2013年1月25日金曜日

第4号 2013年1月25日 発行



 

【俳句作品】

 

  • 平成二十五年歳旦帖 第四

 


……依光陽子,山田耕司,杉山久子,小沢麻結,月野ぽぽな,
小野裕三,榮 猿丸,福永法弘,堀本吟,山崎祐子,
               小林千史,陽 美保子,松尾清隆,柴田千晶,堀田季何,外山一機,   ≫読む
 
 

 

平成二十五年歳旦帖 第三

 


……関悦史,仙田洋子,小川春休,津髙里永子,もてきまり,
                        村井康司,佐川盟子,湊圭史,網野月を, 松本てふこ,三宅やよい   ≫読む

 

 

平成二十五年歳旦帖 第二

 


……羽村美和子,北村虻曳,飯田冬眞,上田信治,栗山 心,
     福田葉子,原雅子,内村恭子,前北かおる,   ≫読む
 

 

平成二十五年歳旦帖 第一

 


        ……池田澄子,藤田踏青,しなだしん,岡村知昭,中西夕紀,池田瑠那,
                    野口る理,大井恒行,西村麒麟,筑紫磐井,仲寒蝉,北川美美    ≫読む

 

 

【戦後俳句を読む】

 


  • 近木圭之介の句【テーマ:一】

……藤田踏青   ≫読む
 

  • 赤尾兜子の一句【テーマ:場末、ならびに海辺】

……仲寒蝉   ≫読む
 

  • 文体の変化【テーマ:極限で短歌と俳句を詠む】―坂口弘、大道寺将司、中川智正―

……筑紫磐井   ≫読む
 

  • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 65.66.

……北川美美   ≫読む
 

  • 戦後俳句とは いかなる時空だったのか?【テーマ:書き留める、ということ】

……堀本 吟   ≫読む
 

 

【現代俳句を読む】

 


  • 句集・俳誌渉猟(1)

…筑紫磐井   ≫読む

 

【編集後記】
 


 

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平成二十五年歳旦帖 第四

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平成二十五年歳旦帖 第二

 

依光陽子(「屋根」「クンツァイト」)

道枯れて人揺れてゐる影や影

繪の中へとび込む人や賀状来る

執拗に蜜柑の白を剥く汝よ

安らかに鷹を眠らす木の声は

くちばしの十全にして大旦

 

山田耕司(「円錐」同人)

黒松や箒に雌も雄もなく

春泥を舟のかたちにして去れり

逢着はたちしよんべんで掘る凍土

 

杉山久子(「藍生」「いつき組」)

昇り龍背におどらせて初湯かな

   一気飲みする珈琲牛乳

草の芽のひかりスキップ加速して

 

   小沢麻結(「知音」同人)

日銀短観データを拾ひ初仕事

塔の如枯木あの辺りがリンク

寒紅のなほ揺れてゐる心かな

 

   月野ぽぽな(「海程」同人)

元旦の空ていねいにやぶきます

夕暮れはうすむらさきの手毬唄

初夢にマンハッタンの音まじる

 

  小野裕三(「海程」「豆の木」所属)

郵便車平らかに行く七日かな

人の日の婆はひとまず鎮座する

餅花に届く掌ありにけり

 

榮 猿丸(「澤」)

嫁が君極楽鳥の餌皿に来

起震車の卓の下なり着ぶくれて

福寿草ひと訪ひくればテレビ消す

 

福永法弘(「天為」所属。「石童庵」庵主。)

石童山粛然としてけさの春

雪を催す庵の門松

刻既に鶏はまだまだまどろみて

 

堀本吟(昭和17年犬山市生(戦中派)。松山市育ち。生駒市在住。「船団」を経て「豈」同人。「風来」同人。大阪で超ジャンル「北の句会」を存続十年。評論集『霧くらげ何処へ』(1992年。深夜叢書)。句集を出せと言われつづけているのにちっともまとまらない。)

昭和26年天狼賞受賞の津田清子を思い『無方』までの道のりを讃える

歳旦や「天狼」一月号巻頭

晴着は賞の白きセーター

復た往かん砂漠も初日照るならん



         山崎祐子(「絵空」「りいの」「万象」)


