2013年5月3日金曜日

近木圭之介の句【テーマ:「白」】/藤田踏青

指折れば指が足りない 白日の地表

平成14年の圭之介90歳の作品である。白日とはくもりの無い太陽との謂いもあるが、この場合は真昼、白昼の意味であろう。その眩しい様な白々とした地表に自己の影と指の影を落としている様がみてとれる。指を折る行為とは再確認の行為と受け取れるので、その指を折っても十指でも足りない対象とは、己の人生における悔悟の数々かもしれない。それ故に白日の空白感が大きく広がり、迫ってくるような感となっている。白とは太陽の光線を一様に反射する事によって見える色であり、反映そのものの白日の地表には己というものが何も書かれていない故に晩年における白とは空虚そのものを代弁しているかのようである。

木枯期 白い空想が枝の中でふ化した     昭和55年作   注
枝の中という事で白い空想を単純に雪への連想と受け取ってはなるまい。それを到来するべき春に生まれ出ずる様々な命の形態とも考えられるが、厳冬期において来るべき時節にふ化させるべき自己の内部で育んできた空想も示唆しているように思われる。木枯期という不思議な表現は人生におけるまさにその時期を暗示しているのであろうから。

陰画白くかさなる心を印画にする         昭和40年作   注
陰画とは実物と明暗が逆になっている画像を言い、所謂ネガである。反対に印画とは陽画とも言い、ポジを指している。つまり陰画をプリント過程を経ると印画(陽画)になる。

掲句はそういった意味で、何重にも白く陰画に刷り込んだ作者の心というそのものを逆転することによって明らかにする意思を示したものなのではないか。見える白と見えない白とは人間にとっては永劫回帰のようなものかもしれない。

注:「ケイノスケ句抄」 層雲社 昭和61年刊

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