2013年3月8日金曜日

文体の変化【テーマ:「揺れる日本」より②】/筑紫磐井

「俳句」昭和29年11月号の特集「揺れる日本」は11章で出来ている。①政治経済、②戦争平和、③社会、④基地、⑤労働関係、⑦衣食住、⑧年中行事、⑨人事、⑩風俗流行、⑪戦後風景。いかにもぷんぷんと戦後の匂ってきそうな項目だ。これを見るだけでも、資料の貴重さが分かる。
これから順次その例を取り上げていこうと思うが、11項目の中の細分だけでもさらに夥しい数になる。今回は、「①政治経済」の小項目を掲げる。項目は、ほぼあいうえお順で挙げられているようである。


【インフレ】
高値の靴かにかく買へり祭笛 万緑 22・1 中村草田男
札束の嵩み春塵のふところに 浜 22・6 金子無患子
いんふれの巷をながれ菊にほふ 暖流 23・1 渡辺東郊
雪霏々とインフレーションはおさまらず 曲水 23・3 齋藤芽輪子
紙の銭かなし氷菓と換ふるとき 石楠 25・2 田中忠男
果舗の林檎小額紙幣用なさず 石楠 25・6 鈴木山雷

【M・S・A】
M・S・Aかにかくもわれ麦を踏む 暖流 29・5 金井完

※おそらくこのブログを見ている人がはじめて見る用語であろうが、かっては日本人の最大関心事項であったのである。「M・S・A」とは、昭和29年に締結された日米相互防衛援助協定(日本国土への米軍の配置と日本の自国防衛の義務付けとその範囲での武力の保持を認めるもの)の略称で、これを受けて、自衛隊と防衛庁が設置されたという。


【汚職】
ストーブ燃え処女の眼汚職の眼と並ぶ 道標 27・2/3 石塚直樹
春浅き水に白鳥汚職の世 曲水 29・4 星野石雀
汚職日本蛾出て走るその速さ 風 29・5 北市都黄男
ラヂオまた汚職をいふか遠雲雀 石楠 29・5 萩本ム弓
読めば汚職聴けば乱闘梅雨の家 青玄 不明 守田椰子夫
世に汚職机辺に大き蠅生まる 俳句 29・9 雨貝人語

※「汚職」はいつの世も数々あるが、この時期、最も有名なものは昭和23年の昭和電工事件で、福田赳夫(後、総理)、大野伴睦、栗栖赳夫(総務長官)、西尾末広、前総理芦田均が逮捕された。桁違いの規模の大きさだ。おまけにこの事件の本質は、GHQ内の主導権争いがそのまま反映されているというから、むしろ陰謀というにふさわしい。

【革命】
革命の語と向日葵と町に殖ゆ 浜 24・9 大野林火
梅雨はげし音にて操る革命史 浜 25・9 北村開成蛙

【革命防衛】
冬の石垣「革命防衛」の文字に汚れ 暖流 29・1 瀧春一

【家庭裁判所】
家庭裁判所出でしスカートみな凋む 暖流 25・12 帯凍港

※こうした組織はいつでもありそうなものだが、じつは「家庭裁判所」は昭和24年家事審判所と少年審判所が統合され発足したもの。昭和23年の民放(親族法)改正に伴う新しい対応と見るべきだ。


【共産党】
共産党への一票を秘蔵露明け来 寒雷 28・1 山中冬生
燃せや焚火農夫に共産主義は杳く 氷原帯 27・1 須田紅三郎
共産党と言はれて今日も日向ぼこ 俳句 28・7 筑紫岳川

【疑獄】
拡がりゆく疑獄英字で読むかなしみ 暖流 24・4 高橋星河

※「疑獄」が汚職とどう違うのかよく分からないが、この時期では、昭和23年の昭和電工事件だろうが既述のとおり。しかし、もっとも疑獄らしい疑獄は、昭和29年造船疑獄で、佐藤栄作自民党幹事長(後、総理)の逮捕を犬養法務大臣が指揮権発動で阻止した。後、佐藤氏はノーベル平和賞を受賞している。