鳴き砂に拾ふ流木二日かな


人日の丸大根を抜きし穴


神の井の碧きより汲み水祝


 


小林千史

初旅の涙わかれてきしごとく

酔うてゐて声かすかなり七福神

初夢で「きみと話がしたいのだ」

 

陽 美保子(「泉」同人)

初春や菓子の銘なる紫野

   袖の乱せし福笑の目

鳥雲に漁網一枚繕ひて

 

松尾清隆(「松の花」同人)

別冊の付録のやうに粥柱

傀儡女の箱の中より愛別離

別珍を天鵞絨と呼ぶ松の内

 

柴田千晶(「街」)

胡麻油の底に生家の初明り

餅花を背中に挿して叔父来る

葬列の海まで続き冬うらら


 

   堀田季何(「澤」「吟遊」「中部短歌」所属)

神いづれ白骨化する宝舟

どの神も嗤笑してをり宝舟

瓊玉も神も模造品(レプリカ)宝舟

宝舟船頭をらず(とは)に海

宝舟瓦解しぬふと日の射せば

宝舟すこしはなれて宝船

宝船しろがね積むやくがね尽き

懇ろにウラン運び来宝船

宝船沈めて渦やうすびかる

 

   外山一機(『鬣TATEGAMI』所属)

平成二十二年歌会始御製歌

木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり

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()()けて

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平成二十三年歌会始御製歌

五十年の祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す

()ぞと

()()

()()()

()()きし

 

平成二十四年歌会始御製歌

津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

()()

(こし)()

()()()(はい)()

(なり)(ひと)

 

平成二十五年歌会始御製歌

万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり

満座(まんざ)()

二夫(にふ)潮路(しほぢ)

(ひめ)

流刑(りうけい)

近木圭之介の句【テーマ:一】/藤田踏青

心にはいつも一匹の蝶と空間

昭和39年作   (注①)


一匹の蝶はある種の安らぎであり、空間とは心の果てしない様を象徴しているのであろうか。また蝶と空間とは個と全とが相対した形で存在している人間そのものを指している様にも思われる。しかし空間に限界を認めるのが人間本来の姿であるらしく、ここに掲句を暗示するような詩が残されている。

<S刑務所に沿いて>              昭和27年作   (注②)
赤い煉瓦塀が青空をたち切っている
それは白い道に沿ってつづいている
外からは 内が見えず
内からは 外が見えず
嘗って 心の交流はないものにおもわれた
と 日を浴びた黄ろい蝶が一匹
ひらひらと塀を越えていった
それは 心あたたまる一瞬であった

この詩でもそうであるが、一匹の蝶は空間内にありながら空間を越えた接点として存在している。そしていつしか作者自身が蝶そのものに変容してゆくかの如くに。しかしそこには厳しい現実が立ちはだかっているのも確かであり、次の様な句も並列されている。

蝶の一匹が吹かれているゆえに断崖         昭和39年作   (注①)

その蝶は己自身であり、現実世界への認識と共に存在自体の切羽詰まった表情がみてとれる。また画家でもある圭之介の自己への視点は、一匹の蝶から一本の木へも移行してゆく。

描きたいのは一本の哀しい木 その内部       昭和58年作   (注①)

一本の木を哀しいとみる視点、そしてその内部という自己省察にまで至る要因は何であろうか。それを示唆するものが下記の詩である。

<パレットナイフ23 Ⅳ>                     (注③)
やがて一夜の樹木から脱け出すものは
(私)に眠っていた黄土色の毒
いま宴の一つもありはしない宇宙へと・・・

私という存在を閉じ込めていた樹木という境界は、ある意味で人間の生そのものに伴う毒を保管するパンドラの箱であったのかもしれない。それを開いてしまった後の世界は宴の一つもありはしない宇宙へと溶解してゆくのであろうか。何故かそこにジャン・コクトーの世界を垣間見るのだが。

