2012年12月27日木曜日

【『眞神』を誤読する】 テーマ解説  北川美美

テーマ解説

遠山陽子さんの個人季刊誌『弦』が年賀便として届いた。敏雄辞世句「山に金太郎野に金次郎予は昼寝」が中扉を飾り、評伝「したたかなダンディズム 三橋敏雄」が完結(全35回)となり満9年の発行を一旦終刊させた。「敏雄の生誕から没年までの軌跡を辿ることが目的だったので、『弦』も一区切りとしたい。」ということをご本人から伺った。敏雄最期の句会参加となった2001年「面」忘年句会での高得点句作者4名へ後に辞世句となった揮亳された色紙が手渡された様子も掲載されている。

「したたかなダンディズム」のタイトル命名に最期まで師を見守り続けた遠山氏の女心を感じていたが、敏雄の作品の上での「したたかさ」は『眞神』つづく『鷓鴣』に顕著に現れているのではないかと思っている。

『眞神』により敏雄はコアファンを獲得し、芭蕉、子規が時代の中で俳句を確立していった作品群と対等に置かれ、まさに敏雄自身の俳句様式の確立でもあった。現在も多くのファンの経典になっている。敏雄は『疊の上』にて蛇笏賞を受賞するが、やはり『眞神』がいい。モルトウィスキー、熟成された日本酒の香りが沁み入る洒脱さある。

ただ、『眞神』は至極難しい。アミ二ズム、シャーマニズム、父、母、胎児、さまざまな謎の主題が登場し輪廻転生の曼荼羅を巡っているような旅に読者を連れていく。遍路道を歩んでいるような不思議な世界がある。経典でありながら未だ読みこなせないのが『眞神』である。美酒であるが故に妙に男を意識させるのである。逆にそれは俳句が男の世界であることをも示唆しているようで女人禁制の山に感じることも確かである。

敏雄の句は直球の句意を持ちながらマニアックな読み方もできる句、時が経過し別の読みを発見できる楽しみがある。人生のさまざまな事象に遭遇した時、句が燦然と輝き、突然と解る時がある。それが運命的に短い俳句ならではの力ともいえる。

『眞神』が何故洒脱なのか、何故魅力的なのか。これから書き進めるものは『眞神』の「誤読」のひとつであることをはじめから白状しておこう。

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