2013年9月13日金曜日

【俳句時評】 余滴の会参加/筑紫磐井

本井英の主宰する「夏潮」と言う雑誌は超結社に拡大した様々な活動を行っている。すでに紹介している「こもろ日盛り俳句祭」もそうした企画の一つだし、「夏潮」の臨時増刊号として「虚子研究」という研究雑誌の論文を広く公募して募集し刊行しているのもその一つである。これは虚子を讃美する研究ではなく、虚子を素材にした客観的な研究の開かれた場となっている。だから私のような人間も参加が歓迎されている。すでに3回目を迎えた今回は、8人の執筆者が論を発表している。分量は各人400字詰めで30枚であるから本格的な研究論文集である。そしてその刊行後には、各執筆者に概要講演させ、質疑をする「余滴の会」を開催している。

       *

本年は2013年9月7日(土)俳句文学館地下ホールを借り切って行った。今回の執筆者・発表者とその内容は次の通り。執筆者全員が発表した。

井上泰至(防衛大学校教授)「虚子の自選」。今村一声が編んだ『稿本虚子句集』(明治41年俳書堂)と渡辺水巴編『虚子句集』(大正4年植竹書店。毎時25年から41年まではホトトギス附録『自選類題虚子句集』を踏まえている)を比較し、実際に作られた句と虚子の自選後でどのように変化しているかを分析した。岸本も後に例をあげて評していたが実作の参考になりそうな話題が多くあった。筑紫からは、この時代の句集のあり方、意識について質問があり、様々な意見が出たため一応打ち止め。

大石直記(明治大学文学部教授)「鴎外と虚子(1)」。鴎外研究で、まだ(1)なので虚子に触れる佳境には入ってこず、来年をお楽しみにと言うことであった。

岸本尚毅(「天為」・「屋根」同人)「虚子における<もの>と<こと>」。虚子俳句に現れt<もの>と<こと>を分析する。子規や秋桜子らの言葉がすべてを表せるという思想と対比的な虚子の思想を、<もの><こと>で分析する。虚子の、膨大な<もの><こと>俳句には改めて驚かされる。

児玉和子(「夏潮」所属)「女7人に男1人試論」。虚子が大正元年に国民新聞に連載した小説「お丁と」――大正4年には単行本として『女7人に男1人』と改題して刊行されたが――の概要、モデル、見立てを分析したもの。今回の講演では特にこの時期高浜家にいた女中お貞との関係について話をした。

高橋魚雷(慶応大学商学部准教授)「虚子句と漢詩文」。虚子と漢詩の関係を洗い出したが、子規や漱石などと違って、一般常識以上の深い関係を見いだせなかったというもの。

筑紫磐井(「豈」発行人)「喜怒哀楽する虚子」。明治44年から大正2年までの虚子の記事から、①ホトトギス編集、②写生文・小説、③俳句、それぞれに寄せる態度を分析し、この時点では虚子は写生文・小説を志向しており、俳句をやる気がなかったと断言する。特に、昨年の井上論文を批判するものであったため、井上氏から、虚子には多面性があり自分と筑紫説は対立するものではないと説明。ただ、虚子の手紙は読者を意識しての戦略的なものではないか?と疑義があり、筑紫からは自分は人が良いのでそこまで疑わなかったと、和気藹々としたやりとりあり。

松岡ひでたか(「蕗」所属)「虚子の周辺~大谷句佛」。河東碧梧桐の「三千里」の旅行を支援したとされる句佛の、「懸葵」以後の句佛の動静と虚子との交流を調査し、大正6年10月の虚子と句佛の会見で政治的な会見があったが物別れに終ったことを暗示する。

本井英(「夏潮」主宰)「花鳥諷詠論の展開」。前号の「「花鳥諷詠論」の展開」の続きで、花鳥諷詠論の完成版と考えられる『俳句読本』の「花鳥諷詠詩」に至る花鳥諷詠論の変遷をたどる。筑紫は、今まで出てきた花鳥諷詠論の文献のマトリックスを作ってどのように変遷してきたかを図示して欲しいと注文するが、本井は次回にはむしろ熱帯季題などへの収束を書きたいという。

○最後に小諸市立虚子記念館長齋藤克実氏より、こもろ日盛り俳句祭の来年開催を翌週に審議することになっているので是非強く開催要望をして欲しい、虚子『小諸百句』復刻本を出すことにするがその円滑な流通にご協力いただきたいとお願いがあった。

(研究者による発表は緻密な発表が多かったため概要を書ききれず不十分となってしまったことをお詫びする)

今回の発表全体としては、執筆者(講演者)に大学関係者が多いので学会的論法がやや感じられたが、むしろこうした研究者と実作者との対話の場が乏しいことが、俳文学の沈滞(アカデミックからいえば大学の俳文学研究講座や学生の激減、実作から言えば俳壇における批評の欠如)につながっているように思われる。今回一回の結論ではなく、長い流れの中でその効果を見るべきであろう。また、参加者としては、このような多岐にわたる議論が虚子ないし虚子の周辺で出来ることは驚きであった。本井英は、冒頭、虚子は必修科目、草田男や波郷は選択科目と言って開始したが、それはやや身びいきすぎる感じはするが、誰の名前でこうした企画が人を呼び込めるかと考えた場合に、確かに虚子は大きな存在ではあるだろう。

本井英の今回の尽力に感謝したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