(注)①「ケイノスケ句抄」 層雲社 昭和61年刊
   ②「近木圭之介詩抄」 私家版 昭和60年刊
   ③「近木圭之介詩画集」層雲自由律の会 平成17年刊

赤尾兜子の一句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

烏賊の甲羅鉛のごと澄む女眼の岸   『虚像』

これはかなり難解。リズムは6-8-7と大幅に定型を外れている。イメージとしては明らか、難しい単語や言い回しはない。それでも難解と感じるのは何故だろう。尤もこの頃の兜子の俳句はほとんどがこのような「表現は明解、意味は難解」なものばかりであるが。

抑も中七(8字)の「澄む」の主体は烏賊の甲羅の方か女眼の岸の方か、どちらだろうか。それに鉛という金属の中でも最も清澄感から程遠いと思われる黒くて重い印象のものを、何故「澄む」の比喩として使ったのか。文脈からすれば例の波郷の「霜の墓抱き起こされしとき見たり」と同じで、上五(6字)の「烏賊の甲羅」で切れると見るのが普通だろう。従って澄んでいるのは「女眼の岸」の方だ。鉛の比喩は謂わば逆説ではないか。「眼」や目が澄むという表現はよくある。反対に濁った目というのも存在する。敢えて「鉛のように澄んでいる目」と不可解な表現にすることで一見鉛のように濁っているけれどこれでも澄んでいるのだと言いたかったのかもしれない。

さて、次は「女眼の岸」である。女と眼とは切れ目なしにつながっていると取った。女眼は文字通り女の眼であろう。女眼と言うからには男眼を意識しているのだ。最近はともかく、この当時で言えば男はほとんど泣かず、女はよく泣くという違い。女眼は優しく男眼は恐い、女眼は包み込み男眼は突き刺す、など色々と考えられる。

全体を通して意味を探ろうとするから難解に感ずるのだ。「烏賊の甲羅」「鉛のように濁ってはいるがそれでも澄んでいる眼」「女の眼のようにやさしく包み込む岸」これらのイメージを次々と思い浮かべつつ全体を覆う海辺の雰囲気を味わえばそれで足りる。


文体の変化【テーマ:極限で短歌と俳句を詠む】/筑紫磐井

―坂口弘、大道寺将司、中川智正―

短歌と俳句を比較しつつ、こうした、一般的でない体験を踏まえて極限の作品―――短歌詠、俳句詠が生まれる。前回最後の、文化大革命詠などは滅多に体験できるものではない、異常な体験が人を突き動かして文学作品を生むことを確認したいと思ったのだ。今回は、さらに極限の極限と言うべき、短歌詠、俳句詠を確認したい。


死刑囚歌人として有名な人物に島秋人がいる。島(筆名であり、秋人は囚人の意味だという)は昭和34年千葉県で農家に強盗に押し入り、家人を殺して死刑判決を受ける。収監中に短歌に目覚めるのだが、彼は窪田空穂の選歌する毎日歌壇に投稿をし、めきめき頭角を現し、「毎日歌壇賞」を受賞するのである。昭和42年34歳で死刑執行されるが、死後彼の歌集『遺愛集』(昭和43年東京美術)が刊行されている。また前坂和子編の書簡集『空と祈り』(平成9年年東京美術刊)も出されている。

あが罪に貧しく父は老いたまひ久しき文の切手さかさなる
妹の嫁ぎし事をよろこびつつわれに刑死の日は迫るなり

私は、島秋人をもって今回の私のテーマに叶う作家とは思っていない。ディテールはあるが、まだ想像を絶する作品とは思えないからだ(この点については末尾の参考で述べておきたい)。

我々はこのテーマにもっとふさわしい死刑囚歌人の名をあげることが出来る。坂口弘である。元連合赤軍中央委員会書記長であり連合赤軍事件(連合赤軍リンチ事件とあさま山荘事件)起こした人物で、平成五年に最高裁で死刑判決が確定している。この坂口は1990年代に「朝日歌壇」に投稿し、それらが『坂口弘 歌稿』(平成5年朝日新聞社刊)として刊行されている。さらに最近、死刑判決確定後の自選作品から選んだ『常しへの道 歌集』(平成19年角川書店刊)が刊行されている。

