2013年2月15日金曜日

二十四節気論争(3)――日本気象協会と俳人の論争――/筑紫磐井編

3.「24節気アンケート」の〈意見〉の分析


気象協会の24節気見直しの提案に関して行った「24節気アンケート」の自由記述による「意見」の最終集計結果を、意見の内容に応じて分類して原文のまま掲げてみた。俳人たちの24節気及び季節に関する多様な意見をうかがうことが出来、今後の季語論の参考になると考えるものである。

各意見の前についている●は資料②インターネット上の「24節気アンケート(最終集計)」、〇は資料①こもろ・日盛俳句祭会場での「24節気アンケート」である。②の意見の方が詳細であったので先に掲げる。提出された99件の意見は漏れなく拾ってある。文は、原則投稿されたままとしたが、1部誤字や修正が必要なものは[]で編集者が加えておいた。

内容分類

第1群 在来24節気の見直し反対論

第2群 修正追加の肯定論

第3群 虚無的態度(どうでもよい、淘汰されるから)

第4群 節気・季語の根本論

第5群 いずれにも属しない意見

 まとめ(考察)

 

 

第1群 在来24節気の見直し反対論


(1)廃止すべきではない


最も多い意見は、在来の24節気を廃止すべきではないという意見である。後述するようにいくつかの根拠をあげるものがあるが、そうした明確な根拠を掲げていない意見についてまず総論的に掲げておくこととしたい。

  • 24節気も好きだけど、72候も好き。どちらも歳時記から外さないで欲しい(せめて表として残しておいて欲しい)。

  • 24節気のうち半分位は一般に知られていると思えるし、名称が難しいと言うが、「啓蟄」だってかなり難しい。当然ながら、要は慣れにあるのでは。立春、立夏、立秋、立冬などは、なるほどという感があり、違和感はありません。詳しくは知りませんが、24節気はそっとして置いてもいいと思う。

  • 季節の区切りとして、肌身に感じる言葉として、俳句をいたすものならば24節気は最低限知るべきである。


(2)24節気は伝統である


廃止すべきでない理由として、伝統として24節季の維持を主張する意見がある。後述(5)の文化論に近い。

  • 専門は自由詩ですので俳句はめったに作りません。あまり的確な回答はできません。ただ、強制によって過去の歴史を消していく方向は避けたいものです。

  • 日本の大切な、伝えていかなければいけないものだと思う。

  • 古の人達が、当時の気候や風習・ならわしなどを通じて自分達が肌で感じたものを言葉に変えたものでしょうから、これからも大切にしていきたいと思います。

  • 私は24節気の廃止には絶対に反対です。私は俳句に関わる以前から24節気について心に留めて生活をしていました。日本料理やお茶席、芝居・寄席演芸、着付け・・・等々、筋目筋目に季節を早取りして感じる日本の文化では、中国から借り受けた24節気は大切な役割を担っているのです。そもそも24節気というものは、俳壇における狭義の「季語」である以前に、私たち東洋の生活の背景となっている様式美であることを忘れてはいけません。1年のライフサイクルの中での、いわば「韻律」となっているものなのです。俳壇の枠に捉われず、24節気を大切にしている人々と手を携え、24節気の安易な改廃には強く反対を表明することを希望します。(「都市」本多燐)

  • 漢字の熟語としても大切。当然知っておくべき言葉。

  • 大切な宝です。

  • 素晴らしい伝統であり軽々しく改変すべきではない。

〇古来の言葉を大切にしてゆきたい。1時の思いつきなどで暦をいじるようなことは、決してすべきではないと考えます。

(3)2つの季節感のずれを甘受すべきである


在来の24節気について、気象協会が指摘するように、現代的な(あるいは欧米由来の)季節感と異なる伝統的な(あるいは東洋・中国由来の)季節感のずれは存在すると見る(本当に合致しないかどうかについては4.(2)を参照)が、後者を肯定する立場から、24節気の廃止ないし1部変更に反対する意見が出されている。その中でも具体的な根拠が必ずしも明示されていない意見を先に掲げる。

  • 北海道に、暮らしておりますとズレを感じますがたかだか数ヶ月のこと、そういうものだと割り切ってあります。逆に、北国ならではの季語がありますから!