【絞首刑】
絞首刑冬の鎖はおのが手へ 寒雷 24・3 小西甚一

【公民館】
公民館の露地ゆ子が出てつばめ出す 俳句 27・9 松崎鉄之介

※現在、句会が常時開かれる代表的な施設である「公民館」は意外に新しく、昭和24年社会教育法に基づき設置されたもの。

【裁判官弾劾事務所】

裁判官弾劾事務所躑躅咲く 俳句 27・9 中杉隆尾

【左傾】
袷どき友みな左傾してゆける 太陽系 21・9 金子明彦

【左派の書記長】
濡れて来て左派の書記長水飲むは 俳句 28・5 鈴木六林男

【収賄】
外套のポケット深く収賄す 石楠 24・4 油布五線

【署名】
病者の怒り汗ばみ署名する 寒雷 28・3 富永寒四郎

【税】
若き税吏に「詩を」と夫や別れ霜 寒雷 24・6 加藤楸邨
まずしきは税吏のならひ更衣 ホトトギス 24・9 田口夢酔
寺もする二重帳簿や蚊火煙 ホトトギス 24・10 村上青龍
税務署を出るに風花横へとび 石楠 25・4 佐野良太
酷税なれど払ひたし向日葵突つ立てり 麦 25・9 仁沢彩濤
はじき出す税おそろしや秋出水 曲水 25・11 小川原嘘師
税吏来る百合よりしろきシャツを着て 寒雷 26・5 高桑更平
税吏来て家中を寒くしてしまふ 俳句 29・1 伊藤こうしゅう
春寒くわが本名へ怒濤の税 『起伏』 加藤楸邨

※今回の項目の中でもっとも読みでがある作品が多かった。詠み手も多彩だし(ホトトギスまで入っている)、ただ単に政治的メッセージに止まらない作品が多い。加藤楸邨の句など圧巻である。社会性のテーマの仲でも何が普遍性あるテーマであるのかを考えてみたいと思う。


【政治悪】
悪政や車中押しあふ梅雨の傘 浜 29・8 荒井正隆

【接収】
屋根貧しき涯炎天の接収港 道標 27・12 古沢太穂
深む冬接収家屋の白き名札 鶴 28・6 草間時彦

※強制収容を意味する「接収」だが、この言葉を使う時は占領下の日本においてGHQが接収することが多い。


【選挙】
麦刈らる参議院議員生まれつつ 青玄 25・8 日野草城

【戦犯】
かの戦犯裁かるる日や鬼灯燃ゆ 浜 21・11 三浦紀水
遅日城し戦犯かともかへりみる 曲水 23・4 中嶋刻非
戦犯老ぼれて蝉声をききもらす 俳句 28・9 加藤かけい
そこばくの砂糖を壺に戦犯期 季節 29・8 指間八蹄

※「戦犯」は、Charter of the International Military Tribunal for the Far East(日本語名:極東国際軍事裁判所条例)で定められた次の3つの罪、(a) Crimes against Peace((イ)平和に対する罪)、(b) Conventional War Crimes((ロ)従来の戦争犯罪)、(c) Crimes against Humanity((ハ)人道に対する罪)とされ、それぞれA級戦犯、B級戦犯、C級戦犯と呼ばれ処罰された。これはニュールンベルク裁判と同様である。宗教裁判でない限り、近代的裁判であるなら明示された罪があってその違反を問われるべきなのだ(パール判事の意見)が、(a)の罪は明示された罪が見えてこない。有史以来戦争は何千件もあったはずだが、こうした裁判が行われたのはこの2つの戦争(対独、対日戦争)だけだったのではないか。それを忘れるくらい、日本は贖罪の意識に満ちていたのだった。


