人目一句) 
夏潮や柵正しくて画にならず 
冷房や手の高さにてドア汚る(十月號2人目三句)  
百姓の子にて水田の底ぬくし 
働きて憩ひて靑田ならざるなし 
父に匿れて泳ぐ流れの底冷たし(十一月號6人目二句) 
シミーズに伸びゆく手足不幸なるや 
下積みの聖書こおろぎ通ふ路 (十二月號3人目三句) 
うろこ雲うろこ粗しや眠り足る   
かなしみもち吾より触れし曼珠沙華

以上、昭和二十五年度の津田清子作については、その都度、山口誓子の的を射た読みどころが示されている。遠星集には、すでにかなりの実力者が登場しているが、そのなかで、津田清子が抜擢されたことは、清子自身のもつ才能と彼女のエネルギーを引き出したい、という誓子の期待が大きかったはずだ。清子のみずみずしい一句を読み解こうとする山口誓子の文の調子には、私が従来感じていた誓子像とはやや違う熱っぽさを認めなければならない。(この稿。以上。)

文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より⑥~労働関係~】/筑紫磐井

【メーデー】

俗吏とし老いメーデーの列にあり 俳句研究 21・12 岸風三楼 
メーデーに逆行き人にへつらへり 石楠 24・7/8 油布五線 
明日メーデーナイフ舐めれば鉄の味 明日 富永寒四郎 
メーデー明日さぐりて固し児の拳 曲水 25・6 三枝生志 
心たかぶりメーデーの夜の水を飲む 麦 27・4 中島斌雄 
メーデーの女工らうたひつつ走る 俳句 27・6 大野ゆき 
メーデーがはらみ来るもの広場に待つ 俳句 28・10 榎本冬一郎 
メーデーの幾万の脚マンホール 浜 28・9 安福春水 
メーデーの歩幅もて子をぶら下げ来る 氷原帯 27・7 奥村比余呂 
メーデーに子と来ておろかにも汗す 浜 29・8 片岡慶三郎 
メーデー終わる盛り上りビールの泡 石楠 29・7 鳥越日夜草 
ねむき子を負ひメーデーの後尾ゆく 風 29・8 佐藤鬼房
【労働祭】

焼け跡に垂込み居りし労働祭 雨覆 石田波郷
【メーデー歌】

子を守るや雨のあなたのメーデー歌 現代俳句 21・9 石橋秀野 
メーデー歌乙女の列となつて来し ホトトギス 23・9 田辺紅城 
メーデー歌妻が唄えばふとかなし 氷原帯 27・6 岡田尚穂 
メーデー歌こだます吾が声も谺す 氷原帯 27・7 笹村卯星 
メーデー歌うたい来し声妻に浴びす 氷原帯 28・7 笹村佳都夫 
メーデー歌風と去りゆき電車乗る 曲水 28・7 岡■江 
すかんぽ吸いしかの崖も亡しメーデー歌 道標 28・7 赤城さかえ 
メーデー歌遠し臥たままリンゴ剥く 石楠 29・6 相ケ瀬葵

【労働歌】

労働歌唄ひつつ来る妹かなし ホトトギス 23・8 高林炉生 
ユダの徒もまた復活す労働祭 野哭 加藤楸邨 
労働歌ひびける霧がわが家包む 道標 28・11 笹村佳都夫

【革命歌】

まひるまの牡丹ゆれをり革命歌 野哭 加藤楸邨 
革命歌月せりあぐる風の芽木 明日 富永寒四郎
【メーデー旗】

雨降らば降れメーデーの旗滲む 径 原田種茅 
メーデー旗うつうつとゆき雲動かず 石楠 26・9 弓削水桜 
風強き日のメーデーの旗たてて ホトトギス 岡田蘆村 
メーデーの旗のなびくは同じ向き 道標 28・1 早坂紅風 
花舗の前メーデーの旗鮮烈に 浜 29・7 齋藤青火