ドア破り銃突き出して押入れば美貌の婦人茫然と居き
自首してと母のマイクに揺らぎたるYに嫌味を吾は言いたり
窓壊し散弾銃を突き出でし写真の吾はわれにてありたり
総括は気絶したらば為し得ると撲りに撲る真摯な友を
リンチして縛りし友の吐き出でし異臭漂いわれら茫然
リンチへの彼の抗議に揺らぎつつ揺らぎを隠しさらに撲りぬ
床下に縛りし彼女も死にゆきぬ重石に拉(ひし)がれ吾声も出ず
女らしさの総括を問い問い詰めて死にたくないと叫ばしめたり
総括は友亡くなりて過酷化し死を思うさえ敗北となせり
兄の死に弟は叫ぶ「総括などしたって誰も助からなかったじゃないか」
不遜なる総括なりしだしぬけに序(ついで)のごとく彼を縛りぬ
逆海老に縛られし友を憐れみてお粥と白湯を君はやりおり
独り言止みて気付きぬ逆海老に緊縛されし彼も逝きたり
六名の死にたる後も法則のごとく再びリンチ始まる
思い余り総括の意味を問いしとぞ惨殺さるる前夜に友は
突然に友の顔(かんばせ)歪みそめぬ股にナイフが刺されていたり
屍を車に乗せて息を詰め駐在所前を通り過ぎゆく
刺さざりし奴が居りぬと叫ぶ声吾のことかと立ち竦みおり
問いたれば「頑張ります」と理不尽な総括に堪える縛られし君は
縄を切り横たえて見れば凍傷の脚石のごとし長きリンチに
「闘いて死なん」と半死の彼はいう無惨なリンチの死をばいといて
 
「亡き夫もリンチに荷担していますか」と夫人が迫りぬ真夏の面会

『坂口弘 歌稿』は連合赤軍事件の回想から一審、二審、上告の時期を詠んだもの、『常しへの道 歌集』は死刑判決が確定してからの作品が収められている。掲出したのは、『坂口弘 歌稿』から引いた。従って、彼の短歌から連合赤軍事件の生々しい事実が浮かび上がる。読者にすれば評すべき言葉もないと言うべきであろう。


ところでそうした意味では、同じ状況にあり、死刑判決を受けて現在も俳句の活動を続けているのが大道寺将司である。東アジア反日武装戦線のメンバーで狼グループのリーダーであり、昭和50年丸の内の三菱重工爆破事件を起こし、昭和62年最高裁で死刑判決が確定している。第1句集『友へ』(平成13年ぱる出版刊)、第2句集『鴉の目』(平成19年海曜社刊)を刊行し、昨年、大道寺将司全句集『棺一基』(平成24年太田出版刊)を刊行している。ここでは、俳句雑誌「無曜muyou」に2007年6月から2012年12月現在まで毎号発表している作品から選んでみる。

棺一基四顧茫々と霞みけり(「無曜muyou」7号)
人知れず連れてゆかれぬ木下闇(同8号)
がちやがちやの声の途絶ゆる国家かな(同9号)
侮れば狼の身を過てり(同10号)
横たはる屍も起きよ春疾風(同11号)
絶対に蛞蝓であり無言電話(同12号)
腸(はらわた)の抜かれか黒き焼秋刀魚(同13号)
数知らぬ人に生かされ悴かめり(同14号)
百年の朧を形の国家かな(同15号)
げぢげぢや無実の罪で裁かれし(同16号)
まなぶたに危めし人や稲光り(同17号)
身を捨つる論理貧しく着膨れぬ(同18号)
解けやすき病衣の紐や冴返る(同19号)
梅雨じめり薬臭部屋に籠めにけり(同20号)
風車幸多き世を生ましめよ(同23号)
めまとひは纏い付かれて喜びぬ(同24号)
猛し海いま上善の如く澄む(同25号)
鯨跳ぶ四囲のとどろに惑ひつつ(同26号)
ふるふると影を振り撒く桜かな(同27号)
螻蛄よりも無為に存へゐたるかな(同28号)
ゆくすえは土塊(つちくれ)ひとつ穴惑(同29号)

もう一人、死刑判決を受けた後俳句を詠み続けているのが中川智正である。オウム真理教の幹部であり、麻原彰晃の主導により松本サリン事件、地下鉄サリン事件に関与し、2011年12月死刑判決が確定した。中川は、俳人江里昭彦と同人雑誌「ジャムセッション」で作品を発表している。発表数はまだ34句であるがその一部を掲げよう。