【追放】
追放も忘れすこやか雑煮食ふ ホトトギス 26・5 上野青逸

※「追放」は降伏後、GHQの指令により、戦争犯罪人、職業軍人、大政翼賛会等の指導者、朝鮮等の占領地の行政長官、軍国主義者・超国家主義者等が公職に就くことを禁止された。

【追放解除】
追放解除山茶花の天城かりき 曲水 26・2 宮崎霞木

※「追放解除」はこうした追放から昭和27年まで解除・復帰した。


【デフレ】
六月の日中鉄冷えデフレ来る 寒雷 24・8 和知喜八
倒産伝ふ電話西日のはげしきなか 浜 26・8 渡辺浮美竹
大安値反物買へと駅の秋 氷原帯 28・11 木下春影
【不況】
機市は不況旦那も大根引く ホトトギス 26・3 宮野絹風
蜩や人往き交ふも不況の世 浜 28・9 三上江雪
【天皇】
「わたくし」とのらせし帝(みかど)蝉涼し 俳句研究 22・12 武石佐海
寒燭へ明日の火をつぎ天皇論 『野哭』 加藤楸邨
【東京裁判】
東京裁判子をねかしつつ蚊帳に聞く 石楠 22・12 川島彷徨子
【農地解放】
農地売買はげしきときぞ木の葉降る 浜 22・2 粟飯原孝臣
氷柱照れり小作階級今は無し 石楠 26・4 佐野良太

※「農地解放」は昭和22年から25年までに、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革(地主の土地の小作への譲渡)。GHQにより実施された政策でもっとも成功したものとされている。

【葉書値上】
野分に身起こし葉書五円を憤る 寒雷27・1 富永寒四郎

※「葉書」は安いものの代表だが、戦後は頻繁に値上がりした。昭和21年15銭、22年50銭、23年2円、26年5円。この価格設定以後は安定して、15年間(高度成長期まで)据え置かれた。

【破防法成立】
警防の怒濤濁流に立ち向ふ 石楠 26・10 北原黄櫨
梅雨です肋です破防法など存じません 道標 28・1 赤城さかえ
土間に這う羽蟻や破防法通る 俳句苑 28・1 佐藤鬼房
破防法大学の梨夜落ちる 俳句 28・2 深川龍児

※「破防法」は昭和27年に成立した暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置、刑罰規定を定めた法律。

【捕虜】
抑留もきのふとなりし月の航 ホトトギス 23・6 南恵之
【乱闘】
乱闘ニュース聞く手いつしか黴拭き居り 寒雷 29・7 加藤知世子
【ヤロビ】
ヤロビの土地をまもれ内灘と決議いま 俳句 28・10 栗林一石路
ヤロビの麦せつせと撒くやためらはず 浜 29・6 橋場夢風

※「ヤロビ」はヤロビ農法のこと。スターリン主義の下、農業生産者に広まったソ連の農業技術である。ロシア語で春播を意味するヤロビザーツィヤの略語。

【李ライン】
李承晩ライン敵意の浪の白穂 俳句 29・2 日野草城

※「李ライン」とは李承晩ラインのこと。韓国李承晩大統領が日本海・東シナ海に設定した軍事境界線でここを越えて操業した日本漁船が頻繁に拿捕された。設定以後、数千人の日本人抑留者を出している(一部死傷者もいた)。そういえば李承晩は対馬(竹島ではない)は韓国の領土だと主張していたように思う。

【吉田茂】
雪達磨の顔は吉田や寒波来る 俳句 29・4 田川飛旅子
「揺れる日本」そのものを読む人はもう余りいないであろう。どうであろうか、※を付けたものが、現代用語の基礎知識ではないが、戦後用語の基礎知識にあたるものである。現代で全く理解出来ないもの、共感を呼ばない句もあるが、それは現在のわれわれの句もおそらく50年後には何故こんな句を作っていたのかと不思議がられるに違いないから、50歩100歩であろう。
むしろ時代は常に事件を押し流して行く。そして、時代とそれを超越した普遍を常に点検し、再評価して行く責任が後の代にはあるものと思う。

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