【赤旗】

赤旗へ雲よりふりし燕 野哭 加藤楸邨
【アカハタ】

桜はだかとなるを急げり「アカハタ」待つ 浜 23・2 細見三郎
【デモ―示威】

デモ崩れ行人の手に蝉が鳴く 暖流 24・4 高橋星河 
寒き靄が議事堂見せずデモの列 道標 28・1 松岡白舎 
デモ隊の後尾唄なき師走の街 寒雷 石井淳也 
議事堂遠くデモに疲れし汗拭ふ 石楠 28・9 石坂春水 
法案へ二た群れのデモ余寒の坂 俳句 29・5 榎本冬一郎 
【団交】

交渉終りし霜夜誰かうがひする 浜 25・2 薄葉克衛
【ストライキ―争議】

ストの街運河ぎらぎらぎらぎらす 太陽系 21・12 神生彩史 
侘びしむやゼネストの闇壁の炉火 現代俳句 22・1 中村金鈴 
ハンストの一人が新樹背に眠る 石楠 24・7/8 宮越竹の春 
スト幾日春光に掌の無為怖る 氷原帯 25・6 田岡扇子 
炎天の月みがかれてスト無期へ 曲水 26・8 椎名麦銭 
ストライキ鉱夫博多へ河豚食ひに ホトトギス 27・3 成瀬正とし 
スト破りして彼も労務者冬迎ふ 石楠 27・12 青野恵人 
スト続くかなしさ雪を呼ぶ鷗 氷原帯 28・1 本谷冬人 
百姓にストなし冬田馬を駆る 氷原帯 28・3 熊谷次郎 
埒あかぬストの不満を麦踏に 俳句 28・4 柿本米次 
蟻地獄静まりストの発せられ 氷原帯 28・8 遠藤峡川 
スト敗る蜻蛉育たぬ卵産み 道標 28・11 小松実 
【闘争】

けふ汗に疲れ果てにき闘争とは 浜 25・10 目迫のりを 
ひたに闘いまた薔薇の季相逢うも 道標 27・12 古沢太穂 
青い菜や人間闘争の旗を捲かず 石楠 29・2/3 
汗つくしそくばくの賃上げを得たり 浜 29・9 宮津昭彦

【越冬資金】

ボーナス闘争たたかひ得るは幸と云はめ 暖流 29・1 瀧春一

【夏季闘争】

夏季闘争ぱつちり黒い眼の少女 俳句 28・11 佐藤鬼房
【ピケライン―スクラム】
凍て馬糞スクラム組んで主義者たち 氷原帯 堀川牧韻
【カンパ―アジビラ】

木枯の笛資金カンパの売れ残る飴 鼎 23 田川飛旅子 
アジビラのはられし車窓みんな吹雪 氷原帯 29・2 杉野百蛇尾

【定時退庁―残業拒否】

強東風や定時退庁の足下より 風 28・5 上野林泉
【坐り込み】

梅雨濡れる赤旗をいのち坐り込み 浜 29・8 松崎鉄之介

【その他・労組・資本攻勢・職場討議・同志・月給遅配】

年の瀬や労組声つつぬけに 曲水 26・2 大島繫雄 
蕗の葉むしくひ資本攻勢はじまるか 鼎 田川飛旅子 
職場討議枯山色の鉄に囲まれ 道標 28・1 大橋登子 
夜空涯なし星薔薇同志明日を期し 道標 26・7 古沢太穂 
汗の顔サラリー遅配を防ぎ得ず 俳句27・9 戸田白揚
【工場閉鎖】