金網の殻見事なり蝉生きよ(創刊号)
獄の虫コンクリートに棲みて鳴く
翳る房のラジオに冬至教えらる
蜘蛛枯れて血のごと細き糸遺す
春一番吹かず十七年目の忌
船虫が我とり囲み会議せり(第2号)
残飯の容器のかたちで夢見る猫
消えて光る素粒子のごとくあればよし
永き夜は深海となり鼓動開く

これら死刑判決を受けた者たちの活動を見ていると、いくつかの疑問に突き当たる。第一に、彼らはなぜ、自由詩ではなく、俳句や短歌のような伝統的な定型詩を選んだのであろうか。独房の中で壁に向いながら内面の思いを述べる時、そうした独白の文学に定型詩は向いているのであろうか。

第二は、坂口の短歌は、彼が犯した事件の詳細を細かに叙述しており、これらの歌を並べ替えるとまだに事件の事実記録となる、さながら供述書のような歌なのだ。ところが大道寺の俳句には、こうした詳細な事実は浮かび上がって来ず、彼の現在の心象風景が浮かび上がる。死刑囚が詠む定型詩ではあっても、短歌と俳句ではやはり違うようなのである。数は少ないが中川の俳句にも、事実の記録となる描写は少なく、身辺の描写を行いつつ自らの心象を描いているように見える。これは短歌と俳句の二つの文学の本質にかかわることなのだ。彼らの句を異質な短歌、俳句と言うのでなく、むしろ短歌とは何なのか、俳句とは何なのかを問い直すためにも考えてみたいことである。

(参考)

島の作品が今回の私のテーマに沿っていないという理由は、島の犯罪が(個人にとっては重大であるが、一般的な日本人にとっては原則、記憶もなく、ジャーナリズムの報道さえなかったかも知れない)個人的犯罪であるのに対し、坂口、大道寺、中川の犯罪が(日本人の誰もが想起せずにはいられない)社会的な犯罪と言うことに起因するかも知れない。お互い、自分の犯した罪に対する贖罪や反省はあったとしても、坂口・大道寺・中川らの意識の底には社会に対する批判的な眼差しは相変わらず残っているように思えるからである(以下の大道寺の句は東日本大震災の時の作品である)。
クレンザーを使いすぎると注意されお茶で食器を洗いいるなり 坂口弘
白むころ夜勤に倦みし看守らの戯るる声聞え来るかも
加害者となる被曝地の凍返る                大道寺将司
無主物を凍てし山河に撒き散らす
シャトル飛ぶ下界の江戸で雛の餅              中川智正

島の短歌に近いものに、北山河・北さとり編『処刑前夜』に掲載された句がある。俳句雑誌「大樹」を主宰していた北山河が大阪拘置所の死刑囚に俳句を指導することを提案し、昭和24年より句会を開催し、その句会の記録、死刑囚の俳句作品のほか山河や「大樹」関係者の記録のみならず受刑者の執筆記録まで含めて刊行された。当然のことながら、編年で作品が紹介される一方で、それらの作者たちの死刑が執行されていく記事が挿入されている。無辜の人々が経験する可能性もないまま過ぎ去る死刑執行前夜の有様が詳細に記録されている。もちろんそれに相応する犯罪が行われており、殺された被害者は存在するわけである。ただ、これらの句の作者は匿名であり、その罰に相当する犯罪はうかがい知れない。その意味でも、坂口、大道寺、中川とは全く異なる作品であった(島秋人もペンネームであり、本名は分からない、不思議な偶然で生存中に作品が注目されたという点を除けば『処刑前夜』の死刑囚俳人と変わらないかも知れない)。

夜寒さの故なき怒り鳩を絞む 瑞穂
死の影を拒み仰ぎし月おぼろ 不光
夕立打たれてみたし柵ゆする 瓜山
桐一葉見せる如くに舞いにけり 三溪

三橋敏雄『真神』を誤読する 65.柩舟やゆくもかへるも流れつつ/ 66.海ながれ流れて海のあめんぼう   / 北川美美

65. 柩舟やゆくもかへるも流れつつ


流れる句である。

『眞神』の彼の世この世を行きつつ戻りつ浮遊している敏雄の視点。それは俳句形式を模索しているような着地点のない世界を思う。行き場のない遺体を乗せた柩舟が彷徨う。敏雄自身が苦しんでいるようにも思える。