  • 自分を含め農業に疎い人が多くなって、俳句でも作ってないと出会わない言葉だとおもう。でも西瓜や桃をそのままにして節気だけ新しければいいと言うものでもないような気がします。知らなくても節季があるのは悪くないと思う。

  • 実情とはずれたところがあるにしても、文化としておいておきたい。

  • 「暦の上では」という常套句があるくらい実際の季節とちがうことを前提にとっくに私たちは暮らしているのでこれは残して欲しい。気象庁が口出しすることではないと思います。

  • 農業や一般生活に昔から使われてきた季語。現代のカレンダーと合わないからといって、ほかの言葉に変えることもないし、その必要もない。まだ寒いが立春というと春の訪れが近い感覚があるし、立夏といえばいよいよ夏が来るという期待がある。

  • いまさら変える必要性は感じない。

  • 24節季と実際の季節感とのずれ、これは新暦導入時からの宿命と受け取るしかないと思います。なので下手に合わせようとするのは疑問です。

  • ずれも含めて季節の言葉として生き残れば十分ではないでしょうか。

  • 「新しい季節の言葉」というけれど、どんどん変わる気象条件のなか、「現代」にあわせて言葉を創り出す意味があるのか。今さら農村生活に密着した季語が定着するとは思えず、かといって移ろいやすい都会生活の語彙を「季節の言葉」と制定する意味があるとも思えない。そもそも「24節気」の枠組みが日本にあわないのであって、あわないものをあわないなりに言葉の上で楽しむのが「季語」文化であるのに、あわせようと今さら制定する行為に、多大な無理を感じる。

  • 現行の24節気は確かに実際の季節と1致していないことが多いかと思います。しかしその少しのずれも季節を先取り或い[は]後で思いを致す1つの指標となるのではないでしょうか。新たな24節気ができるとすれば、どのような言葉が生まれるのか楽しみなところです。

    〇1年を24の「季節区分」をされると、凡そ、現在の気象現象とのズレはあるにせよ、生活してゆく折の、季節感の指針となっていると感じます。(農耕民族の日本人の暦となって、歴史は古いのでは)

〇この頃は子供の頃と違って、季節的に「アレ?」と思われることも多いですが、日本人として四季のある生活を大切にしたいと思います。その意味でも24節気は大切と思います。

(4)ずれは日本人独特の季節感である


季節感のずれを認めた上で、単に甘受すべきであるというばかりでなく、日本人独特の季節感であると積極的に肯定する意見も多かった。
  • 24節気はその季節が極大の時に次の季節の匂いを嗅ぎ取る事に大きな意味があるのです。今年の例で言えば8月7日が立秋ですが、まだまだ夏の盛りのこの時に、少しずつ日が短くなってきたりなど、よく観察すれば季節が動いていることを知ることができる。それが分からない今の日本人は季節感が鈍いのです。そんなものに合わせて新しい24節気を作るくらいなら、このまま忘れてしまった方が良いのです。

  • その時期に、「もう立秋だ、芒種だ」と季節を感じさせてくれる。私には欠かせないものとなっています。

  • 昔からある言葉はそれなりの意味があって存在していると思います。単なる記号ならともかく、日本ならではの情緒ある言葉、歴史ある言葉を新しい言葉に置き換えるのは反対です。24節季は大切にしていきたい日本の財産のひとつと思います。かたちあるものだけではなくかたちのない言葉も大切に使い続けていかなければならないと思います。(そういう意味では歴史ある地名が消えていきつつあるのも残念です)。

  • 暑い寒い盛りに立秋、立春になるとか異論もあるかと思いますが、少し気をつければ立秋立春のころには秋や春の気配が感じられます。名称も1つ1つ解説があれば、覚えることも難しくないと思います。新しい言葉を定着させるよりも沢山の背景を持った今の24節季を広めていく方が、豊かな日本語の世界が広がると思います。

  • 24節気は言葉に風情があり、これからも今のまま使っていくのが良いと思う。

  • 24節気は、連綿と繰り返す年々の季節を経て、人ひとりの人生の数十倍もの時間をかけて見いだされた気候のパターンというのも大切なことです。ですがさらに、これまで千年以上、人々はずっとこの24節を意識して、「そろそろ春分だ」「芒種だ」と思いながら時を過ごしてきたということが、1つの価値になっているように思います。過去との断絶が深い現代の文化から、わずかでも過去の人々と現在を繋ぐよすがとして、24節気はもっと意識されてもいいものではないでしょうか。

  • なぜ長く続いてきた文化を現代の浅薄な知識で書き変えようとするのか理解できません。

  • いまのままでいいのは当然のことだと思います。

  • BE俳句に興味を持ち始めた頃は、季語は窮屈に思えましたが、毎日季題を貰える中で、お陰で俳句への興味が広がっていった経過がありました。24節気は、確かに実際の気候より少し早めに思いますが、オーケストラの指揮と同じで、早めの方が来る気候に備えたり、心待ちにしたり、思い起こしたりと、味わい深く思いますので、良いです。併せて、現代らしい季語や地域特性のある季語が増えることは、益々楽しみですが、24節気の地位は揺るぎないかと思います。

  • 「24節気」は、実際の季節とのずれを含めて大切にしていきたい言葉と思っております。確かにその時々の実感とのずれはありますが、そこからまた季節に対する鋭敏な感覚が養われるのではないでしょうか。24節気を詠み込んだ古人の作品を味わう上でも必要な知識でありましょう。廃止したり、新たに「いまどきの24節気」を設定する必要は全くないと考えます。

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