工場閉鎖にきまる揚水塔に氷柱 浜 27・5 矢部石葉子
【失業―失職】

元日の雨失職の茫と坐す 石楠 25・4 石原沙人 
職欲しと落葉に書けば破れたり 石楠 26・2 油布五線 
失職や釣堀の金魚ひらひらあがる 石楠 26・9 原田種茅 
失職の尻がうすくてふらここや 氷原帯 28・8 川端麒太 
失職の兄日毎来て無花果もぐ 石楠 28・12 門脇今次
【馘首】
花の数は蜜蜂の数馘首初まる 浜 24・8 近藤馬込子 
馘首されし夜をしんしんと子を抱く 氷原帯 28・10 中西雅詩 
ねぎ坊主明日は馘らるるかもしらず 氷原帯 28・10 山口秀生 
首切りいやで所詮坑夫は枯野へ来 氷原帯 28・12 菊池瓢馬 
秋虹の淡く馘首の脳裡占む 石楠 28・12 永野鼎衣
【求職難】
日盛りや求人広告女ばかり 浜 27・7 高橋草風 
求職ビラ消えよ落葉の学園に 浜 29・1 服部多々穂

社会性の代表は、こうした労働問題である。戦後の、解禁されたデモや争議はそれ自身が一つの社会的「表現」であったから。今回は「※印」で解説を要するような難解な言葉はなかった。現代でも十分通用する俳句ばかりである。

さて、俳句における労働問題が現れたもう一つの形態は、職場俳句であろう。角川の「俳句」でも様々な職場俳句の特集を企画しているが、現在それらを読んでも、いまひとつ大きな盛り上がりを感じられない。

今回、「揺れる日本」から抜粋した句を眺めてみると、こうした職場をテーマにした俳句については、必然的に標語的な俳句を排除したことから、余りメッセージ性が露骨に出ず、もう一つの大きなテーマ、戦争や基地に比べて境涯的な俳句に終始する傾向が強いようである。私小説化し、社会的意識そのものが薄れているのである。

このように考えると、社会的俳句と境涯的な俳句を区別する基準は難しい。リアリズムだけでは分かちがたいように思われるからである。戦争俳句や基地闘争俳句に共通する要素を捜すと、それは倫理観と言うことになろうか。戦争や基地に関しては、当時の人々は猛烈な拒絶意識を持ちそれが共感として句を読むコンテクストを形成している。しかし、労働者として資本家に対する敵意を露骨にすることはなかったようだ。これは国民性だろうか。これにくらべれば、むしろ社会悪(汚職や破壊活動防止法の制定)などの方に拒絶感が強くにじんでいる。

      *

こうした基準を立ててみると、今般の震災俳句の難しさが分かってくるであろう。俳句を超える映像が我々には提供されており、なぜ俳句で詠まなければならないかの必然性が浮かび上がらない。

一方、社会性俳句が持っている怒り(倫理観)は、事故を起こした東京電力や、はかばかしい復旧事業を進めない国や政治家に向けられるかもしれないが、詩人や歌人に比べてそうした怒りに慣れていない俳人は見劣りがするようだ。

これだけの大災害に向かうとき、俳人の立ち位置がよくわからないのである。「季題を必須とし、季題以外の事由に深い関心を持ってはならない」(虚子)と主張する人が多く存在する俳句の世界では、結局、震災は詠まないに越したことはないという判断に陥る。実際、震災後、3年目を迎えた最近編まれる句集、特に若い人たちの句集には、まったく地震を詠んでいないと思われる句集があるようである。

話はどんどん逸れるようであるが、震災俳句を詠む際に我々にとって最も身近なモデルはやはり社会性俳句なのではないかと思われる。いささか黴が生えているように思われなくはない社会性俳句をもう一度読み直してみる意味はこんなところにもあるのである。

【俳句作品】永き日/小林かんな

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   永き日   小林かんな

昨日より陽炎いて花筒の水

ふるさとの空気きよらか野に遊ぶ

ぶらんこの下いつの間に蟻の列

じっと蝌蚪見ているそしていなくなる

灰皿に花びら沖に長汽笛

風薫る主役の子どもうとうと

神様に塩のこぼれて桜鯛

ふれられて鬼となりたり桜の実

蝶々に逢坂の空ただ深く

夕されば柳はひとのかたちして


【略歴】

  • 小林かんな(こばやし・かんな)