柩舟が何処へ行くのか、そして何処へ帰るのか。三途の河を誰しも想像するだろう。鎮魂の句としていると読める。

戦争で死んでいった多くの犠牲者の命のことを想う。

戦中派の世代を知るため敏雄よりも二つ若い小野田寛郎少尉がルバング島で発見され、全国からの見舞に対するお礼の手紙の文面を紹介する。

拝啓
御健勝の御事喜ばしく存じます。
私 帰還に際してはわざわざ御親切なお祝のお便りを頂き誠に有りがたく存じて居ります。今日、生きて日本に帰り得たことはひとえに亡くなられた戦友のお蔭と国民皆様の努力の賜で何とお礼を申し上げてよいものか言葉もなき次第でございます。
帰られぬ戦友、帰り得た私、その運命の非情さを考えれば帰還の喜びは一瞬に失せ、思いは再び戦場に還ってしまいます。全く相済まぬ事をいたしました。肉親の皆様方に深くお詫びいたしお叱りを受けて、そのお赦しを願わねばなりません。
肉親の皆様は終戦後の毎日をさぞおつらくお苦しく続けられたことでしょう。よくお耐え下さいました。
男一匹の私らとは比べものにならない年月をお送りなされたことでございましょう。よく生き貫いて下さいました。
今、御遺族の貴方様から御慰め頂きましたがこれは全く逆でございます。お慰め申し上げなければならぬのはこの私でございます。何と申し上げても申し上げきれないのはこの私でございます。本当に申し訳ございません。私の今日が祝福されればされる程、私はますます御詫び申し上げなければならないのです。お願いでございます。私の心をお察し下さってお赦し頂きとうございます。
お互いに死を誓って戦場に出たとは申せあくまでも死は死、生は生でございます。亡くなられた方は再び生きてかえらず、生き帰ったものは全く倖せなのです。戦争の悲劇、全く言い様のない気持です。今迄生き貫かれた貴方様、尚も強く生き通して下さい。それが私にとって最もうれしくお祝の言葉、お慰めの贈りものでございます。
私の社会復帰について御心配を頂きますがそんなことは第二第三の問題です。私の第一は遺族の皆様のお赦しを頂くことです。どうぞ御健康に御多幸に一日も早く遺族の苦しみ悲しみから抜け出して下さい。それで私は心から解放されるのでございます。右御詫びかたがた御礼まで。
昭和49年5月
      海南市  小野田 寛郎

昭和四九年三月にルバング島から帰国し、その二か月後の心情が表れている。タラップを降りる小野田さんの姿に釘づけになり、正に、日本の戦後をリアルに見た瞬間だった。『眞神』の上梓は、同じ年、昭和四九年十月。日本は戦後景気になっていたが、解除命令を待っていた兵士がいたのである。

戦争という時代に流され、多くの御霊を見送り、生きていかなければならない敏雄の世代。生きて帰ってきたことに対するやるせなさを思う。

「柩舟」は、時代に流された敏雄世代の魂を乗せているように読めるのである。

66. 海ながれ流れて海のあめんぼう


流れる句二句目。ここでもリフレインである。

俳句が言葉遊びの詩歌であることを思う。

「流れて」の字面通りに流れるように読める。意味上では、上五「海ながれ」で切れているのだろう。「流れて海のあめんぼう」になった対象が意味上であると読める。「流れて海のあめんぼう」になったという図式。流されたのは人なのかと想像する。

アメンボ(水黽、水馬、飴坊)は、カメムシ目(半翅目)・カメムシ亜目(異翅亜目)に分類される昆虫のうち、長い脚を持ち、水上生活をするものの総称である。よって、練習船の事務局長として永く水上生活を送っていた敏雄本人のことかとも想像できる。

人は、時代、運命に流され、六本足で踏ん張っている、あめんぼうなのである。