『櫂の会』にて野間口千賀に師事。現代俳句協会会員。

【俳句作品】 榾の宿/紺野ゆきえ

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   榾の宿   紺野ゆきえ

湯気立つや宿の主は留守なるか

雪下ろす女主が屋根のうへ

風呂代はそこの笊へとちやんちやんこ

除雪車も来ぬ湯治場に三月とな

貸し出せるものに湯婆洗濯機

雪山に死にかけたるが長風呂で

薪割りは自分でやれと榾の宿

湯の奥に効き湯湧きけり雪女郎

濡髪を薪ストーヴに呼び寄せて

一緒には入らずにおく冬燈


【略歴】


  • 紺野ゆきえ(こんの・ゆきえ)

1976年生まれ。「童子」所属。

2013年4月12日金曜日

第15 2013年4月12発行


【俳句作品】
  • 平成25年歳旦・春興帖追補

……高橋比呂子   ≫読む


【俳句作品(10句)】

茶封筒         小早川忠義   ≫読む
とんがり帽子   木村修   ≫読む


【戦後俳句を読む】
※今後掲載予定の執筆メンバーと(対象作家・事件) ≫読む


  • 赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】

……仲寒蝉   ≫読む

  • 文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より⑤~基地~】

……筑紫磐井   ≫読む

  • 近木圭之介の句【テーマ:少数】

……藤田踏青   ≫読む

  • 上田五千石の句【テーマ:少】

……しなだしん   ≫読む

  • 戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】

……堀本 吟   ≫読む


【現代俳句を読む】

  • 句集・俳誌渉猟(6)~『堕天使の羽』~
……筑紫磐井  ≫読む

  • 86回 俳句時評  将棋・電王戦と文化における「場」

……湊圭史 ≫読む


  • 二十四節気論争(10)最終回――日本気象協会と俳人の論争――

……筑紫磐井編 ≫読む


  • 再録・黒い十人の女(六)
                     ……柴田千晶  ≫読む


【編集後記】


あとがき   ≫読む



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  • 募集!! 第2回  攝津幸彦記念賞 ≫読む

  • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」のご案内(現時点の概略)≫読む
~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~

   ……本井 英 ≫読む












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関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!



第15号(2013.04.12.) あとがき

北川美美

先週は凄まじい春の嵐でした。天候不順なこの頃です

作品は、小早川忠義さん・木村修さんです。続々作品のラインナップがあります。ご期待ください。

句集・俳誌渉猟(6)では、羽村美和子句集『堕天使の羽』を取り上げています。

筑紫氏が「菜の花」の一例として挙げている山村暮鳥の詩。「一面の菜の花」…やはり暮鳥の詩を思い出します。

 風景 
   金銀もざいく
 
          山村暮鳥 
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
 
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな
 
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。

群馬県高崎市の「土屋文明文学記念館」に歌碑があります。
http://www.bungaku.pref.gunma.jp/communication/com0017.html

上記文学館の企画展が面白いです。そして売店では邑書林の書籍がなかなか充実しています。


筑紫磐井

○正岡子規国際俳句賞、芝不器男俳句新人賞、『新撰21』、『超新撰21』などで一緒に企画や作業をしていただいていた対馬康子さんが「天為」の編集長を退任された。多くの若手を擁した有望結社で、斬新な企画を立てられた名編集長であったところから我々もいろいろな企画を持ち込んだのだが、常に前向きに対応していただいていた。若い作家を登壇させることが大事という点では全く同じ立場にあったところからこうしたいろいろな企画が実現したのだが、その意味では惜しみても余りある退任だ。また、愛媛県の関係するプロジェクトには夫君西村英俊氏と常に精力的な対応をしていただいたものであり、平成における松山俳句の復活はこのお二人がいなければ実現しなかったかもしれない。これからも、新しい、責任ある立場に立って協力していただきたいものである。

○今回の歳旦・春興帖追補は一連の中に歳旦と春興が含まれていたので時期を図りかねていたものである。もともと、江戸時代の歳旦帖はそうした趣であったらしいが、我々の方がルールを厳格にしすぎてしまったらしい。高橋比呂子氏には2月に提出していただきながら遅くなりお詫び申し上げる。